19.体が動かなくなりました
システィアの両手が延びて、リアの胸の上に重ねられた。ちょうど心臓の上を覆うように親指を開き、両手で三角の形を成す。
ふと、それになんとなくリアは不穏な気配を感じた。
にじり寄る気配は髪の毛一本が頬に当たる程度の些末な煩わしさで、まあいいかとストップをかけるタイミングを見誤る。
しかしそれは的中した。嫌な予感の的中率は相変わらず恨めしいほど高い。
「やっぱりやめます」と口を開いたのに、声を出せない。体を動かせない。
――――あついっ!!
原因は心臓から流れ出るとんでもない熱量のせいだった。
中心から全身に行き渡る熱い流れは電流のように衝撃を伴って駆け巡る。痛いほどではないが、痺れを伴う熱。新しい器官が初めて稼働した影響か、変化についていけない脳に視界が白く明滅する。
このビリビリが所謂魔力というものか、などと困惑の隅で感動した。
「分かりますか?」
チカチカと火花が散る視界の中、やけに明瞭に声は耳に入ってくる。システィアは目の前にいるはずなのにはっきりと見えなくて、目を開けているのか自分で分からない。
「魔力の流れを捉えられないので、代替的に血管を使っています。多少違和感はあるでしょうけれど、全身を巡る形がある分、特定も容易なはずです。では、探っていきますね」
なるほど分かり易い。けど多少違和感どころか、現状自分の体が分からなくなってるんです。ちょっと待ってぇ。
そんな主張ができないので、リアは不穏な診療行為を受け入れるしか選択肢がない。
最初に試した魔力量では消えてしまうようだと言っていたせいか、システィアが先程とは比にならない魔力を注いだのが分かった。
システィアが止まっていると表現した感覚を実感として理解する。体中の中身だけがごっそりと引きずられそうになったのだ。なんとか頑張って耐えてみようとしたが、そもそも魔力初体感のリアには無理な話だった。ベテランの前では素人が太刀打ちできるはずもなく。
「っあ゛」
全身が焼け焦げるような錯覚を覚え、立ち上がっていたのだと思う。絞り出した声は家畜の鳴き声みたいだなとか、椅子を倒した音がうるさいなとか、頭だけはずっと冷静だった。
「リア!」
「母さま!?」
小さい気配と音が近づいてきた。
意外にすぐ視界は晴れ、体が冷えていくのが分かった。自分が床に座り込んでいたことに気づき、目の前には同じように床に座り込んで肩で息をしているシスティアがいる。
システィアにとってもイレギュラーなことのようで、大丈夫ですかと声を掛けたかったが、僅かに口が開いただけだ。
うむぅ、さっきのでやめておけばよかったなぁ。
「リア、大丈夫か」
トリムの低い声が左上から聞こえる。
大丈夫だとは思います。返事ができないだけで。
視界が晴れたと同じくして全身の熱はきれいさっぱり消え去っていた。勘違いだったんじゃないかというくらい魔力の後味は残らず、体が思い通りに動かないことだけが残る。
頑張って僅かに首を回し、トリムに「ダイ・ジョウ・ブ」と瞬きで伝えてみる。
トリムの見定めるような視線が怖い。伝わってないみたいだ。
ふざけてはいないのでちょっと落ち着いてほしい。
「……どういうことだ」
声音が怖い。
もう少ししたら動けそうな気がするんで、ちょっとだけ待ってください。
「…………はぁ、申し訳、ありません。……わたくしが辿っていけるように、魔術式に変換せず、そのまま魔力を流し込みました……先程のように吸収されるどころか、わたくしの体内の魔力まで奪われたといいますか……」
呼吸を整えたシスティアの復活は早かった。自身にも治癒術を使えるようで、説明をしてくれたが何のことやらよく分からない。
レティアナは母親の体を支えたまま、不安そうな目でリアとシスティアを交互に見やる。
「何故リアは反応を示さない」
「今まで、止まっていたものが動いた、反動、かもしれません。……リアさん、意識は……あられるようですね、わたくしの声は聞こえていますか?」
聞こえていますよー、と返事をする意味を込めて瞳を揺らした。なめくじのような鈍間さでついでに頷く。
「ごめんなさい。怖い思いをさせましたね」
確かにビビりはしたが、初めての感覚に困惑した方が大きく、思考だけは意外に落ち着いていたのでそれほど怖いというものでもなかった。ここはシスティア達の家の中だし、トリムもいるので、リアを脅かす存在がいないことでどうにでもなると思っていた節もある。
システィアは躊躇いがちに手を伸ばし、触れる直前で「治癒をいたします」とリアからトリムに視線を移ろわせ首元に触れた。
痺れの伴わない方の穏やかな熱が体に染み込み、「あぅ」と声を漏らした時だった。
玄関戸をノックする音に心臓が飛び跳ねた。
「システィアさん。大きな音がしましたけど、何か問題でもありましたか」
明瞭な若い男性の声。
倒れる物音を気にして近所の人が様子を窺いに来てくれたのだろうか。そう思っていたら、システィアが焦燥感を露わにリアの後ろのドアを見つめているのに気づいた。レティアナも知っている人物なのか身を強張らせている。
「問題ございませんわ。椅子を倒してしまっただけでして」
「……そうですか。お手伝いできることがあればしますよ?」
気さくな感じで扉の向こうの男性は話しかけてくる。
その間もシスティアの治癒は続き、首回りは普通に動かせるようになった。真剣な表情のトリムと目が合うと声を潜めて「動けるか?」と聞かれたので左右に首を振る。
「今は大丈夫です。必要になる時があれば、お願いしますね」
外にいる男性はなんとなくこの場にとってまずい人物なのは分かった。そして、普段気配り上手なシスティアが、心配して訪ねてきた親し気な人に対して、出迎えもせずドア越しのまま話すのは違和感が大きい。
望まない方向に進む予感は、当然のように当たる。
「……ドアを開けてもらえませんか? お話しておきたいことがあるので」
「急ぎでなければ、改めていただけませんか」
本当に話があるのか違和感から何かを疑っているのか定かではないが、こうまで直接的に言われたら断る理由が難しい。このぼんやりとしたお断りの回答で諦めてくれれば前者なのだが。
誰であろうと何が一番まずいってトリムさんだよね!
一番自由に動けるレティアナに口パクでトリムを隠してと伝えると、無表情に青くなっていたレティアナはハッとしてこくんと頷いた。静かに移動して、テーブルに乗っているトリムの前に立ち両手を伸ばしたが一瞬固まる。それから恐る恐る挟んで持ち上げ、手を伸ばしたまま寝室へ持っていった。
「すぐに、終わります。私も、もうすぐこの任から離れるので、できれば急ぎでお願いしたいです」
食い下がるなあ! これは絶対疑ってるでしょ! てか任って、任務ってことは、まさか。
諦めの悪い男の見当がついた。システィアが昨日話していた、護衛の騎士だ。
あまり変に断ると、疑いが濃くなり無理矢理部屋の中まで調べられることを懸念したリアは、とりあえずトリムを隠せたのでシスティアにゴーサインを出した。
申し訳なさそうな顔のシスティアは、頷き、椅子をレティアナに立て直させた。さすがに寝室まで移動できないので、母娘で支えてリアを椅子に座らせ、システィアは着ていたガウンをリアの肩にふわりと掛けた。
椅子の背とテーブルにぐでっと体重を預けていると、レティアナが横に立ちリアの手を握る。拒絶する力もないのでそのまま放置。
「どういった、急ぎのご用件でしょうか」
玄関のドアを開ける音と、システィアと護衛の騎士の会話が聞こえてくる。
「…………急がせてすみません。明日、ゼスティーヴァの下層内部に私も行くことになりその後王都に戻るので、お話しする機会がもうないかと思い、交代前にお伝えしておこうかと」
「あら、そうだったのですね。お休みの間もなく塔に入られるだなんて、騎士さまは本当に大変ですわ。お強くてらっしゃるから心配はしていませんけれど、十分お気をつけください。何かありましたら飛んで参ります」
「システィアさんにそう言ってもらえると心強いです。昨日も本当に助かりました。……それで、その塔についてですが、崩壊の元となった爆発は人為的なものと考えているんです」
「……それは、……の者でしょうか」
「確証はないですが、おそらく別かと。…………人影を、見まして」
聞こえにくい部分があって耳を澄ましていたら、ピンポイントで自分の話題が出て心臓が止まるかと思った。体の動きが鈍いおかげでビクッとならなかったのは救いだが、代わりにレティアナの握る手が強くなった。心なしか背中に視線を感じる。
「それについても騎士団の方で調査は進めますが、システィアさんも気になる人物を見かけたら報告いただけるとありがたいです。しばらくは騎士が駐在しますので」
「はい、わたくしにできることがありましたら、協力は惜しみませんわ。人を見る目はあると自負しておりますの」
「ありがとうございます。…………ところで、失礼ですが彼女は?」
そのまま終わりそうだった会話は、リアに突如矛先を向けられて、疑惑の視線が突き刺さった気がした。まあ、そりゃそうだとは思う。
「……巡業中に出会ったわたくしの友人です。わたくしを訪ねてきてくださいましたの」
「そうでしたか。一度も見かけなかったもので、少し驚きました。すぐにこちらまで訪ねて来られるとは、よほど心配だったんですね。それにしても、どこか体調が悪いんですか?」
「施術中でしたの。それもあってわたくしのところに。まだ続きが必要ですので、そろそろ……」
「ああ失礼しました。…………取り込み中、申し訳なかった」
自分に向けられたであろう最後の言葉に、その通りだよ! と内心思いながら無視するのも不信感を増長させそうなので、顔を少しだけ横に向けぺこりと頭を下げた。
「レティアナちゃんも、俺も協力は惜しまないから、何かあれば遠慮なく言ってね」
「ありがとう。お兄さんも気を付けて」
軽く挨拶を交わした後、護衛の騎士は去っていった。
疑惑度は半々な結果だが、良い人なのは間違いなさそうだった。
そもそもリアは犯罪者でもないのでトリムが見つからなければそれほどこそこそする必要もないと今になって気づく。
「すみませんでした。良い方なのですが……心配してくださっただけなんでしょう」
護衛の騎士に探るような言葉が混じっていたことに、システィアが詫びる。
「いえー、ひやひやしました。でも随分親し気でしたね」
「母さまを助けてくれた方なの」
「はぁ……」
助け出した? ああ、囚われてたとか言ってたっけ。
あまりにものほほんと暮らしているので忘れかけていたが、そんな経緯があったのねと想像する。囚われの女性を助け出す騎士とか一定の人気がある恋愛物語のようだ。
「恋が始まりそうな話ですね」
「恋?」
「あ、いや、不謹慎でした。すいません」
「ふふ、いいんですのよ。わたくしの愛する人はずっとひとりだけですし、それに彼はまだ若いですわ。リアさんの方がきっとお歳も近いです。気になるようでしたら今からでもお声がけしてきましょうか」
そんな冗談を言いながら治癒術を施され、やっと動けるまでに回復した。
トリムの元に行くと、リアが寝ていたベッドの隅にシーツを被せられた状態で静かになっていた。レティアナがとりあえず隠そうとしてくれたんだとは思うが、捲るのが少し怖い。
「……ご、ご心配おかけしました。ヒーローのような騎士さんだったようです」
「ああ、俺の魔術を防いだ、あの騎士か」
なるほど、と手を打った。ボスと戦っていた時に善戦していた優秀な騎士かと合点がいった。そう思うと遠目にでも目撃されたリアは中々危ない橋を渡っていたんだなと冷や汗が出る。
トリムを抱き上げて部屋を出ようとしたところで「悪かったな」と空耳が聞こえた。
「え?」
「だから、悪かった。リアの魔力に関しては慎重に対応すべきだった。あのまま何かあれば俺は打つ手もなかっただろう……肝を冷やした」
「お、おう」
空耳ではなく、あの省みる点など無きに等しいとか言っていたトリムが自ら謝っている事実に面食らってしまった。何かの冗談かと顔を覗き込むと神妙な面持ちで見つめ返されたので、真面目な話だと、おふざけは一旦箱に仕舞う。
「でも最後に了承したのは私ですし、びっくりはしましたけど、人生で初めて魔力を感じれたのでいい経験になりましたよ? 気にしなくてもいいですよ?」
視線が怖かったのは、おかしくなったリアの体を見て機嫌が悪くなったわけではないのだと安堵した。普通に心配してくれたことがなんだかこそばゆい。
トリムは「そうか」と言った後黙ってしまった。気を遣ったわけではなく本音だったのだが、伝わっただろうか。
その後は暇だったのでお風呂掃除を手伝い、元々着ていたリアの服を繕い、システィア母娘が料理する様子を後ろでウロウロ見て、終いには何か仕事をくれと強請った。近所の人から譲ってもらったレティアナ用の服の丈をちくちくと直していると食事ができたと呼ばれて夕飯となった。
今晩はほろほろと身の崩れるほど柔らかい肉と野菜の煮込みだ。あまりにも美味しくてなんとかトリムにも一口食べさせようとしたが、しつこ過ぎたのかそのひと掬いが凍らされてしまった。もったいないので溶かしてリアが食べた。
レティアナが食後のお茶を四つ入れ、一息ついた頃にリアは切り出した。
「明日ぐらいに出発しようと思っています」
システィアは残念そうに「そうですか」と言い、レティアナは絶望に染まった顔で固まった。
トリムが目の前のカップから視線を外さず体調を訊ねる。
「疲れていただけですので、十分養生できたと思います。と、いうかシスティアさんがちょいちょいリアクタ使ってくれるので元気が有り余ってるんですよね」
なのに外を出歩くことはできないし、家の中ですることは限られているし、正直暇すぎて限界だった。次の予定も決まったので、娑婆に出たい。
「ゆっくりすればいいものを、動けなくなったのはたった半日前のことだぞ」
「そうよ、もう少し様子を見た方が良いと思うの。それにつぐ……お礼もまだ足りないわ」
「うーん、でももうどこも問題ないですよね?」
手っ取り早くシスティアに聞くと「そうですわね……」と困った笑顔で答えた。元聖職者である母親のお墨付きをもらったので、レティアナはしゅんとなってしまう。そしてお風呂を沸かしに行くと逃げるように席を立っていった。
「本当にリアさんのことが大好きなようで、少し妬けてしまいますわ」
「えー……と、そういうんじゃ、ない、かと」
しどろもどろに誤魔化すと「冗談ですわ」と笑う。
「いつまでもいていただきたいところですが、トリムさまとのお約束がございますものね。無理に引き留めるような真似はできません」
約束という可愛いものでもないけど、と思いつつ曖昧に頷いておく。トリムとそういう話でもしたのだろうか。
しばらくして、初めて出会った時のような陰鬱な無表情で、レティアナが着替えとタオルを持って戻ってきた。責められている気がして視線を逸らして受け取る。先にと勧められたのでさっさとこの場から逃げてしまおう。
「じゃ、行きましょっかトリムさん」
「は?」
「え」
「あら」
それぞれ何かリアクションしていたが、そそくさとトリムを抱いてお風呂場へと向かった。




