18.これからのことを話しましょう
心地良い温もりに包まれて、ふわふわと意識が暗闇を漂っていることに気づいた。自我も思考も何もない闇は思えばあっという間で、瞼を空ける直前に一瞬にして浮かび上がった。
瞳に映ったのは木目がはっきりと分かる天井。
自然光で十分に明るい部屋をゆっくりと瞬きを繰り返し見回していく。見覚えがあるような、初めて見たような、曖昧な印象の手狭な部屋だった。寝ぼけた頭は、ここがどこで何故眠っていたのか思い出すのに相当な時間を要した。そして、やっとここがレティアナの家だと認識する。
モンスターに怯える必要もなく全身は弛緩し、夢に邪魔されることなく十分に休むことができたおかげで、体も頭もとても軽い。起きてしまえば、清々しく気持ちも静かだ。
「起きたか」
リアは起き上がって声の方を向く。
「おはようございます、トリムさん」
「ああ、おはよう。と言っても、昼すらとっくに過ぎているが」
「ありゃ、寝すぎちゃいましたね。すいません、もしかして起こしてくれてました?」
「十分休めたのならばいい。母娘は近隣の者に挨拶をすると言って出ている。そこの桶の水は替えてあるものだから使うといい。食事の用意もあるそうだ」
「どもっす」
リアは両腕を上に突き出してうーんと伸びをしてベッドから降りた。手早く顔を洗い、トリムを抱いて台所へ行くとスープと以前の要望通り雑炊のようなものがあった。水差しから勝手にコップに注いで席についた。
一口水を飲み、ぼんやりと外を眺める。
カーテンの隙間から日が傾いている様子が見えたので、真昼を過ぎて結構経っているようだった。半日以上眠っていた。
「あ、そうだトリムさん」
「…………なんだ」
ただ呼び掛けただけなのに胡乱気に返事をされる。
「そんなにかしこまらなくてもいいですよ」
「かしこまっているように見えるか?」
「私はかしこまってます。……改まって言うのもちょっと恥ずかしいですが……ありがとうございました。あそこから生きて出てこれたのはトリムさんのおかげです。このご恩は一生忘れません」
リアは椅子に座ったまま、トリムに深々と頭を下げた。
落ち着いたことだし、過程はなんやかんやあっても生き残れた結果はひとえにトリムがいてこそだ。微妙に複雑な感情もないとは言えないが、感謝が一番大きいことは揺るがない。
しばらくそのまま頭を下げていたが何の返答もなかったので、ちらっと見上げると、トリムは神妙な顔になっている。
「私そんな変なこと言いました?」
「……いや、寝ぼけている……などではないのだな? ならばリアとの取引を順守しただけだ。次はお前が俺との取引を守るのだから、礼を言う必要はない」
「あの、取引云々は別として、普通に感謝してるからお礼言っただけですよ? 必要性でいうなら、私には伝える必要があったんです。ってか、こんなこと言わせないでくださいよ恥ずかしい。お礼くらいいつもみたく、構わん、とかで素直に受け取ってください」
トリムは神妙な顔から、眉間に皺を入れて何か考え込み、思い出したように頬を緩めた。
「…………ああ、そうか……そうだな、構わん」
「へへ、いえいえどーもー」
自分の言ったとおりに返したことがなんだか可笑しく、嬉しかったのでにへっと笑みが零れる。
さて、と言ってリアは姿勢を正して座り直した。重要なのはここからの話だ。
「それで、これから何をどうする予定なんでしょうか。心臓の在処が分かったとおっしゃってたのは?」
「命楔は直接心臓に打ち込まれるものだからな、距離どころか魔術の壁でさえも無視して。……実際のところ博打ではあったが、捉えることができた。リアも感じただろう? 命楔の刺激を」
「あーはいはい、感じましたね、ちくっとしたやつ。それで心臓のある位置が分かったってんですね。でもそれって心臓だけですか? まさかなんですが、内臓全部切り分けられてたり……」
「それならば死んでいる。上体、下体……腕、だったか、おそらくその程度だ」
首だけの現時点と内臓バラバラの場合とどっちも普通なら死んでいるので当然のように言われても分かるか、という言葉は飲み込み、思ったより集める体は少なそうだと胸をなでおろす。しかし次の一言で彼方へ消え去った。
「ここから南の方角にダンジョンがあるはずだ。その内部に筐体が」
「ちょっ、ちょっと待ってください! ダンジョンですか!? また!?」
ガタッとテーブルに両手をついて立ち上がりトリムに食いついた。今のはどう聞いても別のダンジョンへと再び入らなければならない流れだ。命からがら脱出したというのに、再び。
「ん、ああ」
それに対してトリムは事も無げに認めた。
リアは口を開けたままスローモーションのようにゆっくりと座り、脱力して背もたれにぐでっともたれかかり天を仰ぐ。
「…………やだ」
それは、心の底からから漏れた本心。
「嫌だろうが、そこにあるのだから仕方あるまい。命楔の破棄はできないからな」
でーすーよーねー。
予想していた回答だ。取り繕う余裕もなく、ただ感情が漏れ出ただけの「嫌」という言葉。
「だって、せっかく出てこられたのに、またって、やだぁ」
それでも止めることはせずに天井を見上げたままじたじたと不満を続けた。その様子は駄々っ子以外の何ものでもなったが、そんな恥や外聞は完全無視だ。どうせ二人きりだし。
トリムはない肩を竦めるように一息つくと大きな駄々っ子を宥める
「ゼスティーヴァでのような無防備な状態で行くのではないんだ、装備を整え、準備をして、できることならパーティを組むか傭兵を雇ってもいい。俺もいる」
「トリムさんはいますけどぉ、そこの塔に入った時だって万全の装備だったんですよ? 何がどうなるか分かんないじゃないですかぁ」
「危険は承知の上だ。変な術が施されたものならば俺が見極める。臨むことは決定しているのだから、ダンジョンにたどり着くまでに気持ちを整えておけ」
「拒否権はぁ」
「ない」
むくりと起き上がったリアは、じとっとトリムを睨みつけて視線を交錯させたが、すぐに敗北して今度はテーブルに両手を放り投げ突っ伏す。降伏のポーズだ。
「しょうがないのかぁ」
「俺は地理に詳しくない。まずは装備や、ギルドか、整えるにはどこが近い?」
顔だけ横に向けて上半身はテーブルに預けたまま考える。王都に来るまでも王都を出てからも、リアにとってどこも初めての場所なので、行ったことがある街の情報しかない。
「私もあんまり詳しくないですけど、王都からここくる途中の街にギルドはありましたよ。なんで武器屋さんもあると思います」
「まずの目的地はそこだな。街の名は?」
「えっと、さ、桜吹雪の、サラ……サライドでした!」
現在の装備はといえば、僅かな便利道具と服。装備とすら言えない。
代わりに、リア達は冒険者だけでなく勇者パーティだったので国からの支度金、死んだ仲間の分も含めて資金は潤沢だった。ダンジョンで倒した強モンスターの核もいくつか持ち帰っているのでギルドに売れば足しにもなる。
リアひとりの装備をそれなりに上質なものに揃えるくらいには十分なお金はある。今後の為にもケチらず防御面に重きを置いていこうと思う。
ぐう、とお腹が正常に機能していることに気づいたリアは、ひとり食事の準備を始めた。
鍋に火を点けて温まった頃に、テーブルにひっくり返してあった器に盛っていく。勝手知ったる我が家のように、水をさらに注ぎ、もそもそと雑炊のようなものを食べる。
うん、美味い。
雑炊のようなものは昨日のスープのように歪で生煮えの野菜のようなこともなく、優しい味わいでおいしくいただけた。きっとシスティアが作ったんだろう。スープもしっかりと旨味があり薄すぎることもない。
食べ終わった頃に、玄関の外に人の気配がした後、鍵をガチャガチャする音が響く。片手に袋を持ったシスティアがドアを開けてリアに気づいて微笑み、後ろから食品ぽいものがいっぱい詰まった紙袋に顔を隠したレティアナが現れた。
「おかえりなさい。いただきました」
器を上げて完食を見せてから頭を下げる。
その声にレティアナが紙袋の横から顔を出して、慌てて部屋に入ってくると、椅子の上に荷物を置いた。勢いで果実がひとつ転がり落ちる。
「どうだったかしら?」
「……お、美味しかったですよ」
身を乗り出して尋ねたのは味の内容かと見当をつけて素直に答える。レティアナは「そう」とだけ言い、変わらない表情のまま頬をピンクに染めて、俯いた。
システィアが転がった果実を拾い上げてテーブルの上に置く。
「リアさんのことになるとあわてんぼうですね。困ってらっしゃるわ」
「あ、ごめんなさい」
「別にいいですけど。それより挨拶回りに行ってたと聞きましたが、沢山の荷物ですね。買い物でしたか」
「いえ、皆さんにいただいたんです。初めは驚かれましたけれど、皆さん優しい人ばかりで、レティアナがこんなにも優しい子に育ったのは周りが素敵な方ばかりだからと気づきましたの」
娘の頭を撫でてふんわり微笑むシスティアは相変わらず輝いている。その空気に「はあ」とリアは生返事をして見ないようにする。
レティアナはお茶を貰ったと言って台所に駆けていった。
ふと、リアの腕に手が触れ、温かさを感じて見上げるとシスティアが傍で真剣な表情で見つめていた。
「お体に気になるところはありませんか? 全く反応も示さずに眠ってらっしゃったので少し不安でしたの。トリムさまが大丈夫とおっしゃって家を空けましたけれど……」
「す、すいません、疲れてただけなので、今はピンピンです。ご心配おかけしました」
「でしたらいいのですが…………リアさん、不躾を承知でお話してもよろしいでしょうか」
システィアはリアの横の綺麗な椅子に腰を掛けて言った。真剣な表情のまま改まって言われるとどぎまぎする。
「え、な、なんでしょうか」
「わたくし、治癒の魔術を得意とする聖職者、でしたの」
「あ、はい、存じております」
「わたくしの行う治癒術はわたくしの魔力を馴染ませて体を正常に戻すもの。それと、傷ついた心を、正常とまではいきませんが、回復の助けになるよう流れを緩やかにする治癒術もございます。……今朝、あまりにも反応がないものでしたから、失礼ながら体と心の流れを診させていただきました」
それほど自分は死んだように眠っていたのかと密かに驚愕する。眠りは浅い方でも深い方でもないので、煩ければ普通に目を覚ますはずだ。持病もなく、ザ・平凡を謳っていたというのに。
流れを診るというのが想像がつかず、町医者の触診みたいなものかなと首を傾げる。重病でも見つかったのかとごくりと唾を飲み込み続きを促した。
「……何か、問題が?」
「わたくしも初めてのことで、問題があるとも断言できないのです。心を診る場合、言葉と共に、巡る魔力の流れに沿って滞っているところを探し当てて、解していくのですが……」
戸惑いながら続けたシスティアの言葉にリアは安堵した。このやり取りは以前と同じように繋がるはずなので、続きを攫って代弁する。
「ああ、魔力がないから分かんなかったってことですね」
「いえ、魔力がない生物は存在しませんので、流れていない、止まっているというのが正しいです。普通は……生きているのが不思議な……まるで亡くなられた直後の状態なのです。ですが、そうなれば、体から徐々に魔力は失われやがて朽ちていくはずですし、リアさんは体に何の異常もないようですので……」
魔力ゼロだと生物として存在を認知してもらえない衝撃とか、実は止まっているだけでゼロではなかった事実とかへの反応は、その後の内容に拭い去られてしまった。
死んだ直後の状態とは一体どういうことなのか。
「え、わ、私の存在は……死ん……?」
「だから言ったではないか。というか俺の時と何故そうも態度が違う」
固まったリアに対して、トリムは以前適当に流された不満を漏らす。
トリムに視線を移して、たっぷり考えてから「信憑性?」とうっかり真剣な顔で答えたら、目を細められた。
「ほう? 俺の言葉は信用ならないと?」
「失言でした、すいません。トリムさん治癒術得意じゃないって言ってたし、システィアさんは治癒のプロだし、それで許してください」
「まあ、いいだろう」
レティアナがお茶を入れ終わり、律儀に四つ、それぞれの前に置いた。トリムは目の前に置かれたカップを見つめ、何とも言えない表情で「次からは不要だ」と言っている。
「それで、良ければ、きちんと診させていただいけないでしょうか? 心の治癒は本人の意思がないと正常にできないものなんです。わたくしが間違っている可能性も当然ございますし。勿論、無理にとは言いませんけれど」
生物ではないかもしれない魔力の状態のリアを慮って、なおかつ意思を尊重しての提案だった。それが異常な状態なのか通常運転で問題がないのか、治癒術の必要性等、はっきりするならば対処ができるというものだ。
「えっと、現状別に困ってないのでいいです」
しかしリアは片手で制して拒否。放置を選ぶ。
何故なら生まれてからこの方、なんの問題もなく健康に過ごせてきたのだ。魔力どうのこうのの自覚症状もなく、体に変化を感じた覚えもない。最近出会った人に普通じゃないと言われても、リアには普通のことなので、世の中にはそんな人もいるんじゃないの? というレベルの認識。
システィアは残念そうに頬に手をあて、レティアナは「え」と静かに驚きの声をあげ、テーブルの上からは盛大な溜息が聞こえた。
「いいわけあるか。診てもらえ」
「えー、それってトリムさんの興味じゃないですか? 私カウンセリングとか苦手なんですよ。自分の心は自分で折り合いをつけれますので、結構です」
傷ついた心とか、心の治癒術とか、要はトラウマ抱えた人に対する精神的な治療のことだろう。リアは休養を十分とったので元気だけはいっぱいで現状悩んでるわけでもなく、加えて、他人に自分のことを話したり、踏み入れられたりといったことは正直やりたくない。
「治癒の施術はともかく、その滞っている箇所を診てもらえと言っているんだ。今は問題なくとも追々何かしら起きた時が問題だろう。その場に治癒できる者がいるとも限らない。リア、お前のためだ」
「ぐ、ぐう正論…………分かりましたよ、診るだけで、お願いします」
思いの外真面目に諭されてしまったので折れるしかなかった。
システィアは「ええ」と微笑むと、向かい合わせになるよう椅子の位置を変え、リアの両手をとった。右手と左手、左手と右手、それぞれをシスティアと繋いで、目を瞑るよう言われた。
「背もたれに体重を預けて、呼吸は楽なように。まずは右手から流していきますので、抵抗せず、その流れに集中してください」
「はい」
すぐに繋いだ右手から体温とは異なる心地良い温もりが伝わってきた。それは緩やかに腕から全身に広がっていき、染み込んでいくのが分かった。ぽかぽかと気持ちいいが、流れというものが全く分からない。内心悩んでいると、今度は左手があったかくなった。同様に全身に馴染んだが、やはり分からない。
困ったリアは、恐る恐る片目を開けてシスティアの様子を窺うと、システィアも困惑した表情になっていた。
「……どのように感じましたか?」
「き、気持ちいいです」
「そうですか……流れは分かりましたか?」
「分かりません」
嘘を吐いてもしょうがないのでありのまま即答する。
システィアはふうと息を吐き、両手を離した。何だか申し訳ない気持ちが湧く。
「……実は、わたくしもなのです。注いだ魔力が消えていくような感覚で、流れが辿れないことは初めてですわ。亡くなった方とは異なり、わたくしの魔力が動かないままというわけでもなく馴染んではいるようですけれど、こちらの意図とは違う結果なのです。眠っていらっしゃった時は止まっていると感じましたが、今はどちらかと言うと吸収されていくというか……」
どういうことなのかいまいち分からないので、聞くべき内容も分からず「えーと」と言ったままシスティアを怪訝に見る。視線に気づいたシスティアはシャキッとした顔で新たな提案をした。
「わたくしから提案しましたのに、明確な回答ができず申し訳ございません。良ければ、別のルートで流してみてもよろしいでしょうか? あまりとらない方法なのですけれど」
「ああ、試してみてくれ」
「えー、トリムさんが許可するんですか。……まあいいですけど、気持ちいいですし」
中途半端な感じでももやもやするので、この際だからと軽い気持ちで了承する。
結果、すぐに後悔した。




