15.貶し合いはなんて不毛なんでしょう
「……なんでずっとだんまりなんですか? 異論はないんですか」
レティアナの後ろをついて行きながら、リアは左腕の中で静かなままのトリムにこっそりと耳打ちする。
レティアナとのやり取りに微塵も介入してこなかったことに疑問以上に不安を感じる。
子供との邂逅は不可抗力だが、放っておけと言われたのに勝手に白熱したリアは、今さらながらに何の反応も示さないトリムに居心地の悪さを感じていた。全くもって後悔の多い人生である。
結局、食事をご馳走してくれるということなので、リアは数々の暴言を記憶の片隅に追いやり、厚顔無恥にもレティアナの家に行くことを選んだ。
短い会話ながら、幼くも彼女の言葉や態度は信用に値するものであり、償いたいというレティアナの気持ちを尊重するように見せて、温かいスープに惹かれた。いや、実益をとっただけだ。
誘われるがままに少女の家へと向かい始めても一言も発しないトリムの意図が分からず、本当にいいのだろうかと一抹の不安を投げかけたのだった。
勿論、観光村へ行くことは、その分人目につくことであるし、得策だとはリアも思ってはいない。思ってはいないがあまり深く考えることもしていない。ぶっちゃけ、だいぶ疲れてきていたリアはトリムが止めてくれると思っていた。判断を丸投げしたい。スープはいただきたいけれども。
「随分と、くだらない話を長々としているものだと思ってな」
「はあ、くだらない、ですか」
トリムは声を抑える様子がなかったので、リアもこそこそするのはやめた。
くだらないのならば、それこそ口か物理か挟んでくれれば良かったのに、と思う。
無言の時間は思い出してみれば結構あった気がする。横やりが入れば、あの時間はもっと早く終わって、未だに右手にある水果梨を食べることができていただろう。その場合、お宅訪問という結末には辿り着かなかっただろうが。
「ああ。行いの後始末をつけるというわけでもなく、償いだののために自らを犠牲にし、あるいは他者に尽くそうなどという思考が不思議でならん。無意味かつ愚かだ」
「……そうですね」
小柄なシルエットの銀髪が揺れる様子を見て、くだらないとトリムの言葉に全面肯定できない気持ちを不本意にも抱えながら、相槌をうつ。
トリムの辞書に罪悪感なんて単語はないのかもしれない。
ただ少なくとも、一人で勝手に死ぬことによって償った気でいることについては、リアも同意だ。
「俺は正直なところ、その思考回路が全く理解できん。しかしお前は即座にそれを把握したうえで、己にとって無益な行為と断じて切り捨て、対象の事情を踏まえない短慮な恨みの無差別さでもって否定した。どこまでも自己中心的で利己主義な言動だったが」
「え、あの、突然の悪口はいったい……?」
いつもと変わらぬトーンで言うものだからワンテンポ遅れたが、どうにもリアを虚仮下ろした悪意ある発言に聞こえる。
言葉選びが酷いので、まるでクズの中のクズのような人物像ではないか。
トリムには当然のように無視される。
「結果的におよそ無意味なことは避けられた。幼子相手に大人げなく責め立てていた割に、随分と熱心に無意味さを説くリアのせいでな。恨みがあればこそ、その村人ひとりの命なぞどうなっても構わないだろうに。復讐とまで言っていたが、どう見ても復讐を行おうとしていた者の言動ではない。矛盾している。今もだな」
これは、リアが責められているのだろうか。
やはりスープは駄目だったのだろうか。
それならば悪口の前に止めてほしかったと思いつつ、とりあえず、こんな言いがかりは許容できないと言い返す。
「別に、どうなっても良かったんですが、あんなので償った気でいられるのが不快だっただけです。復讐は諦めてるって言ったじゃないですか。聞いてなかったんですか? なら罪悪感を利用してやろうってのが現状なので、矛盾なんてしてません」
リアはトリムのつむじを穴が空きそうな程睨みつけた。
本音ではある。
恨む相手にご馳走になるという傍から見たら確かにおかしすぎる結果になっただけで、仲良くお食事しましょうねウフフではない。矛盾も問題もないと断固主張する。
「ふん、中々面白い言い分だな。やはり性格が捻くれているようだ」
「どこが面白いのか全くもって理解できませんが、お言葉そのままお返ししますよ」
「ならば全ては食事にありつくための布石だったというわけだ。意地汚いな。まあ、リアのもたらす結果に興味があったのがひとつ。もうひとつはそこの子供が少々気になった」
「そんな食い意地張ってません。それより幼女を気にするような発言は危ないと思いますよ。ただでさえ見た目危ないのに。それでどう気になったんですか?」
「何が危ないのやらお前の思考にはついていけない。リアの持っていた術具が反応を示しただろう。それが見れるかとも思ってな。あの幼さでは魔力量がかなりのもののようだ。それについて取り乱しもしないおかげで確信が持てない。
魔力も落ち着きのない言動も桁違いに低い者も近くにいるが、どちらが年長者か疑う」
「だ、誰のことでしょうね?」
ギリギリの貶し合いをとぼけることによって終わらせようとしたら「リアのことだ」と断言されてしまった。
目の前の少女が大人び過ぎている分、自分が際立って大人げないことを嫌でも自覚してしまうため、リアは小さく唸った後、脱力した。
「こんな不毛な口喧嘩はやめましょう。大人げないと思いませんか」
「認めたのか」
「一般論です」
つまり、場の成り行きに興味があったのと、レティアナの魔力量を見たかったのが関知しなかった理由のようだ。
リアとしてはより疲れただけで、有益な話ができたわけでもなく、どのあたりに興味を引く要素があったのか皆目見当がつかない。少女の魔力については尚更だ。
「あの」
会話の間を見計らったようにレティアナの声が入ってきた。
すぐに視線を外した出会い頭とは違って、今度はトリムを不思議そうに見つめて小首を傾げている。
普通に話していたのだから、内容は聞こえないまでも、リアの声以外の男声が聞こえたら驚くのは当然だ。むしろ聞こえた時点で確認してもいいものだが、気を遣って会話を遮ることを避けたレティアナの冷静さに驚愕を禁じ得ない。リアなら速攻見る。
「そちらは、亡くなった方の頭を抱えているのだと思っていたのだけれど、お話ができるということは、生きているのね?」
リアは死体の頭部を持ち歩いている危ない人と思われていた事実を今知る。それならば当然、死体に慣れているはずもない少女は直視できなかったというわけだ。
生きていると知ったところで、生首がしゃべっているのにこの落ち着き様は、実は見た目通りの歳ではないのではないかと疑いつつ、態度に出さないよう不遜に答える。
「ええ、まあ」
レティアナは片手を口に当てて驚いた様子を体現してみせるが、表情が乏しいせいでどうにもわざとらしい。それから遠慮がちに上目遣いでリアとトリムを見やる。
「ええと……モンスター?」
「違いますよ。私の命の恩人様のトリム様です。私に何かしようものならこちらにおあせられるトリム様が鉄槌を下すと心に刻み込んでおいてください」
コンパスも黄色い針しか反応しなかったので断言してもいいだろう。それまでは正直信じ切れていなかったとは口に出すまい。
合わせて、虎の威を借りる狐のようにまたしても大人げなく少女をけん制しておく。
「そうなの。ごめんなさい、トリムさま。リアの命の恩人にモンスターなどと言ってしまって。とても驚いたの」
レティアナは生首に物怖じすることなく真摯に謝罪の言葉を伝えると、トリムは気にした様子もなく「ああ」と受け止めるだけに留めた。見た目の異状さは認めるところなのかリアの時と同じように特段非難することはない。
「……それで驚いてるんですか?」
「とても。声を聞いた時は、心臓が飛び出るかと思ったわ」
「へ、へえ」
トリムにこそこそと呼びかけた時は、レティアナの様子にも気を配っていたが、そんな素振りは見られなかった。何も聞こえなかったかのように平静そのものだった。
リアが二の句を継げないでいると、レティアナはダンジョンの方角を一瞥して問う。
「塔を崩壊させたのは、トリムさまかしら」
「結果的にそうなっただけだ。……何故そう思う」
「攻略者が出たという報告は受けていないのに、何日も前にゼスティーヴァに入ったリアが、仲間の方々ではなくトリムさまと外にいるから。リアに命の恩人と言われる力があるのでしょう?」
ゼスティーヴァというのはこのダンジョンの固有名詞だ。リアは聞いた時は大層な名前だと思ったが、今の今まで忘れていた。
というか、一晩もてなしただけのリアの顔を覚えていたのは、記憶に残るような装備の似合ってなさが原因だと思っていたが、リアの元パーティの顔も覚えているらしい。
「……ああ」
「では、本当は名誉あることなのだけれど、表沙汰にしない方がいいのかしら」
「もちろんです。吹聴して回るとでも言おうものならこちらのトリム様が」
「何故だ」
意気込んだら遮られたトリムの言葉にリアは「え」と間の抜けた顔になる。何故と問う方が何故だ。
レティアナはリアを見上げて、それからトリムへ視線を移した。
「表道ではなくシルビィの森にいたことと、ギルドに届け出ていない、つまり富や名声の為ではない攻略が目的かと思ったのが理由。何より、勇者さまや冒険者さんではないのに、塔の中にいるなんて通常ではありえないもの。私が今までもてなした方々にはいなかったお顔だから。人目を避けていたとしか思えないわ」
「……全員覚えているんですか」
「ええ、ゼスティーヴァに挑戦者がいればギルドから私たちに必ず連絡が入るから、私は全員に会いに行っていたわ」
死にに行くと分かっている者の顔を覚えに行っていた理由はなんとなく聞きたくなくて、リアは口を噤む。
トリムはそこは気にしない風に、満足そうに口の端を上げた。
「分かっているのなら話は早い。愚かだが頭は良いようだ。なあ、リア?」
「そこでどうして私に話を振るんですか。悪意しか感じませんけど」
こんな無意味に同意を求めてくるなんて、あからさまに比べていると言っているようなものだ。口喧嘩を根に持っているのだろうか。リアが貶した以上に、絶対トリムに貶されているはずなのにまだ言うか。
同意をするものかと心に決めたリアを無視して、トリムは話を変える。
「魔力の扱いにも長けているな。先程の魔術はお前だろう?」
レティアナは目をまん丸くしてトリムを見つめると、片手を頬に当てて優雅に首を振った。その様子は色香が幼さのそれではない。
「そんな、魔術と呼べるほどのものではないの。恥ずかしい話だけれど、苦しくて、咄嗟に縋ってしまっただけで、あのような力が使えるなんて初めて知ったわ」
「ほう。初めてで形になるような単純なものではないのだから、自信を持つといい。なあ、リア?」
「訳わかんない話を私に振らないで!」
これだから地で魔力に恵まれた人たちは! と悪態を吐きながら右手で耳を塞いだ。
リア達が再び歩き始めると、しばらくして直径10メートル程の開けたサークル状の空間に出た。
その空間は自然とできたものではなく、荒々しく木々が切り倒され、地面は巨大な鎌で抉ったように土肌を見せていた。
ついさっき何かに襲われたばかりの惨状に、リアは一瞬怯んで周囲に危険がないか見回した。しかし、森は静かなもので、トリムは何も言わないし、まさかと思ってレティアナに視線を移すと先程の色香ポーズをとっていた。
「意識があるからこんなことになってしまうのだと思って、リアと出会ったところから飛べば勢いで意識を失えるかなと思ったの」
レティアナは言い訳を恥ずかしそうにするが、内容が殺伐とし過ぎている。
確かに、小川の上に生えていた木は高さがあったのでしたいことは分かった。しかし、もう少しリアの登場が遅れて、自殺中のレティアナの意図しない魔術に巻き込まれて切り刻まれていたかもしれないと思うとぞっとする。
トリムがレティアナを評価した理由を、リアは目の当たりにしていた。
魔術師についてはほとんど知らなかったリアだが、元パーティに入って、仲間から世間話がてら経歴等の話も聞いていた。
持ちうる魔力を、何らかの影響を与える程の形にするためには、基本的には学びに行かなければならない。それが魔術学校というもの。
己の魔力を魔術として発現させるためには、体内の魔力の流れから仕組みを理解し、多岐にわたる詠唱文で型を固定させる工程が必要である。その知識を学び訓練を積む場が大きな都市にはあるというのだ。独学で魔術を行使できる者もいるらしいが、それも研鑽を積まずできるものではない。おそらくトリムも。
初めてで、これほど強力な魔術を発現させるなど、天性の才能を備えた者だ。トリムの言葉で想像していた、形になっただけの魔術とはレベルが違った。
「あまりにも能力差があると、僻みとか消え去ってしまうものなのですね。将来、大成することがあれば、その時は私への償いを思い出してくださいね」
「大成? ……よく分からないけれど、償いは当然よ」
「こんな子供に寄生しようとするとは、浅ましいな」
トリムの呆れた声が聞こえてきたが無視する。
この才能を伸ばし周知されれば、リアの将来の安泰は、いや少女の大成は確実なものとなろう。
「魔術学校とやらがあるようなので、そこに通えばいいと思います」
「学校……行ったことがないのだけれど、リアが言うならお願いしてみるわ」
レティアナに続いて抉られた空間に足を踏み入れたところで、トリムが待ったをかけた。
トリムセンサーに何かが引っかかったようだ。
「人が近づいてきている。二人……大人だ。どうする?」
「どういう意味のどうするですか。隠れてやり過ごす一択でしょう」
風の音に紛れて、女性の声が耳に入る。小さすぎて何と言っているかは分からないが、何かを叫んでいるようだった。
その声に反応したのはレティアナだった。リアが隠れた茂みに自身も入ろうとして、ばっと声の方角に顔を向け再び聞こえた女性の声に耳を傾ける。
「母さまの声だわ」
表情は見えないが、か細い声が震えている。リアはめんどくさそうに溜息を吐く。
「えー、ならあなたを探しに来たとしか考えられないじゃないですか。じゃあ、私たちが見つかる前にさっさと出てってください。ここでサヨナラですが、私たちのことを告げ口したら呪い殺しますよ、トリムさんが」
レティアナはびくりとして躊躇いがちに振り返ると、リアはしっしと犬を追い払うように手を振った。
断続的に聞こえてくる声が徐々に大きくなり、黙考していたレティアナは意を決してリアの瞳を見つめ、一歩、歩み寄った。
「母さまに説明してくるから、ここで待っていて」
「……いやいや、その母様と誰かさんは村の人ってことでしょ、信用できないですよ。みんながみんなあなたみたいないい子ちゃんなわけないですからね。早く行ってください」
まさか食い下がられると思わず、リアは面食らった後に、取り繕って退けようとする。
「大丈夫よ。母さまはずっと囚われていて、私たちの悪行の……被害者で……絶対、人が傷付くことを見過ごさない人。多分父さま達が捕まったのも母さまがどうにかしたんだわ。リアにとっては唯一信じられると思うのだけれど」
代表がレティアナを紹介する時に、彼女の母親は病床に耽っていて、とか言っていたのを思い出す。レティアナの言う通りに閉じ込められていたのなら、嘘の説明だったのだろう。裏付けされていく母様の信用性にリアは即答し損ねてしまう。
「え、うーん……そうは言っても……」
「絶対上手くやるわ。食事だけじゃない、温かいお風呂と寝床も用意するから、償いをさせて?」
大きな紺色の瞳が揺れる。茂みを背に詰め寄られた格好のリアは、接近したレティアナの僅かに上気した頬とその寂しげな表情に、思わず心臓が跳ね上がった。
同世代の異性ならイチコロだろうなと思いながら、その真剣さに思わず頷いてしまった。
「……随分と懐かれているな」
「……どのあたりに懐かれる要素があったんでしょ?」
「同感だな。人として嫌われる要素しかない」
「正直その通りなんですよね……」
両膝を立てた上にトリムを乗せ体育座りをして、背の低い木の葉の隙間からレティアナの駆ける後姿を眺めた。




