32.選択肢はなかったかもしれません
市長の言葉に、従者と衛士と思われる者達は一斉にリアを見た。まばらだった人並みも裏路地を占拠する奴らがいると野次馬が集まってきている。
集まった衛士達は、その制服にエンブレムが縫われていた。茨と鎖が絡み合ったような門の外壁と同じデザインのものである。彼らに市長と呼ばれ、そして何と言ってもアーサと顔見知りである。否定できる要素がリアには見当たらなかった。
市長というのは認めるしかない。
「まさか本当に市長だとは露にも思いませんでした。いかにも怪しい言動だったもので」
「なんだ、貴様その物言いは」
悔しさに熱くなったままの頭で、つい無礼千万な本音が口から出てしまった。
野太い声の通り野性的な従者が市長を庇うように前に勇み、リアを睨み付ける。己の街の市長に無礼を働く輩を見過ごすほど彼らは無能でも市長に困ってもいないようだった。
「よい。私こそ申し訳なかったね、許してくれたまえ」
偉い人特有の上から目線の謝罪だ。不満は残るが睨みを利かせたままの従者の視線が意外にも痛くて、リアは諦めて慇懃な態度をとることにした。
「……疑ってしまいましたこと、私の数々の非礼をお詫びいたします。色々と人を信用できない経験がありまして、警戒せざるを得なかったことご理解いただければ助かります」
「おや…………ふふ、気にしなくともよい。さぞ苦労をしたのだろう、ゆっくり休まれるといい。ジャイル、馬車を用意しなさい」
「はい」
さも当然のような流れで市長は従者に呼びかけた。
認めたはいいが、その次に待ち構えていることがある。
市長は我が城に招待したいと言っていた。勇者を支援するとかいう王命を受けており、怪しい理由ではないことも判明した。きっと豪華な歓待をしてくれるのだろう。もしかしたらはぐらかした情報元の彼についても何かしらが得られるかもしれない。
しかし、あの細目の裏に思惑があると疑うべきた。勇者だからと、もう一度信じれるほど、リアは純粋ではなかった。また仲間を失うことにでもなったら、今度こそ生きていけない。
アーサの背に守られながら「どうします」と独り言のように微かに呟く。アーサが僅かに顔を向け、リアを――トリムを見下した。
少しの間があって、手の裏に二回の振動。否定の意。一瞬疑問に感じつつも断れと受け取る。
同意だ。他の勇者の話しは気になるが、ここは断るのが吉である。
「待ってください。有り難いお話ですが、私達は先を急がなければならないのです」
「ほう?」
市長は驚きもせず、リアが初めから断ることが分かっていたかのように笑った。
「急ぐのは…………追われているからかね?」
「追わ……れ、る理由はありません。どうして彼は私を追うのですか?」
「うん? いいや、彼のことではない。理由があって急いでいるのだろう……無粋だったかな?」
市長はアーサを一瞥してから意味深に言う。
自分が追われている理由を探ろうと聞いたが、答えはまた意味不明なものだった。微妙に認識の相違があるように感じつつ、それが何なのかリアには分からない。
理由を知っていてはぐらかしている可能性もあるので、読めない男である。
「役目がありますから、急ぐのは当然です」
至極当然の回答をすれば市長は吹き出して笑う。
「ははは、成程」
…………笑う要素あった?
全然意図が掴めない。リアだけでなく口を挟まない行商人や従者達も疑問を顔に浮かべており、当人以外は分かっていない模様。
「では、今後はどちらへ?」
具体的に事情を探ってくるのは、何らかの思惑があってのことなのか単なる興味なのか。とりあえずは無理矢理捕らえようとしていないことだけは分かり、リアは溜息を吐く。
急いでいるのに目的地を答えないのは不自然だ。次は未だ場所不明なネベ村に向かう予定だが、リアの素性も絡んでくることだし言わない方が無難だろう。嘘を吐いてもいいが、如何せんリアは地理に疎く墓穴を掘りそうだった。
「イェルリ断地帯です」
と、正直に言った。危険だという瘴気ムンムンの場所だ。魔王に繋がる目的地としては何の不審点もない。アーサの話によると人は近寄らない相当ヤバい場所なので追っ手がいたとしても流石に――
「そうか、彼の地へ…………ならば、君達は十全を尽くすべきだな」
そんなヤバい場所なのに驚くこともなくにやにやしたままの市長。昔、というか結構最近、ギルドで失言をしたことをリアはふと思い出した。
「……そうですね」
「では我が城に来なさい」
「なんでそうなる!? ……あっ」
つい突っ込んでしまったらまた従者に睨まれ、慌てて口を抑えた。
市長はわざと緩慢な動きで勿体つけ、手を差し出した。
「他の勇者達の向かう先もそこだからだ。仲間は多い方がいいだろう?」
……目的地が一緒とか……マジか。
結果的にいうと、市長の支援を受けることになる。トリムから何の反応もなくなってしまったからだ。
***
「大人しくしてたんですけどね」
言い訳じみた事実に、アーサは眉尻を下げて「そうなんだね」と微笑んだ。否定されているわけではないのにリアは疑念を感じる。
「私大人しかったですよね? ね、おじさん?」
「……あー惜しい……休業予定じゃなければ……伝手だけでも……」
「ちょっと」
第三者の立ち位置で事実を確かなものにしようとしたが、行商人は別のことに悔しがっていてリアの話しを聞いていなかった。少し遅れて「え? なに?」との返事にリアは唸る。
すでにリア達はフォニスヴァレー市長、カガミラの城の一室にいた。
元一国家なだけあって見た目はまごうことなき城であり、治世者の住まい兼仕事場となっている。造りは他の建物と類似し豪華さは殆どないが、砦のような規模とその堅牢さはやはり国家元首のものであったと語るに十分だ。
門から城までは大きな一本の通りがあるが、急勾配のため馬車で向かうにしても蛇行した山道のような道のりだった。
戦時中に万が一攻め込まれた場合、フォニスヴァレーの頂上にある城から油を流し火の道を作るんだとか。避けるために左右の通りに入れば待ち構えた兵士に殲滅される、建国から戦を想定した街並みだ。
と、道中旧国家の歴史を自慢気に語る市長に適当に相槌を打っていた。
そして現在、若干の待ち時間がある。
通常ほいほい人を呼ぶ地位にない市長の突発的招待のせいで、城の使用人がてんやわんや準備をしていることは容易に想像できる。
広い客間で香ばしい茶の香りと見たこともない半透明の菓子を楽しむ余裕は生まれた。しかし客間には使用人がおり、ゆったり座れるソファにぎゅっと固まって小声で話している。
「私のこと探してたんなら避けようがなかったと思うんです。私は悪くない、悪いのは市長さんです」
「……うん。でもカガミラさんは悪い人ではないよ……彼の就任後、治世は安定したと聞くしとても優れた市長だと思う、個性的とも耳にするけどね。だから…………僕は特に問題ないと思うんだ。僕ら以外の勇者の情報も得られるし、ネベ村も装備も明日以降になってしまったから守りの強固な城に泊めてもらえるなら願ってもないことだよね…………なのにどうして、こんなに引っ掛かるんだろう……?」
不思議そうに胸を押さえるアーサからリアはそっと目を逸らした。
アーサのそれは、リアの今までの話を聞いたことによって不安を煽られているからだろうか。自分の手の及ばない事柄に関して、おそらく心許なさを感じさせてしまっている。
自分が謝ることではないにしろ、リアにも申し訳ない気持ちはあった。僅かに。
アーサが街で得たものは確かにあった。しかし、すぐに動けるものではなかった。
ネベ村については存在は確認できたが地図が見つからないらしい。役場の方(主に女性)が古い資料を引っ張り出して必ず探し出してくれると、明日以降の来訪を約束してきたという。見つかったとしてもすぐに教えてくれるだろうか。信じるほかないが。
瘴気耐性のある装備はどこの武器屋でも売っていたが、イェルリ断地帯の名称を出すと皆首を横に振った。紹介を受けてやっと舶来品を扱う商店まで辿り着くも、大口取引が入ったとかでしばらく待ってくれと頭を下げられたそうだ。(多分)家名を使ってもそれなら、本当に無理なのだろう。
ほぼゼロの状態から見通しが立っただけでもアーサは十分な働きをしたと言える。リアは何もしていないから尚更にそう思うのだった。
「なるようになるだろう」
と、トリムは日和見的発言をする。そんなあまりにも似合わないケセラセラに、リアは動揺した。
「い、いつになく、なげやりですね…………あの、諦めてるように感じるのは気のせい?」
「預り知らぬところで起きたことを嘆いても無駄だからな」
「確かに……そうですよね!」
思いもよらぬ後押しに、リアは水を得た魚のように元気を取り戻した。今回は反省も後悔もできない事案なのだ。そうだ前を向いて歩こう。
彼の存在は不確かだが、一応この場に危険はないように思える。市長には警戒を怠らないようにしておけばいい。
「諦めはリアに対してだけだ」
「え」
「目的地については俺達より詳しい情報を持っている。それに他の勇者とやらの手の内も予め知っておける……あぁ、悪くはない、悪くは」
「ねえ私に諦めてるってどういうこと?」
ノックの音が鳴り、客間のドアが開かれた。未だにリアに厳しい視線を向けてくる従者が言うには、他の勇者達との夕食の席を設けてくれるらしい。