10.反省しました
篝石を再び響かせることはせず、ぼんやりと消えていく灯りが漂うのを眺めていたら、いつしかお互いにうっすら顔が見えるほどの時間が経っていた。
夜明けの空は、陽が顔を見せるまでもなく暗闇を押し退けてくれる。階段の上から差し込んでくる穏やかな朝は、ひんやりとして、それでいて暖かみを感じさせてくれた。
一度、深く息を吸って吐くと、心と顔が洗われるようで意識がすっきりする。
「いい加減、落ち着いたか」
「……はぁい」
その、迷惑をこうむったが仕方なく待ってやっていたというような口振りに、リアは生返事をして、口を尖らせた。実際にそういった感情が籠っていたかは不明だが、リアはそう感じた。悪意は否定しない。
あからさまな不満声に、トリムは溜息を吐く。
「言いたいことがあるなら、今言え」
「……別に」
「そうか、ならば以後、引きずるなよ」
「う」
引きずるなと言われても水に流すなんて絶対無理だ。このままだとことあるごとに思い出して、いつかは口からポロっと出てしまいそうだった。だが後から言ったらまた怒られるだろう。
リアだけがもやもやを払拭できないことに納得いかないまでも、落としどころを見つけないとずっと口は嘴のままだ。
リアは目を逸らして、思いつくままぶっきらぼうに言った。
「……別に……なくはないです。ちょっと、謝罪、とか、げ、激励とか、求めたい、です」
つい言ってしまったが、すぐに後悔が生まれた。
何だ、激励って。
……ていうか、これってもしや、謝って! 褒めて! って言っているようなものなのでは……?
泣いて落ち着いたせいか、なんだか自分が駄々をこねているだけな気がしてきた。
むしろ言いたいことを聞いてくれるだけでもマシかもしれないと思い始める。
この際、何でもいいから殊勝な一言があればもうそれでよしとするべきだ。
微妙な空気と距離感のままはリア自身も辛くなってきた。
……まあ、素直に言ってくれるとも思えないけど、せいぜい、よくやったとか偉そうに言うんでしょ。それで許してあげなくも、ないけど。
そうやって吹っ切るきっかけを探し、気づけばハードルをどんどん下げていった。
「謝罪? 俺がか」
ちらっとひと目だけ見たトリムは不思議そうな顔をしていた。反省どころか、きっとこれっぽっちも悪いことをしたなんて思っていないのだろう。
実際、悪いことはしていないので、リアの気持ちの問題である。
口にしてしまった後悔が、リアの中でむくむくと育っていく。
リアの気持ちなど取るに足らないちっぽけなものなのだ。
分かっていたと、期待なんてしてないと、誰に向けてか分からない言い訳をした。ひとりで勝手にいじけているだけなのだ。小さなきっかけさえ期待するのもおこがましいのだ、きっと。
「……別に、いいです」
尖った唇から諦めと一緒に小さく呟く。
トリムは、そっぽを向いたリアを、訝し気に見ていたが、ふと、ああと気づいたように口を開いた。
「怖かったと言っていたな。ならば……爆発の威力とお前の行動については想定外だったが、身の危険を感じさせる恐怖を与えたのは確かだ。守りが不十分だったのが不満か。……いや、怖がらせて悪かった、ということか?」
「……っ」
図星ついてきた!?
途中棄権かと思ったのに、下げ過ぎたハードルをあまりにも軽々と飛び越えてしまったトリム選手に言葉を失ってしまう。
怖かったことも謝罪を求めたことも間違いない。しかし事実だからこそ言葉にすると、あまりにも子供っぽい要求だと自覚して恥ずかしい。諦めて油断していたから尚更だった。
何も発しないリアに対して肯定と受け取ったトリムは続けて言う。
「激励となると……そうだな、グロイムに対しては中々に良い動きだったと思うぞ。おかげで魔術の解除も集中できたしな。予想以上によく働いてくれた。ああそうか、怖かったのはグロイムに対してもなのか? ならば、怖い中でよく頑張ったな。今後も期待している」
「あぅ……」
顔が熱を持ったのが分かった。
相変わらず上から目線ではあるが、激励どころか褒め言葉までいただいてしまった。
求めていた回答に間違いはないはずなのに、それを上回って応えてくれるというのが予想外過ぎて、リアは何と言っていいのか分からなくなる。気を抜いていたため恥ずかしさに虚勢を張ることもできない。
例えるなら、真っ裸の心を素手で無遠慮に撫でられたこそばゆさ。
俯いて手をわきわきとしながら身悶えるリアを、トリムは先程と全く同じ不思議そうな顔で見ていた。
「何だ、違ったか?」
「ちわわ、違わない、ですけどっ……なんなんすか、デレ期ですか、何が目的なんですかっ」
少し噛みつつ、なんとか虚勢を絞り出すことができた。
要求を出しておいてのこの言いがかりも酷いものだったが、トリムは片眉を上げるにとどめた。胸とお腹の間あたりがもぞもぞと落ち着かないリアはそれに気づかない。
「一体何を聞きたいのか分からんが、目的は当初より変わっていない」
「ぅぐぅ……ドライ……何故私だけが恥ずかしいの……」
こんなに簡単にトリムが言ってしまうとなると、単にリアへの精神的配慮を度外視していただけで、リアの気持ちを無視したりするような意地の悪さは欠片もなかったようだ。トリムの口の悪さと思い込みで、勝手に色々決めつけていたかもしれない。
ひとりで怒って、ひとりでいじけて、完全にリアだけが空回りだ。しかも、求めに応えて素直に謝られてもうこれ以上何を望むというのか。
「で?」と呼びかけられて、リアは苦々しい表情で顔を上げた。
「違わないのだろう? ならば何が問題なんだ。まだ言いたいことがあるのか」
「はい……いいえ、ございませんが…………うぬぅ、この負けた感」
もごもごと小さく呟いたリアに、トリムは疑わしそうな目を向ける。
「どっちなんだ。あるならさっさと言え。また後からネチネチと言われては気分が悪いからな」
「……もれなく私もダメージ食らうので二度と話題にあげませんよ」
「本当だろうな?」
「信用ないのは自覚ありますけど、ほんとのほんとですって。私も、な、泣いてしまったり、あんなこと言っちゃったりしたのは、ちょおっと恥じているので、お互いに触れないように、しましょ?」
えへ、とお伺いを立てる感じで作り笑いをしてみる。
じっと緋色の瞳に見つめられ、内心冷や汗が伝う。トリムは溜息とも言えない一息を吐くと、目を伏せた。入り込んできている朝日に透けた黒く長い睫毛を、どきどきしながら見る。
「ひとりで喚いていたくせに、随分と勝手だな。……まあ、納得したのなら俺はどうだっていい。先程言ったことだけ忘れるな」
「っはい! 今後とも生存第一で考え、トリムさんのご指示通り誠心誠意懇切丁寧に行動いたします! ……では、この話は終わらせていただきますね! 色々とお手を煩わせてさーせんっしたぁ!」
「ああ」
うぅ、良かった。私馬鹿みたいだ。穴があったら入りたい。
たかだか出会って半日程度の相手の前で泣き喚くというのは、気を許しすぎというか、気が緩みすぎだった。
短時間にイベントが目白押しだったこともあるし、トリムと今後行動を共にする契約のために親交を深めたかったこともあるし、色々な要素が絡んで、結果、本音が爆発してしまった。
ぱんっと両手で両頬を叩き気合を入れ直した。
もう色々と! しっかりしないと!
やっちまった感で後悔が激しいけれど、それとは別のところの気持ちがなんだか軽くなった気もする。泣いたことと、久しぶりに外気に触れたおかげもあるかもしれない。
そんな決意を新たにした時、キュルキュルと錆びた水栓を回した時のような音が鳴った。
「ほぐぁ」
リアは咄嗟に右手でお腹を押さえて声で誤魔化した。
「腹が減ったのか。次から次に忙しい奴だな。残念だが何もないぞ」
「……大丈夫です。ピークはとっくの昔に過ぎているので空腹は感じません、今のところは。……しかし、モンスターが出なくなったと言っても、これからまたダンジョンを下りていくってのは憂鬱ですね。真っ暗で終わりが見えない通路を歩き続けるのは発狂しそうです。紛らわすためにしりとりしませんか?」
「しない。それと中からは行かぬ。階段を上がってみろ」
「へい」
リアはトリムを左手で抱き、立ち上がるとお尻を叩く。長いこと冷たい石造りの上に座っていたので冷えて少し痺れている。うーんと一度伸びをして体をほぐしてから階段を上がった。
上がり切ると、乱反射する白い陽光が眩しくて思わず目を細めた。
空は今日も晴れ晴れとした青で、冷たく強い風は昨日と同じで澄んでいた。
リアが昨日屋上かと思っていた四十九階層を見渡してみる。
一回目は正直寝ぼけていた状態に近かったし、二回目に目を覚ました時は既に暗かったので初めての状況確認だ。
今上がってきた階段側の外壁は崩れかけながらも比較的残っていたが、リアが目を覚ました場所と反対側は外壁は殆どなく、四十八階層の天井部分までおそらく崩壊が及んでいるだろう。
リアは注意を払いながら崩れていない場所の上を歩いて、外壁が残っていないところまで来た。強風に体を攫われないようにしながら、下を覗き込む。
金色につやつや輝く道がある。内部は普通に階段があって建物のようだったのに、外部は螺旋状のダンジョンは、このまま降りて行けば地上へと繋がるなだらかな下り坂が渦巻いている。
内部へと繋がる窓や穴があるはずもなく、まさか外側から攻略する者がいるはずもないのに、こうやってこのフォルムに助けられるとは何とも皮肉だ。
「つまりこのぐるぐるを降りていくってことですね!」
「そうだ。日が沈む前には地上に着けるだろう」
「わぁ、早い! 生還が目に見えて嬉しいです。景色が見える分ヤル気も出ますね!」
規格外の逆攻略をして、時間の短縮とモンスターの殲滅という成果を得られた。それでも五十弱ある下層を下って行かなければならないし、真っ暗闇になってしまったので、脱出にはまだまだ不安が残っていたのが正直なところだ。
それが、ゴールが手の届くところにぐんと近づいた。飛び回りたいくらい嬉しいけれど、風が強くて不安定で危ないし、さっきのこともあるので自重する。自重しても足取りはとても軽い。
「足を踏み外さないよう慎重に行け」
るんるんと擬音がつきそうな足取りで、螺旋の道に踏み出そうとしたところで注意が入った。はたと足を止めたリアは、良いことを思いついたとトリムに提案する。
「外したら滑り台みたいに一気に降りられるんじゃないですか? 時短!」
「ただの螺旋状の斜面だぞ? そんなことになったら空中に放り出されるだけだ」
速攻却下された。
滑るほどの速度でカーブを曲がるならば、外側に向く力を止めてくれる外壁が必要だが、このダンジョンの螺旋は本当にただ渦巻いているだけだった。
いいアイデアだと思ったのにと、がくりと肩を下ろす。
逆に考えてみれば、足を踏み外そうものなら高さがそのまま死へと直結しており、暗いダンジョンの中を黙々と進むことと比べて、時間をとるか安全性をとるかで、どちらが良いのかは微妙なところだった。
「それは恐ろしいですね。墜落死は嫌な死に方ランキングの上位五位内に入るんですよ。ちなみにトリムさん、飛べたり、浮いたり、そんな魔術が使えたりは?」
「お前が俺を抱えている時点で、分かるだろう?」
「ですよねー」
慎重に慎重を重ねて降りなければならないと、浮ついた足を地につけて、恐る恐る踏み出す。光沢のある外壁は、曇った鏡のようにうっすらとリアの姿を反射していた。つるつる滑るほどではないことに安心し、歩き始めた。
できるだけダンジョンの中央に寄って、壁に手を付けながら歩を進めていく。しばらくすると、歩き慣れてきて景色を見る余裕が出てきた。
まだ朝も早く、曇りのない高所からは遠くまで見渡せた。
離れた場所には深い森と、その反対側には扇状の盆地が広がっており、ダンジョンを観光地としている村々が歪な色で点在しているのが見える。盆地の真ん中を走る川は巨大な湖に繋がり、まるで海のように広がるそれは真っ赤だった。
ダンジョンから排出される瘴気が大地を濁し、水を変質させていったのだ。人が飲めるものではなくなっている。しかしそれ以上に観光地として受ける恩恵が大きかったのだろう、村人たちはこの地を離れることなく暮らしている。
その目玉がこんなことになってしまって彼らは一体どうするのだろうか。
ま、そんなの知ったこっちゃないけど。ざまあみろ。
リアたちは国王との契約でダンジョンの攻略を指示されてるわけだし、文句があるならそれこそ国への反逆罪ともとられかねない。だからこそ、村人たちは武器や防具や食事にあれこれ仕込むことによって、こっそりと攻略を阻んでいたことになる。
ただ、個人的に恨みは買いそうだなと思ったところで、なんとなく地上が気になった。
村からダンジョンまでは距離があり、ダンジョンの上層が落ちた時に直接の被害を受けるところはそうそうないだろう。せいぜい風塵程度。そもそも、観光に来るような一般人はダンジョンの瘴気で近づくことはできないのだから、他の勇者パーティや冒険者、あとは自殺志願者でもない限り崩壊に巻き込まれることもないはずだ。
「どうした」
「ちょっと下見てみようかなって」
「また余計なことを……」
「……ちょこっとだけ」
「風にあおられてバランスを崩したら洒落にならん。姿勢を低くして気を付けて見ろよ」
「はーい」
リアはしゃがんで膝立ちになった。そのままハイハイのように右手を地面につけて進み、端まで来ると下を覗き込んだ。
デレてはいません。




