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バニシング  作者: 島山 平
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第一章(7)

「遼太郎、話聞いてる?」

「うわ!」

 突如目の前に男の顔が迫り、遼太郎は思わず飛び退いた。背後にいた誰かとぶつかり、それが奈々恵であることに再び声を挙げ、周囲からの視線に晒された。

「リョウ、なにしてんの? バカなの?」

「いや、え・・?」

 ―――ここはどこだ。なぜこの二人が傍にいる。

 遼太郎は混乱したまま周囲を見渡した。広い空間にいくつものテーブルが並べられている。まばらに腰掛けた若者たちが遼太郎に視線を送っていた。

「夢でも見てたの? 落ち着きなよ」

 目の前にいるのは中川だ。その彼がコップを差し出し、遼太郎は黙ったまま腰を下ろした。

「今って、いつだ?」

「八時十七分だね」

「そうじゃなくて、何年の何月何日?」

 遼太郎の問いに戸惑っているのか、中川が困ったような笑みを浮かべた。

「二〇一三年の五月九日、ついでに言うと火曜日」

 答えたのは奈々恵だった。彼女は遼太郎を睨むように見つめ、その目の奥に何かを秘めているようだった。

「五月九日―――ってことは、誕生日は過ぎてる。研究室の飲み会も終わってるよな?」

「当たり前のこと言わないでよ。どうしたのさ、記憶喪失?」

 中川が心配半分、不安半分といった顔をしている。だが、遼太郎は先程よりも混乱していた。確か今日は―――この食堂で中川とプレゼントの話をし、帰宅してから田所のことを思い出した日のはずだ。それなのに、どうしてここに奈々恵がいる。二人はまるで遼太郎の方がおかしいとでも言わんばかりの表情をしている。

「何の話してたっけ」

「疲れてるんじゃない? 美希ちゃんが行方不明になってることはわかる?」

「・・だれ?」

「田所美希ちゃん。どうしたの、ほんとに」

 中川はついに持っていた箸を置いた。遼太郎の様子がただ事ではないと悟ったのか。奈々恵は相変わらず遼太郎の顔をじっと見つめている。遼太郎の一言一句を逃さぬよう注意しているかのように。

「田所は俺が助けようとしたんだ。そうだ、校長が犯人だった!」

「ちょ、ちょっと待って。遼太郎、一回落ち着こうよ」

 中川の取り乱しっぷりが可笑しかった。だがそれは遼太郎の方も同じだろう。

 先程までは小学校にいて、誘拐されかけていた田所を救うのに必死だった。校長の運転する車のフロントガラスに飛び込んだところまでは覚えている。目が覚めたら元の場所にいて―――いや、そうではない。大学生の自分に戻ったのはいいが、状況が変わってしまっているように感じる。

「美希ちゃんを助けたの? 校長って誰?」

「校長は小学校の校長で・・」

「小学生の頃の話をしてる? それとこれとは別なんだけれど」

 奈々恵の真剣な顔が不気味だった。怒っているのか、それとも―――。

「田所が行方不明ってどういうことだ? まずそれから教えてくれ」

「教えるもなにも、遼太郎だって知ってるでしょう。先週の金曜日から姿が見えなくて、連絡しても返事がなくて。昨日だって一緒に探したじゃないか」

「待って、待ってくれ・・」

 遼太郎は文字通り頭を抱えた。世界が変わっているのだ。

 まず、二人は田所が生きていることを当然だと思っている。そして、彼女が行方不明であることを騒いでいる。だが、こんな状況は初めてのはずだ。遼太郎の知る世界では、田所は小学二年生の頃に亡くなっている。それを防ごうとしたのがつい先程で、戻ってきたら現実はこれだ。

「田所がいなくなったんだな? お前らは田所とどういう関係なんだ?」

 まず、ひとつずつ情報を整理することにした。過去をやり直したことも、世界が変わってしまっている理由も、今は考えても仕方がない。

 遼太郎が落ち着きを取り戻そうとしたとき、二人の驚いた顔が目に飛びこんできた。

「どういうって・・、遼太郎、きみと美希ちゃんはどういう関係だった考えればわかるでしょう」

「俺と? どういう関係?」

「遼太郎! ふざけるのもいい加減にしなよ!」

 テーブルを叩き、中川が興奮した様子で立ち上がった。そして、その勢いのまま口を開いた。

「別れたからって、今はそんな冗談不謹慎だよ! 彼女は行方不明になっているっていうのに!」

 遼太郎は叫び出さないことに全力を注いだ。驚きで宙に浮いた手のやり場もなかった。中川から聞かされた言葉が、想像を遥かに越えていたからだ。

「俺たちは付き合っていたのか・・?」

「遼太郎!」

 中川の怒りは本物で、それは遼太郎が原因であることもわかる。だが、遼太郎としてはどうしようもなかった。まさかこんな結果になるとは思っていなかったのだから。

 田所を助けたいと思った。理由は不明だが過去に戻り、それは成功した。だからといって世界が変わるなど考えもしなかったし、自分が田所と付き合っていたこと、その相手が行方不明になること、何もかも、突然すぎて理解が追いつかなかった。

「・・田所は行方不明って言ったよな。事件に巻きこまれたとか?」

「わからない。突然連絡がつかなくなったからその可能性はある。皆川さんと同じ」

 奈々恵の言葉に、遼太郎の何かが刺激された。無防備だった部分を突かれた気がした。

「皆川さんは行方不明のままなのか。それじゃあもう一人は? 英文学部の女の子」

「誰? そんな話わたしは聞いてないけれど」

「あれ、違ったっけ。行方不明になっているのは皆川さんとその子の二人だったはずだけどな。確か・・野田さん?」

「皆川さんは行方不明。でももう一人は知らない。というか、美希が行方不明だよ」

 当然と言わんばかりの奈々恵の表情に、遼太郎は圧倒されていた。

 信じられないが、どうやらそういうことらしい。過去に戻り、田所を助けたことで、この世界が変わっている。さらに、行方不明になるはずの人物までが変わった。英文学部の野田という学生ではなく、遼太郎が別れたばかりの元カノ―――田所美希が姿を消した。なぜ彼女が行方不明になっているのか、遼太郎にはわかるはずもなかった。彼女との記憶は、小学二年生のあの日が最後だからだ。むしろ、この二人の方が田所について詳しそうではないか。

「・・なぁ、頼みがある」

 中川の怒りが治まりかけている。今のうちに、正直に頼んでおいた方がよさそうだ。

「ここ最近のことを教えてくれ。俺は―――田所を助けたいんだ」

「助けるって、美希がどこに行ったのかわかるの?」

「全くわからない」

 わかるはずがない。彼女と付き合っていたという時間のことは、遼太郎の記憶には残っていないのだから。

「でも、たぶんあいつを見付け出せるのは俺だけだと思う。うまく言えないけど、俺がやらなくちゃいかん気がするんだ」

 遼太郎がふざけていないことは伝わったようだ。二人からすれば突然わけのわからないことを言い出したように感じるはずだが、田所を助けたいという気持ちは本当だ。遼太郎はあのときだって、死ぬ気で車に飛び込んでいったのだ。

 それに、今の遼太郎には彼女に辿り着くための手懸りがいくつかある。小学二年生の頃に田所が亡くなっていれば、行方不明になるのは英文学部の野田だった。田所が助かり、最近まで遼太郎と付き合っていたことで、行方不明になったのは彼女になった。

 前の世界とこの世界、その間で行方不明になっている人物が変わっている。となれば、その理由を探ることが最も効果的だろう。そして、それができるのは自分だけなのだと、遼太郎は自信を持って言える。

「俺さ、あの頃から田所のことが好きだったんだ。たぶん、信じてもらえないだろうけど」

 二人の困惑した表情を見ながら、遼太郎は強く誓う。

 理解不能なこの世界でも、自分にしかできないことはある。それならばやってみる価値はあるかもしれない。退屈だった日常を変えた原因が何なのか、その正体を暴いてみたくなった。


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