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バニシング  作者: 島山 平
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第一章(6)

「はーい、みなさーん。準備はよろしいですかー?」

 女性の声が耳に入る。遼太郎の視界には大勢の大人が座り、こちらを見つめている。誰もが穏やかな表情で、中にはわかりやすいくらいの笑顔を見せている者もいた。

「なんかドキドキするね」

「え?」

 隣からも声が届いた。自分の声も子供のように高く、遼太郎は驚きを隠せなかった。

「ほら、ちゃんと前見ないと」

 少女は小さく前方を指さしながら言う。遼太郎がその先に視線を向けると、カメラを覗き込んだ女性の姿が目に入った。

「いきますよー。はい、チーズ!」

 写真を撮られたことはわかる。だが―――その意味はわからなかった。

 左右を確認しても子供ばかり。先程まで自分の部屋で卒業アルバムを眺めていたはずなのに、ここはどこなのか。

「オッケーでーす。ありがとうございました!」

 女性は満足そうに三脚を抱え、早足で去っていった。周りがざわめき始め、遼太郎は隣の子供達と目線が同じことに違和感を感じていた。

「りょうたろうくん、ほら、歩いて」

 隣の少女に急かされるまま、遼太郎は彼女のあとに続いた。

 ここはどこだ。なぜ自分は、子供達にまぎれて写真を撮られているのだ。

 混乱したまま歩き続けると、遼太郎は自分が体育館の中にいることを理解した。椅子に座ってこちらを眺めているのは大人たち。まるで、学校の卒業式のような雰囲気だ。周りに続いて体育館の外へ出る。廊下のやけに(・・・)高い位置に窓がある。遼太郎の顔と同じくらいの位置にあるのだ。

 ―――そして、遼太郎はそれに気付いた。鏡に映った自分の姿が、知らない子供の顔をしていた。思わず立ち止まり、少年の顔を見つめる。違う、そうではない。遼太郎はこの顔を知っている。知っているからこそ、言葉を失った。

「なにしてるの、早くいかなきゃ」

 体を押され、遼太郎は戸惑いながら歩き出した。相手の姿も子供。そんな子供に体を押される遼太郎。これはなんだ。夢を見ているのか。

「ここはどこ?」

 隣を歩く少年に訊ねる。口から出た声は、やはり少女のように高音だった。

「どこって、廊下だよ」

「そうじゃなくて・・」

 少年は不思議そうに眉をひそめた。遼太郎の問いを理解できない様子で。

「ここって、小学校?」

「そりゃそうだよ。当たり前じゃん」

 当たり前なのか。なぜだ。

「どうして俺は小学校にいるんだよ」

「え、なに? 小学生なんだから小学校にいるのは当たり前だよ」

 バカにするように少年が言う。遼太郎は自分の片頬が持ち上がるのを感じた。小学生? 何を言っている?

 もう一度、鏡に映った自分の姿を見つめる。そして思う。これは夢なのだと。

 だが、そこに映っているのは、まぎれもなく小学生時代の遼太郎の姿だった。


 自宅では当然のように三人で夕飯を食べた。隣には子供時代の奈々恵が座り、父親の外見にもまだ若々しさがある。テレビはブラウン管だし、放送されている番組も時代を感じさせるものだった。中堅だったはずの芸人も、ここではまだ若手として扱われていた。

「今日の合唱会はどうだった? 見に行けなくてすまなかったね」

 遼太郎が答えられずにいると、隣の奈々恵が口を開いた。

「うまく歌えたよ。練習よりもずっとよかったの」

「そうか。聴けなくて残念だったなぁ」

 父親は本当に悔しがるような表情を見せた。確か、この頃から父親は研究に忙しく、家に帰ってくる時間も遅かった。母親のいない遼太郎たちの面倒は、父親が雇った家政婦がしてくれていたものだ。

「ねえ、最近何かあった?」

「何かって、どういう意味だい?」

 父親が不思議そうに訊き返した。遼太郎は言葉に詰まり、壁のカレンダーに視線を移す。一九九八年、六月八日。夏が近付き、遼太郎の服装も薄着だった。まだ五月だったはずなのに、ここではすでに夏の入口だ。

「どうしてここにいるのか、理解できなくて・・」

「遼太郎、どうした」

 父親が箸を置き、遼太郎の顔をまじまじと覗き込む。それから逃れるように、遼太郎は勢いよくご飯をかき込んだ。自分が子供であること、今が一九九八年であることに違和感を感じない二人に、遼太郎は発狂しそうだった。おかしいのだ。今は二〇十三年、遼太郎は二十二歳のはずなのに。

「困ったことがあるなら、すぐにお父さんに言って欲しいんだ」

「テストの点がわるかったんじゃないの? ほら、ぜんぜん勉強してなかったから」

 奈々恵のからかうような笑みを目にし、遼太郎はそれを思い出した。今日が六月八日。下校する前、明日返却されるテストについてクラスメイトが盛りあがっていた。正解が何だったか、明日返される結果が悪かったら、また担任の教師に怒られるのではないか。そして―――遼太郎は知っている。テストが返却された日を最後に、田所が姿を消すことを。

「なあ、田所ってまだ無事か?」

「みきちゃん? 元気だよ。けどなに? そんな大人みたいなしゃべり方やめなよ」

 叱るような奈々恵の言葉だった。父親は(いぶか)しむように遼太郎を見つめている。その遼太郎は、自分がおかしいのかと錯覚しそうになった。だが、口にしないものの、自分がおかしなことを言っているつもりなどなかった。なにしろ、遼太郎は二十二歳の大学四年生なのだから。

「明日、学校はあるよね?」

「当たり前じゃん。リョウ、だいじょうぶ?」

「うん。大丈夫」

 遼太郎は二人の視線から逃げ、目の前の食事に集中することにした。

 ここが夢にしろ、過去の自分にしろ、考えても仕方がない。夢なら醒めるだけだ。夢でなく、現実ならば―――田所が殺害されるのを防ぐことができるかもしれない。

 それができるのは、遼太郎だけなのだ。


 六月九日、木曜日。

 約十年ぶりの集団登校をし、遼太郎は二年一組の教室で授業を受けた。時間の進み方が緩やかなことに驚き、周りのレベルに合わせることに苦労した。それもすぐに諦め、目立たぬよう静かに過ごすことに徹した。クラスの中では比較的明るいポジションだったはずだ。だが、今だけはやり過ごさなくてはならない。クラスメイトの田所が姿を消すのは、今日の放課後なのだ。

 昼休みに入り全員で給食を食べた。お盆には少量に感じる程度の食事しかないのに、食べ始めてみればそれだけで満腹だった。子供の胃袋になっているという証だ。

 遼太郎が観察していた限りでは、田所におかしな様子はなかった。ほとんど消えかけている記憶に頼るしかないのだが、小学二年生の田所はこんなものだった気がする。つまり、どこにでもいる子供だ。もし家出をするつもりであれば、子供がこれほどうまくごまかすことはできないだろう。

 放課後が近づくにつれ、遼太郎の緊張は増すばかりだった。昨日クラスで話題になったテストが返却され、結果は五十五点。これが良いのか悪いのか、遼太郎にはわからなかった。隣の少年に覗き込まれ、彼が満足そうな顔をしていたところから、平均よりは低いのではないかと想像しておいた。大学のように再試を受けることもないらしい。歴史のテストだったが、今見ても一問だけ答えがわからなかった。大人になっても使う機会はなさそうな知識で、覚える必要はないのかもしれない。この場で、未来ある子供たちに言うことなどできないが。

 そして、ついに帰りの会が始まった。まだ田所は無事だ。どうやら、彼女が姿を消したのは学校を出た後で間違いないらしい。確か、帰宅しない彼女を心配して、両親が警察に相談したと聞いた。学校を出てからの彼女の動きを見張ればよいだろう。


 帰りの会が終わり、子供達がガヤガヤと帰宅し始めた。田所は近くの少女と笑顔で言葉を交わしている。遼太郎は動くことができず、机の中を漁るふりをしていた。

「りょうたろうくん、帰らないの?」

「あぁ、うん」

 話しかけてきた少年の名が藤村であることは思い出していた。小学二年生のこの頃、近所に住んでいた彼と毎日一緒に帰っていたのだ。

「ごめん、先生に呼ばれてるから、先に帰ってて」

「先生って誰?」

「えっと、八木先生」

 咄嗟に担任の名を出した。藤村は八木のことが苦手だったはずだ。眉間がぴくりと動き、怯えるような仕草に見えた。

「また何か怒られるの?」

「またって・・。違う、委員会のことでさ」

「委員会?」

 藤村が怪訝(けげん)そうな目で遼太郎を見た。そうか、小学二年生はまだ委員会に所属していなかったのか。遼太郎はこれ以上取り繕うことを諦め、ごまかすように立ち上がった。

「それじゃ、また明日」

 一方的に言い残し、慌ててランドセルを背負う。小さく見えても、この体にはなかなかの重量だった。廊下まで走り、どこにいるべきか答えがわからなかった。田所がいつ出てくるのか、それすらもわからないというのに。

 廊下は子供達で溢れかえっている。隣のクラスもホームルームが終わったのか、アリが巣から出てくるように大勢が現れた。遼太郎は廊下を行ったり来たりしながら、自分のクラスの様子だけを伺っていた。田所が出てくる瞬間を見逃さぬように。

 うろつくことに限界を感じていた頃、ようやく田所が一人で教室から出てきた。遼太郎の体が一気に熱くなり、脳が回転を始めた。田所はどこへ行く。このまま下駄箱へ向かうのか、トイレにでも寄るのか。

 だが、田所はそのどちらでもなく、一人で近くの階段を上がり始めた。彼女の姿が見えなくなり、遼太郎は慌てて駆け出した。上の階に何があるのか。何だってあることはわかるが、彼女の目的には見当もつかなかった。

 田所の後ろ姿を追い、遼太郎は三階まで上がった。つまりは最上階に着いた。田所は相変わらず一人で廊下を進み、やがて、突き当たりの教室の扉を開いた。扉の傍には『図書室』と書かれている。そういえばこんな場所だったな、と遼太郎の記憶が呼び起こされた。とはいえのんびりしているつもりもない。彼女の姿を追い、遼太郎もその中へと歩みを進めた。

 図書室の中にはほとんど人がおらず、受付も空だった。二年生の授業が終わる時間は早い。三時にもなっていないのだから、高学年の生徒がいないのは当然だった。

 田所は窓際の本棚に向かい、しゃがんで最下段を眺めていた。目的の本があるのか、指で確かめながら探しているようだった。だが借りられていたのか、田所は諦めた様子で立ち上がった。どうするのだろうと遼太郎が注目していると、彼女はすぐにふり返り、危うく目が合ってしまうところだった。運良く本棚の裏に隠れることで避けることができた。彼女が遼太郎に気付いた様子もない。

 田所は他の本棚には目もくれず、来た道を戻り始めた。そのまま廊下に出てしまう。遼太郎は早足で彼女を追った。まるで、ストーカーになった気分だった。幸か不幸か、図書室の入口付近には誰もいない。遼太郎の行動を怪しむ者はいなかった。

 廊下へ出ると、田所は左に曲がったようで、やってきたのとは別のルートを進んでいく。次の目的地はどこかと伺っていると、曲がり角の向こうに消えた彼女の「こんにちは」という声だけが届いた。遼太郎はその場に立ち止まり、角から顔だけを覗かせた。

「こんにちは。また図書室に行っていたのかな?」

「はい、でも読みたいのがありませんでした」

「残念だったね。また明日来てみるといい」

 相手は小学校の校長だった。口周りに髯を生やし、穏やかな口調で話すのが特徴的だった。集会での話もそれほど長くなく、遼太郎の中にも良い印象が残っている。

「せっかくだから、お茶でも飲んでいくかい」

 校長はそう言うと、田所の肩に手を添えて歩き出した。田所もそれに慣れているのか、終始笑顔のまま校長の傍を歩いていく。廊下の先には校長室が見えている。その中に入るのだとしたら面倒だ。さすがに中までは追えないし、廊下で待っているのも人目につく。だが、遼太郎の心配などおかまいなしに二人は校長室の扉の向こうへと消えた。

「どうするかな・・」

 田所が姿を消した時間は不明だ。校長室に一時間もいるとは思えないため、出てくればさすがに下校するだろう。行方不明になった彼女が発見されたのは、市内にある田んぼ脇の用水路。犯人が車で移動し、そこに田所の遺体を遺棄したと考えられている。周辺で襲われたという目撃情報もないからだ。

 早く出てきてくれないだろうか。遼太郎は廊下に立ち尽くすわけにもいかず、階段の辺りでうろついていた。階段を下り、踊り場まで行ってまた上り、無意味なカムフラージュを続けていた。田所が出てくれば、上に見えている廊下を通るほかない。早く、その瞬間が訪れないものか。


 やがて足音が聞こえてくると、遼太郎は階段の途中で立ち止まった。音源が校長室の方からであることはわかる。それでも、なぜだか違和感があった。遼太郎は階段を上がっている最中を装い、現れるであろう人物の姿を待った。

 ―――そして、その瞬間はすぐに訪れた。

「・・やあ、こんにちは」

 遼太郎に気付き、校長はわずかに驚いたのか、二人の目が合ってから一瞬の間があった。遼太郎は小さく頭を下げ、驚きを隠せずにいた。現れた校長は遼太郎の横を通って階段を下りてゆく。彼がザックを背負っているのは、帰宅することを意味している。校長は登山が趣味で、普段からザックを使用していることで有名だった。

 踊り場の向こうへと消える校長の姿を目に焼きつけながら、遼太郎の脳裏に浮んだ嫌なイメージが何なのか、その正体をつかめずにいた。

 校長はなぜ、一人で帰宅しようとしているのか。先程、田所と二人で校長室へ入っていったではないか。お茶を飲もうと言い、田所もそれを断らなかった。それなのに―――この状況は不可解ではないか。

 考えるより先に、遼太郎は駆け出していた。

 飛ぶように階段を下りる。校長はどこへ行った。車はどこに停めている。遼太郎が一階に着いても、校長の姿はなかった。どこかで別の道を通ったのか。辺りを見渡しても手掛かりはない。このままではまずい気がしていた。

 廊下の先に『職員室』の文字を目にし、遼太郎は全力で駆け出した。

 誰がいるとか、何と言えばいいかなど考えもしなかった。とにかく、すべきことは一つだけだった。

「誰か来てくれ! 田所がさらわれる!」

 遼太郎の叫びが職員室に響く。大勢が中にいたが、全員がぽかんと口を開けて固まっていた。

「早くしろよ! 誘拐されるぞ!」

 ようやく一人の教師が立ち上がった。まだ若い男だった。表情に真剣味が帯び、遼太郎に強い視線を向けた。

「校長の車はどこにある! 早く来い!」

 子供の姿をした遼太郎の口調としてはありえないものだろう。だが、その声色からふざけているわけではないと感じたのかもしれない。男性教師が駆け出し、遼太郎の傍へと近付いてくる。周囲の教師たちも理解できないながらに立ち上がり、各々が口を開いていた。

「どうしたの、校長先生が何だって?」

「校長の車はどこにある? 案内しろ」

 遼太郎の言葉に一瞬たじろいだが、男性教師は小さく頷き、廊下を進み出した。

「校長先生は校舎の裏に停めているんだ。そこへ行けばいい?」

「早く! 走って!」

「きみ、誘拐って言った!?」

 男性教師はそう言い残し、遼太郎の言葉に従い駆け出した。遼太郎との差が広がってしまう。子供の体であることが途端に煩わしくなった。

 男性教師が建物を飛び出し、その場所に見覚えがあった。遼太郎も全力で後を追う。眩しい外へ出ると、視線の先に黒のワゴン車が停まってた。そして―――運転席には校長が座っている。

「校長先生がいるね」

 車と遼太郎を交互に見て立ち尽くす男性教師の傍を通り抜ける。遼太郎の目的はただ一つ。このまま校長が帰宅するのを防ぐことだけだった。

 相手も遼太郎の様子から何かを感じ取ったのだろう。瞬時に表情を強ばらせ、敵意を丸出しにしてエンジンをかけた。遼太郎にできる選択肢はいくつかあった。そのどれもが危険だが、校長の動きを止めるのに最も適したものはどれだ。相手は後先考えずに行動する可能性もある。車に乗せられているはずの田所を人質に取られたら―――子供の体では勝ち目がない。

「くそっ!」

 遼太郎は速度を緩めることなく、発進しようとする車に突撃していった。車体にぶつかる直前に飛び跳ね、走り幅跳びの要領でフロントガラスへ飛んだ。その直後、視界がひっくり返り、三半規管が狂う。視界に映るのが地面なのか空なのか、それすらもわからなくなった。

 それでも、最後に目にした校長の怯えた表情だけは、遼太郎の目に確かに焼きついていた。


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