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バニシング  作者: 島山 平
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第一章(2)

「リョウ、なんて?」

 電話を終えた途端、奈々恵が口を開いた。商品を手に取り、パッケージに視線を落としたまま。

「ちゃんと買ったみたいだよ。何を買ったのかは教えてくれなかったけど」

「ふーん」

 何でもないような素振りをしているが、彼女が安堵していることが伝わってきた。奈々恵は素直ではない。だが、中川には彼女の気持ちを読み取ることができる。できるようになった、が正しい。

「なんだかんだ言って、二人とも仲良いもんね」

「そんなことは決してないのよ」

 下あごを小さく突き出し、奈々恵は呆れたような顔をした。

 初めて二人に出会ったとき、双子だと言われても信じることができなかった。中川の人生で双子に出会ったのが初めてだったし、また、男女の双子なのだから余計に疑ってしまった。言われてみれば顔のパーツは似ているような気がしたが、想像していたほどそっくりではなかった。

「ナナは何を買うの?」

「迷っているんだけれどねぇー、これといって面白いものが見つかりません」

「候補もなし?」

「なしなし。リョウのためにそこまで時間費やしたくないの」

 そんなことを言いながら、奈々恵は先程から三十分以上悩んでいる。毎年のことらしいが、よくもまあこれほど頑張れるものだと感心する。中川は両親へのプレゼントすら、インターネットで適当にクリックするだけだ。

「ボクへのプレゼントのときもこんなに悩んでくれているの?」

「悩んでないってば。一パーセントくらいしかリョウのこと考えてないもん」

「外見はそこまで似てないのに、きみたちはそっくりだと思うよ」

「げ、やめてよね」

 奈々恵が心底嫌そうな表情を見せた。彼女は比較的外見に恵まれているのに、気取ることはない。だからこそ今のようにマヌケな表情を見せてくれるわけだが、それが嬉しかったり残念に感じることもある。つまるところ、中川は奈々恵のことが好きなのだ。

「ちなみにね、ハルへのプレゼントは悩んでないよ。これって決めてから買うから」

「すごいね、どういう気持ちの違いだろう」

「愛情かなぁ、案外どうでもいいことって悩んじゃったりするよね」

 手にしていたマグカップを棚に戻し、奈々恵が肩をすくめた。「いいのないな」と呟き、出入り口の方へと歩き出した。

 彼女の後ろ姿を眺めながら、中川はふと、初めて奈々恵と出会ったときのことを思い出した。中学一年生になり、遼太郎と親しくなってからのことだ。彼に双子の妹がいることを知り、違うクラスにいる奈々恵を見にいった。遼太郎はそれを嫌がったが、結局中川の誘いに負けた。

 廊下から教室の中を覗き、遼太郎の示す女子生徒を見ても信じることはできなかった。隣にいる遼太郎と、それほど似ていないような気がしたからだ。ただし、奈々恵は中川の期待以上に可愛く、一目惚れに近かった。そこからどうにか苦労して彼女と親しくなれたのは、遼太郎のおかげだろう。中川と奈々恵の間を取り持ってくれた遼太郎に、密かに感謝していた。

「ねえ、何か飲まない?」

 先に外に出ていた奈々恵が言う。頷きながら、中川は彼女を追った。

「冷たいの飲みたいんだけれど」

「いいよ。確かこの先にあったよね」

 信号の先を指さし、中川は奈々恵の隣を歩く。

「どうしたの? 疲れた?」

 伺うような奈々恵の視線だった。

「違う、ごめん。中学生だった頃のこと思い出してた」

「ハルが寝坊して遅刻したときのこと?」

「待って、そんなことは起きてないはず」

「あれ、そうだっけ。それじゃああれは誰だったの?」

「知らないよ」

 ボケかどうかもわかりにくいことを言う。真剣に思い出そうとする奈々恵の横顔を眺めていると、彼女は最初からこうだったことを思い出した。

「ナナ、たまにわけわかんないこと言うよね」

「待って、それこそひどい言いがかりだってば」

「今ではそれがきみの計算なのかなって思うけど」

「え、そうだったんだ。わたし数学は嫌いだけれどね。知ってた? サインコサインって、実際には使わないらしいよ。あれこそ虚数なんだって」

 奈々恵が真面目な顔をして言うせいで、中川は思わず吹き出した。

「思い切り使うよ。角度求めるときとかさ」

「人生の中でさ、角度を計算する機会ある? わたし、ちょっとくらいのズレなら許しちゃうと思う」

「治具を取り付けるときに寸法間違ってたら嫌でしょう?」

「ごめんね、治具を取り付けたいと思ったことがないの」

 中川は諦め、奈々恵の左手を握った。不思議そうな表情をした彼女だったが、何も言わずに隣を歩いてくれた。きっと、こんな日常を『平和』というのだろう。

「そういえば、前に言った話どう? 今週の土曜日の飲み会」

 カフェの緑色の看板が見えた頃、中川はふと思い出した。

「あぁ、研究室のだっけ。いいよ、出る。ほんとにジャマじゃないなら」

「邪魔じゃないよ。みんな大喜びだと思う」

「わたし、ハルの彼女だけどいいのかな」

 どういう意味だろうと思い、中川は奈々恵の横顔を盗み見た。

「わたしだったら、手に入らない異性と仲良くなろうと思わないもの」

「あー、そういうこと。みんなそんなこと考えてないと思うよ。単に女の子が多い方が華やかになるってだけで」

「なんか醜い理由ね」

 言葉とは裏腹に、奈々恵の横顔は清々しかった。

「ま、わたし可愛いからね。気持ちはわからなくもない」

「自分で言っちゃうんだね」

「ハルはそうは思わない?」

 いたずらっ子のような笑顔で見つめられ、中川は思わず視線を外した。何と計算高い仕草だろうと思いながら。

「可愛いと思いますよ」

「それが目当てで付き合っているんだもんね」

「どういうことさ」

 恋人からそんなことを言われるとは思いもしなかった。そんなつもりはないのだが、強く否定するのもおかしな気がしてやめておいた。周囲を歩いているカップルに聞かれたら、どんな表情をされるかわかったものじゃない。

「ボクは、きみのことがちゃんと好きだよ」

「うわぁ、恥ずかしいこと言うのね」

 大げさに表情を崩し、奈々恵はどこか他人事のように笑った。

「仕方ないなぁ、そこまで言うなら参加してあげますよ」

「ありがとう。沖先生も喜ぶと思う」

「娘の発表会みたいなものかしら。わあ恥ずかしい」

 奈々恵のおどけた様子を眺め、中川はどこか安堵した。断られるのではないかと心配だったからだ。遼太郎も誘い、二人を同じ場で盛り上げる。それが目的だった。何故だかわからないが、最近二人の関係が平穏ではない気がしている。表立ってケンカをしたわけでもないのに、どこかヨソヨソしい雰囲気が漂っていた。だからこそ、二人が互いにプレゼントを買うかどうかチェックしたし、わざわざ飲み会の場に誘ったのだ。―――もっとも、アルコールはないが。

「お父さんてさ、そんなにすごい人なの?」

「うん、沖先生は凄いよ。凄いっていう単純な言葉で表しちゃいけないくらい」

 中川の所属する研究室の教授である沖浩輔は、学会の中でも有名な人物だった。ナノファイバー、大まかにいえば極細繊維に関する分野の研究を行っており、学会でもいくつもの受賞歴を持つ。論文数も多く、この分野においては非常に期待された人物といえる。中川はその沖教授の研究室に所属し、このまま大学院に進む予定だ。試験にさえ合格すれば、問題なく道は続いていくだろう。

「幸か不幸か、二人の子供が同じ大学にやってきたのに、その二人は別の道を学ぶというね」

「どうなんだろう、同じ道もそれはそれで苦労しそうだけれど。―――あ、あそこの雑貨屋寄ってもいい?」

「うん」

 沖教授の困った顔を頭に浮かべながら、中川は中古雑貨店の店内へと入った。休日というのに客の数は少ない。中川たち以外には三人程しかいないのではないか。

「リョウはさ、あの人と同じようなこと勉強するんだと思ってたんだ。わたしは中学生の頃に理系はムリってわかってたし」

「工学部って意味では同じだよね。ただ、工学部って広いから、その中で同じ分野になることは(まれ)だと思う。よほど好きか、言われた通り進んだか、そのどちらかだろうね」

「まぁ、ハルがあの人と同じ分野にいてくれたから、こうしてデートができてるわけだし、そういう意味では感謝してるかな」

「もっと前から付き合ってた気がするけど」

「あれ、そうだったっけ」

 陳列された水晶のような珠を眺めた奈々恵が呟く。恥ずかしくなったら適当にごまかすのだからズルい。今の言葉に食いついてはいけない、そう念じられているようだ。

「これ綺麗じゃない?」

 奈々恵が指さしたのは、数ある珠の中でも、ひと際目立った色のネックレスだった。直径二十ミリ程度の大きさの珠で、真っ赤な色をしている。ルビーのダイヤと似たような色だ。これがガラスなのか水晶なのか、見ただけではわかりそうもなかった。

「欲しいの?」

 さりげなく値段を確認しながら尋ねた。

「わたしじゃなくて、リョウにね。なんだか落ち着きそうじゃない?」

「遼太郎って現実的だから、ただの飾りだとしか思わないんじゃないかな」

「うーん」

 奈々恵はよほど気になったのか、他のものには目もくれず、その紅い珠を凝視している。そういえば、奈々恵はこういった類のものが好きだ。彼女の持ち物には明るい色をした彩色品がぶら下がっているし、部屋にもガラスの珠を置いている。

 買えない値段ではないことは確認したが、奈々恵はこれを遼太郎にプレゼントしようとしている。そうであれば、中川が買ってしまうのは筋違いになるだろう。どうすることもできず、中川は彼女の様子を伺っていた。

「うん、決めた。これ買う」

「プレゼントで? けっこういい値段するのにしたんだね」

「ほんとだよねぇ。リョウのためにこんなに出費する予定じゃなかったんだけれど、ピンときてしまいました」

 苦笑いを見せ、奈々恵はその珠をケースごと持ち上げた。指輪のケースと同じような、開閉することのできるケースが付属していた。

「買ってくるから待ってて」

「もっと他のを見なくてもいいの?」

「うん。わたし、直感に従うって決めてるから」

 そう言い残すと、奈々恵は迷いのない足取りでレジへと向かった。中川には引き止める理由もない。

 彼女の後ろ姿から視線を外し、周囲に並ぶ装飾品を眺めてみた。どれも綺麗だが、綺麗だとしか感じない。青や透明のものも悪くないし、大きさだって様々ある。この中から一瞬で決めてしまったことに、中川は僅かに驚いていた。彼女はレストランで注文する際も、全てのメニューを確認してから頼むのだ。普段と違う奈々恵の行動に戸惑いを隠せなかった。

「そんなに気に入ったのか・・」

 奈々恵の好みがわかっただけでも新たな収穫といえる。今後のプレゼントのために、この事実を頭に入れておくことにした。


「おまたせーい」

 プレゼント用の包装がされた小包をちらつかせ、満足そうに奈々恵が駆け寄ってきた。もっと多くの店を回るかと覚悟していたが、彼女が満足できるものが案外とすぐに決まった。もしかすると、以前からこの店の商品に目を付けていたのではないか、そうも思えた。

「これで目的は達成?」

「うん、大満足」

「その顔を見せたら、遼太郎も喜ぶと思うよ」

「別にリョウのために買ったんじゃないし」

「うそつけ」

 二人で店を出る。今度こそ、目的のカフェへと向かうことにした。購入したものは、大事そうにバッグの底に仕舞っていた。

「答えなくてもいいけれど、ハルはわたしにプレゼント買ってくれてるのかなぁ」

「そうだといいね」

「なんだろう、レクサスとか?」

「ごめん、さすがに買えなかった」

「うん、実はわたしもいらない」

 奈々恵がプレゼントを期待していることは重々伝わってくる。中川はすでに用意しているし、彼女が喜んでくれるのではないかという自信もある。その中身については、当日まで伝えるわけにはいかないが。

「蛇の剥製じゃなければいいよ」

「ボクのこと何だと思ってるの?」

 相変わらず奈々恵の考えは底が知れない。彼女がガッカリせずに済むよう、当日の運びも計画し直さなくては。


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