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バニシング  作者: 島山 平
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第四章(3)

 自宅に怪しげな手紙が届くようになったのは、いつからだったのか。奈々恵の記憶では先月からだった気がするが、気付かなかっただけでさらに前から、という可能性は十分にある。いずれにしろ、奈々恵は手紙の差出人も、その目的もわからずにいた。

 中学校に入学してからというもの、奈々恵は遼太郎との距離感に困っていた。互いに成長期に入り、男と女、別の生き物へと変貌している途中だったから、それも仕方のないことだった。決して彼のことが嫌いではないし、それは遼太郎も同じだろう。奈々恵はそう認識していた。

 学校ではほとんど関わることもなかった。友人たちには双子の兄がいることは知られていたが、それだけのこと。別のクラスにいる遼太郎がどんな学校生活を送っているのか、さほど興味もなかった。

 そんな生活の変化点となったのは、中学二年の秋、奈々恵がいつものように帰宅し、郵便ポストを覗いたときだった。学校から帰宅すると郵便ポストを覗く。奈々恵よりも先に遼太郎が帰宅している場合もあったが、確認するのが習慣になっていた。その日も特別な意識をせずにポストを開けると、封筒が目に入った。

 どこにでもあるような茶封筒だった。宛先を確認すると『沖様』とだけ書かれ、それがこの家の誰を指すのか不明だった。裏を確認しても差出人の名前はない。不思議に思いながら奈々恵は建物の中へ入り、封筒を食卓に置いて洗面所へ向かった。

 着替えを済ませ、ミルクティーでも淹れることにした。十一月に入り、すでに肌寒い日々が続いている。暖房を入れるのは我慢しているが、何か温かいものを飲みたくなった。ポットでお湯を沸かしている間、テレビでも見ようかとソファーへ向かったときだった。食卓に置いた封筒が目に入り、気になった。個人の名前は書かれていないが、おそらくは父親宛だろう。奈々恵と遼太郎には、このような手紙が届く理由がなかった。

 本来であれば父親が帰宅するのを待つべきなのだが、虫の報せとでもいうのか、奈々恵は好奇心を抑えられなかった。他人宛の郵便物を開けてはいけないことは知っている。けれど、この封筒には正確な宛先がない。『沖様』と書かれているならば、奈々恵だってその対象になるのではないか。そんな言い訳をしながら、奈々恵は封筒を手に取った。

 のりで貼りつけられた部分を剥がしながら、中身はせいぜい一枚程度であることがわかった。開封し、中に指を差し込む。案の定出てきたのは一枚の紙だけで、三つ折りにされていた。妙に緊張しながらそれを開くと、奈々恵の目に予想していなかった文字が飛びこんできた。

『お前のことは全て知っている』

 この一文だけだった。裏を確認しても何も書かれていない。真っ白なコピー用紙のような紙の中心に、プリントアウトされた文字が縦書きで記載されていた。

 奈々恵には思いあたるものなどなかった。『お前』というのが誰を指すのか不明だが、少なくとも奈々恵には他人に知られてはならない秘密などなかった。となると、これは父親か遼太郎のどちらかに宛てられたものだ。可能性としては、父親の方が高い気もした。けれど、こんな幼稚な悪戯をするというのも子供の仕業に思え、遼太郎の友人が仕組んだことにも思えた。

 くだらない、そう思いつつ、奈々恵はどこか不安感を抱き続けていた。二人のうちのどちらかが、何かまずいことをしているのではないか。そして、それを脅している人物がいる。自分の知らないところで、怪しげな思惑が働いているような気がしていた。


 似たような手紙を受けとったのは、三日後のことだった。

 三日前に奈々恵がポストで発見した手紙は、二人に見せず仕舞った。捨ててしまおうかとも考えたが、いずれ何かしらの証拠として役に立つかもしれない。それでも二人に知られるのが怖く、引き出しの一番奥へ隠した。奈々恵が見なかったことにすればよい。平和な日常を壊されることが怖く、奈々恵は卑怯な道を選んだ。

 だが、手紙は再び届いた。

 木曜の夕方、部活を終えて帰宅すると、ポストに見覚えのある封筒が入っていた。手に取った瞬間、奈々恵はピンときた。前回受けとったのと同じ手触りで、表に『沖様』と書かれていたからだ。

 逸る気持を抑えながら玄関をくぐり、奈々恵はリビングの中で封筒を開けた。丁寧に開封する余裕などなく、上辺を裂いた。中にはやはり一枚の紙が三つ折りにされて入っており、書かれていた文字も同じだった。

『お前のことは全て知っている』

 この手紙の送り主は、他の情報を記載する気がないのか。となると、読む者によっては、これだけで察するものがあるということだ。父親と遼太郎、どちらがそれに当てはまるのか。

 今回も奈々恵は封筒を自室の引き出しに仕舞った。そして、もし次にまた封筒が届いたなら、自分がどうすべきか考え続けた。


 再び手紙が届いたのは翌週の月曜、前回から四日後だった。それまでも毎日ポストを覗くたび、封筒が入っているのではないかと緊張していた。そしてついにそれを目にしたとき、奈々恵は手紙を見て見ぬ振りをした。ポストにはその封筒しか入っていなかったが、そのままにして家の中へと入った。

 奈々恵以外の者があれを目にしたとき、どう反応するのか知りたかったからだ。奈々恵がポストを確認することを知っているはずだが、他の二人だって覗くこともある。帰宅してきた二人の反応を見て、誰宛だったのか推察することに決めた。

 約一時間後に遼太郎が帰宅し、いつものように二階の自室へと上がった。奈々恵はリビングでテレビを見る振りをしながらその様子を伺ったが、特別おかしな気配はなかった。そして、彼の部屋の扉が閉まるのを耳にし、そっと動き出した。ポストの中身がどうなっているのか確認するためだった。

 サンダルをひっかけ玄関の扉をゆっくりと押す。物音を悟られぬようにして玄関を閉め、早足でポストへと急いだ。足元に生えている雑草に目もくれず、ポストの蓋を開けた。中には先程確認したのと同じ封筒が入っていた。遼太郎はポストを見ずに部屋へ上がったのか、封筒を目にしつつも中へ持ち込まなかったのか。おそらくは前者ではないかというのが奈々恵の予想だった。

 奈々恵も封筒をそのままにし、家の中へと引き返した。残るは父親だけだ。父親が帰宅した後の様子と、ポストの中身によって、状況は一変する。言い表しようのない不安を抱いたまま、奈々恵は夕飯の支度を始めた。


 父親が帰宅したのは午後八時過ぎ。遼太郎が帰宅してから一時間半ほど経過した頃だった。いつものようにパックに入った出来合いのおかずを奈々恵に渡し、二階の自室で着替えた。遼太郎はいつも通りの油断しきったような顔で下りてきて、三人で食卓を囲んだ。当たり障りのない平和な会話をしながら、奈々恵は父親の様子を伺った。疲れているようだが、別段変わったところはない。少なくとも、奈々恵にはそう見えた。

 夕食を終え、遼太郎が風呂に入っている間も、奈々恵は気が気ではなかった。父親はリビングで新聞を読み、おそらくはそのうち二階へと引き上げる。父親はポストに届いていた封筒を目にしたのだろうか。奈々恵たちに何も言わないのはおかしなことでもない。『お前のことは全て知っている』などと書かれた手紙を目にし、わざわざ子供に伝えることはないはずだ。彼自身がまだ封筒の中の手紙を読んでいない可能性はあるが、何にせよ、ポストの状況を見れば全てが明らかとなる。早く二階へ上がらないだろうか。奈々恵はそわそわした気持ちを悟られぬよう注意しながら、洗い物を終えた。

 やがて父親は、奈々恵にひと声掛けてからリビングをあとにした。その後ろ姿を目にしても、変わった様子は感じられない。本当にポストを見ていないだけなのかもしれないと思うほど落ち着いていた。

 父親が二階の部屋へ入る音を確かに確認し、奈々恵はそっと玄関から外へ出た。玄関先の防犯ライトが点灯したせいで気付かれるのではないかと不安になりながら、それでも急ぐしか術はない。駆け足でポストへ向かい、冷えた金属の蓋を持ち上げた。

 その中には―――何も入っていなかった。つまり、父親が封筒に気付き、所持しているということだ。

 まだ読んでいないだけなのだろうか。奈々恵には、とてもそんな楽観的に考えることはできなかった。個人の名が書かれていない封筒を目にすれば、父親なら中を確認するだろうし、そうでなければ奈々恵たちに訊ねるはずだ。そのどちらでもないというこの状況は、父親が封筒の中身を読み、あえて黙っているということに他ならない。

 奈々恵は空のポストに視線をぶつけていたが、とりあえずは引き返すことにした。いつまでも外に出ていたらそれこそ怪しまれる。雑草が足首に擦れるのを感じながら、玄関へと急いだ。

 その後、奈々恵が寝る支度をして部屋にこもるまで、父親からは何のアクションもなかった。顔を合わせれば会話もするし、「おやすみ」と言葉を交わした。けれど怪しげな手紙について触れることはなかった。やはりあの手紙は、父親に宛てられたものなのか。誰が、父親の何を知っているのだろう。あの父親が他人から脅されるようなことをするとは思えない。奈々恵からすれば、研究一筋のやっかいな父親だったからだ。人として尊敬はしているし、感謝もしている。そんな人物が、何の秘密を抱えているというのか。

 一人きりの部屋で考え続け、結論は出ないままだった。これまでに二回届いた封筒を改めて読み返してみても、新たな発見はなかった。同じような紙と封筒を使っている。プリントアウトされた文字は全く同じ位置にあり、使い回しで印刷したと思われた。『お前のことは全て知っている』という一文が示すのは、父親のどの部分なのか。犯罪に関わっているとは思えないし、不倫や汚職問題もないはずだ。父親は、本当に研究だけに没頭している人種だからだ。そんな人物が、俗世間の問題に興味を示すとも思えない。

 結局、奈々恵は結論を出すことを諦めた。いずれまたアクションがあるかもしれない。その際に父親から説明してもらえる可能性はある。悪戯だとしたらいささか悪趣味だが、直接的な被害は受けていない。

 平和だとばかり思いこんでいた日常に、暗い陰が差し掛かっているようにも感じる。けれど、奈々恵は積極的に解決することを諦めた。時が経てば解決する。自分にそう言い聞かせ、部屋の灯りを消した。


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