表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バニシング  作者: 島山 平
21/36

第三章(6)

 急に眩しさを感じ、遼太郎は目を細めた。片目で周囲を観察しながら、自分がどこにいるのか把握するのに必死だった。

 犯人を刺してしまったことをすぐに思い出しながら、この場所が道路ではないことを理解した。手もとに視線を落とし、右手が血で染められていないことを確認した。

「遼太郎」

 背後の声に驚き、遼太郎はさっと振り返った。そこには椅子に腰掛けた中川がいて、遼太郎を哀しげな目で見つめていた。

「今日は何日だ?」

「五月十七日。大丈夫?」

「あぁ・・」

 ということは、元の世界に戻ってきたのか。奈々恵が襲われるのを防いだのが十四日。そこから三日が経過している。

「奈々恵は?」

「え?」

「奈々恵は無事か?」

 遼太郎の問いに、中川の視線が僅かに揺れた。彼のこの表情を見るのは何度目だろう。つまり、また理解できないことを言い出した遼太郎に困惑しているということ。―――それにしても。

「もしかして、過去をやり直したの?」

「・・あぁ。そういえば、お前には話したんだったな」

 奈々恵を救うために過去に戻る前、遼太郎は中川にタイムスリップのことを伝えた。それがきっかけで中川から助言をもらい、奈々恵が襲われた日に戻ったのだ。とはいえ、遼太郎は過去をやり直した。中川にタイムスリップに関して話したのがいつなのか―――この世界ではいつなのか―――それはわからない。

「今度は何をしてきたの?」

「奈々恵が襲われる瞬間に割って入って、犯人を刺した。・・・そうだ、あの男はどうなった?」

 中川は短く息を吸うと同時に下唇を噛んだ。やり切れない気持ちが表れているようだった。

「犯人は死んだよ。きみの刺し傷が致命傷になった」

「そうか」

 では、遼太郎は殺人犯になってしまったということか。それにしては自分の部屋でのん気に会話できていることが不思議だった。

「正当防衛が立証されたんだ。だから遼太郎が罪に問われることはないと思う」

「奈々恵は? あいつはどうなったんだ?」

「わからない? そうか、過去を変えたんだもんね」

 中川は複雑な感情を整理できない様子で額に手を当てた。そして、肘置きに肘をついたまま口を開いた。

「彼女は行方不明だよ」

「待って。・・どういうこと? 俺はあいつを助けたんだぞ」

「知ってるよ。でも姿が消えてる。ボクだって探してるけどわからないんだ」

「お前も? なんでだよ、もう奈々恵を襲うやつはいないんだぞ」

「わかってるよ!」

 中川が短く叫んだ。その急な変化に、一瞬だけ遼太郎の体が停止してしまったほど。

「そんなことわかってるよ。でも・・、ナナはいないんだ。ボクにどうしろって言うのさ」

「いついなくなったんだ」

「一昨日の晩。遼太郎があの山岸って男を殺して、警察で事情を話して。ナナと二人で帰宅したけど、次の日の夕方から彼女の姿がない」

 文字通り頭を抱え、中川が顔を伏せた。

 遼太郎には信じられなかった。中川は嘘をついていないのだろうとは思う。だが、奈々恵がいなくなる理由が思い当たらない。せっかく助けたというのに、彼女はなぜ消えてしまったのか。

「ねえ、遼太郎が過去を変える前はどうだったの?」

「奈々恵は日曜の夜に襲われたんだ。だから俺は日曜のあいつの行動を見張って、事件に巻き込まれないようにした。それなのにまたあいつが行方不明になって・・。だから、犯人に襲われる瞬間に助けたんだ」

 遼太郎はこれまでの出来事を振り返りながら話した。中川は無言で耳を傾けながら、理解しようと試みている様子だった。突然言われてすぐに把握できる内容ではない。

「前回も、ナナがどこに行ったのかはわからなかったんだよね」

「そう。だから先回りして、犯人を捕まえようってなったんだ。どこか一日だけ奈々恵を守っても、別の日に襲われた可能性はあるからな」

「・・・」

 中川は何かを計算するように目を瞑った。時間にして十五秒ほど。そして、ゆっくりと口を開いた。

「ナナがいなくなったのは、今回の事件と関係ないって可能性はないかな」

「どういう意味だよ。実際、奈々恵は襲われてるんだぞ」

「でも、遼太郎はナナを助けたんでしょ? それなのにいなくなったってことは、事件に巻きこまれたわけじゃないって、そう考えるのが自然だよ」

「そうだけど・・それじゃあなんでだ」

 中川はゆっくりと首を振った。それ以上の考えはないということかもしれない。

「俺にもお前にも連絡せずどっかに行くっておかしいだろ」

「ナナがいなくなった本当の理由を探ってみるのはどう?」

「どういうことだよ」

「事件に巻き込まれていない状態のナナの行動を突き止めるんだよ。例えば、遼太郎が山岸を殺した後、ナナがどこへ行ったのかとか」

 そのパターンは考えていなかった。確かに、そうすれば奈々恵の失踪の理由も明らかとなる。

「俺があの男を刺した後って、どうなった?」

「二人とも病院に行って、警察の取り調べを受けて。ひとまずそれだけ。で、山岸の自宅から何人かの女性の痕跡が出てきて、これまでの被害者と一致した。美希ちゃんもあいつの家にいた」

「だから山岸が犯人だってわかって、俺の正当防衛も認められたわけか」

 中川は無言のまま頷いた。これまでの流れは納得できる。ただし、その途中で奈々恵がいなくなった点だけが不可解だ。その理由には見当もつかない。

「でもね、遼太郎」

「なんだよ」

「他人の秘密のすべてを知るっていうのは、とても怖いことだよ」

 中川の視線が何かを物語っている。―――もしかすると、中川はすでに何かを知っているのではないか、そう思わせるものがあった。

「遼太郎は過去をやり直せる。それによって救える人もいると思う。でも、全てを知ってしまった遼太郎は大丈夫なのかな。他人の不幸を全部背負って生きる覚悟はある?」

「覚悟だなんて、そんなもん・・」

「これまで何回もやり直したんでしょう? その度に誰かが殺されたり傷付いたりして、遼太郎はそれを救って。ゴールはどこにあるの?」

「少なくとも、俺の知ってるやつらが平和に生きられるところを探すつもりだ」

「全部背負って、遼太郎は生きていかなくちゃいけないんだよ?」

「・・なあ、お前は何を知ってるんだ?」

 中川は答えなかった。その仕草からも、何かを隠していることは明らかだった。だが、遼太郎はそれを訊き出そうとは思わなかった。いずれにしろ、過去へ戻ることで明らかになるのだ。奈々恵がいなくなった理由も、中川の思わせぶりな言動も。そして、その先にはハッピーエンドが待ち受けていると信じている。

「沖先生は、何か言ってくれないかな」

「父さん? なんで急に」

「二人の父親なんだから、アドバイスくれたりするかも」

「どうかな。心配してくれるだろうけど、こんな非現実的なことを信じる人じゃないから」

「・・そうだね」

 どこか淋しげに中川が笑った。彼は父親に何を求めているのか。やはり、遼太郎には不明だった。

「ナナがいなくなった原因を探るって話しだけどさ。具体的にどうするつもり?」

「俺が山岸を殺した後だと自由に動けないだろうし、奈々恵が金山で襲われないように誘導して、その後でいなくなった瞬間を突き止めるかな」

 遼太郎の言葉を脳内で反芻(はんすう)するように、中川はじっと瞼を閉じていた。窓から射し込む陽光が彼の頬を照らす。物音一つない空間に、いくつもの思惑が交錯しているようだった。

「ナナの動きを見守るんだよね。どこへ行こうとして、何に巻き込まれるのか」

「ずっと俺が一緒にいれば事件に巻き込まれることはないんだろうけど、それだと奈々恵の失踪の原因がわからないもんな。そうするよ」

「尾行するだけで大丈夫かな」

「っていうと?」

「ほら、ナナがどこかの建物の中とか入っちゃって、遼太郎が入れなかったらどうする?」

 部外者が立ち入れないような場所を言っているらしい。遼太郎はそんな場面を想像し、いくつかの案が頭に浮びながら頷いた。

「どうするかな。盗聴器でも仕掛けとくか」

「あまりオススメはできないけど、そうするしかないかもね」

 中川の作ったような苦笑いが不気味だった。彼が何を計算しているのか、楽観的に考えることはできなかった。

「あいつは何かに困ってるんだろ? だから事件に巻き込まれるような変な状況にいる。さっさとやり直して、あいつの問題を解決してくるよ」

「全部解決するのは諦めた方がいいと思う。ナナの問題はオッケーでも、それに付随して別のことが起きるはず」

「バタフライ効果か」

「うん」

 中川の言わんとしていることは遼太郎にもわかっていた。『バタフライ効果』つまり、物事にわずかな変化を与えると、その僅かな変化がなかった場合とは、その後の状態が大きく異なってしまうという現象だ。有名なところでいえば、ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を起こすという表現で説明されるものだ。

「これまでだってそうなんでしょう? 遼太郎が救った人がいて、代わりに犠牲になった人がいて。世の中の流れに逆らうのは、とても恐ろしいことだと思うよ」

「わかってるよ」

 遼太郎にだってわかっている。本来はそんなことが起きてはならないのだ。どれだけ辛い事実でも、実際に起きた以上は受け入れるべきだ。だが、遼太郎が過去をやり直せるこの力を手にした以上、目の前の問題を見て見ぬ振りなどできるわけがない。家族や友人が苦しんでいる事実を、なかったことにしたいと思うのは当然の気持ちだ。

「止めても無駄なんだろうね」

「あぁ。それに、奈々恵を救いたいって気持ちはお前も同じだろ」

「もちろん。遼太郎の力を頼るしかないよ。・・でも、悔しいよね」

「何が」

「自分の恋人なのに、ボクは何もできないから」

 こぼすように口にした中川の言葉を、遼太郎は否定することができなかった。安易に慰めの言葉を掛けるのがよいことかどうかわからず、逃げるために口を閉ざしていた。

「ナナに会って、助けられたらさ。本当はどうしたいのか訊いてみてよ」

「どういう意味だよ」

「ナナが何を求めてるのか、ボクにもわからないところがあるから」

 弱々しく視線を落とし、中川が諦めたように表情を崩した。それを哀れに感じてしまうのは罪だろうか。遼太郎は、中川に対してどんな立場で接するべきか結論を出せずにいた。

「まぁ、もうちょい待ってろよ。すぐに奈々恵に会わせてやるし、一緒にくだらない話をさせてやるから」

「頼むよ。もう遼太郎にしか頼めないんだ」

 遼太郎は奈々恵を救いたい。その気持ちは中川だって同じだろう。そのためならば多少の犠牲は厭わない。力を手にした以上、綺麗事だけでは生きてゆけないことを実感していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ