第三章(4)
五月十五日、月曜日。
山岸徹斗は悩んでいた。前日、家に連れてきた女が、この期に及んで抵抗しようとするのだ。これまでの女達とは違う。生きることに執着しているのか、逃げられるとでも思っているのか。
女を見付けたのは自宅付近にある図書館、午後七時が迫った頃だった。山岸は特に本が好きというわけではないが、何度か図書館へ足を運んでいた。空調が効いているし、騒がしいこともない。何より無料だった。目的もなく図書館へ行き、たまに本を手に取ってみたりする。ヘッドホンをして音楽を聴くことだってある。図書館へやってくる女達を眺めるだけでも心が穏やかになる。
そんな中、ちょうどいいターゲットを見つけた。一人で本を借りにきたと思われる女で、そこそこの美人だった。歳は二十歳を越えたくらいだろうか。化粧やファッションにも慣れた様子だ。
山岸は女のあとをつけ、見逃さないようにしていた。というのも、今日一日、金山駅付近を散策したのだが、ターゲットに恵まれなかった。欲求だけが高まり、何も収穫はなかった。一人で帰宅し、むしゃくしゃした気分が晴れぬままシャワーを浴びた。夕飯を食べる気にもならず、一刻も早く次の女を手に入れなくては発狂しそうだった。
女は小一時間ほど図書館にいたが、やがて一人で建物を出た。
山岸も距離を置いて女に続き、尾行を開始した。女が車かバイクで来ていれば諦めるつもりだった。だが、神様は山岸の味方だった。女がイヤホンをして歩き出すのを確認し、今回の獲物を決めた。外は真っ暗闇という程ではないが、離れていれば顔を覚えられる心配もなかった。それに加え女はイヤホンをしているせいで、周囲の気配に気付きにくい状況だった。これはもう、手に入れたも同然だった。
女は大通りへ出るわけでもなく、住宅街を進んでいった。山岸はそれを追いながら、襲うのにベストなポジションを探っていた。車は自宅に置いてきた。女を殴るなりして気を失わせるのは簡単だが、車を取りに行き、戻ってくるまでどこかに隠さなくてはならない。それにマッチする場所はなかなか見当たらなかった。女の家はこの先にあるのだろうか。そうだとすれば、近所の人間に見られてしまう可能性も高い。襲うなら早いに越したことはない。
山岸が最後の一歩を踏み出せずに困惑していると、女が立ち止まった。スマートフォンの画面を確認し、ライトで顔が照らされている。そうかと思えばスマートフォンをハンドバッグにしまい、一人でしゃべり出した。
山岸には好都合だった。女は電話に意識が集中している。背後に迫る脅威になど気付いてもいない。やるなら今しかない。
山岸はポケットに忍ばせていた金属の塊をとり出した。職場のゴミ箱で見つけ、処分に困って持ち帰ったものだ。人を殴るにはちょうどいい大きさだったため、こんな場合に備えて持ち歩いていた。
女の歩くペースはゆっくりで、一瞬で追いつくことができた。
早足で迫ったというのに、女は山岸に全く気付いていない。好都合だが、どこか味気なかった。女の後頭部が目の前に迫り、そのときになってようやく女が振り返った。会話が盛りあがっていたのか、にこやかな笑顔のまま。
山岸はその顔に向かい、金属片を思い切り叩き付けた。
「お前、あとどれくらい生きられそうだ?」
女は返事ができない。元より、答えてもらうつもりなどなかった。女の視線や反応で確かめられるからだ。
「これまでの二人はさ、長くて四日だったんだ。まだ半分もいってないぞ」
女は両手足を縛られ、床で横になっている。襲った瞬間に顔についた傷は痛々しかったが、傷口自体はもう塞がりかけている。左のこめかみ辺りが紫色に腫れ、せっかくの美貌が台無しだ。次はもっと上手く失神させようと反省した。
「この間のやつは世間でも盛りあがったよな。お前も知ってるか? 田所美希って女だ」
女は僅かに眉をひそめた。思い出そうとしているのかもしれない。まだそれだけ脳が働くなら大丈夫だ。死ぬのはもう少し先になる。
「警察は俺んとこ来てくんねえんだ。だからお前のときは、もっと派手にやらないとな」
山岸は立ち上がり、睨みつけてくる女を見下ろした。動けない状態では、どんな女だって無抵抗だ。好き放題できるし、望むように痛めつけることができる。悲鳴を聞くことができないのは残念だが、それくらいは我慢できる範疇だった。
山岸は女の頭部を踏みつけ、何度も力を込めて踏んだ。頭蓋骨とフローリングの床が擦れ合う感覚が伝わってくる。どれくらいまで力を入れてよいのか試してみたくなった。
「なんで自分がこんな目に、って顔してんな」
女から足を離し、屈み込んで顔を覗く。女は目に涙を浮かべ、それでも必死に山岸を睨んでいた。なんとも健気な姿だった。
「意味なんてねえんだ。偶然俺に見つかったからお前はこうしてここにいる。誰も助けになんてこねえぞ」
女から離れ、山岸はソファーに腰掛けた。
退屈だった。女を手に入れるところまでは気分が良かったし、実際興奮もした。だが、家へ連れ込んでしまえば、後は大した刺激もない。レイプしようとも思わない。そんな一時の快感より、恒久的なものを求めていた。どうすればそれを得られるのか、山岸にはわからずにいた。
いっそのこと、女を監禁していることを公表してしまおうか。立てこもりのようなものだ。警察がアパートの周囲を囲み、報道陣も大勢集まってくる。ヘリコプターで空撮してもらえるかもしれない。とはいえ、立てこもり事件はどう足掻いても犯人が逮捕されて終わる。被害者の生死は別として、その点だけは変わらない。
それ以外の楽しみ方となると、山岸には数えるほどしか案が浮ばなかった。その中で最もそそられたのは、インターネット上に映像をアップするというものだった。最近は素人の動画投稿が流行っているではないか。きっと、山岸にも簡単にできる。この部屋で女を暴行している様子でもアップすれば、一瞬にして時の人になれる。警察は犯人を特定しようと急ぐだろう。―――だが、そんなことで満足できるのか。山岸の中にあるものは、そんな薄っぺらい承認要求なのだろうか。
やはり、この女も殺すしかないのかもしれない。殺して、前の女のように目立つ場所に放置する。あれがニュースで報道されていた瞬間は興奮した。世間が注目した事件の犯人は自分、それを知っているのも山岸だけ。楽しかった。
―――とはいえ、それだけだ。
どうすればいい。パッとしない人生に目的が欲しい。生きる意味が欲しい。刺激が欲しい。山岸には犯罪という道しか残っていないのだ。今さら足掻いたところで、成功者になれないこともわかる。
痛みに耐えるように眉間に皺を寄せた女がいる。この女にも家族がいて、友人がいて、恋人だっているかもしれない。それなのに、山岸はそんなものを持っていなかった。たった一人で孤独に生き、死んでゆくのだろう。それまでの時間が億劫だった。
せっかくおもちゃが手に入ったのに、山岸には遊び方がわからなかった。そんな自分がひどくちっぽけに思えた。