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バニシング  作者: 島山 平
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第二章(7)

 五月十六日、火曜日。

 遼太郎は研究室でパソコンに向かいながらも、画面に映る波形を見てはいなかった。スマートフォンに連絡が入るのではないかと気にしつつ、何度も画面を横目に見ていた。それでも、先程から何の変化もなく、待ち受けのプロレスラーがポーズをとっているだけだった。

 二日前、五月十四日の夜から奈々恵が帰ってこない。中川に確認してみても、彼にも連絡はないらしい。二十二歳の女性がどこで何をしていようと口出しするつもりはないが、自宅にも恋人の家にも姿を現さないというのは異常ではないかと、遼太郎は内心焦っていた。最近、身近に起きている殺人事件が頭にちらついてやまなかった。

 一昨日の晩、最後に奈々恵と連絡をとっていたのは中川だった。それも十六時半頃のことで、そのときは一人で買い物をしていると言っていたらしい。中川はアルバイトの最中だったため、仕事を終えた二十一時半に連絡をしたが、それ以降奈々恵からの返信はないという。遼太郎の元へも連絡はなく、父親も同様だった。

 昨晩、丸一日連絡がとれなくなった奈々恵を心配し、父親が警察に相談した。奈々恵たちの通う大学の学生が事件に巻き込まれている。それを踏まえ、通常よりも早く捜査に取りかかってもらえるようだ。皆、どこか焦っていた。単に連絡がとれないだけ、などと楽観的に考える者はいなかった。実際、奈々恵はこれまで、自宅と中川の家以外に無断で二日も泊まったことはない。

「沖くん、体調が悪いふりして帰っちゃいな。誰も責めないから」

 隣の席の院生が遼太郎に声を掛ける。何でもないような顔をし、遼太郎は頭を下げた。心の動揺が表に出過ぎている。これでは心配されて当然だ。奈々恵が行方不明になっていることは研究室のメンバーにも知られている。どこから情報を入手したのか、皆が気に掛けるような言葉をくれる。父親が沖教授というのも関係しているのだろう。

 とりあえずは単純作業を続け、遼太郎は奈々恵からの連絡を待った。別段仲の良かったわけでもないのに、事件に巻きこまれたと思うと無視できない。自分が過去を変えたことが、彼女の失踪と関係している可能性もある。他人事だとはとてもじゃないが思えなかった。

 突如、遼太郎のスマートフォンが振動し、遼太郎は現実に引き戻された。

 慌てて画面を確認すると、中川からの電話だった。

「はい、どうした」

『研究室にいる?』

「あぁ」

 中川の声色が普通ではなかった。それにつられて遼太郎の喉が僅かに震えた。

『直接話したいんだ。コスタに来られる?』

「何かわかったのか?」

『・・うん』

「ざっくり教えてくれ」

 中川は迷うように言葉を切らし、遼太郎の我慢が限界を迎えようとしていた頃、ようやく彼の言葉が届いた。

『ナナのハンドバッグが警察に届けられた。金山駅の近くで』

「・・すぐに出る。お前も早く、頼む」

『うん』

 遼太郎は勢いよく席を立ち、何も言わずに駆け出した。周囲のメンバーがあっけにとられる様子を見る暇もなかった。研究室の扉を壊すほどの勢いで開け、廊下へ飛び出した。


「どういうことだ」

 コスタという名の食堂へ入るなり、遼太郎はすぐに中川へ駆け寄った。彼は困ったように視線を揺らし、俯きながら口を開いた。

「今朝、道路脇にハンドバッグが落ちているのに気付いた人が、警察まで届けたんだって。そしたら中にナナの免許証とか入った財布があって、さっき沖先生に連絡が入った」

 嫌な予感が的中してしまった。中川の表情を見る限り、彼が嘘をついているとは思えなかった。そして、父親が警察へ向かっている以上、これは事実なのだ。遼太郎もそれを受け入れるしかなかった。

「奈々恵は?」

「見つかってない。ハンドバッグを届けてくれたのは近所に住むおばあさんだって」

 遼太郎は下唇を噛み、瞼をギュッと閉じた。

 状況だけを見れば、奈々恵は明らかに事件に巻き込まれている。田所の事件と同様の犯人という確証はないが、おそらく間違いない。となれば、一刻も早く彼女の居場所を突き止めなければならない。田所と同じ目に遭うならば、奈々恵の命はもう長くない。

「あいつ、何でまた金山なんて行ったんだよ。バカじゃねえのか」

「ナナなりに何か調べたかったんじゃないかな。美希ちゃんも被害者になってるし」

 二人共、奈々恵を責めたいわけではなかった。だが、こうして事件に巻き込まれてしまった以上、どこかに怒りをぶつけたくてたまらないのだ。なぜ身近でこんなにも問題が発生するのか、その理由を教えてもらいたいくらいだった。

「ハンドバッグの中に携帯は?」

「わからない。でもたぶん入ってると思う。財布があったくらいだから」

「連絡がとれないのは当然として・・、普通なら何とかして帰ってきてるはずだけど」

「考えたくはないけど、そういうことだと思う」

 男二人で、食堂の入口で俯いていた。周囲の目を気にする余裕もなかった。奈々恵はおそらく犯人に連れ去られたか、すでに命を落としているか。そのどちらも歓迎できるものではない。前者であることに賭け、奈々恵の居場所を突き止めるのが最優先だった。

「なあ、最近のあいつ、変だったよな」

「変というか・・」

「俺の前でだけ、ぎくしゃくしてた気がするんだ。気のせいか?」

「ううん。だって、だからこそボクは二人の間を取り持とうとしたんだ。プレゼント交換だってそう」

 中川の視線は遼太郎の首元へ向けられていた。そこには奈々恵からプレゼントされたネックレスがあった。遼太郎はそれをぎゅっと握りしめ、奈々恵の心境を理解しようと努力したが、決して届くことはなかった。

「あいつに何か起きてたのか? 俺が悪いことしたか?」

「わからない。けど、ナナはボクの前ではこれまで通りだった」

「原因がわかんねえんだよ。そうかと思いきや一人で事件現場まで行って、犯人に襲われて・・」

 悔しさで奥歯を噛み締めるしかなかった。

 奈々恵の心が見えず、一方的に消え去ろうとしている。そんなこと受け入れられるはずがない。認めたくはないが、遼太郎は奈々恵にいなくなられるのが嫌なのだ。

「あの日、ボクがバイトなんてしてなきゃ・・」

「そんなん俺だって同じだ」

「せめて、ナナと一緒にいてあげたら良かったんだ」

 中川の全身を後悔が包んでいる。

 彼が悪いわけではない。そんなこと明白なのに、納得できないのだろう。その気持ちは遼太郎にだって痛いほどわかる。あの日、遼太郎が奈々恵の行動を制限できていれば・・。

 ―――いや、そうか。やり直せばいいんだ。

「なぁ、あの日、奈々恵は昼前に家を出た。お前のとこには行ってないのか?」

「うん。図書館に行って、そのあと買い物だって言ってた」

 となれば、彼女の行動を制限することは容易だ。二日前の日曜日、奈々恵が出掛けるのを防げばよいだけ。少なくとも、金山駅付近へ行かせなければ事件に巻き込まれることはない。

 ただし、そのためには必要なものがある。それはおそらく―――。

「最近写真撮らなかったか? 俺が写ってるような」

「写真? ボクはそんな趣味ないから・・あ! あるよ、写真」

「いつの?」

「ナナがいなくなった日。あの日の午前中、ほら、一緒に大学の喫茶店にいたでしょう? 遼太郎がパスタソースを服に飛び散らせて」

「見せてくれ」

 中川は理由を尋ねることもなくスマートフォンを取り出した。しばらく画面を操作し、遼太郎に向けた。

「ほら」

 そこには確かに、自分の腹の辺りを見下ろす遼太郎が写っていた。たまたま二人とも大学におり、どこかで食事をとろうということになった。構内の喫茶店に入り、遼太郎がパスタ、中川がサンドイッチを頼んだ。それを食べている際、遼太郎がソースを飛び散らせたことを笑い、中川が写真を撮った。奈々恵に見せてやろうと楽しんで。

「それ、俺に送ってくれ」

「写真を? いいけど・・」

 中川は不審気に眉を潜めながらも、すぐに遼太郎のスマートフォンに送ってくれた。これで必要な条件は揃ったはずだ。残るは・・、できるかどうか賭けるしかない。

「サンキュ。あとは俺に任せろ」

 そう言うと、遼太郎は中川に背を向け駆け出した。

 学食を飛び出し、どこか一人になれる場所を探した。構内を走り回っていると、握りしめたスマートフォンが振動した。画面に視線を落とす。父親からの連絡であることがわかった。

「はい!」

『今、大丈夫か』

「奈々恵は?」

『・・・! 知っているんだな。あの子の持ち物が警察に届けられている』

「奈々恵は見つかってないの?」

『ああ。所持金も盗まれていない。奈々恵が発見されたわけでもない』

「警察は、なんて?」

『特に進展はないらしい。目撃情報もないようだ』

「父さんはさ・・」

 遼太郎は言葉に迷い、それでもあえて口にした。

「奈々恵はまだ無事だと思う?」

『当然だ』

 遼太郎は僅かに驚き、父親の迷いのない口調に心が震えた。

『あの子はまだ生きている。だから一刻も早く見付け出すんだ』

「・・そうだね。また情報が入ったらすぐに教えて」

 遼太郎は電話を切り、目についたトイレに駆けこんだ。

 奈々恵が生きているかどうか、正直五分五分だろう。だが、生きていると信じている者がいる。正解がどちらにしろ、諦めずに足掻(あが)くしかないのだ。そして遼太郎には、遼太郎にしかできない足掻き方がある。それが成功すれば、奈々恵が生きていようと死んでいようと、彼女を救うことができる。これに賭けるしか手はない。

 個室に入り、便座に腰掛ける。ズボンを下ろすでもなく、遼太郎はスマートフォンを取り出した。先程中川から届いた写真を開き、瞼を閉じる。

 どうすればよいのだろう。あのとき―――田所を救いに行ったときのように、過去に戻りたい。理屈なんてどうだってよかった。奈々恵が犯人に襲われる前のタイミングにさえ行ければ、彼女を救えるのだ。

 遼太郎は自然に首元へ手を伸ばしていた。奈々恵からもらったネックレスがそこにある。どうか、彼女の元へと飛ばしてくれ。田所と同じように、奈々恵を犯人の魔の手から守りたい。そう願いながら、真っ赤な珠を強く握りしめる。

 奈々恵を救いたい。遼太郎の頭にはそれしかなかった。


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