第二章(3)
五月十二日、山岸徹斗は運転席に座り、タイミングを見計らっていた。午後十一時四十二分。ナビでテレビでも見たかったが、灯りが点いていれば目立ってしまうかもしれない。結局、スマホでラジオを流しながら目を瞑っていた。
自然と思い出されるのは、五月五日の金曜日に二人目の女を拾った日のことだった。一人目の女は、扱いを誤り死なせてしまった。連れてきた翌日の夜、山岸の言うことをきかず、抵抗を見せるものだから、つい本気で殴ってしまった。あれがいけなかったと、山岸は強く後悔している。おもちゃの扱いには気をつけなければならないというのに。
部屋の隅で倒れ、動かなくなった女を処理する必要が出た。その日の夜のうちに車に乗せ、近所の山へと運んだ。数年前から夜中に家を出ることが多かった。そんなときに発見した、遺体を隠すには絶好の場所があった。ずっと昔に所有者が管理することを諦めたような家屋があり、傍には小屋もあった。その中に隠せば、女が発見されるまでかなりの時間を稼げるだろう。近所の子供が偶然見付けてしまうことはあるかもしれないが、山岸の元へ捜査の手が及ぶことはないはずだ。
自宅へ戻り、女がいた形跡を抹消した。床の汚れや壁についた染みを拭き取り、久しぶりに換気をした。そして、その夜はこれまでになくグッスリと眠ることができた。
だが、翌朝からは地獄だった。
二日間とはいえ家に女がいた実績がある。それが突然なくなってしまい、パニックを起こしそうだった。仕事に身が入らずミスを連発するし、食欲もなかった。このままではまずい、そう思い、山岸は次の女を探すことにした。
一人目を手に入れた公園には近付かないことにしていた。となると、別の場所で探さなければならず、人目につかないという条件も必要になる。都合良くそんな場所があるはずもなく、山岸は街中をぶらついていた。
それでも神は山岸を見捨てなかった。捜索を始めてから八時間後、二人目が目の前に現れた。
特別な狙いはないまま、最寄りの金山駅へと車を走らせた。コンビニに駐車し、道向かいの公園を眺めていた。その中で、一人の女がベンチに長時間腰掛けているのが気になった。スマホの灯りが見え隠れし、誰かと待ち合わせでもしているのかと思った。だがその瞬間は訪れず、やがて女は立ち上がり、一人で歩き始めた。
山岸はなんとなしに女の子ことが気になり、車を発進させて後を追った。好運なことに女が大通りから外れた道に入ってくれたおかげで、ゆっくり運転することもできた。一度女を追い越し、曲がり角の向こうで停車する。一分もしないうちに女の姿が現れ、山岸の視界を横切った。女の向かう先にはマンションが見えているが、もしかするとそこに住んでいるのかもしれない。そうであれば、中に入られたらチャンスは失われる。山岸は車を発進させ、女を追った。
午後八時すぎ。まだ外は明るかったが、閑静な住宅街だ。女の他に歩いている者はいない。山岸ははやる(・・・)気持ちを抑えることもできず、車を停め、女へと駆け寄った。女はイヤホンで音楽でも聴いているのか、直前まで山岸に気付くことはなかった。女が振り返ると同時に山岸は女の腹部を殴り、体が崩れた女を肩に抱えた。周囲を気にする間もなく車へと戻り、女を後部座席に放り込む。自らも運転席へと急ぎ、急発進させた。
女を自宅へ連れ込むことに成功し、ようやく山岸は息をすることができた気がした。それまで、緊張と切迫感から神経がすり減る想いだった。途中で女が意識をとり戻したが、振り返って力ずくで脅した。女は怯えて涙を流し、自分の肩を抱き締めて震えていた。バッグを奪うことで、警察に連絡させる隙も与えなかった。
「叫ぶなよ」
部屋の壁際に女は崩れ、涙を流している。車から部屋までは、用意しておいたナイフをちらつかせて歩かせた。入口の監視カメラには二人の姿が映ってしまっているが、警察がこのアパートを捜索するとも思えない。万が一そうなった場合、山岸は諦めるつもりだった。
部屋ではまず女に猿ぐつわをし、これまでと同じように暴行を加えた。前回の経験で、女には力を示すことが有効だと学んだからだ。長い髪を掴み、前後左右に振り回す。女は頭を抑えながらされるがままで、山岸は女の体を床に叩き付けた。そうしてようやく女は動かなくなり、山岸は落ち着くことができた。
一人目は、家に連れ帰ってからすぐに動かなくなった。山岸の力加減がまずかったからだ。しかし今回は違う。あの経験を活かし、女の体調を最優先することにした。暴行を加えるのは必要最低限にし、食事を与えることも忘れなかった。女は喋ることができないため、四時間ごとに強制的にトイレにも行かせた。風呂に入らせることはできなかったが、山岸が風呂場で髪を洗ってやった。空の浴槽に頭を突っ込むような形で、上からシャワーで流してやった。こうすれば女が生き延びてくれる、そう思っていた。
だが、予想外の事態が訪れた。
四日目の朝、山岸が目を覚ますと、女は意識を失い始めていた。食事を用意してやっても口にせず、猿ぐつわを外しても叫ぶことすらなかった。栄養が足りていないはずはない。人として最低限の生活を与えてやっているのに、女がなぜ干涸び始めているのか、山岸には理解できなかった。次第に目を開けている時間も減り、とうとう意思疎通ができなくなった。
どうやら、女は精神が先に死に始めているようだった。体はまだ生きられても、女の心が死を受け入れ始めていた。この場から逃げ出そうという気持ちすら失ったのだ。これは、山岸にとっては誤算だった。勘弁して欲しい。せっかく二人で生活を始めたというのに。もっと長い時間、この女と共に過ごしたかったのに。
六日目にはとうとう目を開けることもなくなり、壊れたのだと確信した。そうして、山岸は女を捨てることにした。これ以上家の中にいても使い道はないからだ。このときになってようやく山岸はテレビを点けた。それまでは女が部屋にいてくれることで、下界に興味がなくなっていた。必要なかったのだ。だが、テレビを点けてみて、N大学の二人の学生が姿を消しているというニュースを目にしたとき、山岸の心は昂った。『皆川恵子』と『田所美希』という名を目にし、それがこの家を訪れた二人の名と一致した。山岸の行為が、世界に影響を与えたのだ。ちっぽけな人間だと思いこんでいた自分には、それだけの力があった。
この晩、山岸は田所という女の処理方法に迷った。そろそろどこかに捨てる必要があるだろう。彼女の命は消えかけている。せめて、最後に世間の注目を浴びさせてやりたい。山岸は考えた。女の存在が最後に輝くためにはどうすればよいのか。そして、山岸の力を認めさせるにはどうすべきかを。
山岸が辿り着いた結論は、彼女を発見させるというものだった。きちんと発見させ、事件が起きていることを認識させる。前回のようにいなくなっただけでは、世間もどう扱ってよいのかわからない。動き方がわからないはずだ。だからこそ、今回は女の姿を晒してやることにした。
こうして五月十二日、山岸は女を車に乗せ、金山駅近くにある公園へと運んだ。ラジオを聞きながら、後部座席の女の様子を伺った。意識を失ってはいるが、まだ息をしている。このまま公園に残せば、山岸の存在を警察に知られるきっかけとなるだろう。それならば、どうすべきか。
時刻を確認する。夜中の十二時三分。周囲に人影はない。こんな時間に公園の駐車場にいるとすれば、いかがわしいことでもしているカップルくらいか。好運にも、今日は山岸一人だけだった。
「なあ、俺の顔見たよな」
案の定、返事はなかった。
「家も知られてるもんな」
まるで自分に言い聞かせるように、山岸は言葉を続けた。
「悪く思わないでくれよ」
短く息を吐き、山岸は助手席のナイフを手に取った。それをパーカーのポケットに入れ、運転席のドアを開けた。自動的にライトによって車内が照らされる。急いでドアを閉め、後部座席へと回った。中へ腕を伸ばし、女の体の下に差し込む。およそ人間らしい温もりはなかった。人であることをを失いかけた、物質直前の女だった。
山岸は女を背負い、車から離れた。辺りに注意しながら、公園の中へと歩みを進めた。
翌日、山岸はテレビのニュースでそれを知った。
田所美希は公園で発見された。山岸が彼女を置いたそのままの場所で。発見したのは二人組の女子学生だった。午前中のことで、やはり女の遺体を発見されやすい場所に残してきてよかった。警察は監視カメラなどを調べるに違いないが、それだけで山岸の元へと辿り着けるとは到底思えない。しばらくは身を隠し、闇に紛れることが懸命だろう。
満足感に包まれている今なら、それくらいの我慢は簡単に思えた。