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バニシング  作者: 島山 平
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第二章(2)

 五月十三日、土曜日。

 中川と奈々恵は、二人で金山駅のホームに降りた。午前十一時、ホームは人で溢れかえっていたが、それは時間によるものだけではない。名古屋駅に近く、名鉄と地下鉄とJRが交わる金山駅はいつだって混み合っている。駅の周辺も栄えており、ほとんどの若者が満足できてしまう。

 ただし、中川たちがここを訪れた理由は、周囲の人々とは異なっていた。三日前の水曜日に、遼太郎とともに野田に話を訊きにいったことを伝えると、奈々恵は中川の予想以上に興味を持った。その中で金山駅を利用した部分に遼太郎が食いついていたことから、奈々恵が現場へ行ってみたいと言い出したのだ。偶然時間がとれたこともあり、中川も彼女に付き合うことにした。

「野田さんはどっちに出たんだろうね」

「たぶんこっち」

 奈々恵は地理に疎い。方向音痴でもあるし、駅の周囲をイメージすることもできていないはずだ。中川は彼女の手を取り、野田が口にした公園を目指した。

「なんかデートしてるみたいね」

「これってデートじゃないの? ・・あぁ、確かに違うのかな」

 握った手を離してしまえば、奈々恵は人混みに誘拐されてしまう。それがわかっているからこそ、中川は前を向き、さっさと建物の外へと急いだ。

 金山駅の北口を出て、歩いて五分もしないところに金城公園はあった。それなりに広く、家族連れが散歩をしていたり、バドミントンをしている女の子たちが見える。都会の中の数少ない憩いの場らしい。

「これだけ広いと、美希が泣いてたとしても襲おうとは思わないね」

「まず彼女がいたのかも怪しいけどね。ここにいたのは野田さんなんだから」

「リョウの言葉を信じると、先週の金曜日に野田さんが見たのが美希ってことよね」

「らしいね。意味わかんないけど」

 二人は散歩をするように公園の歩道を並んだ。平和な空間で悪くない。だが、会話の内容はひどく品のないものだ。子供に聞かれていないことを祈る。

 遼太郎はなぜ、野田が訪れたこの場所に田所もいたと考えているのか。あの後、中川は個人的に野田と話した。そのときの様子からも、野田が田所と面識があったとは思えないし、だからこそ遼太郎の考えは理解できなかった。

「リョウはバカだけれど、意味のないことはしないからなぁ」

「それはボクもわかってる。だから来てみたけど、何もわかりそうもないね」

「残念ね、せっかくの休日だったのに」

「この後どこに行こうか」

「あらま、デートのお誘い?」

「どういうことさ」

 奈々恵は中川の方に顔を向けず、正面を見たままだった。それは彼女が楽しんでいる証拠で、中川は内心テンションが上がっていた。

「またハルの家にも行きたいなぁ。あっちの物置の方ね」

「ナナの好きな物はなかったはずだけど」

 中川の言葉に返事はなかったが、奈々恵は相変わらず僅かに微笑んでいた。中川は一人暮らしをしているアパートの他に、趣味のために一部屋借りている。建物も別で、フィギュアなどを管理するためだけの部屋だ。以前、遼太郎が入った際は、しばらく黙って固まってしまったほどの、オタク部屋だ。

 二人は無言のまま公園を歩いた。敷地の端には池があり、それを囲むように散歩道になっていた。二人で並んで歩いていると、遠目に見えるあたりが騒がしいことに気付いた。人が走りまわり、ただ事ではない雰囲気が伝わってくる。

「なんだろう、あれ」

「ざわざわしてるね」

 二人は立ち止まり、何事かと眺めていた。橋の下あたり、駐車場からすぐのところに大勢の人が集まっている。そのうちに制服を着た警察官が走ってくるのが見え、人々に何かを叫んでいた。

「事件かな」

「この公園、呪われてるんじゃない?」

 奈々恵が早足で歩き出し、中川は彼女の姿を追った。

 人混みまでは二百メートルほど。近付くにつれ、冗談ではない雰囲気が伝わってきた。

「離れて下さい!」

 二人が人混みに混ざろうとしたとき、警察官から注意が飛んた。野次馬たちは各々が口を開き、スマートフォンで撮影を試みる者もいた。

「何があったんです?」

 中川はすぐ傍にいた二人組の女性に声をかけた。

「人が倒れてるみたいです。女の人です」

「若い人でした?」

 中川の背後から奈々恵が顔を出して訊く。二人組は顔を見合わせ、息ぴったりに頷いた。

「殺人事件かな」

「たぶん。普通じゃない状態だったので」

「見たんですか?」

 奈々恵が目を輝かせている。中川にはそれが恐ろしかった。彼女が危険なところに飛び込んでしまわないかと心配になる。

「写真もありますよ」

 二人組のうちの背の低い方がスマートフォンを取り出した。それを見て、もう一人が周囲を気にしている。勝手に撮影したことを(とが)められないか気にしているようだった。

「これです」

 勢いよく写真を覗き込んだ奈々恵の肩越しに、中川も写真を見てみた。その直後、女の細い指でつかまれたスマートフォンに写し出されている写真を見て、中川は声を失った。おそらくそれは奈々恵も同じだった。

 そこに写っていたのは二人のよく知る人物―――田所美希だったからだ。

「・・ありがとう」

 小さくそう言い残し、奈々恵の目は次のターゲットに向けられていた。『やばい』中川がそう思うと同時に彼女は素早く動き出していた。中川の伸ばした手は彼女に触れることはなく宙をつかむ。それでも、諦めきれずに中川も動き出した。

「ナナ!」

 鋭く名前を呼んでも彼女は振り返らなかった。人混みの間を器用に抜け、奈々恵は集団の先頭に出た。警察官が注意する間もなく、奈々恵は倒れている田所に向かって駆け出していた。

「止まりなさい!」

 田所の周囲を囲んでいた警察官に抑え込まれ、奈々恵は身動きが取れなくなっていた。

「すみません!」

 周囲に頭を下げながら中川も人混みから抜け出した。奈々恵は倒れている田所を見つめ、状況を把握しようと必死だった。それもすぐに田所の傍から離れさせられ、中川の元へと連れ戻された。

「ナナ、ダメだって・・」

「ほんとに美希だった」

「うん、落ち着いて」

 何人もの警察官から睨まれていては落ち着けないだろう。中川は奈々恵の腕を取り、無理やり引っ張った。彼女はもうそれほど抵抗する気がないのか、中川に連れられるまま歩いた。人混みの中に隠れ、周囲の目に晒されながら、中川は奈々恵の腕を離せずにいた。油断すれば彼女がどこかへ行ってしまう気がしていた。

「大丈夫・・?」

「なんで美希が」

「考えるのはよそう」

「ダメよ。逃げちゃダメ」

 奈々恵の目の奥には力が秘められていた。中川の方が動揺しているのではないか。

「これで確定したわ。美希も事件に巻きこまれた。さっきの―――襲われてたよね」

「・・うん」

 中川の脳裏にも、倒れている田所の姿が焼きついている。目を閉じれば勝手に浮んできてしまう。

 田所は一応服を着ていたものの、とても普通の状態ではなかった。身ぐるみを剥がされたのかと疑うほどボロボロの服装で、髪は乱れ、肌にはどす黒い色が浮んでいた。その中には痣や擦り傷もあっただろう。あの状態を遼太郎には見せたくなかった。

「誰があんなこと・・」

「もっかい刑事さんとこ行ってくる!」

「ダメだ!」

 奈々恵の左手を強くつかむ。彼女に睨まれても、この手を離すわけにはいかない。警察に目をつけられるとか、マスコミのカメラに映り込むことを心配しているのではない。中川は、彼女を事件の渦に飛び込ませたくなかった。せめて彼女だけは、自分の手で守りたい。

「行かせない」

「離してよ」

「絶対に離さない」

 中川を睨みつけたまま動かなかった奈々恵は、突如表情が崩れたかと思うと、咄嗟に顔を伏せた。つかんだ彼女の手からも力が抜け、飛び出していく心配は薄れた。

 中川は彼女の両肩に手を添え、そっと抱きしめた。奈々恵は無抵抗で体を預け、そして、静かに嗚咽を漏らした。震える奈々恵を抱きしめながら、中川は人の垣根の向こうにいる田所を想った。

 彼女は何者かに暴行され、殺害された。その犯人に思いあたる者などいない。おそらく彼女は二人目の被害者だ。この一連の事件の中心がどこにあるのか、中川は、遼太郎に訊ねてみたかった。


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