幼稚園年少生・日常追憶編
短いというか追憶の内容ばかりで、本文が進んでいないので、あとで追加する予定です。
幼稚園も遠足が終わると、次は夏休みが見えてくる。もっとも啓信学園幼稚園では年少生であっても期末テストがある。ただこのテストは簡単な礼儀作法やはさみなどの使い方、ひらがなとアラビア数字の読み書きといった内容だ。
正鳴にしてみれば楽な内容だが、普通の三、四歳児からしてみればそれなりに歯ごたえのある内容だ。
外はすっかり夏の陽気である。セミの鳴き声も聞こえてくる。
夏になると正鳴は昔のことをよく思い出す。あの時、保守派を自認する東京在住の人物が家を訪れたのもこんな日だ。
あちらの世界の日本の保守層を分類すると、まず天皇主権回復を目指すグループと主権在民の民主政治を発展させていこうとするグループに分かれる。
大体の国会議員になるような政治家は後者のグループだが、時々前者の支持者もまざってくる。
そして前者のグループもさらに二つに分かれる。本気で天皇主権を回復し、日本の本来の姿を取り返そうとするグループ、つまり天皇家の一部の関係者が中心になっている。ただしこれは極少数なのである。
そして曲者なのが前者のグループのもう一つのグループである。これは天皇主権を回復させておいて、その実、天皇陛下を再び神などに祭り上げて傀儡にして、戦時中のような統制を自分たちの手にしようとするグループなのだ。このグループの厄介なところは保守層でありながら思想的に共産主義に近いことだ。経済統制をとることをある意味目的としている部分もある。
あの日家に訪れてきたのはまさにそんな統制主義的保守派のひとりで、ともに天皇陛下に主権を取り戻そうといってきた。
戦時中にこちらはその連中の親兄弟に煮え湯を飲まされた側なので、適当に相手をして追い払い、塩をまいてやったのを覚えている。
忌々しい東条英機ら陸軍憲兵隊の残り香どもがと思ったのを覚えている。
満州を日本の生命線だなどとでっち上げられたのを新聞で見て唖然としたことも思い出した。あの時ソビエト社会主義共和国連邦と戦っている前線の駐屯地でこいつは何を考えているのかと思った。アメリカに金出させてアジア鉄道を作ったのになにをと思った。
よく勘違いされるが、満州事変より前にすでに大日本帝国陸軍は満州蒙古地方に出兵していた。ソビエト社会主義共和国連邦成立に対する共産主義打破を目的とした内政干渉で列強連合軍のなかで最後まで撤兵していなかったのが日本だったわけで、パルチザンの襲撃と欧米の圧力で黒竜江ことアムール川河口周辺から撤兵はしたが、満州・蒙古地域ではずっとソビエト社会主義共和連邦軍と戦争を続けていたわけだ。
領土である朝鮮半島の維持のためという建前があったからだ。
その大日本帝国陸軍の支援を行っていたのがアメリカ合衆国で、満州をアメリカ合衆国に引き渡すのが前提である。
だからこそ満州鉄道は満州事変前にかなり整備されていたのである。
満州事変で殺された張作霖は中国北東部の軍閥のリーダーであり、もともとは日本に協力的だった。それが満州併合を目指している帝国陸軍の一部派閥の主張をみて、蒋介石の国民党に接触して牽制を行った。
その結果として石原寛治らによる暗殺と満州国建国につながるわけだ。
対ソビエト社会主義共和国連邦との前線である蒙古地域にいた将校・兵士にすれば迷惑どころの話ではなかったのである。満州事変のせいで進軍は止めざるを得ないわ、補給物資は滞るわ、中国人軍属達は騒ぐわであきれるしかなかった。
中国人軍属達は張作霖の軍閥からの出向者が多いかったのも影響している。
満州事変の数年後、息子の張学良が毛沢東と一緒にいたのは八路軍がらみで親交があったからだ。
前線の将校や兵士からしてみればアメリカ合衆国を噛ませて、ソビエト社会主義共和国連邦に対抗するのは既定路線だった。それが満州事変でお釈迦である。
リットン調査団を国際連盟の名のもとイギリスが派遣するのも無理はないし、結論もある意味仕方がないのである。
満州に出資をしていたイギリスのロスチャイルド財閥にしてみれば迷惑千万だっただろう。
東条英機らの陸軍憲兵隊の面々が太平洋戦争を生み出したのは間違いないのである。
そして最大の問題は彼らやその関係者の子孫がねつ造した歴史を堂々と宣う事である。そのうえ戦時中や戦後に多くの国民に塗炭の苦しみを与えたにもかかわらず、その苦しみを与えた制度を復活させて自分たちの天下にしようとしていることである。
これは断じて許すわけにいかない。
本当の意味で保守派を名乗るなら、主権在民を擁護するにせよ天皇主権の復活を求めるにせよ、どちらにしても公共の福祉とよく表現される、国民や国益に寄与するものでなければならないはずだ。
私自身は首相公選制主義者である。象徴天皇制を維持する観点からいえば国民に直接国家の政治首長を選ぶ権利があってもいいと思うからだ。
これをいうと天皇がどうのとまた東条の残り香どもが反論してくる。
直接国民に選ばれた人物が政治を行うことと天皇陛下をないがしろにすることがどうつながるかきちんと正当な理由を説明してもらいたいものである。
彼らにしてみれば国民に直接、内閣総理大臣が選ばれると、小細工のしようがなくなるからだろう。天皇陛下が指名する形へは戻せなくなるからだ。
あちらの世界の日本では、一応いまの憲法では、天皇陛下が国会の指名者を任命するという形になっている。なら国民投票の指名者を天皇陛下が任命するとすればいいだけの話だ。どこに問題があるのかごまかしなしで説明してもらいたいものだ。
陸軍憲兵隊の残り香が天皇陛下の指名にこだわるのは、要は天皇陛下を傀儡にして、自分たちの独裁につなげたいだけだ。
まことに許しがたい暴挙である。
それと大日本帝国陸軍憲兵隊の残り香はロシアのKGBや中国共産党ともつながっているのである。
どこまで売国奴をやれば気が済むのかといいたい。
5・15のときに国際コミュンテルンとKGBの支援を東条英機はうけていた情報もある。
戦時中に国家総動員法の名のもとに統制経済・計画経済を敷いたことからも東条英機ら陸軍憲兵隊の派閥は共産主義者だったといえるだろう。
正鳴は正吉時代のことを反芻して息を吐いた。
今は幼稚園で運筆の練習中である。つまらないのでいろいろ思い出して一人で怒りを感じていたわけだ。
となりの席でななこも運筆のテキストで文字を一生懸命なぞっている。
正鳴は、背伸びをして、それから運筆の続きに取り掛かった。
その日の夕食の席に最近にしては珍しく父の悠一の姿があった。ここのところ子会社とプロジェクトの立ち上げでかなり忙しそうにしていたはずだ。
食事中に会話はそれなりに弾んだが、内容は主に仕事についてと正鳴の幼稚園での日常についてだった。
しかし、唐突に悠一が質問してきた。
「・・・ところで、民主主義と共産主義が相いれない理由はわかるか?」
なんの脈絡もなく何をいいだすのかと思った。
もっとも正鳴には分り切った答えの一つだった。
共産主義は政治に携わる集団と労働者を切り分ける。つまり主権は一部のエリートのみが手にすることを明確に謳っている。
労働者が労働者のために作り出した制度・主義だと思われているがとんでもない間違いである。
それが現実とどう違うと反論してくるそちらがらみの人が多いが、制度として明確に主権を国民から取り上げてしまう共産主義と、選挙で結果的にエリートが主権の代行者となる民主主義は大きく意味が違う。
まったく民衆に主権が与えられない共産主義と、民衆があくまで主権者である民主主義の違いである。
民主集中制などと共産主義者はいうが、要は官僚が主権を独占する専制官僚制である。
彼らが目の敵にする王制や天皇主権制とどこが違うのかといいたくなる。
しかも、共産主義のやっかいなところは自浄作用が一切働かない制度なのである。一度彼らが政権をとれば、武力革命が成功して政権がかわるまで彼らが主権を独占してしまうわけだ。
議会制民主主義にしても大統領制民主主義とも相いれないのはそれだからである。
そのことを説明すると悠一はややあきれた様子だった。
「・・・・そこまで知ってるとなると向こうでよほど嫌な事でもあったみたいだな。俺より事情に詳しそうだ。」
正鳴としては肩をすくめるしかない。
「戦前のうちの部隊での部下の中国人連中の多くが中国共産党に流れたからね。」
楓が首をかしげていた。
「こっちでは中国共産党の発生すらしてないから何とも言えないけど・・・・。」
「ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊して、共産主義者は寄る辺をうしなかったからね。国際コミュンテルンも壊滅状態か地下に潜伏がせいぜいだろうし。無害ではないにせよ、無力化されているのがこちらだけど、向こうはそうじゃない。で、質問の理由は?」
正鳴の返しに悠一は肩をすくめた。
「こっちでは昔から勉強しすぎると赤になるっていう言葉があるんだ。」
正鳴は向こうにも太平洋戦争終結後もしばらくはあったことを思い出す。
「・・その・・な、お前も向こうの富田一族だったわけだが、これだけいろいろな知識をもっているからな。そういう危険がないか知っておきたかったわけだ。」
歯切れ悪そうに悠一が切り出す。それに対して今度は正鳴があきれた。
「少なくても僕の考えとは水と油だよ。それに本当に勉強できるなら、共産主義の矛盾や、そこに隠されている民衆を扇動して裏切る本質を知らないわけないはずなんだよ。共産主義を知った人間の一部に自分が政治エリートになる幻想をみて活動をしている奴らがいるのも事実だけどさ、基本的に民衆を不幸にする主義や制度だよ?少なくても星を背負う天皇家の血族が信じていい主義じゃないね。いくら末流といってもね。」
正鳴のバッサリの一言に悠一も楓も呆然としていた。
現実問題、確かに大きな財閥の血縁者が国を動かす大きな歯車になっているのは事実だ。しかし、それは国や国際関係に関する十分な教育をお金があるから受けることができたからだ。小さいころからの窮屈な英才教育があってこそだ。逆にいえば金があっても必要な教育を受けてない人間は政治にかかわらせるべきでないことも示している。
共産主義者は、教育を受けてない人間が政治をとる危険性があるから排除しているといけいけしゃあしゃあと述べてくる。
だが、民衆は自分たちに主権がまったくないと知ったときどうなるだろう?
集団心理を理解していない証拠である。国への帰属意識がまったくなくなる。共産主義のやってることは国民に強制労働をさせることそのものだ。
共産主義の求めているのは従順な労働奴隷だ。
民主国家から共産主義国家へ転落した国家が、文明的に後退するのは最低限の教育の公平性を保たせないからだ。
共産主義国家では労働効率が落ちる。それでなおさら貧困層が増える事につながるのである。
資本主義経済の民主主義でも匙加減を間違えばそうなる危険はないわけではないが、共産主義のように確定的にはならない。
人は自主的に動くときに最大労働効率をはじき出す。この自明の理を共産主義者は理解しない。
あちらの世界で戦時中、日本で労働効率が下がって、生産性が失われたのも陸軍憲兵隊一派による統制経済・計画経済によるものだ。
軍票の増発で見立てごまかしの支払いを財閥に行い、その実財閥の崩壊を企図していたのが彼らだ。白水会で住友財閥が結束しなければ住友財閥は崩壊していただろうといわれるのはその影響が大きい。
財閥が崩壊すれば、その影響は財閥の従業員だけではない。取引先だけでもない。経済圏が消失するに等しい。これがどれだけ貧困を生むか陸軍憲兵隊派閥は理解していなかっただろう。
軍票の信頼性が失われたからこそ、超インフレが終戦直後に訪れたわけだ。
奴らの罪を数えればきりがないが、戦後直後の貧困を生み出したことこそ最大の罪かもしれない。
正鳴個人としてはシベリアでの戦友たちの無駄死にのことこそ奴らの最大の罪であるが・・・客観的に見れば被害の大きさから考えれば経済被害が一番死者を生んでいるかもしれない。
全体的に考えれば、国民全体への教育の質の向上は必要不可欠だ。特に一部の特権階級にしか行われない帝王学あるいはリーダーシップ学とマクロ経済学、政治学の教育は必要不可欠だろう。
なぜ個人の影響力を増やす帝王学やリーダーシップ学を学ばせる必要性があるのかといえば、全体を見通す広い視野の構築に必要不可欠だからだ。
視野の狭さから大日本帝国陸軍憲兵隊は暴走を繰り返した。
まともな帝王学を修めていれば起こされなかった事柄の側面がある。精神論優先の彼ら独自の帝王学が暴走の原因となっている。
正しいものを教えないから、奇形が組織内情から生まれる。
系統立てた知識がないことの危険性がそこにはある。
若い時期にそれらの知識を得ないと、実践での経験だけでそれを構築してしまうので暴走を生み出しやすいからだ。
よくそれをいうと『船頭多くして船山に登る』というひとがいるが、そんなことにはならない。自分の特性を知ることが帝王学やリーダーシップ学を修めれば自然と理解されるからだ。
民衆に力を持たせる危険性を説くが、説いた当人が特権の独占を企図しているに過ぎないのが現実だ。あるいはそういう人物は自分が権力をにぎる姿を幻視しているだけだ。
知識は力なりとはよくいったものだと思う。