ジ オーキッド ホテル
「きゃっほーい」
目の前のプールでは人型をした水の塊と戯れるメテムがいる。
時折水しぶきがあがり、僕の足元まで届いてくる。
天気もよく、気候も穏やか。
そしてこの目の前には元気なメテム。
旅の疲れを癒すのにこれ以上望む物はあるのか。
エローラを堪能した僕たちは、アウランガバードから旅の最終地ムンバイへと移動した。
ここで数日滞在した後、インドを離れる予定だ。
そして最後ということで一つ贅沢しようかと話し合った僕たちは、五つ星ホテルに泊まることにした。
選んだホテルは「The Orchid Hotel」。
空港から歩いていける距離にあるというのは魅力的だ。
もし観光を目的にムンバイへ来てるのならばあまり良い立地とは言えない。
が、ムンバイ市内で特に惹かれるものがなくホテル内に留まる予定の僕たちには最適と言える場所だ。
昼前にムンバイ空港に到着した僕たちは早速ホテルへと向かった。
ホテルの正確な場所は分からなかったのだけれど、空港スタッフに所々で聞くと、「ここからすぐ近くのあそこだよ」という風に手で示してくれたので歩いていける距離なのだろう。
そしてそれは正しく、空港を背に右前方の方に進むこと5分ほどでホテルに到着した。
門構えは実に立派な作りだ。
重厚な門にドアマン等が数名常に待機している。
今まで僕たちが泊まったエコノミーホテルとは比べ物にならない。
早速フロントへ向かいチェックインを頼む。
まだチェックイン時間ではなかったみたいだが、アーリーチェックインをさせてくれたので待つこと無く部屋に入ることが出来た。
部屋の中も豪華で、ツインのベッドルームと、それとは別にティースペースがあった。
水回りも使い勝手がよく、Wifiもシグナルが強い。
ベッドに置かれた沢山の枕は勿論フカフカで、早速メテムが気持ちよさそうに体を埋めていた。
うん、これならゆっくり休めそうだ。
部屋をチェックした後は軽くお腹が空いてたのでレストランへ行くことにした。
一階から映画のセットのような階段を登ってレストランに向かう。
今の時間はアラカルト以外にバッフェもやっているようだ。
「私はそこまで食べないよ」
そう言うメテム。
勿論僕もバッフェまでは入らないのでアラカルトを選ぶことにした。
メニューはカレーは勿論ステーキやピザなど種類が豊富にあり、洋食に飢えていた僕はカルボナーラを頼んだ。
メテムはサンドイッチにしたようだ。
早速食べてみたところ、日本で食べるものと遜色が無いレベルで美味しい。
なるほど、流石に五つ星のレストランだ。
そう思って美味しい美味しいと食べていると、メテムがすかさずフォークを手に持ちカルボナーラを覗き込んでいた。
仲良くカルボナーラを分けて食べた後、帰りがけにケーキ屋があるのをみつけた。
ちらっと中を覗くと、大変手の込んだ美味しそうなタルトが売っていた。
デザートが山盛り乗っかった見るからに贅沢な作りだ。
これがなんと160ルピーとのこと。
これだけでも安いのに、夜6時を過ぎると80ルピーになるようだ。
これは夜に買って食べるのが楽しみだ。
すっかり満足した僕たちは、部屋へ戻ると、水着に着替えてプールへ行くことにした。
この暑い中プールに入るのはとても気持ちが良い。
今回このホテルを選んだのも、立地も然ることながら素敵なプールがあると書いていたからだった。
上階層へ進み、通路をグニャグニャと何度か曲がる。
さらに奥に進むとスポーツジムがあり、そこを通過したところにプールはあった。
「うわー、素敵な作り~」
思わずメテムが声を上げる。
無理もない。
そのプールは面積こそ小さかったが、その分コンパクトにセンスよく作りこまれていた。
「私ここにする!」
メテムがプールサイドにあるベンチの一つに腰を落とした。
ベンチには一つ一つに日除けが付いている。
これならば日射病の心配もない。
僕はその隣にあるベンチに腰をかけた。
「ユウキ、見てみて~」
声のかかった方向を見てみると、メテムが魔法書片手にプールサイドに立っていた。
「……モニョモニョ……ウォーターパペット!」
メテムが魔法を唱えると、プールの水の一部が中央に固まりだす。
しばらく見ていると、それは人の形を成していった。
「じゃじゃーん。水で出来た人形。ウォーターパペット君でーす」
得意気に手をふるメテム。
そしてウォーターパペットに抱かれるようにして飛び込むと、なんとウォーターパペットが命あるようにメテムを受け止め動き出した。
「凄いね、それ。動くんだ……」
呆気にとられている僕を尻目に目の前で戯れる二人。
見ればウォーターパペットがメテムの小さな体を宙にまわしたりして饗しているではないか。
一体あんな水の塊のどこにそんな気配りができるんだか。
まあもう一々騒いでもしょうがないか。
思えばこのインド旅行の間、驚きの連続だった気がする。
デリーでは汚物を投げつけられるし、アーグラーではゴミ捨て場で飯を食べるはめになった。
夜行列車やらガンジス川でも大変な目にあった。
しかしインドという国が嫌になったかというと、ネガティブな気持ちは一切湧かなかった。
なんというかな、表現すると「不思議」といったところか。
インド。
僕たちの知っているシステムとは全く別のシステムで動いてる国。
しかしそのシステムは決して僕たちに害をなすものではない。
それを受け入れられるかどうかがインドを好きになるかどうか分かれるのだろう。
僕は一体どっちかな。
少なくとも、もう来たくないとは思わないか。
むしろまた機会があったら今度は東インドとか西インドを見ても良いかな。
「ユウキ、何ぼんやりしてるんだよ」
メテムがプールで僕を呼んだ。
顔を見上げるとウォーターパペットが僕の体を持ち上げようとしているじゃないか。
「分かった、分かったよ。今入るよ。うわっちょっと、やめろって。入るよ」
「ウォーターパペット、ユウキをそのままプールに投げ入れちゃって!」
言葉と同時に中に舞う僕。
そして次の瞬間にはプールに水しぶきがあがった。
やれやれ……このお嬢さんも、もう少し御淑やかなら可愛げがあるんだけど。
「なんか言った?」
「え、いや言ってないよ」
「いやおまえなんか変なこと考えたろ。乱暴だとか、お淑やかじゃないとか」
ギクッ、本当に感が良いな。
慌てて誤魔化す僕。
まあ、とりあえず二人共無事にインドを出れるだけで良しとしようかね。
見上げたインドの空は雲ひとつ無い晴天だ。
どこまでも続く広い空。
インドは今日も平和なり。
こうしてインドの緩やかな時間は過ぎていくのだった。