エローラ石窟群
石窟遺跡というものをご存知だろうか。
一つの巨大な岩山を繰り抜いて作った人工的な遺跡。
なんだか聞くだけで途方も無い労力が想像出来るが、その中でも有名な遺跡がここインドにある。
エローラ石窟群とアジャンター石窟群だ。
場所はインド西海岸にある大都市ムンバイから、少し東に進んだところにあるアウランガバードという街付近にある。
僕たちもそのうちの一つ、エローラを見てみることにした。
バラナシを堪能した僕たちは、アウランガバードへ飛行機で向かった。
直行便が無いのでムンバイを経由する。
乗り継ぎの関係で日本のサービスではサポートしていない現地のLCC、IndiGoを使う事になった。
日本語での情報がほとんど無かったので心配だったが、問題ないフライトだった。
2時間ほどでムンバイへ到着。
それから7時間ほど待機して、アウランガバードへ向かった。
こちらも2時間ほどで無事到着。
朝出発してから夜到着と、丸々一日かかったが、同日移動できただけで満足だ。
ホテルで休んだ僕たちは、次の日に早速エローラへ行くことにした。
調べてみると市内中央からバスが通っているようだ。
しかし、エローラの遺跡は点在しているようで、バスの場合は現地で結構歩かなければならないらしい。
そのためタクシーをチャーターすることにした。
こんなこともあろうかと、昨日飛行場で営業してきたガイドに連絡先と金額を聞いておいたのだ。
ホテルの入口からエローラまでの往復で二人合わせて1200ルピー。
勿論バスで行くと一人辺り100ルピーなので圧倒的に安いのだが、旅の終盤で疲れていたこともあったので、タクシーを使うことにした。
朝9時にホテルを出発。
揺られること30分でエローラへ到着した。
エローラは34個の石窟で構成されている。
それぞれ仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教と3つの宗教の為に作られたようだ。
他宗と混在しているのは世界的にも珍しいとのこと。
古代インドは意外と寛容だったのかもしれない。
石窟のうちナンバー30からナンバー34までのジャイナ教の石窟は他とは離れた位置にあるようで、まずそれを見に行くことにした。
僕たちは当然タクシーで向かっていたのだが、道中同じ方向に歩いている旅行者を随分見かけた。
後になって分かったことだけれど、ナンバー30の石窟までは結構な距離がある。
往復を考えるとやはりタクシーを使って移動するのが正解なのかもしれない。
程なくしてタクシーが止まった。
どうやらこの先にあるから見てこいとのことだ。
僕たちはタクシーを降りて向かった。
石窟。
最初に説明したとおり、一枚の岩山を繰り抜いて作る空間の事だ。
作るのには随分時間がかかることだろう。
実際ジャイナ教の石窟を見るだけでもその手間が分かる。
硬い岩盤をノミと金槌だけでこの広大な空間と装飾を作るのだから見事なものだ。
僕たちはしばらく石窟に魅了されて佇んだ。
しかしこの後、驚くのはまだ早かったことに気づく。
ジャイナ教の石窟を見た後、僕たちはタクシーで再び入り口まで戻る。
道中タクシーの運転手から軽く説明を受けたのだけど、ナンバー1からナンバー29までは歩いていける。
その中でも最高傑作なのがナンバー16なのだとか。
しかし決してナンバー16から先に見てはいけない。
なぜなら最初に見てしまうと他の全てが色あせてしまうから。
運転手は何度も告げた。
しかしそう言われると天邪鬼な僕たち、やはりナンバー16が気になってしまう。
そういうわけで僕たちは入り口から真っ先にナンバー16へと向かった。
ナンバー16は入り口のすぐそこにあった。
外から見ても明らかに目立っているし、観光客が多数群がっているのですぐ分かる。
早速中に入った。
「うわー、これは凄い……」
メテムが感嘆の声を上げる。
確かにこれは見事と言う他無い。
先に石窟の説明は書いたが、しかし実際自分の目で見ないことには、この圧倒的なスケールはとても伝わらない。
丁寧に二階層に分けて作られた遺跡は、その作りや配置が、柱までも見事に計算されて出来ている。
壁に描かれたレリーフも繊細で素晴らしいく、所々に置かれた像も厳かな雰囲気を纏っている。
出来上がるまで一世紀以上、親子孫三代に跨って作ったと言われるのも納得がいく。
見るものを飲み込む凄さとはまさにこの事だ。
しばらくはその凄さに圧倒されるようにして立ち尽くす。
そこにいるだけで遺跡が僕たちに迫ってくるように感じた。
時間にして5分程だろうか。
ようやく落ち着きを取り戻した僕たちは、内部を見学することにした。
そして勿論内部の様子も凄かった。
入り口の遺跡を抜けたところには巨大な広間のような空間が現れ、その中央にも立派な神殿が建っていた。
神殿へは岩で出来た通路で入り、中は階段で二階層へ上がることが出来た。
僕たちも上階へ登り、適当な場所で腰を落ち着かせることにした。
「しかし本当に見事だね、こりゃ」
タオルで汗を吹きながらメテムが呟く。
「そうだね、こんなのを岩繰り抜いて作るだなんて」
僕も水を口にいれながら答える。
「どんな奴が考えたんだろうね。まあ正気の沙汰じゃないよ、発想が」
「まあ、まあ、そのおかげで僕たちが今見れてるんじゃないの」
「でもさ、これ途中で削るところ間違えたらどうするつもりだったんだろ。途中から計画が変わったとか、ポキっと像を折っちゃったとか」
なるほど、言われてみればそうだ。
「どうなんだろうね。でもまあこれだけ広大だから何とかごまかせたんじゃない?」
「絶対これ途中で間違えた箇所あるよ」
そう言いながらメテムはキシシ、と笑った。
しばらく僕たちは見晴らしが良い場所で休んでいた。
遺跡を隅々まで見渡したり、下の階層にいる人を眺めたりしてゆっくりする。
さて、そろそろ他の石窟も見てみようか。
そう思ってメテムに話しかけようとした矢先、後ろから声が聞こえてきた。
「すいませーん」
振り向いてみると、現地の子供達が妙にテンションが高い状態でそこにいた。
その中の一人の青い帽子を被った少年が話しかけてきたようだ。
「何かな?」
「あのー、写真撮ってもらえませんか?」
ん? 写真? ああ、そういうことか。
「いいよ、カメラ貸してごらん」
旅をしていると写真を撮るのを頼まれることがある。
仲間内全員で写りたいから撮ってくれということだ。
勿論僕たちも他人に頼むことが多々ある。
この辺は旅人ならギブ・アンド・テイクの精神だ。
が、今回はなぜかどうも違うようだ。
子供達はキャッキャと盛り上がりながら僕とメテムの周りに集まってくる。
これじゃ写真が撮れないんだけど……と思っていたら、なるほど、そうではないらしい。
僕が写真を撮るんじゃなくて、僕たちと一緒に写真に写りたいとの事だ。
そんな珍しい格好をしてるのかな。
不思議に思いながら隣を見てみると、そこには赤い髪の毛をした可愛らしいメテムがいた。
なるほど、そういうことか。
わかってるね、インドの子供達も。
苦笑しながらも僕たちは一緒に写真を何枚か撮った。
その後も子供達から握手をねだられるなど、まるで芸能人のような扱いをされる。
不思議なものだ。
そんなに異人が珍しいのかな。
手を降って去っていく子供達を尻目にそんな事を考えていた。
子供達と別れた後、僕たちはナンバー16を出て他の石窟へと向かった。
要所要所にまとまりながら存在している石窟を虱潰しに覗いていく。
が、タクシーの運転手が言った様に、ナンバー16以外の遺跡はあまり大したものはなかった。
隣にいるメテムを見ても、明らかに退屈している。
端から端まで15分は歩いただろうか。
最後の方は僕も消化試合の感覚で、軽く中を覗いては出る、という感じになっていた。
「ユウキ、もうさ、16に戻らない?」
遂にメテムがそんな事を提案してきた。
「そうだね、正直あんま凄いのないね」
「うんうん、やっぱ運ちゃんが言うように、16は最後に見るべきだったかもね」
ケタケタと笑いながらメテムが言った。
「よし、んじゃ16に戻ってまた一休みしよう」
そう言うと僕たちはまた15分ばかり歩いてナンバー16の石窟へと戻った。
石窟に着くと先ほどとは別の見通しが良い場所に僕たちは腰を下ろした。
「ふいー、やっぱりここが一番見応えがあるわー」
そう言いながら腰を伸ばすメテム。
「なんていうかさ、ぶっちゃけこれだけあればいいよね」
「んもう、そんな身も蓋もないような事言っちゃって……」
メテムを非難はしたけれど、正直言いたいことは分かる。
それぐらいここの出来は突出している。
「でもさ、メテム。三代に渡って作ったっていうけど、死ぬまでこれを掘り続けてる気分はどうだったのかな」
「うーん、たしかにねえ。生まれてから死ぬまで掘ってると、これを作るために生まれたのかよ、とか思っちゃうかもね」
「あー、分かる分かる」
「まあでも敬虔な信者だったら、こういう作業に従事しているのが、それ即ち無常の喜びと感じるのかも?」
「それも分かる。彼らにとっては誇りなんだろうね」
そんな他愛もないやり取りをしながら僕たちは体を休めた。
どれ位休んだろうか。
あまりタクシーを待たせるのも悪いからそろそろ行こうか、そう提案しようとメテムを見ると、どうも雰囲気がおかしい。
真剣な目つきである一つの方向を見つめているのだ。
一体何があるんだろう。
見つめる先を追ってみると、先程写真を頼まれた青い帽子の少年が、二階の窓の縁に立っているのが見える。
どうやら友達の写真を撮ろうとして登った様だ。
外側を見ずに、内部を向きながら写真を撮ることに熱中している。
「ちょっと、あれ、危ないんじゃない?」
そうメテムに問いかけるも、メテムは返事をしない。
そうこうしているうちに少年はさらに後ろに進もうとしている。
「あっ」
少年が縁からバランスを崩したのと、メテムが飛び上がったのはほぼ同時だった。
少年はここでようやく気づいたのか、縁に足を少しだけ残した形で空中に手をバタバタと降っている。
メテムを見ると腰に引っ掛けていたマスクを被り、呪文書を手にしていた。
「……テレポート」
何かを口ずさんだと思った途端、メテムの姿が消える。
すぐに少年の方を見ると、完全に落ちかかっている少年を抱きかかえるようにしてメテムがいた。
それからまたすぐにメテムと少年の姿がぱっと消える。
辺りを探すと、近くの一階の地面に二人の姿を見ることが出来た。
ホッ……。
何はともあれ無事なようだ。
僕は胸を撫で下ろした。
少年はマスク姿のメテムを見て驚いていたようだが、マスクを外して赤い髪の毛が見えると、ようやく安心したようにメテムに抱きついていた。
「ユウキ!」
僕の方を見て手招きをするメテム。
「ちょっと待っててー」
大声で応えながら僕はメテムの方へと向かった。
一階に着くと、少年はもう落ち着きを取り戻していたようだ。
「もう危ない真似しちゃダメだぞ」
そう諭すメテムに笑顔を向ける少年。
お礼をメテムに告げると、元気よく仲間の元へと戻っていった。 それを見送った後、僕たちも帰路へ着いた……。
「しかしメテムお手柄だったねえ」
帰りのタクシーで僕はメテムを褒めた。
「フフン」
得意そうに顔を向けるメテム。
「まあね、ああいう場面こそ魔法の出番だからね。せっかく素晴らしい遺跡もあることだしさ、素敵な一日で終えたいのよ」
そんな事を呟きながら、メテムはマスクを触った。
素敵な一日、か。僕はエローラの遺跡を思い出しながら、体を休めた。