夜行列車
今日は丸一日移動日だ。
行き先は旅の目的地、ガンジス川のあるバラナシ。
バックパッカーの聖地とも呼ばれる地へ遂に足を踏み入れることになる。
移動手段は……なんと寝台列車。
そう、今回は飛行機ではなく、旅情を出すため敢えて列車を選択した。
音に聞くインド列車と言えば、遅延やら事故やら犯罪やらでろくな評判を聞かない。
が、これで旅をしないとインドを理解できないとまで言われた代物だ。
不安も勿論あったけど、それ以上に興味が優った。
取りづらいと言われる寝台列車のチケットも事前に購入済みだ。
AC付きのファーストクラス。
幾らだったかな。
確か一人1800ルピー程だった気がする。
ただ、発券自体は数日前に出来るのだけれど、座席はその時点ではまだ決まっていないので、発車時刻2時間前に一度駅に行かなければならないシステムの様だ。
今回は列車時刻が20時20分だったので、僕たちは18時頃駅へ向かった。
駅の二階の分かりづらい場所に外国人専用窓口があるのでそこで駅員に問い合わせる。
すると僕たちのチケットを見て「キャビン1」と伝えてきた。
「キャビンだって? もしかしたら一部屋独占ってこと?」
メテムが興奮したように言う。
「どうかな、そんな豪華な列車じゃないみたいだけど?」
「うわー何にしてもワクワクしてきたー」
はしゃぐメテムを前に、僕も興奮が隠しきれなかった。
もしキャビン丸ごと貸し切りなら、美味しい物でも食べながら旅の風景見れるな~なんて。
ははは。
そんな感じで僕たちはソファーに座って時間まで一休みをした。
そして列車が来るであろう時刻の20分前、準備をして一階の時刻表をチェックしにいく。
するとそこには「遅延23:10」という文字が並んでいた。
「あちゃー、やっぱ遅延するわけね」
メテムが苦笑しながら呟く。
……ま、まあここまでは勿論想定済みだ。
遅延がある意味代名詞となっているインド列車で時刻通りに来てはむしろ面白みがない。
そう思い僕たちはまた二階へと戻った。
3時間ほどソファーで待機した後、二度目の正直とばかりに僕たちはまた時刻表を見に行く。
予定通りならばそろそろ着く頃だ。
が、またしてもそこには「遅延0:30」の文字が。
横を見ると明らかに疲れているメテムが見える。
勿論それは僕も同じだった。
そろそろ本当に来てもらいたい。
そう思いながら何とか我慢して待機していると、ようやく文字が「遅延」から「到着」に変わった。
「やった!」
歓喜の声を上げる二人。
だが、ここからがまた辛かった。
まず列車が0:30分に到着するようなので、0時頃に僕らはホームへ向かった。
辺りはもう深夜なので真っ暗。
それにも関わらずホームはインド人で埋め尽くされていた。
大半がホームに座ったり横たわったりしていて、正直足の踏み場もない状態だ。
アジア人の僕が珍しいのか、皆して僕のことをギョロギョロと見つめてくる。
中にはわざわざ僕のそばまで来てつばを吐いてニヤニヤする人もいる。
極めつけは喧嘩でもしてるのか怒号が聞こえてきて、血だらけの人が木の板に載せられてどこかに運ばれていくではないか。
これは正直怖い。
そんな状態で僕は何とか自分たちの車両番号を探そうとした。
が、電子案内板の表記がどこもバラバラで何一つ参考にならない。
見る度見る度、前後が逆になってたりして分からないのだ。
「もしこのまま乗れなかったらどうしよう。インド人に襲われでもしたら……。周り誰一人味方もいないし……」
雰囲気に飲まれて嫌な想像ばかりが頭を埋める。
「僕はともかく何としてもメテムだけは守ってやらねば」
そう思ってメテムを抱きかかえるようにしてホームを進む。
しかし行けども行けども肝心の場所がどうしても見つからない。
そうこうするうちに時刻が0:30に近づいてくる。
まずい、これは本当にまずい。
焦っていると、誰かが僕の服を引っ張った。
驚いて振り返ってみると反対側に停まっていた列車の窓から子どもたちが服を引っ張っているではないか。
しかも隣に座っている親と思われる人物は僕のことを指差して笑っている。
も、もうこれは限界だ。
「メ、メテム、怖くない? 大丈夫?」
僕は自分の不安を誤魔化すようにしてメテムに聞いた。
「ん? 何が?」
「いやこの雰囲気がさ」
「雰囲気? いやむしろ面白い感じで楽しいんだけど。まさにインドってみたいで」
「え、そうなの?」
「うん、全く問題ないよ」
「そ、そうか、でも暗くて不安にならない?」
「んー、私は平気かな。結構夜目が効くし。でもユウキ、暗くて怖いなら魔法かけてあげようか?」
「え、そんなの出来るの?」
「うん、そういう魔法があるよ。ちょっと待ってな」
そう言うとメテムはカバンから魔法書を取り出した。そして僕の頭を触りながら呟く。
「……ムニョムニョ……ナイトサイト」
するとどうだろう。
メテムが一声かけたところ、僕の視界が一気に明るくなった。
今まで深夜で真っ暗だったのに、今度は夏の晴天日の様な風景が広がる。
「うは、これは凄いね!」
「だろ、これ夜に結構便利なんだよ。ただまあ問題点が一つあってね、それは……」
「いやいや、いいよいいよ。これ最高。はっはー、これで怖いものは無くなった」
そう、今までは真っ暗の中でインド人の目だけがギラギラ光り、もう不安でしか無かった。
しかし今となっては、明るい空の下、皆で列車を待ってるだけにしか過ぎない。
僕は俄然やる気を出してホームを進む。
余裕が出てくると頭も回る。
何度かホームを端から端まで往復したところでようやく概要がつかめた。
車両番号が乗っている案内掲示板の表示は、おそらくホームとは逆になっている。
なので物理的な方向は気にしないで、車両番号の並びだけ参考にし、実際の方向はホームにある要所要所の看板を見ろってことの様だ。
それから何とかして自分たちの車両の場所を見つけた。
時間にして、列車が来る数分前の事だった。
0:30分から大幅に遅れて列車が来ると、僕たちは勢い良く列車に乗った。
そしてキャビン1を探して入る。
期待して入った中には、豪華なベッドとプライベートトイレに洗面台、オシャレなテーブルや椅子等は一切なく、小汚いベッドが前後上下に計4個並んでいるだけだった……。
「たはー、やっぱりこうかー」
部屋を見るなりメテムが声を上げた。
「ま、まあしょうがないよ。むしろほら豪華寝台列車だったら拍子抜けするじゃん?」
「そうだね、私は別にこういうのも気にしないよ」
「これ、キャビン1としか書いてないけど、どれが僕のベッドなのかな」
「んー、多分好きなところ座っていいんじゃない? 私上がいい!」
そう言いながらメテムは自分の荷物を左側の上のベッドに投げた。
そしてベッドの脇にあるくぼみを使って身軽に上に上がる。
「わー、なんだかこの感覚ワクワクするねえ」
「分かるね、寝台列車ってだけで浪漫があるのに、それもインドだからね」
僕は下のベッドに荷物を置いて腰を下ろした。
ベッドには敷物みたいな袋が置かれていた。
開けてみると、シーツが2枚と毛布だった。
流石にファーストクラスだけあってサービスがいい。
セッティングをしていると扉を開ける音が聞こえた。
振り返ってみると僕らのような若いカップルが入ってきた。
「こんばんはー」
上からメテムの元気な声が響く。
相手もちょっと驚きながらも返事を返してくれた。
軽く話をするとドバイから来た旅行者のようで、僕たち同様バラナシへ行くんだとか。
安心できそうな人みたいで、僕は少し胸を下ろした。
荷物の整理をしていると、上からメテムが飛び降りてきた。
脇についてるハシゴはもう使わなくなったようだ。
「どうしたの?」
「ん、もうセッティング終わったからさ。というか上はあれだよ、窓がないんだよ」
「そうなの?」
立って覗いてみると、確かに窓がない。
そのかわりACが近いので快適そうではある。
が、確かにこれはメテムにとっては退屈だろう。
「だからさ、暇じゃん」
そう言って僕のベッドに座る。
もしかしたら下のベッドは、腰掛けられるし、窓もあるし、当たりなのかもしれない。
そう思いながら外を眺める。
まだ列車が発射していないのでデリーのホームしか見えない。
僕は魔法のおかげでホームが見えるけれど、おそらくメテムの目ではそれすらも見れていないのではないか。
魔法ってのは本当に便利だ。
そうこうしているうちに列車が急に動き出した。
ホームが徐々に離れていく。
何とかこれでバラナシへ向かうことが出来そうだ。
一息ついていると、車掌がチケットのチェックにやってきた。
チケットを見せると次のキャビンへと移動した。
それから鍵をかけて、ようやく一休みだ。
落ち着いた僕たちは、4人で他愛もない話をして時間を潰した。
ドバイの彼はインド語が分かるようで、バラナシへ着く時間が分かったら教えてくれるとのことだった。
時間を気にしていただけにとてもありがたい。
程なくして、3人がはっとしたような顔をして天井を見上げた。
おそらく列車の通路の電気が消えたのだろう。
心なしか辺りの雰囲気も静まりだした。
僕らも誰からともなく各自のベッドに戻り眠ることにした。
が……ね、眠れない。
そう、体は疲れて眠いのだけど、先程メテムにかけてもらったナイトサイトの魔法のせいで、明るすぎてとても寝れないのだ。
何とか頑張ってリラックスしても、どうしても無理だ。
ギンギラギンの中で横になっている感じがする。
というか効力がすぐに切れると思っていたのだけれど、こんなにまで持続するとは思わなかった
さて本当にどうしよう。
メテムはというと、もうすでに寝息が聞こえてくる。
うーん……。
しばらく悩んだ末、申し訳ないけどメテムを起こすことにした。
「メテム、メテム」
ベッドの脇からメテムを揺する。
「う~ん、う~ん」
可愛い声を立てるもなかなか起きない。
「メテム、起きて、ねえ起きてってば」
激しく揺する。
するとようやくボンヤリとメテムが起きだした。
「なんだよ、一体全体。眠いんだからもう寝ろよ」
「いやそれがさ、明るくて眠れないの」
「そりゃナイトサイトがかかってるからね」
「これさ、何とかならない?」
「うーん、眠い……」
「ちょっと、頼むよ」
このままだとまた寝てしまいそうだったので、慌てて揺すぶる。
「うるさいな、何ともならないよ。我慢して寝な」
「え、本当? 消せないの?」
「消せないよ。半日したら効力がなくなるから、安心して……」
「いやいや、安心してって、遅いってば。ちょっと、メテム!」
「んもー、なんだよ五月蝿いなあ」
そう言ってメテムは僕に背を向けた。
「頼むよ、んじゃさ、なんか無い? 眠らせる魔法。ほらよくゲームにあるじゃん、スリープみたいなの」
「無いよ、そんなの無い無い」
手をヒラヒラと振るメテム。
「そんなこと言わずに、ほら魔法ありそうじゃん? 頼むよ」
「あー、もう五月蝿いなあ」
いうやいなやメテムはベッドから降りてきた。
ほっ、これで眠れる。
そう思ってメテムを見ていると……。
「歯、食いしばって!」
「歯?」
「いくよ!」
そう言いながら拳を構える。
「え、ちょっと、魔法は? 呪文書持たないで大丈夫なの?」
焦るようにして話しかける僕にメテムは大声で応えた。
「スリープ!」
大声とともに振り落とされた拳は、ピンポイントで僕の顎にヒットした。
そして急速に落ちていく意識。
「……ったく」
最後に聞こえたのはメテムのそんな呟きだった……。
再び僕が目を覚ました時、すでに他の3人は起きていた。
ドバイのカップルは下のベッドで仲良く座っており、メテムは僕の横に寝転がりながら話しをしている。
「おっ、ようやく目が覚めたか」
僕を見てメテムが言う。
「……おはよう」
非難がましい目を送るも、あっけなく無視された。
「ユウキ、バラナシに着くの15時頃だってさ」
「え、そうなの? そんなズレこむの」
「らしいよ、彼が車掌に聞いてくれたから間違いない」
なんてこったい。
時計を見るとまだ朝の9時頃だった。
あと6時間もあるのか。
ゆっくりと横になって目を覚ましていると、3人が何かを飲んでいるのに気づく。
「メテム、何飲んでるの?」
「ん、チャイだよ」
「チャイ?」
「うん、さっきチャイ屋が回ってきたのよ。一杯10ルピーだってさ」
「へー、そうなんだ。それなら飯も届いたりするのかな」
そんな感じでお腹を空かせながら待っていると、扉がノックされた。
カーテンを開けて覗いてみると、待望の飯売りの様だ。
歓迎して中にいれると、アルミホイルの四角いボックスを出してきた。
一食60ルピーとのこと。
勿論4人共購入。
早速蓋を開けてみると、食パンが2枚箱に収まっていた。
食パンをのけると下にはオムレツがあるのが分かる。
ご丁寧にバターとケチャップまで付いてたので、僕たちは各々パンに挟んでそれを食べた。
地味な食事だが、窓の景色を眺め、そしてインドの寝台列車で食べるという雰囲気が、それを何倍にも美味しくしていた。
そういう風にして僕たちは列車で時間を潰した。
途中昼食を車内でまた購入した。
今度は120ルピーと高かったが、卵が丸々入ったカレーと食パンがあって、とても美味しかった。
そして最後までインド列車っぽく、何度か遅延が発生したが、18時頃、僕たちは遂に目的地のバラナシへ到着した。
ドバイのカップルに別れを告げ、列車を降りる。
降り際に車掌が僕に向かって言った。
「おまえは一体なんで列車でわざわざ来たんだ? 飛行機なら一時間で来れるのに」
分かってるよ、確かに飛行機ならあっという間だ。でも列車で来るからそこにしかない体験が出来るだろ?
車掌に向かって僕は笑顔を見せ、出口へと向かった。
そのようにして僕たちは遂に旅人が最後にたどり着く地、ガンジス川のバラナシへたどり着いた!