第二話:疑問
紅蓮がちょこんと机の上に乗ったのを見て、朱鳥は窓を閉めた。
数学の参考書を物珍しそうに見ていた紅蓮の視線が、机の上に出しっぱなしだったチョコレートの箱で止まる。
「……夜分にこのようなものを食べて、問題はないのか」
ぽそりと呟かれた言葉は遠回しに、夜にこんなものを食べると太るぞ! と言っている。わりとはっきりとものを言うことが多い紅蓮がこんな婉曲的な物言いをするのは珍しい。ふとそんなことを思いつつ、チョコレートに手を伸ばす。
「頭使った時って、甘いものが欲しくなるものなのよ。勉強の気分転換にもなるしね。それに、試験中でもトレーニングは欠かしてないから、これくらい食べても問題ないよ! ……たぶん。あ、レンちゃんも食べる?」
興味がありそうだったので冗談半分でそう尋ねてみたところ、意外にも紅蓮はこっくりと頷いた。
「うむ、せっかくだ。いただこう」
自分から提案しておいて何だが、食べれるの!? と思いつつ、チョコレートをひとかけら差し出す。すると、紅蓮はそれを足でつまんで器用に食べだした。
そして、ふむ……これはなかなかいけるな……と呟いている。チョコレートの味がお気に召したらしい。
「……焔魔って……食べ物、食べるんだ……」
何だかものすごい衝撃を受けながらそう呟くと、紅蓮が顔を上げる。
「まあ、普通の焔魔は食わんだろうな。だが、自分は日頃実体化している故、かなりのエネルギーを消費するのだ。刀夜殿との契約により完全にエネルギーを使い切ってしまうことはないが、自力で補給するに越したことはなかろう。こういった食物はエネルギー補給に役立つのだ。よって、エネルギー補給のために食事をとるようにしているのだ」
どうだ勉強になっただろうと得意げに言う紅蓮に、くちばしがチョコまみれだよと教えてあげた方がいいかを悩みながらも、朱鳥は感心したように頷く。
「へぇ、そうなんだ」
朱鳥には、契約焔魔に関しての知識はほとんどない。そもそも焔薙ぎと契約を交わすことが出来る焔魔の数自体がかなり少なく、契約焔魔の存在すら知らない焔薙ぎだっているだろう。
朱鳥も祖母から、焔薙ぎと契約をする焔魔もいると聞いたことがあるくらいで、実際に目にするのは紅蓮がはじめてだ。
「……さっき、随分遠回しな言い方してたけど、なんで?」
契約焔魔については興味があるので、紅蓮に色々聞きたいところではある。しかしいきなり突っ込んだ話を聞くのはどうかと思うので、先ほど疑問に思ったことを聞いてみると、紅蓮はああ……と呟いて、どこか遠くを見るような目をした。
「……まだ、刀夜殿がフリーになる前のことなのだが……。安曇殿が夜に酒のつまみに甘いものを食べだしたことがあってな……」
その時の光景を思い出しているのだろう。紅蓮は目を細める。
「それを見ていた刀夜殿が言ったのだ。……夜にそんなに酒飲んだり甘い物食ったりしてると、太るぜー……と」
ああ、デリカシーのないあの男ならば言いそうだ。その光景が簡単に想像できた朱鳥は、呆れ気味な表情になりながら、そんな感想を抱く。
「……あの後の安曇殿の笑顔と地獄の猛特訓は凄絶なものであった……。それで、自分は学んだのだ。おなごには言ってはいけない言葉があるのだと。……安曇殿にも、刀夜殿と一緒に散々叩き込まれた……。あれは、とんだとばっちりであった……」
そう言って、紅蓮はふっとたそがれた。きっと言葉に出来ない色々なことがあったのだろう。
「……なんか、話を聞いていると安曇さんがどんな人なのかよく分からなくなってくる……」
女性でありながら最強の焔薙ぎと称される人。朱鳥の憧れであり、目標だ。その思いは少しも変わらないが、刀夜や紅蓮の話を聞いていると何だか複雑な気分になってくる。
「……安曇殿は……そうだな、一言で言うなら……すごい女性だ」
それは刀夜や紅蓮の話を聞いているだけで、ひしひしと伝わってくる。
「独立したとはいえ、安曇殿は刀夜殿の師匠だ。いずれ会うこともあるだろう」
うん、と頷いて朱鳥はコーヒーを手に取ると紅蓮を見た。
「レンちゃんは、安曇さんと一緒にいたことがあるんだよね? あいつとレンちゃんが契約したのが先だったの?」
「いや。刀夜殿が安曇殿の元で焔薙ぎの修行をしている時、自分と刀夜殿が出会ったのだ」
「そうだったんだぁ」
朱鳥は頷いてから、ちらりと紅蓮に視線を向けた。ちょっと聞きづらいなぁと思いつつも、結局疑問は口を出る。
「レンちゃんは……契約している焔魔、だよね。……焔魔が焔薙ぎと契約するのって……何か条件とかあるの?」
朱鳥の言葉に、紅蓮は数度瞬いた。
「なんだ、小娘。契約焔魔に興味があるのか? まあ、学ぶ意欲があるのはいいことだがし、知っておく必要もあるだろうな。将来の伴侶である刀夜殿が自分と契約をしているのだからな」
うんうんと頷きつつの紅蓮の言葉に、朱鳥は一瞬不快そうに眉をしかめる。
だが、刀夜と婚約関係にあるのは事実であり、紅蓮の言葉はなにひとつ間違ってはいないのだ。
「……まあ、うん。焔薙ぎとしての勉強になりそうだし。話していいと思う範囲だけでいいから、教えてくれる?」
それでも不快感よりは好奇心の方が勝って、朱鳥は少しだけ身を乗り出してそう聞くと、紅蓮は姿勢を正してごほんと咳ばらいをした。
「よかろう。では心して聞くがよい」
「はい、先生」
カップを机に置き居住まいを正す朱鳥に、紅蓮は満足そうに頷く。
「うむ。……小娘、おぬしも焔薙ぎならば知っておろう。焔魔が生まれる、そのわけを」
朱鳥は無言で頷く。焔魔とは、恨みや悲しみなど負の感情を抱いたまま死んだ生き物の魂が、炎をまとって蘇った存在。焔薙ぎが一番に教わることだ。
そこまで考えて、朱鳥は目を見開いて紅蓮を見た。
今まで、考えもしなかったけれど、紅蓮だって契約しているとはいえ、焔魔だ。
ならば彼が生まれたきっかけも、負の感情によるもののはず。
分かり切ったことなのに、何故かそこまで考えが及ばなかった。
そんな朱鳥の思考を知ってか知らずか、紅蓮はふと朱鳥から視線を逸らし、遠い目をした。
「焔魔は、負の感情から生まれる。その中でも、焔薙ぎと契約できる焔魔はほんの一握りなのだ。故に、契約焔魔の数は少ない。……何故だか、分かるか?」
「ううん」
朱鳥は素直に首を横に振った。契約できる焔魔が少ないと言うのは知っていたが、その理由など考えたこともなかった。所詮、自分には関係のないことだとそう思っていたから、知ろうともしなかった。
「……焔魔が焔薙ぎと契約するのに絶対に必要な条件がひとつだけある。……その焔魔が、焔魔を憎んでいること、だ」
朱鳥の目が大きく見開いた。その言葉の意味することは、つまり。
朱鳥の表情で言わんとしていることを察した紅蓮が、こくりと頷く。
「そうだ。……焔魔を憎むがゆえに、焔魔になった。焔魔を滅ぼすことこそ、我が願い。ゆえに、刀夜殿と契約を交わした。……刀夜殿が、自分と同じ願いを抱いていたからだ」
思いもよらないその言葉に、朱鳥は無意識に息を呑んでいた。