第三話
それは唐突にそして当たり前のように俺を襲った。体からは冷汗が止め処なく溢れ、視界は絶え間なく揺れ動き足元も覚束ない。次第に立てなくなった俺は膝をつき口元を手で押さえて必死にその言い表せぬ何かに耐える。揺れる視界の隅で俺と同じように蹲る由香梨の姿が見えた。俺は必死に由香梨に手を伸ばす。由香梨も俺に縋るように手を伸ばしそして互いにしっかりと握りあう。その瞬間俺と由香梨の間で何かが流れた。
それは温かく、そして同時に強い力となって俺達の間を流れ、満たし、俺達を苦しめていた何かを追い払ったような気がした。何が起こったのかは分からなかったが俺は頭を振り、今だ安定しない視界を強引に戻し、胸の上に手を置いて呼吸を整える。由香梨も大きく深呼吸して整えている所だ。しばらく俺達はそうやって体調を整え、収まってきた所で口を開いた。
「一体何だったんだ?」
俺は正常に働くようになった頭で考えながら立ち上り、由香梨に手を差し出す。その手を掴み由香梨も立ち上る。
「分かんないけど……なんか変な感じがする……」
「変って何が?」
「うーん……ごめん。明確には分からないけどでもなんか喉に魚の小骨が引っかかってるみたいな小さな違和感があるの」
首を捻る由香梨。どうもその違和感が気になってすっきりしないみたいだ。
「とりあえず学校に行こう。学校が終わっても体調が戻らない場合は病院に行った方が良い」
「病院なんて大げさだな~」
朗らかに笑う由香梨。確かにその顔色は少しずつ戻ってきて調子が悪いようには見えない。だけど俺と由香梨が通学路の大きい通りに差しかかった時俺はその眼に映る光景を疑わずにはいられずまたこれが由香梨の感じていた違和感の正体だと直感した。
「ねぇ真これ一体どうなってるの?」
由香梨も相当パニックっているのか俺の袖をグイグイ引っ張ってくる。
「俺に聞かれても困るんだけど」
大通りは通学途中の学生や通勤途中のサラリーマン。行き交う車でごった返していた。その光景だけならごく普通の日常風景で済んだかもしれない。しかし俺達の前に広がる光景、それは静寂、それは異質、それは拒絶、すべてのものがすべての例外もなく止まっている。人も車も風になびいている木々でさえもその姿のまま動くのをやめている。そんな中を俺達二人は周りに視線を巡らせながら歩いて行く。
「真何で皆止まってるの? 何で私達だけ動けてるの? 何で、どうして!?」
由香梨は上ずった声で何で、何でと繰り返し俺に答えを求めるように尋ねる。そんな由香梨に俺は落着かせるためにちょっと強めの声で言う。
「由香梨。確かにこれはおかしい。だけど今俺達にはこの状況をどうにかしようにもなぜこんなことになっているのか、原因が全く分からない。圧倒的に情報が足りてないんだ。だから今はどうしようもないよ」
俺は眉根を寄せ考えながら一つ一つ由香梨に言い聞かせていく。俺の言葉が由香梨に届いたのか、不安げに揺れていた由香梨の瞳の揺れが次第に落ち着き、その瞳に強い輝きが灯る。
「それは……そうだけどでもこんなの放って置くことなんて私にはできないよ」
由香梨は持ち前の正義感をフル活動して正論を並べ立てる。そんな由香梨に俺は冷静に言い返す。
「由香梨落ち着いて。まだどうしようもないけど何もしないとは言ってないだろ」
「えっどういう事?」
「だから、この現象を解明して原因を突き止めて元に戻すって言ってるの」
俺は由香梨が望むだろう言葉を言ってあげた。その言葉を聞いた由香梨は嬉しそうに顔を綻ばせ笑う。
「そうでなくっちゃ、さっすが真、私の幼馴染だけのことはあるわね」
由香梨は笑いながら俺の背中をバシバシ叩きまくる。
「痛いって由香梨。そんなことよりそろそろ行くよ」
そういって俺は由香梨に手を差し出す。その手を由香梨はしばらくの間凝視し頬を赤く染める。
「どうしたの? 行くよ」
俺はそんな様子の由香梨に首を傾げながらも手は引っ込めない。由香梨はその後もしばらく俺の手を凝視していたが決心したようにその手を取って走り出す。
「さっ、行こう真」
由香梨は思いっきり走りだし俺を引っ張りながら駆けだしていく。俺は由香梨のいきなりの奇行にびっくりしたがそれでも聞かないわけにはいかなかった。
「由香梨いきなりどうしたんだよ?」
それに対しての返答は照れを隠した笑い声だった。
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