第三十話
凛としてどんな雑踏の中でも場を静めさせる力を持った声。その涼やかな風のような声は正しくリンカの声だった。
リンカの呼び掛けに答えるようにジャッカの握る水の斧が繋がりを解きただの水に戻る。
「あんた達よくも手の込んだ事してくれたわね」
リンカが私の傍を通りフルーネとジャッカの方に近づいていく。その声には怒気が孕み、一瞬見えた眼光は恐ろしいまでに細められ、相手を射殺さんばかりに鋭かった。
「あなた、あの結界をこの短時間で破って来たというの!?」
「結界、あんなもんものの三十秒でぶっ壊してやったわよ。それよりもあんた達が放っておいた使い魔の方が辟易したわ。流石にあの量を殺るのは時間を喰わされた」
どうやらリンカはフルーネ達の罠に嵌り足止めをされていたらしい。良く見ればリンカが戦闘の時に羽織っているマントの所々が焦げ、腕からは流れ出た血が地面に染みを作っている。
「今、私の兄妹がこっちに展開していた〝犬蛇〟を全て狩り尽くしてるとこよ。じきにこっちに来るわ。
どうするもうこっちに来ないというなら情けをかけて見逃してもいいわよ」
「ふざけたこと言わないで下さる。確かにこの短時間で五百もの使い魔を葬りこちらに辿り着いた事は驚
愕に値しますが使い魔は所詮使い魔、私達魔法使いの方が強いのは当たり前の事です。しかもいずれ増援が来るとはいえ今はあなた一人こちらは二人いるのです。こちらが有利なのは言わずもがなですわ。ジャッカサポートお願いしましたわ!」
「もちろんだよ。フルーネ」
フルーネがリンカに突っ込む。
「今……私……機嫌悪いの。殺すよ」
リンカは一瞬でフルーネの懐に飛び込み、拳底を顎に放ち、続けて上がった顔に向かって踵落としを放つ。だが手で防御され払われる。けど払われた力を利用し空中で捻り腰に蹴りを入れた。そのままフルーネの体は空中を滑り、横に飛んでいく。
「フルーネ!」
ジャッカが焦った声を上げる。リンカのつま先が地面に着いたと思った瞬間その時にはまたリンカの姿は消えている。
「あんたの相手は後にしてあげる。恋人が惨めにボロボロにされる姿をそこで眺めてなさい」
いつの間にかリンカはフルーネが飛んでいった先にいる。だがフルーネもやられてばかりではない。その瞳には闘志を残している。
「なめないで!」
先程までのフルーネの余裕はすっかりなく喚きながら電光を身に纏う。
「ハッ」
リンカはフルーネの抵抗を鼻で笑い飛ばし、電流など関係なく殴りジャッカの方に飛ばした。ジャッカは両手を広げ、受け止める。そしてフルーネの顔を覗きこみながら叫ぶ。
「フルーネ! フルーネ大丈夫か!?」
ボロボロに傷ついたフルーネにジャッカはその形相を鬼のように変え、今すぐにでもリンカに飛びかかって行きそうだ。だがフルーネがジャッカの袖を引き、残りの力を振り絞り首を横に振る。
「さっさと引きなさい。私も二人の治療をしたいから見逃すわよ」
リンカは一瞬、私達の方を向き、微笑んだ。その顔はいつものリンカの顔に戻っていた。
「俺達は絶対に諦めないからな。必ずお前を殺しにきてやる」
「消えろ。気が変わる前に」
ジャッカは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、眼光だけは衰えずリンカを睨み続け下から水が持ち上がり二人を包み込むと弾け雫となりその姿を消していた。
しばらくリンカはジャッカがいた場所を睨みつけていたが深い溜め息を一つ吐いてこちらを向いた。剣呑な雰囲気はなりを潜めいつものリンカの姿がそこにある。
「二人とも災難だったわね。昨日に続いてまさか今日も巻き込まれるなんて」
私は起きようと試みるが未だに四肢に力は入らず、どうする事も出来ない。
「ああ無理しないで。相当なダメージ負ってる筈だから。先に真の方をどうにかするからちょっと待ってて」
そうだ。真はまだあの黒い炎を出し続けている。敵が居なくなってもずっと。
「意識を失ってるわね。とりあえず簡易結界を敷いてこれ以上広がらないようにしましょう」
リンカは真の上に手を翳し何事かを呟くと真を囲むように蒼色の魔法陣が現れて包み込む。
「後は私の手には負えないわね。コウとホタルが来るのを待って施すとしましょう。由香梨、次はあんたの治療をするわね」
私の上体を抱き上げ、手に白光の光を灯し、傷の酷い患部に当てて行く。リンカの手は春の陽気のような心の芯まで温めてくれるような温かい手だった。
「ごめんね由香梨。今ここで完璧に傷を防ぐことは私には無理。あくまで応急措置だからしばらく痛いでしょうけど我慢してね」
自分の事の様に辛い顔をしてるリンカ。私は彼女のその顔を見たくなくて少しでも安心させてあげられるように微笑む。今だ体も声も出せない私にはこれが出来る精一杯。
その意図が伝わったのか伝わらなかったのか正確には分からない。けどリンカは一つありがとうと呟いた。
「皆さん、大丈夫ですか!?」
ホタルがいつもではありえない焦った様子で駆けてくる。
「ホタル、コウは? 真がちょっと暴走してるから抑え込まないといけないの」
「すぐに来ると思います。来るまで私が見ていますのでそのまま由香梨さんの治療をお願いします」
ホタルは真の元に駆け寄り懐中から刀を取り出し、掲げ持ち顔の高さまで上げ眼を閉じる。その姿は神々しく神に祈りを捧げる巫女の様にも見える。それから私はリンカに治療されながら数分が経過した。
「ごめん遅れた。二人共無事?」
最後に公園に隣接する家の屋根の上からコウが飛び降りてくる。
「コウ待ってたわ。真の魔力を抑えつける。力を貸しなさい。由香梨ちょっと待っててね」
私を抱え起こし木の幹まで運ぶと木を背もたれにして座らせる。
「やるわよ」
リンカも刀を掲げ持ち眼を閉じる。コウもそれに習い同じようにする。
【我等は願い請う
世界の平穏 世界の平和
個の安らぎ 個の日常
我らは導き手 我等は守り手
ゆえに静謐 ゆえに静寂
決して壊れる事のない希望をここに】
〝願い望まなくては見えぬもの(セス・ラスジ・ソレリク)〟
真が放つ黒い炎に被さる様に淡く光る霧のような物が覆い被さり黒い炎を押し込んで行く。霧が全てを覆い終わると黒い炎は鳴りを潜め、穏やかな顔で寝息を立てている。
「ふー真の潜在能力は恐ろしい物があるわね」
「ですが喜ばしい事でもありますよ」
ホタルが真にリンカが私にしてくれたように治癒を施しながら呟いた。
「だけど感情の制御が出来ないのは魔法使いとしてはダメじゃない」
いつもの飄々としたコウの言葉、だけど今の言葉は辛辣だけど言い得ぬ悲しみが含まれていた。リンカがこっちに来ながら、
「それは私達が教えてあげればいいわ。それまでは私達が守ってあげればいい。戦いこそ私達の運命でしょ」
「リンカさん腕の怪我の方は大丈夫なんですか?」
「こんなんほっときゃ治るわ。それより先に由香梨達の方が先でしょ。少しは楽になってる?」
また治癒を施しながらそう聞いてくる。私は頷いて答える。
「二人を学園の保健室に運びましょう」
「分かりました。私が開きますね」
〝開門〟
学園に通じる門を開け、向こう側から担架を担いだ人達が出てきた。
「あとお願い、後でお見舞いに行くから」
担架に乗せられた私達二人にそう言うとリンカは今だ時が止まり続けたままの動かす呪文を一つ呟いた。それは命の遣り取りが終わったことを告げる世界が軋む心地よい音ではないはずなのになぜか安心する音。
〝刻み始める歯車〟
私はリンカの声で紡がれたその呪文を聞いた瞬間気が抜けてしまって私はそこで意識を手放した。
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