第二話
俺はいつもの場所でいつもの時間に幼馴染を待っていた。だが意識は今手に持っている本に向けられている。花柄の薄い黄色で統一されたブックカバーに入れられた文庫本。タイトルは『一欠けらの奇跡』病魔に苦しむ幼馴染の女の子を主人公の男の子が励まし、二人で苦悩し、最後には病魔に打ち勝ちハッピーエンドを迎えるストーリー。一昔、女の子の間で流行った小説らしい。だが俺はこれを買った記憶も貰った記憶もない。
いつの間にか俺の手元にあり、この本を眺めていると懐かしくなると共に自然と目頭が熱くなり涙を零してしまいそうになる。それにこの本を眺めていると時々頭の中を誰かが叩くみたいに激しい頭痛となって俺に何かを訴えかけているように感じることもある。今日は大丈夫みたいだなっと、そんな事を考えている内に約束の時間になっていたようで遠くから明るい声が掛けられる。
「真~」
俺が顔を上げると元気を周囲に振り撒きながら走り寄ってくる幼馴染の姿があった。俺の前に来た彼女は幼馴染の由香梨、亜麻色の髪をセミロングに伸ばし、オフゴールドの瞳が少し垂れ気味で柔和な表情を作っているが鼻や唇、雰囲気から活発な子という印象を人に与える。
「おはよう真」
いつものように元気に挨拶してきた由香梨。
「おはよう由香梨」
俺も同じように返す
「真、またその本見てたんだね」
不思議そうな心配そうな顔をして俺の手にある本を覗き込んでいる。
「うん。どうしても心の中で引っかかってね。うまく言葉には出来ないのが歯痒いんだけど」
「それは分かる気がする。私もその本見てるとなんか昔見た記憶があるようなないような?」
由香梨は最後の方を疑問形にしながら曖昧に答える。
「まぁ突然思い出すかもしれないしそれまで気長に待つさ」
「そうだね」
そう答えながら由香梨は一番気になっていることだろう事を話題に出してきた。
「一緒のクラスになれるといいね」
笑顔で言ってくる彼女に俺は照れを隠しながら、
「違うクラスになっても何ら変わらないと思うけど」
素っ気なくそう言うしかなかった。
俺と由香梨は今日高校の入学式。由香梨はずっと前から楽しみにしていたらしく制服を見せびらかしに来ていたほどだ。現に今も足取りは軽くスキップしている。
「何? 真は私と同じクラスは嫌な訳?」
足を止め眉を吊り上げて俺に迫ってくる。
「そんなことは言ってないだろ。そりゃ俺だって同じクラスになれればいいと思ってるんだから」
「ほんとかな?」
由香梨は俺に更に顔を近づけ覗き込むように下から見上げる。
「ほんとだってば。どうしてそんなに聞くんだよ」
「えっ……いやそれはその……」
彼女はゴニョゴニョと小さく何か言っているようだが小さすぎて全く聞こえない。
「ところで学校終わった後遊ばない? 今日入学式だけだから早く終わるじゃない。ね、良いでしょ?」
由香梨が明るく言い、話を逸らそうとする。
「別に構わないけど」
俺はまだ頭の上に疑問符を浮かべていたが突っ込んで話を聞くと痛い目を見そうだからやめた。
「よし決まりだね」
「じゃあどこに行こうか? 由香梨はどこか行きたいとこある?」
「じゃ……じゃあさ。真の家がいいな」
と由香梨が言ってきた。はしゃぎ過ぎたのか顔を真っ赤にしている。俺の部屋に来ても何も楽しい事はないと思うが由香梨の希望に答える。
「由香梨がそれでいいなら別に構わないよ」
まだ疑問は残るが、俺はそう返事した。由香梨は余程嬉しかったのかガッツポーズしている。
「それじゃ放課後真の家に行くから。決まりね!」
嬉しそうに微笑む由香梨に今更やっぱダメとは言いづらい。というよりも何故そんなに嬉しそうなのだろう。
「そういえば真は高校でも剣道一筋で頑張るの?」
「もちろん。今まで頑張ってきたんだ今更変えられないよ」
俺は小中とずっと剣道を続けてきて中学に上がってすぐの大会では日本一に輝いた事がある。その時の由香梨の喜び様は凄まじいの一言に尽きるものだったがどこか素直に喜べない空慮さを感じていた。そこから何かが消え去った様な感覚と言えば良いのだろうか。そんな感じの物を感じた事を思い出していた。だが俺はすぐにそれに蓋をして心の奥底に追いやりそしてすぐに今日は入学式だけだからと常に肌身離さず持っている剣道道具一式を置いてきたことによる言い表しにくいソワソワとした違和感で上塗りして誤魔化した。
「そういう由香梨は何か部活入るのか? 今まで掛持ちとか助っ人とか色々してたけど結局一番しっくりするものがなかったんだろう?」
「そうなんだよね~野球部、ソフトボール部、サッカー部、バスケ部、テニス部、ラクロス部、バレー部、ホッケー部、陸上部、柔道部、空手部、薙刀部、合気道部、ちょっと毛色の違うのだったらビリヤード部、ダーツ部とかあと円舞・ダンス部とかもやったけど熱中するモノはなかったよ」
いくつも部活の名前を列挙する由香梨。この幼馴染みは持ち前の運動センスと順応力に物を言わせて運動部系の部活で色んな事に手を出したがどれも由香梨のお眼鏡に適うものはなかった。
「けど高校生にもなったんだし目新しい部活があることを期待してるんだ」
そんな他愛ないことを話しながら高校への道を歩いていく俺達。最後の日常を噛み締めるように殊更楽しく殊更笑いあいながら。それはきっとこれから訪れる世界の真実と、知らぬ間に無くしてしまった想いと直面することを心のどこかで知っていたからだろう。
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