第十五話
ホタルが風に掻き消されそうな小さな声で呟く。それは不思議と耳の中で反響し、心地よい温もりと安らぎを与えてくれる。無意識のうちに瞼を閉じ音色に心を預ける。心を空の蒼、海の蒼に包まれている感覚、それは胎児の時、母親の温もりに包まれた感覚に似ていた。その時の事なんて覚えてないはずなのにそう表現するしか例える事が出来なかった。
余韻を残しながら引いて行くホタルの音、消えて行くと共に自然に上がっていく瞼。微かに入ってくる光の眩しさに顔を顰めながら、視界がはっきりしていくのを待つ。
最初に目に入ったのは視界を埋め尽くすピンク色の花弁、桜の花びらが雪でも降るかのように次から次に舞い落ちる桜の花びら、現実の世界でもここまで咲き誇ってるのはそうないだろうと思う。
「綺麗……」
由香梨が陳腐だけど素直な感想を漏らした。
「この桜はちゃんと現実世界から植樹した物で樹齢何百年という桜の木もあるそうですよ」
「へぇ~……」
「いちいちスケールがでかいな」
「学長が派手好きで……全く困った物です」
いつもの笑みを困ったものに変えて微笑むホタル、いつもよりも困り成分を多く含んだ笑みはホタルには似つかわしくない物だった。
「来たわね二人共。どう聖霞学園に来た感想は?」
桜並木を潜ってこっちに向かってくるリンカとコウ、二人共ホタルと同じ笑み、顔立ちが本当そっくりだから一人一人の特徴を捉えておかないと判別するのは不可能だろう。
「まだなんとも言えないな。ただこんなに人がいるとは思わなかったよ」
俺達の横を興味深げに通り過ぎて行く。生徒達、俺達と同い年と思える奴もいれば明らかに小学生にしか見えない子供もいる。
「この学校は小学から大学までエスカレーター式だからね。幅広い世代の人がいるわよ。またこれだけの人が望まない運命に翻弄され、踏みにじられ、助け出された人がいるって事。あなた達も含めてね」
俺はもう一度通り過ぎて行く生徒を見てみる。どこの学校とも変わらないその光景は残酷な過去を経験して描かれている。一人一人が持っている傷は深く醜い。そんな傷を持っているにも関わらずこんなに明るい。それだけこの学校が良いところなのか、それとも過去を乗り切り今を生きているのかは分からない。ただこれからの生活が楽しくなってくれる事は俺に無理に付いて来てくれた由香梨には良い事だろう。
「さてまずは更衣室に行きましょうか。あなた達の制服が用意されてるからそれに着替えてちょうだいいつまで前の制服着てたら注目集めるばかりよ」
俺達二人は二回だけ袖を通してからもう着る事もない学校の制服を着ている。昨日の戦闘で確かに色んな所が破け、焦げ付いたはずだったのに気付くと新品同様元に戻っていた。まぁ魔法の力でホタル辺りが直してくれたんだろう。
リンカは颯爽と踵を返して先頭を歩いて行く。その後ろを付いて行くコウとホタルも自信に満ちた雰囲気を醸し出している。そんな三人に登校中の生徒達も挨拶し、中にはリンカに熱い視線を送ってる女の子もいた。リンカはそれに軽く答え、コウはにこやかに手を振り、ホタルは折り目正しくきちんと礼していた。ここまで似ていない兄妹は珍しいなと思いながら俺と由香梨もその後ろに付いて行く。
並木道を半ばまで歩いて行くと校舎が見えてきた。だが俺はまた自然と足を止めていた。
「ん? どうしたの?」
コウが俺に気付いて聞いてくる。
「いや、今まではスケールのでかさに驚いてきたが、あの校舎とその中央にある塔は何だ?」
俺は右手をこめかみに手を置いて襲いかかってくる頭痛に必死に堪える。今俺の視界に入ってきている木造建ての校舎は一つが単独で建造されたわけではなく端の方で別のしかもコンクリート造りの校舎とくっついて外角百二十度でおり曲がりあまつさえその内側には東京タワーとためを張れるんじゃないかと思えるほど高い塔が佇立してる始末だ。外から見る限りは校舎の中から塔が建っているような奇抜な建築物にしか見えない。
「あ~まぁ初めてみたら驚くよね。校舎の形はね、真上から見ると分かるんだけどあの塔を中心に六角形の形になるように配置されてるの。で六角形の中は中庭になっていてそこから塔は立っている訳。無意味に六角形にしてるわけじゃなくて万が一の非常時の為に結界が張られるように設計されているんだ。だけどね中は普通の校舎の様に一棟ずつ魔法で区切られていて外観の様に変に繋がってないから現実の学校と同じに出来てるから」
澱みなく喋り続けるコウ。あの時あれだけおちゃらけていたこいつも今日はいたく真面目に説明してくれている。俺と同じでこいつにも何か抱えている物があるのだろうか。
コウがベラベラと絶え間なく口を動かしている間に昇降口から中に入っていく。中は外が外だけに拍子抜けするほどに普通だった。板張りの床、木目美しい壁、天井から柔らかい光を落とす蛍光灯、昔ながらの木造校舎の雰囲気そのままだ。
「なんか懐かしい感じがするね。木造の校舎なんて初めてみたのに」
「ああ、気持ちが安らぐな」
「二人共こっちよ。ここが更衣室だから。それじゃこれあなた達の制服よ。サイズは合ってるから心配しなくで。男はそっちの右、女はそっちの左だから」
ビニールに包まれた学園の制服を押し付け更衣室にぶち込まれる。
俺はさっさと中からブレザーの制服を取り出し、手早く身につける。ふわっとホタルの声を聞いた時と同じ温かさを感じる。この制服にも魔法による仕掛けがされているみたいだ。おかしい個所がないか軽く確認して、外に出る。
外に出ると目の前にいきなり火花が飛び散った。何も反応出来ずに硬直してしまった俺の横にホタルが立って、顔の前で手を左右に振られる。
「大丈夫ですか? 真さん?」
「これ……何してんだ?」
「見ての通り訓練をしてるのですよ」
「いや!? 訓練ってなんでいきなり学校の廊下で刀出してチャンバラしてるんだよ!?」
「あの二人はいつも実戦形式で訓練をなさいますから時と場所を選ばないのですよ」
のんびりと言うホタルはこの惨状に随分慣れているみたいだ。という事はこの二人はしょっちゅうこんな事をしている事になる。
ホタルと言葉を交わしている間にも二人の斬り合いは加速する。力で攻めるコウの刀とスピードで攻めるリンカの刀。コウが一振りする間にリンカの刀は五振りは確実に振っている。しかもその中にはフェイントも混じっているため実際にはその倍は刀の軌道を変えている事になるのだろう。しかしそれに付いていくコウの剣技も速さはないのにリンカの剣筋を確実に先読みし鍔迫り合いに持ち込み、リンカの体勢を無理矢理崩していく。そんな遣り取りを何合も繰り返し、繰り返し交える。茫然と眺めながら分析しているといつの間に着替え終わったのか由香梨が隣に来ていた。
「凄いね。ただ学校の廊下でやる事じゃないよね」
「この学校ではきっとこれが当たり前の光景なんだろうさ」
俺がまた斬り合いに目を向けると終盤に向かっているように見えた。
「二人とも共着替え終わったみたいだね」
コウが斬り合いながら俺達の方に視線をやりながら言った。
「ならこっちも終わらせましょうか」
言うが早いかリンカの姿が掻き消える。目では全く追い切れない、リンカの足が地を蹴る音も四方八方、同時に聞こえ、耳でもリンカの場所を特定する事は叶わない。超高速から放たれる斬撃、蛍光灯からの光で白刃が照り返し、それが迫る様はコウを中心に光が集まっているようにも見える。
「甘い甘い、リンカちゃんはこんなゴリ押ししてこないもんね。周囲に注意を逸らせつつ狙いは……頭上!」
コウが勢いよく頭上に顔を向ける。今まさにコウの頭を斬ろうとしていたリンカの姿があった。リンカの顔が悔しげに歪んだ。
「もらった!」
逆にコウは歓喜に顔を綻ばせ反撃の刃を放つ。的確にリンカを斬り割く軌道、軍配はコウに上げられると思われたその時リンカが口端を釣り上げ凶悪な笑みを浮かべた。
「私が何の罠も張らずに姿を表すと思った? こっちは囮よ」
輪郭がぶれ、リンカの姿が掻き消えた。
「あんた、人の事言えないわよ。甘い甘いって言ってる割に自分も詰めが疎かじゃあどうしようもないわね」
コウの後ろから首に刀を当てながら言うリンカ。意地悪な笑みを浮かべて。
うまい。リンカはコウの周囲に残撃を残して囮と隠れ蓑として使い相手の注意を上に逸らしそこにも残像を残して油断させる、そしてコウがそっちに気を取られてる内に得意のスピードで近づき止めを刺す。完璧にコウの性格とパターンを読んだ戦術と人の領域を超えたスピードここまで戦いに慣れないと魔法使いにはなれないのだろうか。
「二人共ごめんね付き合わせちゃった」
コウがへらへらした顔で近づいて来て謝る。
「いやそれはいいんだけど。いつもあんな事してるのか? 俺はてっきりケンカ始めたんじゃないかと思ったぞ」
「僕がリンカちゃん相手にケンカするわけないじゃん。した瞬間僕が殺される事必見!」
「いや、別に見たくはないんだが……」
「そうだよね~。リンカちゃんのあの姿を見たらトラウマ一直線だもんね~」
同意を求めるようにコウは当人であるリンカの方に顔を向ける。
「そうねって答えると思ったかしら?」
再びコウの首に刀を当てにっこりと笑うリンカ。
「いえ、全然」
笑みを浮かべながら冷や汗が地面に伝い落ちて行く。
「ハァ、バカのせいで時間喰ったわね。うん二人共良く似合ってるわよ」
俺と由香梨をマジマジと眺め何度もうなずきながら褒めてくれる。
「さて、教室に案内するわね。一応二人共同じクラスで転校生として入ってもらうわ。まぁこの学校では良くあることだから皆すんなり受け入れてくれるわよ」
階段を二つ昇り、三つある教室の内一番手前の教室のドアをコウが勢いよく蹴り破る。
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