第一章 まとめて
第一章
~それぞれの始まり それぞれの出会い~
暗い世界の中、私の先にあの子の後ろ姿が浮かび上がる。私がいくら呼びかけようとももう返事をすることは二度とない、笑いかけることも二度とない。でもそれでも希望が残っている。あの子はそれを望まなかったけれども私は希望が来てくれることを二年という歳月が経った今でも諦める事ができない。やがて世界はあの子の姿をぼかし始め視界を白く塗り潰していく。
ゆっくりと瞼を開け体を起こす。頬に伝う二筋の跡を拭ってベッドから抜け出し、洗面所に早足で向かい顔を洗い、跡を流した。思考がクリアになっていくと共に鏡に映る自分の顔を認識して少しショックを受ける。切れ長に整った自慢の蒼玉の様な蒼の瞳は泣いたせいで瞼は腫れ充血しその色を濁らせ、いつもは綺麗な桜色の唇も今は心無しかくすんで見える程ひどい有り様だった。私はすぐに自分の両頬をピシャっと叩き気分を入れ替える。
自室に戻り制服に着替え腰まで伸びたダークブラウンの髪をあの子からもらった青いリボンでポニーテールに結ぶ。結び終わったとこで扉がノックされ、扉の向こうから声が掛ける。
「リンカさん起きてらっしゃいますか?」
柔らかい春の陽だまりのような声が聞こえてきた。私は扉を開け朝の挨拶をする。
「おはようホタル。相変わらず早起きね」
「おはようございます。リンカさんこそいつも同じ時間に起きていらっしゃいますじゃないですか」
扉の向こうには制服の上にエプロンを身に付け朗らかに笑うもう一人の私・ホタルがいた。顔の造形はそっくりだが瞳の色は琥珀の様に透明な茶色、そして腰まで伸びる髪は濡れ羽色と違いはあるが最大の違いは大和撫子の様なお淑やかな雰囲気を身に纏いつい守ってあげたいと思ってしまう子なのだ。まぁ本当は私(ヽ)達(ヽ)が守ってもらう側なのだが。
「私はただの習慣だから。ところで何か用?」
「あ、そうでした。コウさんを起こして頂けますか。昨日の約束を破ってまだ眠ってらっしゃるんです」
「いつもの事とはいえあいつも良くグウグウ寝てられるわね」
「寝る子は育つと言いますがコウさんは寝すぎですので。それでは私は下で朝食の仕上げをしてきますのでお願いしましたよ」
「了解」
下へ降りていくホタルを見送りながら私は隣の部屋の扉をノックもなしに開け開口一番叫ぶ。
「コウ! いい加減起きなさい!」
ベッドの上ではこんもりと布団が丸まり団子を形作っていた。その中からくぐもった声が聞こえてきた。
「後一時間……寝かせて~……zzz」
私のこめかみが自分の意志とは無関係に引き攣るのがわかった。
「長い!」
突っ込みを入れ布団を剥ぎ取る。コウは布団にしがみついたまま一緒に宙を舞い布団と一緒に地面に叩きつけられる。それでもコウは己の怠惰を全うしようとする。
「じゃ三十分でいいから」
と言い、布団を自らの体に巻きつけ始める。
「ぐだぐだ言わずさっさと出なさい!」
布団の端を持ち上下に振りまわす。布団ははためきそれにつられてコウも上下に振られ埃も一緒に舞う。勢いで床に落ちたコウは寝ぼけ眼と恨みがかった目で私を睨みつける。ホタルと同じ濡れ羽色の髪を肩のあたりで切り揃えているそれをボサボサにし、黒真珠の様な何物にも染まらぬ純粋な黒の瞳を半開きに開き眦には涙を湛え、私の顔よりも若干男の子っぽいが女と言っても区別が付かない顔を渋い表情を作って宣った。
「リンカ~……何すんだよ~……頭がクラクラするじゃないか」
「あんたは自分のアホさ加減が分からないの。私がまだあんたに直接手を挙げてないだけマシだと思いなさいよ」
私は冷たく冷たく言い放つ。ここで更に止めの一言を加えればこいつは確実に堕ちる。
「朝食が要らないっていうなら寝てていいわよ」
決定的な言葉、こいつは人の命や世界の命運よりも一回の食事の方が大事というなんともまぁ本能に忠実な作りをしている。
「それはダメ! 絶対ダメ!」
とコウが怒鳴った。すると下からのどかな声が聞こえてきた。
「コウさ~ん。起きたなら支度を済ませて降りて来てください。朝食が出来てますよ」
その声にさっきまで涙を浮かべていた眼が輝きを取り戻しコウが素直に返す。
「は~い、すぐ行くよホタル」
と言ってわずか二秒で着替えを終わらせ階下に降りて行った。するとまた、
「リンカさんも早く降りてきてくださいね」
と同じ調子で聞こえてくる。
「はいはいっと」
ため息を吐きながら階段を降りていくとすでに食卓に着いて朝食のパンを口いっぱいに頬張る意地汚いコウの姿があった。
「コウもっと落ち着いて食べなさいよ」
「いいじゃん。好きなように食べさせてよ」
コウが口を尖らせながら反論してくる。
「コウさんマナーを守って下さらないともうお食事作って差し上げませんよ」
ホタルは整った顔を微妙に引きつらせてコウに笑顔を向ける。
「ホタル! それだけは許して!」
その顔を見たコウはすぐさま椅子から滑り降りホタルの正面まで行き縋りつく。
「コウさん。マナーを守って食べてくださいますね」
ホタルの確認にコウは首を縦に振る以外選択肢がない。席に戻ったコウは先程よりはおとなしくだが食べる量は変わらず食べ続ける。
私も席について用意されてる朝食を頂く。食事をしながらも私はついつい今朝見た夢を思い出してしまいため息を吐いてしまう。
「リンカさんどうかしましたか? お口に合わなかったでしょうか?」
ホタルが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「いや、そういうわけじゃかくて今日ちょっと夢見が悪くてね」
心配させないように軽く微笑みながら言ってみたもののホタルには通じなかったみたいだ。
「リンカさん。無理に笑わなくていいですよ。今すぐ何か心が安らぐものをお作りします」
そう言って席を立とうとするホタルに私は両手を振って止める。
「ホタル。心配してくれるのは嬉しいけど本当に大丈夫だから」
「そうですか。で、その夢とはどのようなものだったのでしょう?」
ホタルは興味本位で聞いてきたのだろうが私にはその質問は酷すぎるしホタルも普段は気にしないようにしているかもしれないあの子の事。
「ホタル。パンのおかわりってあるかな?」
朝食をがつがつ食べていたコウが空になったバスケットを指しながら言った。
「ハイ、すぐに持ってきますね」
パタパタとキッチンにパンを取りに行くホタル。私は思わず安堵の息を吐いた。
「どうせ、あいつの夢だったんでしょ」
ホタルに聞こえないように小声で話しかけてきたコウは私の心中を察して聞いてきた。
「そうよ……ありがとねコウ。ホタルに聞かれた時は正直焦ったわ」
「気にしなくていいよ。僕はただパンのおかわりが欲しかっただけだから」
そう言ってまた食事を再開するコウ。こういう気遣いが男女共に人気を集める理由かも知れないと思う。
「それでもありがとう」
私は静かに感謝の言葉を述べた。
「お待たせしました。どうぞコウさん。クロワッサンで良かったですか?」
「ホタルが作ったパンならどれもおいしいから問題なし!」
グッと力強く親指を立てるコウ。嬉しそうに微笑み再び席に着くホタル。
いつもの風景。コウが会話もせず無我夢中に料理を貪り、私がホタルと他愛もない会話をする。血に塗れた宿命を忘れられる日常の一時。その時間も唐突に破られる。視界から色が失われ黒で覆われ白で覆われそして仮初の色が世界に与えられる。私達、運命に選ばれた者にしか感じ取れない世界がねじ曲がる不快な感覚。
「無粋な連中ね。時間を考えて欲しいわ」
私が立ちながら何気なく呟くと、
「仕方ありません。先方にも都合というものがあるのでしょう。例えそれが人殺しの為といえどもです」
いつの間にか席を立っていたホタルの手には私の愛刀〝清水″と漆黒のマントが用意されていた。
「それでも私達はこの宿命を受け入れどうにかしなければなりません。あの方との約束の為にも」
悲しげに顔を伏せるも笑おうとするホタルに私はかける言葉が見つからない。そんな私達の頭にコウの温かい手が乗せられる。
「それでもあいつの望みを叶えてやるのが残された僕達の役目だよ」
こいつのこういう時々見せる優しさはホントずるいと思う。普段がだらしないからこそ余計際立って見えるからだ。
「あんたやっぱずるいわ」
「たまには兄らしいとこも見せとかないとね」
その言葉を無視しマントと刀を身に付け私は、
「さぁ行きましょうか。戦場へ!」
同じように刀とマントを身に纏ったコウとホタルは力強く頷き、異界への門を潜る。
俺はいつもの場所でいつもの時間に幼馴染を待っていた。だが意識は今手に持っている本に向けられている。花柄の薄い黄色で統一されたブックカバーに入れられた文庫本。タイトルは『一欠けらの奇跡』病魔に苦しむ幼馴染の女の子を主人公の男の子が励まし、二人で苦悩し、最後には病魔に打ち勝ちハッピーエンドを迎えるストーリー。一昔、女の子の間で流行った小説らしい。だが俺はこれを買った記憶も貰った記憶もない。
いつの間にか俺の手元にあり、この本を眺めていると懐かしくなると共に自然と目頭が熱くなり涙を零してしまいそうになる。それにこの本を眺めていると時々頭の中を誰かが叩くみたいに激しい頭痛となって俺に何かを訴えかけているように感じることもある。今日は大丈夫みたいだなっと、そんな事を考えている内に約束の時間になっていたようで遠くから明るい声が掛けられる。
「真~」
俺が顔を上げると元気を周囲に振り撒きながら走り寄ってくる幼馴染の姿があった。俺の前に来た彼女は幼馴染の由香梨、亜麻色の髪をセミロングに伸ばし、オフゴールドの瞳が少し垂れ気味で柔和な表情を作っているが鼻や唇、雰囲気から活発な子という印象を人に与える。
「おはよう真」
いつものように元気に挨拶してきた由香梨。
「おはよう由香梨」
俺も同じように返す
「真、またその本見てたんだね」
不思議そうな心配そうな顔をして俺の手にある本を覗き込んでいる。
「うん。どうしても心の中で引っかかってね。うまく言葉には出来ないのが歯痒いんだけど」
「それは分かる気がする。私もその本見てるとなんか昔見た記憶があるようなないような?」
由香梨は最後の方を疑問形にしながら曖昧に答える。
「まぁ突然思い出すかもしれないしそれまで気長に待つさ」
「そうだね」
そう答えながら由香梨は一番気になっていることだろう事を話題に出してきた。
「一緒のクラスになれるといいね」
笑顔で言ってくる彼女に俺は照れを隠しながら、
「違うクラスになっても何ら変わらないと思うけど」
素っ気なくそう言うしかなかった。
俺と由香梨は今日高校の入学式。由香梨はずっと前から楽しみにしていたらしく制服を見せびらかしに来ていたほどだ。現に今も足取りは軽くスキップしている。
「何? 真は私と同じクラスは嫌な訳?」
足を止め眉を吊り上げて俺に迫ってくる。
「そんなことは言ってないだろ。そりゃ俺だって同じクラスになれればいいと思ってるんだから」
「ほんとかな?」
由香梨は俺に更に顔を近づけ覗き込むように下から見上げる。
「ほんとだってば。どうしてそんなに聞くんだよ」
「えっ……いやそれはその……」
彼女はゴニョゴニョと小さく何か言っているようだが小さすぎて全く聞こえない。
「ところで学校終わった後遊ばない? 今日入学式だけだから早く終わるじゃない。ね、良いでしょ?」
由香梨が明るく言い、話を逸らそうとする。
「別に構わないけど」
俺はまだ頭の上に疑問符を浮かべていたが突っ込んで話を聞くと痛い目を見そうだからやめた。
「よし決まりだね」
「じゃあどこに行こうか? 由香梨はどこか行きたいとこある?」
「じゃ……じゃあさ。真の家がいいな」
と由香梨が言ってきた。はしゃぎ過ぎたのか顔を真っ赤にしている。俺の部屋に来ても何も楽しい事はないと思うが由香梨の希望に答える。
「由香梨がそれでいいなら別に構わないよ」
まだ疑問は残るが、俺はそう返事した。由香梨は余程嬉しかったのかガッツポーズしている。
「それじゃ放課後真の家に行くから。決まりね!」
嬉しそうに微笑む由香梨に今更やっぱダメとは言いづらい。というよりも何故そんなに嬉しそうなのだろう。
「そういえば真は高校でも剣道一筋で頑張るの?」
「もちろん。今まで頑張ってきたんだ今更変えられないよ」
俺は小中とずっと剣道を続けてきて中学に上がってすぐの大会では日本一に輝いた事がある。その時の由香梨の喜び様は凄まじいの一言に尽きるものだったがどこか素直に喜べない空慮さを感じていた。そこから何かが消え去った様な感覚と言えば良いのだろうか。そんな感じの物を感じた事を思い出していた。だが俺はすぐにそれに蓋をして心の奥底に追いやりそしてすぐに今日は入学式だけだからと常に肌身離さず持っている剣道道具一式を置いてきたことによる言い表しにくいソワソワとした違和感で上塗りして誤魔化した。
「そういう由香梨は何か部活入るのか? 今まで掛持ちとか助っ人とか色々してたけど結局一番しっくりするものがなかったんだろう?」
「そうなんだよね~野球部、ソフトボール部、サッカー部、バスケ部、テニス部、ラクロス部、バレー部、ホッケー部、陸上部、柔道部、空手部、薙刀部、合気道部、ちょっと毛色の違うのだったらビリヤード部、ダーツ部とかあと円舞・ダンス部とかもやったけど熱中するモノはなかったよ」
いくつも部活の名前を列挙する由香梨。この幼馴染みは持ち前の運動センスと順応力に物を言わせて運動部系の部活で色んな事に手を出したがどれも由香梨のお眼鏡に適うものはなかった。
「けど高校生にもなったんだし目新しい部活があることを期待してるんだ」
そんな他愛ないことを話しながら高校への道を歩いていく俺達。最後の日常を噛み締めるように殊更楽しく殊更笑いあいながら。それはきっとこれから訪れる世界の真実と、知らぬ間に無くしてしまった想いと直面することを心のどこかで知っていたからだろう。
それは唐突にそして当たり前のように俺を襲った。体からは冷汗が止め処なく溢れ、視界は絶え間なく揺れ動き足元も覚束ない。次第に立てなくなった俺は膝をつき口元を手で押さえて必死にその言い表せぬ何かに耐える。揺れる視界の隅で俺と同じように蹲る由香梨の姿が見えた。俺は必死に由香梨に手を伸ばす。由香梨も俺に縋るように手を伸ばしそして互いにしっかりと握りあう。その瞬間俺と由香梨の間で何かが流れた。それは温かく、そして同時に強い力となって俺達の間を流れ、満たし、俺達を苦しめていた何かを追い払ったような気がした。何が起こったのかは分からなかったが俺は頭を振り、今だ安定しない視界を強引に戻し、胸の上に手を置いて呼吸を整える。由香梨も大きく深呼吸して整えている所だ。しばらく俺達はそうやって体調を整え、収まってきた所で口を開いた。
「一体何だったんだ?」
俺は正常に働くようになった頭で考えながら立ち上り、由香梨に手を差し出す。その手を掴み由香梨も立ち上る。
「分かんないけど……なんか変な感じがする……」
「変って何が?」
「うーん……ごめん。明確には分からないけどでもなんか喉に魚の小骨が引っかかってるみたいな小さな違和感があるの」
首を捻る由香梨。どうもその違和感が気になってすっきりしないみたいだ。
「とりあえず学校に行こう。学校が終わっても体調が戻らない場合は病院に行った方が良い」
「病院なんて大げさだな~」
朗らかに笑う由香梨。確かにその顔色は少しずつ戻ってきて調子が悪いようには見えない。だけど俺と由香梨が通学路の大きい通りに差しかかった時俺はその眼に映る光景を疑わずにはいられずまたこれが由香梨の感じていた違和感の正体だと直感した。
「ねぇ真これ一体どうなってるの?」
由香梨も相当パニックっているのか俺の袖をグイグイ引っ張ってくる。
「俺に聞かれても困るんだけど」
大通りは通学途中の学生や通勤途中のサラリーマン。行き交う車でごった返していた。その光景だけならごく普通の日常風景で済んだかもしれない。しかし俺達の前に広がる光景、それは静寂、それは異質、それは拒絶、すべてのものがすべての例外もなく止まっている。人も車も風になびいている木々でさえもその姿のまま動くのをやめている。そんな中を俺達二人は周りに視線を巡らせながら歩いて行く。
「真何で皆止まってるの? 何で私達だけ動けてるの? 何で、どうして!?」
由香梨は上ずった声で何で、何でと繰り返し俺に答えを求めるように尋ねる。そんな由香梨に俺は落着かせるためにちょっと強めの声で言う。
「由香梨。確かにこれはおかしい。だけど今俺達にはこの状況をどうにかしようにもなぜこんなことになっているのか、原因が全く分からない。圧倒的に情報が足りてないんだ。だから今はどうしようもないよ」
俺は眉根を寄せ考えながら一つ一つ由香梨に言い聞かせていく。俺の言葉が由香梨に届いたのか、不安げに揺れていた由香梨の瞳の揺れが次第に落ち着き、その瞳に強い輝きが灯る。
「それは……そうだけどでもこんなの放って置くことなんて私にはできないよ」
由香梨は持ち前の正義感をフル活動して正論を並べ立てる。そんな由香梨に俺は冷静に言い返す。
「由香梨落ち着いて。まだどうしようもないけど何もしないとは言ってないだろ」
「えっどういう事?」
「だから、この現象を解明して原因を突き止めて元に戻すって言ってるの」
俺は由香梨が望むだろう言葉を言ってあげた。その言葉を聞いた由香梨は嬉しそうに顔を綻ばせ笑う。
「そうでなくっちゃ、さっすが真、私の幼馴染だけのことはあるわね」
由香梨は笑いながら俺の背中をバシバシ叩きまくる。
「痛いって由香梨。そんなことよりそろそろ行くよ」
そういって俺は由香梨に手を差し出す。その手を由香梨はしばらくの間凝視し頬を赤く染める。
「どうしたの? 行くよ」
俺はそんな様子の由香梨に首を傾げながらも手は引っ込めない。由香梨はその後もしばらく俺の手を凝視していたが決心したようにその手を取って走り出す。
「さっ、行こう真」
由香梨は思いっきり走りだし俺を引っ張りながら駆けだしていく。俺は由香梨のいきなりの奇行にびっくりしたがそれでも聞かないわけにはいかなかった。
「由香梨いきなりどうしたんだよ?」
それに対しての返答は照れを隠した笑い声だった。
とあるビルの屋上に私達はいた。私とコウ、ホタルは三角形と円、不可思議な文字で作られた魔法陣の中で腰に下げた刀を抜刀し三角形の頂点に突き刺す。
「さぁーて始めますか」
とコウの言葉をきっかけに私達は澄んだ声で紡いでいく。
我ら三人の魔力を糧に
この世界に巣食う
闇と光を洗い出せ
〝探査魔法〟
澄み切った声は遠く、遠くまで響き渡るその声を追いかけるように地面に描かれた魔法陣から光が放たれ世界に広がっていく。光は波となって街中を走っていき、やがて波は戻ってきて私達に情報を伝える。
「ん、この反応ってあの二人だよねリンカ」
私は少しだけ顔に戸惑いと悲しみを浮かべコウの言葉に頷き答える。
「ええ、あの二人の気配で間違いないわ」
そこで私は一度言葉を切り、遠くを見つめるように目を細め語りかけるように呟く。心の一部を吐露する。
「あなたの望まなかった最悪の展開になってきたよ。だけどそれを喜ぶ私がいることを許して」
「リンカさん、今は悲観に暮れる時間はありませんよ。最悪の結果にならないために私達は動かなければなりません一分一秒も惜しい状況なのですから」
ホタルがやんわりとした口調で過去に跳んでいた私を現実に引き戻す。私は深いため息を一つ吐き、気を引き締めるために両頬を叩く。
「それじゃ行きましょう。あの子の望んだ未来と私達が望む未来のために」
私はすぐに気持ちを切り替え引き締める。更なる最悪を回避するために。
「そうだな。あいつのためにも頑張らないとね」
「ええ、約束は守らないと女が廃ると言うものですからね」
私達は飛ぶ。約束を守るために、思いを繋ぐために今、希望の二人の元へ向かう。
俺達が今の時間体で一番人通りが多い大通りまで手を繋いだまま来るとそこは普段の様に排気ガスを吐きながら走っていく車が今は他の人と同様に止まっている。俺は当てが外れた事を知った。人が多いとこに俺達と同じ境遇の奴がいると思ったからだ。
「ねぇ由香梨どう思う?」
「どうって?」
「今、ここで動けているのは俺らだけそれ以外は皆例外なく止まってる。大人も、子供も、車も、なのに俺達だけはこうして動いている、止まっている人達と俺達の違いってなんだろう?」
「うーん幼馴染だからとか?」
由香梨は屈託なく笑って言った。この状況でも笑える由香梨は肝が据わってるとかそういうのを飛び抜かして才能だと思う。
「俺達くらい仲が良いのは珍しいかも知れないけれどそれが決定的な違いだとは思えないしもっと根本的に違いがあると思うんだ」
「じゃあ、今日から高校生だからとか?」
「それはもっと違うと思うよ。それだったら俺達以外も動けるはずだよ。新入生は俺達だけじゃないんだから」
俺は苦笑しながら由香梨に言う。
「もう真否定してばっか」
由香梨が頬を膨らませ拗ねる。
「ごめんだけど俺も考えが纏まってないんだ。だから、由香梨の意見も聞きたかったんだ」
俺はそんな由香梨を微笑ましく思いながら答える。
「だけど絶対原因を突き止めて見せるよ」
「うん!」
由香梨は力強く頷く。俺達が見つめ合っていると、突然爆音が轟いた。続けて一回、また一回と爆音は続いている。俺達は爆音がした方を向く。
「真、この爆音なんだろう?」
「わからない。だけど、嫌な予感がする。それにこっちに近づいて来てる気もするし、とりあえずここから離れよう」
再び俺は由香梨の手を握って走りだそうとした時、爆音が聞こえてきた方向から犬の遠吠えが聞こえてくる。
「真、犬の遠吠えだよね。私達以外にも動けたんだ」
「ああ、だけど犬じゃしょうがないよ」
そうだねっと頷こうとした由香梨の動きが急に止まった。
「どうしたの?」
その問いには答えずゆっくりと由香梨の手が上がり指差す。その先には車の陰から犬が一匹こちらを覗いているだが、その全容を見た俺も動きを止めてしまう。
その犬が普通だったらこの非常時だったとしてもここまでは驚きはしないだろう。目は爛々と赤く輝き、口の端から火の粉がちらつき、頭と前足は犬のように体毛に覆われているが、胴の丁度中間から後足にかけては爬虫類の鱗で覆われ尻尾に至っては蛇の姿をし、自立して動いている。その姿は異常にして異様そして、人の恐怖を駆り立てるようにできていた。固まっている俺達を尻目に化け物は顎を空に向けて喉を鳴らす。
ウォーーーその遠吠えは犬ではなく、狼に近く耳を劈く程の声量があった。俺達は思わず耳を塞ぎ耐える。遠吠えが終わると俺は素早く彼女の手を取り駆け出す。ただ、本能が発する警鐘のままに。逃げ出した俺達を犬は追う事もせず、見送る。俺がちらっと後ろ見て追って来てない事を確認して安堵しかけたところに、再び絶望が姿を現す。車の陰からさっきの奴と同種の犬が現われた。それぞれ俺と由香梨を舐め回す様に眺め笑うかの様に口元を歪めたように見えた。
「クッ、さっきの遠吠えで仲間を呼んだな。頭の回る犬だ」
俺が苦々しく吐き捨てる。俺は由香梨の手を引いて背中に隠す。
「真どうする? この数から逃げ切るのは難しそうだけど」
由香梨は犬から目を離さずに俺の背中に尋ねる。犬達はゆっくりと俺達を中心に取り囲んでいく。その数はどんどん増えていきざっと数えて十匹にまで増えていた。
「由香梨、なんか奴らの注意を逸らせそうな物もってないかな?」
「そんな事言われても学校の鞄ぐらいしか持ってないよ。中も筆記用具ぐらいだし」
「俺もそのぐらいしか持ってきてない。せめて竹刀があればいいんだけど」
いつも身に付けている竹刀を置いてきたことを後悔する。
「代わりになりそうなものあるかな?」
由香梨はそう言って周りを探す。そして、背中を叩いた。
「ねぇ、あそこの軽トラに積んである鉄パイプなんて手頃だと思うよ」
由香梨は視線だけで俺に位置を示す。軽トラは俺達を取り囲み唸るだけで何もしない犬達の後ろ四十メートル離れた場所に止まっている。
「けどあそこまでどうやって行くんだ? 今の状況はこの距離だろうと行き着くのは難しいよ」
「私が取りに行く」
決意を身に宿した由香梨が力強く頷く。その手には筆箱から取り出したのだろうシャーペンを四本握っていた。
「それでやる気か!? いくらなんでも危険すぎる!」
「このままだったらいつ襲ってくるか分からないじゃない。それだったら危険を冒してでも動かなきゃ」
にっこり微笑んで俺の前に回り込み俺の胸を拳で軽く小突く。俺は一つ溜息を吐いて鞄を漁る。
「わかった。思い切り走り抜けろよ」
俺もシャーペンを三本取り出し、構える。
「一、二、三、で行くよ」
「オーケー、せーの」
「「一、二、三」」
言い終わると同時に由香梨が一気に走り出す。その後ろから、俺が二本のシャーペンを由香梨の進行方向にいる犬に向かって投げる。犬達は左右に飛んで避ける。が、避けたためにできた間を由香梨がその健脚から生み出す走りによって駆け抜け、通り過ぎさま、左右の犬に向かってシャーペンを二本投擲、シャーペンは由香梨の狙い通り犬の目に深々と突き刺さる。左右の犬二匹は苦痛にのた打ち回る。由香梨は犬達の包囲網をわずか二秒で掻い潜ってトラックまで全速力で駆ける。
俺の横を三匹の犬が通り過ぎていった。俺はその一匹に狙いを定め、後を追いながらシャーペンを投擲する。シャーペンは後ろ脚に突き刺さり動きを止めたところを蹴り飛ばして前を行く二匹にぶつける。吹っ飛んだ犬は他の二匹を巻き込み絡み合い固いアスファルトの上を転がっていく。由香梨はちらっと俺を見るだけで感謝の意を示してくる。それの答えに俺も軽く頷いて返す
後、トラックまで二十メートル。由香梨はそれ以上振り返らず一心不乱に走る。先を行く由香梨を追わせないため俺は振り返り、迫ってくる残りの犬達と対峙する。まず、俺に二匹前から跳びかかり、回り込んだ三匹が跳びかかる。俺は、しゃがみ込みその攻撃を回避する。計五匹の犬は俺の頭上を飛び越え、しゃがみ込んだとこに前から一匹突っ込んでくる犬をまっすぐ伸ばした足で前足を払い浮かんだ所に鞄で殴る。怯まずに次々に突っ込んでくる犬達を鞄と体捌だけで躱していく。今まで剣道で鍛え上げてきた見切りと体裁きをフルに発揮し、裁いていく。しかし、いくら敵の攻撃を凌いだとしてもすべて俺に向かってくるわけがない。
と考えている間に視界の隅で手傷を負わせた犬どもが立ちあがり由香梨の方へ駆けだすのを捉えた。
「由香梨! そっち行った!」
俺は簡潔明瞭に由香梨に危険を伝える。その声に由香梨は反応し振り向いて犬との距離を確認する。そして再び前を向きトラックとの距離を確かめて間に合うと確信を持ったようだ。体に更に鞭を入れ足に力を入れスピードを上げる。その様子を見ていた犬がさっきまで流されるままになっていた尻尾の蛇の鎌首を揚げ由香梨に向け大きく口を開けギラリと鈍く光る牙を見せつける。
一部始終見ていた俺は背筋に伝う冷や汗を感じながら悲鳴に似た声を上げる。
「右に跳べ!」
「っ!」
反射的にその言葉に反応して右に跳び車の影に逃げ込む。すると、由香梨が跳び込んだ車が火の手を上げて爆発する。
「きゃっ!」
由香梨は爆発に巻き込まれ道路に体を強く打ちつけ転がっていく。俺も爆発の余波を受け、身を低くして耐えていたがすぐに立ち上がり、
「由香梨!」
叫ぶと同時に由香梨の元へ駆けだす。
由香梨は、両腕を突っ張ってなんとか立ち上がろうとしているが腕は小刻みに震え制服のあちこちは焦げ破け擦り傷をこさえていた。その弱った由香梨に止めを刺すべく、犬達は由香梨に狙いを定め尻尾の蛇の鎌首を持ち上げ大きく口を開ける。
俺はそのモーションを見た瞬間、さっき見た光景が脳裡に蘇った。俺はさっきの光景をすべて見ていた。犬達が今のように蛇の首を持ち上げ、その口から炎を吐きだし、吐き出された炎が由香梨の隠れた車を焼き、爆発させる所も、その爆発に巻き込まれ煽られ叩きつけられた由香梨の痛々しい姿も全部見ていた。
何もできなかった自分に後悔と悔しさを噛み殺し今度こそ間に合わせるために全力で駆ける。囲んでいる一角に走りながら、腕の力だけで鞄を投げる。鞄は油断しきった犬の後頭部に命中し、俺に注意が向く。その一瞬をついて犬達を素通りし、由香梨のもとへ駆け寄る。
「由香梨、大丈夫か?」
大丈夫なはずがないが、俺は聞かずにはいられなかった。
「だい……じょうぶ……だよ」
由香梨の声にはいつもの明るさも元気もなくただ苦しさと痛みだけが滲み出ていた。
「由香梨、きついと思うけどここを離れないとまずい、俺に掴まって」
由香梨の手を取り肩に回そうとする。しかし、由香梨は途中で力尽き再び地面に手をつける。俺が由香梨の救出に手間取っている間に犬どもは集結し体勢を立て直し再び蛇の鎌首を持ち上げ、炎を吐く構えを取る。
蛇の口が赤々と色づき始め、口の端から炎が漏れ出している。車を破壊した時の炎は三つだったが今度は十もの炎が襲おうとしている。その火力は先ほどとは比べモノにはならないだろう。俺は咄嗟に由香梨を腕の中に抱きしめ炎から守ろうとする。由香梨も俺の体に腕を回しお互いに強く抱き締め合いきつく瞼を閉じ炎が自分たちの身を焦がすのを待つ。目を閉じ二人でじっと動かず、身を固める。
その間、俺はいきなり死を突きつけてきた世界の理不尽さを心中で呪うしかなかった。しかし、一秒、二秒、三秒、感じた時間は一時間にも二時間にも匹敵する長さだったが、いつまでも身を焦がす炎の熱が来ない。俺はゆっくりと目を開ける。
最初に目に入ったのは炎の赤々とした色、次に見えたのは炎の前に立ちはだかっている三人の人影。顔を上げていくと顔立ちが似た少女が二人と顔立ちは似ているが男だとわかる少年が前に手を突き出した姿勢で立っている。
「真さん、由香梨さん、御二方共大丈夫ですか、お怪我とかなさってませんか?」
少女の一人がこちらに心配そうな顔を向け、話しかけてくる。
「あ、由香梨さんは少し怪我していらっしゃいますね。後で治療しますのでそれまで我慢できますか?」
その口調はとことん丁寧で優しく心の底から俺達の事を心配してくれているのだと分かる声音だった。俺と由香梨はなぜ名前を知っているのかなどの疑問を浮かべるが戸惑いながらも、
「はい、大丈夫です」
と、しっかりした声で答えた。
「そうですか。すぐに済みますから待っていてくださいね」
彼女はゆっくりと表情を変え、薄くほほ笑む。
「あの、あなたたちは誰なんですか?」
由香梨が当然の疑問を少女に問いかける。だが、答えたのはもう一人の少女だった。
「その事はこいつらを始末してからにさせてもらうわ」
その子は由香梨に抜き身の刀のような鋭い視線を向ける。由香梨はその視線を前に身を竦めてしまう。それに気付いた目つきの悪い少女が、
「あー怯えさせたなら謝るわ。ごめんなさいでも気にしないでこの目つきは素だから」
と屈託なく笑いながら謝る。
「いや、目つきだけじゃなく性格も口も悪いから気をつけてね」
口を挟んできたのは炎の前で手を突き出している少年だった。
「いい加減なこと言ってないでさっさと目の前のことをやりなさい」
「はーい」
と返事をした少年は突き出していた手を振り払った。すると、炎はかき消え小さな火の粉となった。犬達は警戒しているのか一歩下がる。
「あんたは左頼むわ、私は右やるから」
「オッケー」
少女と少年は腰に差していた刀を引き抜く。どちらの刀も日本刀のように反りがあり波紋があった長さからいって太刀に部類される物のようだ。
だがどちらも刀には不釣り合いな宝石が埋め込まれている。少年の刀には紅い宝玉が少女の刀には蒼い宝玉がはまっている。二人が犬達の方に突っ込んでいく。打ち合わせ通りに少女は右に、少年は左に進んでいく。犬どもはすぐに分散しそれぞれ突っ込んでくる少年と少女に対応し、綺麗に陣形を組み戦闘を開始する。
犬達は身にある爪や牙を用いて二人に襲い掛かるが、少年は真正面から突っ込み刀を振り上げ振り下ろす。刀は飛び掛かってきていた犬の頭をかち割りそのまま造作もなく両断する。
一方、少女は少年とは違い飛び掛かってきた犬をひらりと上体を傾けるだけで躱す。そして躱した瞬間、刀を持った手が一瞬ぶれ、何事もなかった様に少女は駆け出す。攻撃した犬は、地面に足をつけた途端体がバラバラに体を切り離される。二人は同じように飛びかかってきた犬達を少年は一刀で真っ二つに、少女は歯牙にもかけず躱し切り刻む。
二人の太刀筋には凄まじい物があり、これが命を賭けた戦いなのだと実感させられる。
俺が二人の戦いに心奪われていると戦いには参加せず、ずっと傍らにいて俺達の体を気遣ってくれた少女に声をかける。
「あの子尋常じゃないほど刀の扱いに長けている……」
俺はそう小さく呟いたのを聞き咎めたのだろう、少女は俺に話しかけてきた。
「いえ、リンカさんは刀の扱いが得意なわけではなく敵の出方を完全に見切ってるだけですよ」
彼女は少年の方ではなく、もう一人の少女、リンカの方だと言い当てた。
「にしては、えっとリンカさんの太刀筋は達人の域に達してますよ」
俺が目を凝らしてもその太刀筋を見極めることができないほどに速い斬撃そんなの今まで見たことがない。
「私に敬語は使われなくても結構ですよ」
そう彼女は微笑んで言ってくれるが初対面でタメ口を聞ける程礼儀知らずではない。
「男の子は?」
と由香梨が会話に入ってきた。
「コウさんのことですね」
彼女はそう補足する。
「えっとコウさんも凄いけど太刀筋が荒くて無駄が多くて力押ししてる感じがあるんだ。だけどリンカさんの方は動きも刀捌きも無駄がない完璧なんだ」
俺は二人から目を逸らさずに自分が感じたことを由香梨に伝える。
「真がそんな風に言うならホントにすごいんだね」
由香梨は安堵からか声に張りと元気が戻ってきたようだ。
「あーそうでしたわね」
彼女はいきなり呑気な声を上げて、
「真さんは剣道をやってらしたんでしたね」
彼女はこともなげに言う。しかし、由香梨はさっきから引っかかっていた事を訪ねる。
「あのさっきからなぜ私達の名前知ってるんですか? それになんで真が剣道やってるって知ってるんですか?」
彼女はちょっと困った顔を浮かべたがすぐに笑みを取り戻し口に指を当て、
「今は秘密です。ですが後で必ずお教えしますよ。この世界の真実と共に」
「世界の真実?」
由香梨は頭に疑問符を浮かべ、
「それは一体何です?」
俺は我慢できず、眉をひそめてさらに追及する。
それでも彼女は同じように指を俺の口に当て、
「そんなに急がられなくてもちゃんとお話しますよ。だから、今はお二人の戦いぶりを見ていてください」
彼女が顔を横に向け、つられて俺も顔を横に向ける。ちょうど二人は襲い掛かって来てた犬達を全て切り伏せた後だった。
「もう終わりかしら。歯応えがないわね」
「かかってきなよ。雑魚共」
少女・リンカと少年・コウは挑発する。
その半数をやられてしまった犬どもはそんな二人を唸りながらしかし、慎重に距離を取っている。犬達は一定距離を取り対峙しながら生き残った者同士で一塊に集まって行く。
一人は無表情に、一人は口の端を楽しそうに歪めてその様子を黙って見送る二人。一塊りになった犬達は尾の蛇を高々と掲げ口を大きく開け勢いよく炎を噴き出す。噴き出た炎はまるで意志があるように空中に停滞し一点を中心としてぐるぐると回りだす。回りだした炎はしだいに大きくなり直径五メートルの大きさまで膨らむ。その様子を黙って見ていたコウが感嘆の声を上げる。
「ふ~ん、雑魚には雑魚なりの工夫があるってことか」
と言いながら一歩前に出る
「リンカここは任せて」
リンカは肩をすくめて黙って後ろに下がる。
「さぁ見せてよ。悪あがきって奴を」
コウは刀を両手で握り両腕を伸ばし目の高さまで上げ剣尖を犬の方向に向ける。犬達はコウのその姿を隙と見たのか一声上げた後勢いよく溜めていた火球を吐きだした。最終的に大きさは、十メートルを超える程になっていた。その火球はゆっくりとコウに近づいていく。しかし、それを前にしても彼は動かず騒がず、じっと佇んでいる。
向かってくる火球はアスファルトを焦がしながらじりじりと彼との距離を詰めていく。コウは火球に刀を向けたまま棒立ちを続けている。しかし、その顔には恐怖すら浮かばず、ただ楽しそうな余裕の笑みを浮かべている。そして、火球が自分の間合いに入った途端、にんまりと嬉しそうに笑う。
コウは小さく、ポツリと、
〝炎よ〟
と呟き刀の先を火球の中に鍵を差し込むように入れた。
すると、火球は進むのをやめ、刀の先で止まる。コウは刀の先に止まった炎に無造作に手を伸ばし掴む。炎は未だ煌々と赤く燃えて周りに熱を放出しているが、そんなことは意にも返さずボールを扱うように指の先で回したり、体の周りを一周させたりして遊んでいる。
一通り遊んだ後、犬達の方に向き直り、
「所詮、犬っころの魔法ってわけね」
と落胆した顔をして、
「追い詰められた奴は」
言いながら、火球を上に放り投げ、
「自分の力以上の力を発揮するはずなのに」
片手に持っていた刀を両手に持ち直し構える。
「ガッカリさせないでっよ」
落ちてきた火球を刀の鎬の部分でナイスバッティング。打った火球は一直線に犬達に向かい犬達は火球から逃れるために散りじりになって逃げる。
「そんなことで逃げられると思うなよ」
不敵な笑みを浮かべるとまた一言、
〝炎よ〟
その言葉と共にさっきみたいに火球は止まることなく犬達に向かっていくが火球はかすかにブレ始め次第に二つに分かれ、二つに分かれた火球はさらに四つに分かれ、分裂は止まることなく進み分裂が止まった頃には火球は元の大きさの十分の一の大きさにまで小さくなっていた。
しかし、小さくなった分、数は凄いことになっている。火球は空間を蹂躙するほどに増え、犬達に襲いかかる様子は虐殺以外の何物でもなく、コウは無表情に見つめ、リンカが呆れたように溜息をついた。
「コウ、さっさと片付けなさい。あまり気持ちの良いものではないわ」
「そうだね。弱い者いじめほどつまらないものはないからね」
コウは大きく深呼吸して、
我に従いし
炎達よ
燃え盛れ思いのままに
暴れまわれ望みのままに
さぁ共に遊ぼう我が友よ
〝炎原(ヘル・ラ・ヴァ―ミナ)〟
唱え終わると犬達が虫の息で倒れ伏しているその周囲の地面に火線が走っていく。火線は円を描き、五芒星を内に描いていく。五望星が完成すると、円の中に火の手が上がる。猛火は円の中をすべて燃やし尽くし全てを灰に還していく。円の中の犬達は苦痛の声を洩らすこともできず灰に帰って行った。
「これでいい?」
「上出来よ」
コウは問いかけリンカはそっけなく答え、リンカは少女と真と由香梨の元へ戻っていく。
「さて、まずはどこか安全な場所に移動しましょ。そこで全部話してあげるわ」
「それじゃ移動しなきゃいけないね。ホタルちゃんお願い」
いつの間にか戻ってきていたコウがにこやかな顔で傍らの少女・ホタルに命ずる。
ホタルも笑顔で応え、
さぁ行きましょう
古から続く尊き契約に従いて
風よ 大気よ
我らを導き運べ
〝飛べ、風渡り(かぜわたり)〟
風が舞い始め、周囲を踊り始める。次第に、舞は速くなり視界を覆い隠し目を開けていられなくなる。浮遊感と風が通り過ぎる音が一瞬耳を掠めたと思ったらその後はすぐさま静寂が訪れ俺は不安に思いすぐに目を開くとそこは机と椅子が並び、落ち着いた雰囲気を醸し出すレトロな喫茶店のようだった。
店内はマスターと思われるエプロンをした男性が一人と数人のサラリーマンと思われる客がいる。外と同じように全員時間が止まっていた。コウは一つの席に勝手に座ると残りの二人の少女もその両隣りに座る。俺達は必然的に向かいに座ることになる。俺と由香梨は緊張気味に椅子を引き座る。
「さて、まずは改めて自己紹介といきましょうか」
リンカはそこで一度言葉を区切り、
「私はリンカ、安心してほしい私達はあなた達の味方だから」
「その根拠は?」
俺は緊張と警戒の糸を切らずに押し殺した口調で間髪入れずに問いかける。
「根拠なんてないけど、味方じゃなかったらあそこで助けたりしないわ。それが根拠と言えば根拠かしら」
そこでリンカは区切り、息を整えるように深呼吸して口を開く。
「率直に言うけど今のこの状況はあなた達にとって危ないことだけは言える」
それだけを言うとリンカは口を閉ざした。それから沈黙が場に降りるがそれを破ったのは意外にも静かに椅子に座っていたホタルだった。
「リンカさんもうちょっとちゃんと説明してあげましょうね」
「だってめんどくさ……」
リンカは全部言いきることもできずに息を呑んでしまう。ホタルから立ち上る達人すらも退かせられそうなオーラを纏っていたからだ。しかし、そんなオーラを纏うホタルにコウが大慌てで止めに入った。
「ホタルちゃん落ち着いて、落ち着いて、殺気が、威圧感がだだ漏れてるからそれに、真と由香梨もいるんだから。怯えてるから」
コウがそこまで言うとホタルはハッとしたように俺達に向き直り急いで取り繕うように手をバタバタ振りながら、
「すいません、お二人ともお見苦しいとこをお見せしてしまって」
行動はとても可愛らしいのに言動が丁寧なせいで、あまり噛み合っておらずちぐはぐした印象を感じる。
「気にしないでホタルさんは私たちのために言ってくれてるんだから、そんなに気に病む必要はないよ」
由香梨は慌てて慰める。
「ありがとうございます。由香梨さん。リンカさん、ちゃんと説明してあげて下さいね。私は結界の集中に入りますから今度ふざけたらどうなるかお分かりですよね?」
笑顔だがその裏の顔は完璧に般若のそれへと変貌しているホタルが最後の念を押していく。
「分かった。分かった。ちゃんと説明するから早く結界の集中に入ってよ」
手をふらふらとやる気な下げに振るリンカを一瞥してホタルはそのまま声を掛けずにゆっくりと目を閉じてまるで眠るような安らかな顔で瞑想に入った。
「さて、ホタルをまた怒らせちゃたまらないし、ちゃんと説明してあげるから心して聞くのよ」
リンカはこれまでのだるそうな顔をキッと引締め神妙な顔をしている。その顔に不安と戦慄を覚える。
「今私たちがいるこの世界は別の世界〝別界〟魔法使いたちが戦場として使っている世界よ。ここに来るためにはある一定量の魔力を持つか、魔法による処置が必要となるのだけれどあなた達は魔力が基準値を超した事によってここに迷い込んでいる」
俺は深呼吸を繰り返し、頭を常に冷静に保ちながら疑問を投げかける。
「あなた達が只者ではないとは分かっていましたが魔法使いときましたか。まぁそれは良いとします。さっきの戦闘を見せられたらここが俺達の理が通じない世界だということが想像付きますから。ではなぜ俺達の魔力の量が増えたんです? それに魔法使い同士でなぜ争うのですか仲間ではないのですか?」
俺の疑問にうんうんと隣の由香梨も頷いている。
「なかなか柔軟な思考してるのね。良い事だわ。さて魔力が何故増えたのかって質問だけど魔力が増えるのは人それぞれ千差万別なんだけど、一般的な例は自分の価値観を変える大きな出来事や命に関わるような事件などの出来事からの経験、または誕生日を迎えるとかの時間そのものによる経験があるかな。あなた達はこの前誕生日を迎えたばっかだから後者だけどね」
俺は驚き、由香梨の方を振り向き視線を一度交錯させ、俺が口を開いてリンカに聞く前に、
「あなた達のその疑問は後々わかるから今は深く追及しないで頂戴。後もう一つの疑問のなぜ戦うのかだけどそれは私達と敵対している魔法使いはあなた達や私達が住んでる世界〝現界″の人間の魔力を喰らうから」
「そういえば魔力って何ですか?」
由香梨は首を傾げる。もしかしたらあの異変の時に由香梨と俺の間で流れたあの温かいモノが魔力だったのかもしれない。
「魔力とは人間に流れる感情エネルギーの総称のこと。この魔力を喰われると人は自分の感情が制御できなくなる」
リンカはそこで一呼吸置き、眉を寄せ険しい顔をしてから再び話し始める。
「魔力を喰われた人間、私達はそれを〝夢無人〟と呼ぶのだけど〝夢無人〟には死ぬ以外の選択肢がない。ただ〝夢無人〟はすぐ死ぬわけではなく、徐々に心を蝕まれていく。最初は自我が不安定になっていくだけだけど症状が進行すると自分の中にもう一つの人格が形成されていく。その人格は人間の負の感情が寄せ集まって形成され主人格から体を乗っ取り暴虐非道を繰り返すのだがそれを元の人格は自分の中で無力にそれを傍観するしかできない。そうやって傷ついていった心は唐突に持ち主に返されるのだけどその時には心はボロボロにされ立ち直る気力もなくなっている。そして最終的に自ら命を絶ってしまうというのが〝夢無人〟の末路」
「暴虐非道とは具体的にどんな?」
リンカの隣に座ってコーヒーを啜っていたコウが口を挟んでくる。
「それは聞かない方が身のため。心の安寧のためだと思うよ」
「いずれ知るかもしれないけど、今は知らなくても困らないから」
「奪った魔力を取り返して、その〝夢無人〟に返すことはできないの?」
「それは無理、魔力は影響を受けやすく奪われた魔力はすぐに変化してしまう。魔力は人一人一人によって性質が違うから変化してしまったら取り返せたとしても体が受け付けてはくれない。まぁ例外は何にでもあって喰われても戻ってきたという例はいくつかあるんだけどね」
由香梨はまだ首を傾げているが、俺は何とか理解することができた。
「要するにあなた達と敵対している魔法使いは魔力を喰らって人を殺している。そしてあなた達は喰われないように守ってるということですね」
「理解が早くて助かるわ」
「でもそれでも同じ魔法使いには変わりありませんよね。なら戦わないで話合いで解決できないのですか?」
「甘い、甘いよ~由香梨ちゃんそんな甘くちゃこれからやっていけないよ」
コウがかなりハイになって由香梨に絡んでくる。
「あんたは黙ってなさい、ややこしくなる」
リンカはコウの顔面をアイアンクローでがっちり鷲掴みにして椅子に無理やり座らせる。
「向こうの魔法使い達は基本的に俺たち〝現界〟の人間を憎んでいるからね。気にする必要はないと思うけどね」
「それは私たちが深く考えてないだけ。向こうにとっては偽物呼ばわりされてるのと同義、頭に来るのはしょうがないじゃない」
「それこそ僕たちに関係ないでしょ、逆恨みはやめてほしいものだね」
「しかたないでしょ、こっちは本物、向こうは偽物これが変わることはない。それを気にするのか、気にしないのかは個々の物の見方や価値観にも影響されるでしょうが」
「でも、それこそ人の数だけ思想の違いはあるよ」
「ええ、だから向こうの世界でも私たちに協力してくれる人はいるわよ。今回襲ってきてるのは私たち〝現界〟の人間を恨んでいる奴が個人的に来てるみたい。いい迷惑なのよねこっちは争う気なんてこれっぽちもありはしないのに。まぁ降り注ぐ火の粉はすべて吹き飛ばさないといけないけど。さて、これであらかた今説明しないといけないことは言ったかな」
途中からコウとリンカが俺達を置いてけぼりにして討論していたが急に方向転換して説明を終えてしまった。
「とりあえず必要な事は伝えられたかしら。さてこれらを踏まえてあなた達には一つ返さなくちゃいけないものがあるわ」
そう前置きしたリンカは体を前屈みに傾けて俺達に両手を伸ばしてくる。
「動かないで」
鋭く言い放たれた言葉に俺達は竦み上がる。リンカが伸ばした指は俺達の額に振れ、
〝魔法の造形〟
触れた指先から淡い光が生まれ俺達の額に指が入り込んで行く。俺はされるがままにただ動かず眺めているしかなかった。
指の第一関節ぐらいまで埋まったところでリンカが指を引き抜く。俺は急いで自分の額に触れ異常がないか確かめる。だがそこには血も傷もないようだった。由香梨の額を見ても変わった所はない。
「そんなに心配しなくても大丈夫。これも魔法だから」
リンカは先ほどとは打って変わって優しい声音で話しかけてくる。
俺がリンカの方に顔を向けるとリンカの指に一辺二センチ程度の立方体が二つゆっくりと回転しながら浮かんでいた。立方体には細かく切れ込みが入っていてそれは立体パズルのように一つ一つがピースになって分かれる構造になっているようだ。そして二つ共に一か所だけ不自然にピースが足りていない。
「それは何だ?」
俺は今まで使っていた敬語を忘れ問うていた。それにリンカは努めて何でもないように答える。
「これはあなた達の記憶を分かりやすいように魔法で構築し、取り出したもの。そしてこのピースはあなた達が今まで生きてきて頭に蓄えてきた知識、体験、思い出よ。ここ、ピースが一つ足りないしょう」
リンカが穴の空いた一か所を指さし、俺達に示してくる。
「ここにはある人物の思い出が嵌っていた。それを取り除いたのは私達」
「なぜそんな事をした」
俺は勝手に頭の中を弄られていた真実に怒りに思わず怒気を孕んだ声で言っていた。
「怒っても仕方ないわ。ちゃんと今から返してあげるから。そして思い出してあの子の事を」
リンカは今にも泣き出しそうな顔を無理に笑みの形に変えている。
立方体を持っていないもう一方の手を軽く振ると欠けた個所に光の粒子が集まり、最後のピースが嵌る。途端、俺の頭に激痛と共に幾つもの光景が浮かび上がっては消えていく。
それは早送りされる映画のように次々と映像が流れていく。場面が切り替わるごとに襲いかかってくる激痛に苛まれながらも思い出していくあいつの笑顔、あいつの泣き顔、あいつの拗ねた顔、そして俺を呼ぶあいつの声。
『真』
そして俺は失われていた最後の記憶まで辿り着いたらしい。
俺と由香梨、そしてあいつ、俺と由香梨はかなり戸惑っているらしく俺の心はさざめき怯えと不安で押し潰されそうになっている。
それを客観的に俺は自分の内から眺め続ける。思い出してきた記憶は今から二年前の丁度春、俺と由香梨の前からあいつが消えた瞬間、いやあいつが殺されたその記憶。だが俺にはあいつの名前が思い出せない。これから起こる事は思い出せるのに名前だけが……名前だけが思い出せない。
戸惑う俺達を宥める為だろう。あいつは落着いた声と態度でゆっくりと今起こっている事を説明しているようだった。しかしその声は届く事はなくただただ心を掻き乱すだけだった。
そんな戸惑っている俺達の前に更なる脅威が姿を現すのを俺は見た。それは俺達の視線の先、あいつの背後に現れた。それは人間にして異形にして異常。それが俺達と同じ人間だとは思えなかった。いや思いたくなかった。こんなにも歪んでしまった存在が俺達とイコールなど本能が否定する。
それは人間の腕に見える異形の何かを振り上げ今だ戸惑い混乱する俺達とあいつの背に向かって振り下ろす。
最初はただの突風かと思った。だがそれは間違いと思い知らされるように爆音が轟く。それはかなり近く、いや、眼前で起こった。あいつが後ろに向けた掌から燻った黒煙が立ち昇っている。
由香梨は俺の腕に縋りつき身を震わせながらあいつに恐怖の視線を向ける。そんな俺達に後ろに下がるように言い、あの異形に対峙しようとするが、ザシュという音と共にあいつの背中から赤い異物が飛び出てきた。それはあいつの血によって赤く染まった異形の手。指先からはあいつの生命が一滴、一滴、赤い雫となって零れ落ちていく。
その光景は俺の精神を破壊するのに十分な威力を持っていた。
俺は訳も分からず叫びながら由香梨が絡めていた手を振り払い異形に向かって走り固く握りしめた拳を振り上げる。俺の怒りを籠めた拳は空を切ったと共に俺の腹部に炎が灯った気がした。後ろで由香梨が叫ぶ声がした気がしたがそれも定かではない。周りの音が遠くなり意識も徐々に黒く染まっているようだ。
そんな染まっていく意識の中あいつは風穴が空いた体で立ち上がり俺に笑ってこう言った。
「真、必ず助けてあげるからね」
声は聞こえなかったけどそう言ったのは伝わった。
俺は意識を失いながら必死にあいつの名を呼んだ。
「紗姫……」
目が覚めたら机に突っ伏していた。顔を上げると沈痛な面持ちでリンカ達三人が俺達の事を見ていた。隣で同じように由香梨も身をゆっくりと起こしていた。
「思い出した?」
正面にいるリンカが問いかけてきた。
俺は勝手に溢れてくる涙を何度も何度も拭いながら、
「ああ…………なぜ俺はあいつの事を……紗姫の事を忘れていたんだ。例え魔法の力だとしても忘れてはいけないはずなのに。いや、その前にあの後紗姫はどうなった? 俺が生きているということはあいつが俺達を助けてくれたのか?」
俺は俺が気絶した後の事を知っているだろう当事者のもう一人、由香梨の方に顔を向け問いかける。しゃくりを上げて泣き続けながらも由香梨は答える。
「ごめん、真。私もあの後、お腹に穴を空けた二人を見て気絶しちゃったみたいなの。そこからの記憶がないから……」
「そうか……なら」
確実にその後の事を知ってるだろう人達に聞いた。
「あの後一体どうなったんだ?」
「真、あなたが気を失ってからすぐに私達は到着したわ。だけどその時には全部終わっていた。血塗れのあんたと気を失った由香梨――」
リンカは一度そこで区切り、深呼吸をして呼吸を整えている。それはまるで自らの罪を明かす咎人のような面持ちで口を開いた。
「――そして〝夢無人″となった紗姫が残されていたわ」
その言葉を聞いて顔から血の気がひいていくのが分かった。リンカの説明に出てきた〝夢無人〟その一言に俺は深く絶望した。
――〝夢無人〟には死ぬ以外の選択肢がない。
リンカの言葉がグルグルと頭の中を駆け廻る。呼吸が苦しくなり息が上がり、体は熱くなっていくのに頭は血の気が引き思考出来なくなっていく。
「真さん、落着いてください」
ふわっと俺の頭を優しく包み込む温かい腕。いつの間にか俺はホタルに頭を抱かれていた。何度も何度も俺の頭を撫でてくれる。そのたびに俺の体に鎖のように絡みついていた熱が解けて行く感じがした。
「真さん、紗姫さんは生きています」
「えっ!?」
「ホタルが言った事は本当よ。紗姫は生きてるわ」
「でも紗姫はさっき〝夢無人〟になったって」
「ええ確かになった。でもこの話の続きは後にしましょう。どうやら敵に見つかったみたいだから」
そう言って席を立つ、リンカ。
「俺達はどうしたらいい?」
リンカに投げかけたはずの言葉に答えたのはコウだった。
「ホタルちゃんをこっちに置いておくから大丈夫だよ。僕達は狩りを始めるから応援よろしく~」
コウが軽い調子で告げ入口に足を向ける。
「リンカちゃん行こうか」
二人は赴く戦場に迷いなく歩みを進める。
「さて二人の戦いをのんびり観戦しましょうか」
ホタルが中空に手を翳す。
すると、ホタルの手元にディスプレイが浮かび上がり先程の二人が映し出されていた。いつの間に移動したのか大通りを歩く二人は自然体でまるで散歩しているようにしか見えない。
「今日は客もいる事だし派手にぶっ潰そうか」
大通りの途中でコウは唐突に止まり、片手を上に掲げ、呟く。
〝炎よ〟
唱えると紅の火球が空に向かって駆け上がる。火球は一定の高度まで達すると火球が弾け花火のような大輪の花を咲かす。
「これでしばらくすれば敵さんが来てくれるでしょ」
と言った刹那、空に暗雲が立ち込め、そこから徐々に雲が螺旋を描きながら降りてきてリンカ達の目の前に小規模の竜巻となって現れ。その竜巻の中に一つの人影が見える。
〝術式発動〟
〝二十からなる紅蓮の矢束〟
コウの周りに火の玉が現れ飛び出していく。火の玉は飛ぶ間に矢の形を形成し、あるものは弧を描き進み、あるものは一直線にターゲットに向かって赤い軌跡を残しながら飛翔していく。
そしてターゲットに二十本もの矢が突き刺さり爆砕する。一本当たるたびに爆風と炎を撒き散らす。
「敵に容赦はしないよ」
〝詠唱破棄〟
〝紅蓮の奔流〟
コウの正面に幾何学模様の円形魔法陣が生まれる。
魔法陣にそっと右手を備えて一言、
〝発射〟
魔法陣の中心から凄まじい勢いで高濃度、高出力の炎が迸りターゲットに直撃し再び爆砕する。
「消し炭になったかな」
ようやく攻撃の手を止めたコウがリンカに問い掛ける。
「いやまだ生きてるわ。手を抜いているとはいえあれだけの攻撃を防ぎきるとはまぁまぁやるってことかしら」
「手を抜いてるとはどういうことだ」
いきなり聞こえた声は爆心地の中心から聞こえてきた。
爆煙が晴れるとそこにはリンカ達と年は同じぐらい、脊恰好は細身の長身、端正な顔立ちで、動きやすいようになのかなにか意味があるのか黒のインナーに同色のズボンだがその服装に映える異様に長い白のマフラーを纏った少年がそこにはいた。
「言葉通りだよ。僕はまだ本気じゃない君程度なら本気なんて出す必要もないしね」
その言葉に白マフラーの少年は怒りを露にする。
「それは俺を舐めているってことだよな」
「舐めているわけじゃないよ。事実をありのままに伝えてるだけ。君からはそこまで大きい力を感じるわけじゃないし」
おどけた口調のコウはあっけらかんと言い切った。
「あまり調子に乗らない。油断は禁物だと教え込まれたでしょ」
そんなコウをリンカが窘める。
「おまえら人をバカにするのもいい加減にしやがれ!」
今まで自分を包んでいた風が突然牙を剥いて襲ってきた。体全体を万遍無く叩きつける台風を思わせる強い風がリンカ達を攻撃する。
しかし二人は苦もなく平然と立ち続けている。着ている服や髪は凄まじい風で乱れているのに二人には飛ばされないように耐えている様子もなくまるで自分たちの周りは無風状態で風など吹いていないように余裕の態度を崩さない。
そんな強風の中少年は地面を砕く程の力で地を蹴り風を味方に付け、コウに肉薄し、顔に向かって右の拳が飛んでくる。
それを左手で受け止めて手首を掴み、拳の勢いを利用して投げ飛ばす。空中に放り投げられた少年に向かって追撃の〝魔法の矢〟を放つ。しかし少年も素早く反応し、右手を横に振って魔法の矢を射出、迎撃する。矢同士はぶつかり小規模の爆発を引き起こす。
「反応速度はそこまで悪くはないっと。それに術の構築も早いっと。それじゃ」
コウは足元を爆発させ推進力を得、着地した直後の少年に向かって肩から突撃する。少年は片手で肩を踏み台にコウの頭上で曲芸師の如く逆立ちを決め躱し、無防備な背中を蹴りつける。が、アクロバティックな攻撃にもコウは素早く反応しその蹴りを靴底で受け止め蹴り返し、対処する。拮抗した力は二人を大きく後ろに下がらせ距離を取らせる。
「体術もなかなか、これはどうかな?」
我が心に宿る炎を触媒に
世界に煌々と燃える
紅蓮の炎を灯すでしょう
それは決意
それは憎しみ
それは我が望む意志の炎
破壊と殺戮
世界に混沌と混乱
波乱を巻き起こす
少年は一つ舌打ちし、目を閉じ詠唱に入る。
我が真名〝神風〟の名において命ずる
猛き荒れ狂う風よ
すべてを切り裂き
すべてを薙ぎ倒し
すべてを断罪する
天空の刃となせ
二人の詠唱はほぼ同時に終わる。
〝燃え上がる世界の咆哮〟
〝神が生み出した滅殺の暴風〟
再びコウの前に幾何学模様の円形魔法陣が現れると同時、少年の前にも色違いの魔法陣が現れる。魔法陣をコウは殴りつけ、少年は優雅な仕草で手を添える。
「砕け散れ!」
「ほざくな!」
コウの魔法陣の中心から紅蓮の炎を固めた砲弾が周囲の障害物を熱と衝撃を持って砕きながら音速の速度を超えて飛来する。少年の魔法陣からは鎌鼬を含んだ突風が街路樹やビルを輪切りにしながら襲いかかってくる。街に甚大な破壊を齎した魔法は正面からぶつかりあい熱風と鎌鼬を撒き散らしながら霧散する。
「魔法もなかなかっと今回の戦闘は楽しめそうだな」
納得がいったように何度も頷きながら笑みを浮かべるコウに今まで弄ばれていたことに気づいた少年は言葉を荒げて怒りを露わにする。
「貴様! 俺を〝神風″ヘルキスと知っての物言いか!」
「〝神風″ね~。リンカ聞いたことある?」
と後ろで控えているリンカに話しかける。
「聞いた覚えはないわね。どうせ勝手に名乗っているか、それか新参者でしょ。どちらにしてもコウ、さっさとしてくれないかしら。待ってる身としてはとっても暇なの」
「わかった。わかった。まったくリンカちゃんは短気でいけな……」
「さっさとしなさい。文句は受け付けない」
コウの首筋に冷たい金属特有の感触が走る。リンカが腰の刀を抜き押し当てているからだ。渋々といった様子でコウは敵の少年ヘルキスに終わりを告げる。
「残念。僕としてはもう少し君と遊んでいたかったんだけど、ダメみたいだ。これで終わりにするよ。生き残りたかったら全力を出して防いでみて」
真なる炎
紅に輝く
破壊 再生
何を司る
この先にあるは
生か 死か
神は我らに何を望み
何をさせようというのか
怒り
悲しみ
それとも喜び
我らは運命という絶対神の手の平で
踊り続ける
人形か
喜劇を演じ
悲劇に泣かねばならなくとも
生きることはやめられない
断ち切らせるな
〝我々が生きようという意思の強さ(ベル・ラ・アティリス)〟
コウが呪文の詠唱とほぼ同時にヘルキスも詠唱に入った。
我が真名〝神風″の名において命ずる
すべてを打ち砕き
すべてを無に帰す
神の刃よ
我に抗う愚か者共に
平等な死を与えたまえ
〝神が生み出したノアの竜巻〟
長大だったコウの詠唱に対しヘルキスの詠唱は短くも重々しくそして殺意に塗れていた。
コウは自分の前に出現した紅色の魔法陣に右手を突っ込み引きだす。その手には紅の槍が握られている。火の粉を散らしながらコウの手の中で燃え続ける焔の槍。コウは腰を落とし構える。
ヘルキスの足元にも魔法陣が出現すると同時に暗雲が立ち込め、渦を巻きヘルキスを中心にして竜巻を形成する。
「行け!」
ヘルキスがそう命令すると竜巻はまるで意思を持ってるように唸り分岐してコウに襲いかかる。
「甘い甘い」
コウは難なく躱し、槍で払い笑みを絶やさず更に深めていく。
「だから君は雑魚なんだよ。力押しなんて雑魚がする代表例だよ。もっと戦略立てして戦わないと」
その言葉を戦場の片隅で聞いていたリンカがポツと呟く。
「あなたが言えるセリフじゃないでしょうが」
と呆れていた。
「そんな事いってお前俺に手を出せないじゃないか!」
更に数を増やして襲わせるヘルキスだがその顔には焦りがある。幾重もの攻撃を繰り出すにもかすり傷さえ付けられない事に苛立ちも混じっているようだ。
「そろそろこっちからも行かせてもらうよ」
槍を真っ直ぐ前に突き出し足を地面に飲めり込ませ、詠う。
更なる姿を見せましょう
羽ばたく私
見守るあなた
それすなわち自由を求める我が心
あなたを置いて行く事に
罪の意識あるなれど
空を求める心押さえる事叶わず
ゆえに我 あなたの心を胸に抱いて
蒼穹の世界に身を委ねよう
〝蒼天を穿つ紅閃〟
槍が一層紅に輝き、爆発的に魔力が高まる。
「いやっほーーー!」
コウが歓喜の雄叫びを上げると同時に槍頭から翼が生え、空に向かって飛翔する。
ヘルキスが呼んだ暗雲を貫き風穴を開けその風穴から深い蒼と太陽の光が垣間見える。
コウの槍は雲を突き破った後も高みを目指して更に昇っていく。
「こけおどしか!」
ヘルキスは更に竜巻の数を増やしてコウを襲わせる。
「いやそういうわけじゃないよ。ただこの魔法は……」
竜巻がコウの眼前まで迫る。コウは視線を逸らさずヘルキスを見据える。その時天から赤き閃光が降り注いだ。その光は竜巻を貫き、地面に縫い止めた。
「発動まで時間が掛かるんだよね」
コウの顔は常に笑顔だ。だがその目は狩人のそれになっている。既に相手の生殺与奪を手中に収めたようなそんな目をしている。
「竜巻ってさ、台風と同じでその中心は無風状態なんでしょ。その中心にいる君は上からの攻撃には無防備だ。だから僕は容赦なくその弱点を攻めさせてもらうよ」
そう言ってコウはゆっくりと前に突き出し親指を下に向け、地面を指す。それは『死』を意味するジェスチャー。
「楽しかったよ。ありがとう」
心の底から楽しそうに言ったコウの言葉を聞けたかどうか分からなかったがほぼ同時に空からの光がヘルキスの纏う竜巻と一緒に蒸発し、跡型もなくこの世から消え去った。呆気ない幕引きだった。
「やっと終わらしてくれたわね。コウあんたならもっと早く終わらせられたでしょう」
「それはそうだけど、真とか由香梨がいたからかっこいいとこ見せたいじゃん」
「一回あんたの頭をかち割って洗ってあげようか?」
「謹んで遠慮させてもらいます」
コウは地面に平伏する。
「ホタル、二人を連れてこっちに来てくれないかしらもう安全だから」
コウを完全に意識から除外してホタルに連絡する。
頭に直接響いてくるホタルの声。
『はい分かりました』
「二人は大丈夫? ショック受けてない?」
『大丈夫ですよ。コウさん、せっかくかっこよく倒したつもりなのでしょうが。お二人とも紗姫さんの事が気になって全くそちらを見ておりませんから』
ガーンと平伏していたコウが更に地面に呑めり込む程に落ち込む。
「僕の苦労はいったい……」
「あんた遊んでただけじゃない」
リンカがコウの頭を踏みつけ踵でグリグリと地面に押し付けていく。
「リンカちゃん痛いって」
コウが嘆くが構わず踏み続ける。そうやってリンカがコウを弄り倒している内に三人がこちらに向かってきた。
「お疲れ様です。リンカさん、コウさん」
「ホタルちゃんもお疲れ様」
コウが踏まれたままの状態でホタルに声をかける。
「リンカさんお仕置きはそこまでにしといて上げたらどうですか? 自分が戦えなかったからって拗ねないで」
「私は別に楽が出来たから良いけど、こいつの戦い方が気に入らないだけよ」
ゲシゲシとコウの頭に何度も蹴りを入れ続ける。
「だから痛いってば」
コウはそれでも笑みを崩さず、蹴りを受け続けている。そんなコントのような遣り取りを続ける三人に痺れを切らしたのか、
「それで紗姫はどうなったんだ」
重く静かに真が口火を切る。
「紗姫は生きてる。ここを出たら会わせてあげる」
それだけ告げリンカは地面を蹴り、羽のように舞い上がり、中空に佇み、指揮者のように両手を振り上げる。
〝動け〟
〝刻み始める歯車″
呟くように声を爪弾くと波と風となって世界に色を取り戻させる。魔法が完成し蒼い光がヘルキスとコウの衝突によって砕けたアスファルトや倒された街路樹、割れた窓などが時間を巻き戻すようにあるべき場所に還っていく。そして最後に一度仮初の色が全て抜け落ち、本物の色に戻っていく。
色と同時に音の波も還ってき、人の話し声、車が出す排気音と走り去る風を体に受け、ようやく現実に帰って来たと実感する。
真達五人はいつの間に移動したのか屋上にいた。真達は知らないがそこは最初にリンカ達が魔法を発動したビルの屋上だった。地面に描いた魔法陣は消え去っている。
「戻ってきたの……?」
由香梨は疲れた声で呟いた。
「ああ……そうみたいだな」
真もそう呟いた。
「大丈夫ですか? こっちに戻ってきて気が抜けちゃいましたか?」
ホタルが二人の顔を窺いながら聞いていた。
「それよりも紗姫に会わせてくれ」
真は静かにだが押さえきれない感情を声に乗せて言った。
「そうね。だけど覚悟してついてきなさい」
不吉な事を言ってリンカは階段に向かった。
その後をさっさとコウとホタルは付いて行き更にその後ろを真と由香梨が躊躇いがちに付いて行く。




