0-6 異世界の雑貨店
「眠れなかった…」
早朝。まだ薄暗い廊下をトボトボと歩き、洗面所の鏡に映った自分の姿を見て、がっくりと項垂れた。原因は言うまでもなく、夜中に自分の部屋に夜這いに来た妹、ルイスだ。彼女はまだ自分のベッドですやすやと寝ている。
「まあ、今日は仕事休みだから昼過ぎまで寝かせてあげよう」
水桶の薄く張った氷を軽く叩いて割り、手を入れる。手の先からキンっと突き刺す冷たさが、寝不足の頭を叩き起こす。…良し、目が覚めて来た。いつもの日課の前に簡単に朝食の準備をしておこう。そう思い、キッチンに向かった。
「あり?」
キッチンに入っていつもの戸棚を開いた瞬間、気が付いた。
いつもの食材が無かった。
「参ったな………」
切らしていたことをすっかり忘れていたようだ。まあ、無いものは仕方が無い。昨日の残りをアレンジした物で済ませよう。その後、色々買い物に出かけよう。
そう決めて、朝食の支度に取りかかった。
ノースドウッドの中央広場から扇状に広がる港市。その一番角に店を構える【スティレット雑貨】に俺は入っていった。
「あら、スバルさんいらっしゃい」
出迎えてくれたのは、この店の女店主のマリエ・スティレットさん。腰まで届く滑らかな黒髪に澄んだエメラルドグリーンの瞳にピンと尖った耳。どこか日本人に似た雰囲気を持つ美女だ。
それもそのはず、彼女の父親は俺と同じ世界から飛ばされて来た日本人。その人とエルフの間から生まれたハーフエルフだった。
「マリエさん。いつものを切らしてしまったのでまた買いに来ました」
「あら、この前随分買い込んで行ったのにもう?ふふっ、よく食べるわ。ちょっと待ってて、今奥からとってくるから」
マリエさんは笑みを浮かべて店の奥へと歩いて行った。その間、俺は店の商品を眺めて時間を潰す。
店の中には、瓶詰めのジャムや干し肉、乾燥させた薬草の束など、様々な食品が綺麗に並べられていた。見た事もない物も数点あり、いつ来ても見飽きない。
(ん?)
その時ふと、懐かしい匂いを嗅いだ。
(こ、この匂いはっ)
匂いのする方向へ進み、飴色の瓶の前で止まる。これだ、間違いない。
瓶を手に取り、軽く振ってみる。チャプン、と音がする。
(この匂い、しかも液体。間違いないアレだ!!)
「スバルさん、お待たせ~」
奥から皮袋を抱えて戻ってきたマリエさんに俺は駆け寄った。
「マリエさんっこの瓶の中身ってもしかしてっ」
「あら、もう気が付いたの?そうよ、パパの手記に書いてあった異世界の調味料の一つ、」
「「醤油」」
マリエさんと俺の声が重なる。マジか、やった。醤油が異世界で拝めるなんてっ。
「味見していいですかっ」
「ええ、もちろん」
早速瓶の栓を抜き、慎重に醤油を手のひらに垂らす。そして、舐めてみる。
「どう?パパが書き残した通りの方法で間違いないと思うんだけど」
「ええ、完璧です。美味しい醤油です」
「よかった~。因みにそれは最近完成した試作品一号さん。スバルさんが来たら気が付いてくれると思って用意しておいたのよ」
悪戯が成功した子供の様ににっこりと彼女は微笑む。思わず見惚れてしまう位だ。
「で、これって売ってくれます?」
「ふふっ、今回はサービスしておくわ。それと、これが注文の品よ」
先ほど持ってきた皮袋の紐を解き、中身を確認する。袋の中にはお米が詰まっていた。
「確かに。ありがとうございます」
俺は腰帯吊ってある袋から銀貨と銅貨を数枚取り出し、マリエさんに渡した。
「毎度どうもありがとうっ。そう言えば今度【焔室の祭壇】に行くんだって?妹がえらく張り切ってたわよ」
「クロエが?」
マリエさんには妹がいる。夜梟副組合長のクロエ・スティレットが。
「夜梟の代表で妹が参加するみたいよ。あの子の魔法は【焔室の祭壇】攻略に役にたつしね」
そう言った後、マリエさんはずいっとカウンターから身を乗り出してくる。そして、俺の手をぎゅっと握り、真っ直ぐ見つめてくる。
「だから、あの子の事お願いね。しっかりはしているのだけど、時々危なっかしいから」
「わかりました」
彼女の真摯な願いを俺は受け取る。
「ありがとうスバルさん。あ、そうだ。そのお仕事が終わったら、湿地帯の作物の収穫の護衛に付き合ってもらおうかしら」
「収穫の手伝いならともかく、夜梟前組合長に護衛は必要ないのでは?」
俺の問いにマリエさんはにっこりと微笑み、答える。
「あら、私だってか弱い女の子よ」