0-5 ルイスのご機嫌②
ダンっとテーブルを叩いてルイスは続く。
「それに、おにい…いえ、スバルはまだ【見習い】です。封印地区の立ち入りは禁じられています」
「それについては分かっている」
分かって…いるだと?
騎士候補生の言葉に俺は驚く。
「悪いが一角兎を調べさせてもらった。
スバル、君は半年前にこの世界に流れ着いた異世界人だということ。ダリル・フランベルジェと同じ魔法、具現錬成を遣い、群狼の組合長を倒した事も全て」
やっぱり、全部知られている。
「この結果に団長と最組合長は君をとても評価している。よって、【見習い】から【正規組員】に昇格。よって、護衛についてもらう」
「………あのタヌキオヤジ」
小さい声で最組合長の悪口を呟くルイス。
「では、出発は三日後。それまでに準備をしておくように」
言い終わると羊皮紙を仕舞い背を向ける。
「………あと、」
ふと、騎士候補生の足が止まる。
「武器商人の件、本当に助かった。ありがとう」
振り返らず、言葉を残して騎士候補生は去って行った。
「おにいちゃん、塩巻いて下さい。お・し・お――――――!!!」
ルイスはその後、ずっと不機嫌だった
◇◆◇◆◇◆◇
ノースドウッドは白と黒の国と言われるのは理由があった。
一年の大部分を白い雪で大地を染める北の国。分厚い雲は昼夜問わず空を覆い、太陽と月を隠す。だから、この国の夜は墨汁をぶちまけた様に黒く染まる。それが、白と黒の国と言われる所以だった。
夜の自室。
机に置かれたランプが部屋を照らす。
俺は部屋の中央に座り、羊皮紙に書かれた魔法陣を広げ意識を集中させる。
イメージの中で幾度となく振り下ろされる鎚。
透き通った鈴の音の様な金属音。
魔法陣が輝き始め、同時にイメージの中の刀がはっきり浮かんでくる。
「来いっ!!」
掛け声に乗せて力を放つ。
しかし、何も起こらなかった。
「くそっ。やっぱ、ダメか………」
この世界には魔法を遣うための力が至る所にあふれている。人の体にはもちろん、生きとし生けるものには全て宿っている。
しかし、俺にはその力が極端に無い。
それは、魔法遣いとしては失格だ。それでも俺が魔法遣い足り得るのは、具現錬成魔法を遣えるおかげだ。
「まっ、この魔法も自分のではないんだけど……」
しかも魔法陣で力を増幅させてやっとできるかできないか、だ。
それでやっと出来るのは爪楊枝サイズの刀のみ。
ふうっとため息を吐き、上を見上げる。
「ま、寝るか」
悩んでも仕方ない。朝の錬成もあるし休もう。
机に置いてあるランプの灯を消してベッドに入る。
しかし、いつまで経ってもこのふかふか感は慣れない。
コンコンっ―――
ノック音。その後に扉の開く音が続く。
誰でもないルイスだ。機嫌が良くなったのだろか?
「おにいちゃん………」
「ルイスか?どうしたんだこんな時がっっ!!」
固まった。理由はルイスの格好だ。
手に持っている蝋燭の微かな灯りが彼女の姿を晒す。
ぶかぶかのシャツだけしか着ていない。いや、ボタンを留めていないから羽織っているといった方がいいだろう。
な、なんて恰好してるんだっ。
「ど、どうして、ルイスさんはワタクシのシャツを着ているのですか?」
「脱衣所に置いてあったから」
答えになっていない。そーじゃなくてっ!!
「おにいちゃんの匂い……好き」
シャツの襟を鼻に押し当てて匂いを嗅ぐルイス。ぞわぞわぞわーっと背筋が震えるっ。
ルイスは、ふっと息を吹きかけ、蝋燭を消す。一瞬で部屋が闇に飲み込まれる。
「おにいちゃん」
どさっ、とベッドに倒れこんでくるルイス。四つ這いになり、猫の様なポーズでじりじりとにじり寄ってくる。羽織っただけのシャツはルイスの年相応の膨らみを隠そうともせず、動くことで更に開けさせる。
「る、ルイス、ちょ!」
俺は、ありったけの力を込めて目蓋を閉じた。
「おにいちゃんは私の事嫌いですか?」
「き、き、き、き、き、き嫌いなわけないじゃない」
声は裏替えり、急激に喉が渇く。後ろに退きたいが、後ろは壁。完全に退路を断たれている。
「じゃあ、好き?」
じりっ、と距離を縮めるルイス。
「そ、れは、もちろん、………大切な家族として」
じりっ、と更に距離を縮めるルイス。
「私は女としておにいちゃんが好きです」
断言しちゃったよこの女の子―-っ!!
布団越し、下半身に重みが増す。次に頬に暖かいものが触れた。ルイスの手だ。
鼻に甘い吐息がかかる。
距離がすごく、近い。
「おにいちゃん。目を開けて」
「駄目だ」
「お願い」
「駄目だ」
「じゃあ、このまま、おにいちゃんにキスしちゃう」
鼻にかかる吐息が下りて、唇にかかる。
「おにいちゃん………」
唇がちりちりと迫るルイスの唇に反応する。
(だ、だれか助けてくれェェェェ………)
もうだめだ。と、思った時、
「へくちっ」
……………気の抜けたくしゃみ。俺ではない。ルイスだ。
恐る恐る目を開けると両手で顔を隠して俯くルイスがいた。
「………まったく」
シャツのボタンをとめてあげ、ポンっと手を頭に乗せる。
「そんな恰好しているからだよ。さあ、おいで。体を温めないと」
ルイスは何か言いたげだったが、渋々と布団の中に入ってきた。
ぴったりと寄り添い、胸に頭をくっつけてくる。
しばらくはお互い無言だった。
「あたたかい………」
ぽつりと、ルイスが呟く。
「そうか、それは良かった」
「ねえ、おにい……ちゃん…」
「ん?」
「うわ…きした・・・らゆるさ……な…い」
その後にはルイスの寝息が聞こえてくる。どうやら眠ったようだ。
(助かったな……。いや、ホント)
超えてはいけない一線は、何とか守り切った。
ようやく、安堵のため息を吐いたその後、
「おにい……ちゃん………」
ビクッと反応する。ルイス起きているのか?
恐る恐る様子を窺う。ルイスの顔を見て俺は驚いた。
ルイスが泣いていた。
「おにいちゃん………」
両の目から絶えなく流す涙。この、「おにいちゃん」は俺の事ではない。俺の前では絶対泣かないルイスだ。そのルイスが泣いている。
だから、これはきっと、
“―――昴―――”
「ダリン………」
今は亡きルイスの本当の兄、ダリン・フランベルジェ。
前、一角兎の組合長にして、世界最強の魔法遣い。
“―――昴にボクの全てをあげる。だから―――”
そっと、ルイスの流れる涙を優しく拭う。
「ああ、大丈夫。約束は守るさ。俺が此処に在る限り」
兄の夢を見て涙を流すルイスの頭を俺は優しく撫で続けた。