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「私に愛を求めるな」と夫は結婚当日に言った。『聖女』と呼ばれる愛人の重大な秘密

掲載日:2026/07/31

「……つまり、公爵様はそういう気がおありだということですか」


眉間に皺を寄せ放った言葉に、私の書類上の夫と、その寵愛を受ける男爵令嬢は、顔面蒼白になり慌てて否定をした。


◇ 


それは、ほぼ逆らえない王命だった。

歴史はあるがほとんどなんの影響力も無い、斜陽伯爵家の我が家に突然、王弟である公爵との婚姻話が持ち上がった。


この王弟、今まで何度となく婚約の話を破談にしている。


原因は、一人の男爵令嬢だ。


元は平民であった彼女だが、自ら調合した薬の力によって、いつしか『聖女』と称されるようになったらしい。


公爵と聖女の出会い方は不明であるが、公爵はまだあどけなさが残る少女を見初め、自らの手引きで男爵家の養子に収めたそうだ。

では、そのまま男爵令嬢と結婚すれば良いはずなのだが、何故かそうはならなかった。


王弟である故に、平民出の女との婚姻が認められないのかと思えば、「彼女はそういう対象ではない」の一点張りで、結婚を拒むのだという。


それならば、と王は家格の釣り合う令嬢と縁組をするのだが、ことごとく破談になる。


公爵があまりにも男爵令嬢を優先するらしく、気位の高い令嬢にはそれが我慢ならないらしいのだ。

政略結婚なのだから、それもまた仕方ないのではと思うのだが、男爵令嬢の優先が度を超えているらしい。

また、色仕掛けで迫っても全く興味を示さず男爵令嬢一筋らしい。頑なな公爵の態度も、過去の婚約者たちのプライドを傷つけたようだ。


そんな公爵との縁談だった。

無理に結婚させることもなかろうに、と思うのだが、近代の王族は数が少なく、血縁を少しでも多く残したいらしい。


かくして、私は王命により公爵と婚約することとなった。

しかし驚くべきことに、婚約期間中一度も公爵と顔を合わせることもなく結婚となった。

というか、婚約と結婚がほぼ同時だった。

気持ち程度に数日、婚約期間が設けられた……だけだった。


王家の罪滅ぼしのつもりか、用意された婚礼衣装はそれは豪華なものだった。


だが王弟の結婚式としては、ほんとに簡素なもので、列席者は近親者のみ。

王族縁のものしか使用できない教会で、愛を誓わされた。


さしずめ私は、豪華な衣装を纏ったピエロのようなもので、なんの喜びも感慨もない結婚式はあっけなく終わった。


「私に愛を求めるな。不自由のない生活は保障するが、男爵令嬢には近寄ることも、彼女の生活に口を出すことも決してしないように」


ウェディングドレスを脱ぐ間もなく、冷めた目で『夫』となった男に告げられた。

なるほど、噂通りだと気持ちがスッと冷めた。


いや、元々冷めるほど気持ちが温まっていたわけでもないが。



◇


「私に愛を求めるな。不自由のない生活は保障するが、男爵令嬢には近寄ることも、彼女の生活に口を出すことも決してしないように」


俺はこれまでの婚約者と同じ様に、本日『妻』となった女に忠告をした。

どのように、王に取り入ったか知らないがこれといった力を持たない伯爵家の女が王族と縁付いたのだ。

それだけで、十分過ぎるだろう。


顔を合わせた当初から、ニコニコと媚びるように笑顔を見せてくる。

まぁ、あまり頭の良さそうな女でもない。あとは、贅沢な暮らしでもさせておけば文句は言わせない。


この女も隙があれば、俺を誘惑するのだろう。結婚したからには、子を設けねばならぬだろうから、何度か義務は果たさねばなるまい。気が重い話だ。

その日は、できる限り先延ばしにしたい。


「……承知いたしました」


そんなことを考えていたところに突然、冷めた声が耳に入った。


ふと『妻』を見れば、今まで浮かべていた人の良さそうな、でも頭は良くなさそうな笑みが消えていた。


俺に向ける視線は刃の如く鋭かった。


◇


公爵夫人の生活の始まりは、決して夢のような生活では無かった。

まずは、家令と侍女頭からの洗礼をうけた。


小さな客間を私室として充てがわれ、付けられた侍女は商家の娘だった。公爵夫人、それも王弟の侍女に平民をつけることは普通ならばありえないので、嫌がらせの一つなのだろう。


出された食事も、下級の使用人に出される賄いのようなものだった。

多分、家令と侍女頭はもっと良いものを食べている。


この二人、私を主人と男爵令嬢を引き裂く悪者だと思っているのかことごとく見下してくる。


聞けば高位の家門出身らしく、夫が王子の頃からの側仕えらしい。


斜陽伯爵家の人間を、主の夫人として扱わないぞ、という、強い意志を感じた。


用意された日常着は丈もサイズも合わない、時代遅れのものばかりだった。先々代夫人のお古を、どこからか引っ張り出して来たのだろうか。ジュエリーならばアンティークとなるが、型の古いドレスではみすぼらしいだけだ。仕方なく、伯爵家から持ち込んだドレスを着ていた。


「当家は質実剛健がモットーでございます」と、湯浴みでは、まともな温度の湯が運ばれない。寒い日はぬるま湯だし、暑い日にいたっては水だった。


少し苦情を伝えようものなら「当家とはお考えが異なるようで。お育ちになった環境が違いますものね」と馬鹿にされ、こちらが悪者のように言われる。


心の中で、深くため息をつくしか無かった。


こちらも望んでこの場にいるわけではないのだが。


◇


結婚式以来、『妻』となった女とは顔を合わせないようにしていた。

顔を合わせて、夜伽を強請られても困るからだ。

妻と屋敷のことは、ずっと信頼している家令や侍女頭に任せた。


妻に過剰な接待は必要ない、公爵家の品位を保つ最低限の世話をすること。不穏な動きがあれば報告することを命じ関わる事なく一年が過ぎた。


妻について上がってくる報告といえば、用意したドレスが気に入らないと頑なに着ず、湯浴みの際の湯の温度に細かく注文をつけるなど、屋敷の中での傲慢な振る舞いだった。


使用人たちや妻の間に立ち、対応に疲弊する家令や侍女頭には、労いとして給金に色を付けていた。


必要にせまられ、久しぶりに屋敷に足を踏み入れた時のことだ。


ガシャーン


激しく陶器の割れる音が響いた。

驚いて音のした方へ向かう。


「こんな不味いお茶飲めるわけないでしょ!!」


扉の向こうから女の怒鳴り声が聞こえた。

侍女頭が飛び込んで行った部屋の扉を少し開けて、部屋を覗く。

妻が紅茶を侍女に向かって投げつけたようで、侍女の服は紅茶で濡れていた。


「もっ…申し訳ございません」

侍女は、震えながら平伏していた。


妻は、不機嫌な顔をして慌てて駆けつけた侍女頭の方を見て命じた。


「使えないわ。暫く謹慎を命じて」


侍女頭も頭を下げながら、震える侍女を連れて部屋を出た。

私が妻として扱わないから、不満が溜まっているのだろうか。

嫌なものをみた。

あんな女でも、抱かねばならないのか。

事態は一刻の猶予もなくなっていた。


白い結婚を心配する王から、呼び出しが掛かったからだ。

私が屋敷に戻らず男爵令嬢の元へ通っていることは、周知の事実だった。

『妻となった女を抱けぬなら、男爵令嬢と子を作れ』と命じられる。

頭の痛い問題だった。

王の手前、妻の元へ戻ったと見せるために屋敷に帰ったが、なんとも傲慢な妻の姿に嫌悪感しかなかった。


俺はその日から屋敷での生活を再開した。

そして毎夜、寝室に男爵令嬢を呼び寄せた。

猶予がない。

なりふり構ってはいられなくなった。


◇


夫はある日突然、屋敷に戻って来るようになった。

と、いっても私の生活は変わらない。

夫と顔を合わせることもないし、家令や侍女頭は相変わらずだった。


しかし、腹に据えかねる事態が度々起きる。

この屋敷に来て以来、私についている侍女について侍女頭に抗議をした。

受け入れて貰えず、仕方なく侍女の不手際を責めて謹慎を命じた。


また、ある日のことだ。

食事の際、スープの味に妙な苦味みを感じた。

それを伝えると、料理長が見習い料理人のミスだと一人の男を差し出した。見習いは震えていた。

スープを、調べると下剤が混入していたと判明した。

私はその見習い男に、屋敷を出るように命じた。


また別の日だった。

私の買い物に同行を命じられたのは、従者でも侍女でもなく平民のメイドだった。貴族の買い物につきあわされ、目を白黒させていた。

使い物にならないので、休憩に入った喫茶店に置いて来た。子供ではないから、一人で戻れるだろう。


本当に、この屋敷はどうなっているのか。

毎日頭が痛い。


そんな中、夫は男爵令嬢を屋敷に連れ込むようになる。

私は基本、部屋から出ない…というか、ほかの部屋への出入りを許されていないので男爵令嬢と顔を合わすこともなかった。


しかし、ある深夜のことだった。

少し蒸し暑く目が覚めたのて、夜風に当たるためにテラスへ出た。


「まてっ…はっ…それはっ刺激が強すぎる」

「あっ、申しわけございません。では…」


聞きたくなかった。

夫の部屋は、私の客間の真上だった。

どうやら男爵令嬢を連れ込んでいるようで、明け放たれた窓から吐息混じりの会話が聞こえるではないか。


吐き気を覚え、私は窓を強く締めた。


◇


「公爵様!奥様ですが、下級の使用人たちに酷い仕打ちをしていると聞きました!!」


ある日、男爵令嬢が妻について、私に抗議してきた。

男爵令嬢は、平民時代に辛い思いをしている。


我が家では、彼女の提案により平民でも優秀であれば使用人として採用している。メイド長のレダは平民出身だが、気遣いが出来て優秀だ。彼女とは旧知の仲である。


そのレダから聞いたのだろう、妻は、下級の使用人に対して横暴な振る舞いをしているという。


早速、家令を呼びつけた。


マルタ、アンナ、ゼフ、ソーニャ…家令が挙げた名はどれも低位の家出身もしくは平民の者たちばかりだ。

謹慎や退職に追い込んだり、嫌がらせに置き去りにしたりとやりたい放題らしい。


高位の家の出のものをイビらない辺りが、落ちぶれた伯爵家の出であるなと思わせる。


あの女をいつまでも妻とするのも、家門の品位に関わる。

妻の愚行を陛下に報告すれば、離縁を許されるだろうか。


俺は家令に命じて、屋敷の使用人と妻によって退職や謹慎を命じられた者、全てを集める様に命令した。


◇


昼下がり、家令が不躾に私の部屋に入ってくると、偉そうに大広間に来るようにと伝えにきた。


広間に入ると屋敷中の使用人の顔がある。

皆、一様に怪訝な顔をしている。


何が起こるのか…?


すると、夫が男爵令嬢を伴ってやって来た。

広間の中ほどにいた私の前に二人が立ち、その周りを使用人達が囲む形になった。


「妻よ…これらの使用人にした仕打ち覚えがあるな」

突然切り出した一言。


夫は自身の背後に、控えた使用人たちを指差した。

私の侍女マルタ、街に連れ出したメイドのアンナ、料理人見習いのゼフ、マルタの後についた新しい侍女ソーニャが並んでいた。


私の罪を咎めるためだけに、その四人を呼び出したことに、怒りが顔を出す。


「ええ…ございます」

ゆっくりと、怒りを押さえて声をだす。


「下級の使用人にばかり、横柄な態度をとりいじめていますよね!!!」

男爵令嬢は、潤む瞳で一歩前に出た。


「人は皆、公平であるべきです!誰一人、軽く扱っていいものではないのです!貴女は、公爵夫人という立場にありながらっ…」

感極まったのか、最後まで言い切らずに言葉を震わせる。


『聖女様』として、出来た演出とセリフだなと私は思った。

夫が、そっと震える彼女の肩に手を置くと二人は見つめあった。


「彼女は、平民の出でな。母と二人極貧の生活をしていた。そして、母親亡きあと孤児院で育った。ここで働くもの達には孤児院出身者も多くいる」

私に鋭い視線を向け、夫は言葉を続ける。


「伯爵家の令嬢として育った貴女には理解出来ないだろうが、平民にも優秀な者は数多くいる。見下していいわけではない」


「みんな私の家族の様なものです!そんな人達を虐められて私は黙っていられません!!」

夫の言葉に続いて、男爵令嬢が叫ぶ。


「貴女は!この公爵家に!そして、彼の夫人に相応しくない!!」


辛うじて『出ていけ』の言葉は飲み込んだのようだが、まるで、彼女がこの家の女主人のように私を諌める。


「もう…我慢ならないわ」

そう声を出したのは、メイド長のレダだった。


すると、下級の使用人達も続くようにざわめきが広がる。

「わたしもです」

「俺も」

「私も」


やがてその声は大きくなり、下級使用人の総意のようになった。


「出ていってもらおうか」

使用人達の反応を見て放った夫の静かな言葉が、広間に響き渡った。


私が口を開きかけたその時だった。


声を上げた使用人たちが、一斉に私の背後に回った。

さらに、取り囲むように事の成り行きを見ていた使用人たちも、一人…また一人と私の背後にまわる。


何事かと、私のみでなく夫や男爵令嬢、そして家令達が様子を見ている。


そして、私の背後に下級使用人たちが揃うと、彼らは一斉に夫へと視線を注いだ。


「奥様を追い出すのなら!我々全員、この公爵家を辞めさせて頂きます!!!」


寸分違わぬその叫びは、あらかじめ示し合わされていたかのように屋敷に響き渡った。


私は使用人たちの行動に唖然とした。


「なっ…」

夫も同じだったようで驚きに目を見開き、言葉を失っていた。


「なんで!?あなた達に酷いことをしてきた人ですよ!庇う必要なんてないのに!!いなくなった方がみんなの為でしょう!!」

男爵令嬢が叫ぶ。


「見損なったわよ!クリス!あんたも貴族になって変わってしまったわね!」

その声に、レダが怒りをぶつけた。


私はそこで初めて、男爵令嬢の名前を知った。 


「公爵様!この際無礼を承知で申し上げますが、下級の使用人を虐げていたのは、奥様ではございません!

我々は何度も家令殿に、処遇の改善と本来の業務をさせて欲しいと訴えました。しかしそれは却下されました!」

それは、レダの言葉だった。


次に声を上げたのは、私の侍女マルタだった。


「私に紅茶を投げつけたのは、奥様が何度も侍女頭に掛け合ってくださった後です。奥様は、妊娠したばかりの私の身体を気遣ってくださり、休みをとるよう侍女頭にお願いまでしてくださいました。身体が辛いときは座るようにと、お声がけもいただいたのです」

彼女が震える声でつづける。


「しかし、侍女頭様は『妊娠は病気ではない。侍女なのに職務を放棄して座っているなど、給料泥棒だ。減給だ』とおっしゃいました。奥様は悩んだ末に、減給にならぬ苦肉の策として、私に謹慎を命じられました」


次に声上げたのは、あの見習い料理人ゼフだった。


「奥様への嫌がらせとして、腐ったものを出すようにと、料理長より指示されました。俺は反対しました。…でも、反対したのは料理人の中で俺だけで…最終的に下剤を盛った犯人にされました」


ゼフが悔しそうに、あの日の出来事を語る。

「奥様はそれ以外にも、俺が孤児院出身で雑用や関係のない仕事を押し付けられていると気づいておられ、街の料理店へ推薦して下さいました」


メイドのアンナは、突然、侍女の仕事を割り振られたと証言した。それも、本来私に就くはずの侍女がめんどくさいからという理由で。


貴族の女主人の側仕えなど経験が無く、緊張で失敗が続きへこんでいたので、喫茶店で休憩をとった。


今までも、高位の侍女に仕事を押し付けられていたらしい。あの日、私は何もできないけれど、せめてもの癒しになればとデザートと紅茶をご馳走した。

「こんなに美味しいもの、初めてです!」

と涙ぐみながら、食べていた姿に胸が痛くなった。


私は意を決し、夫、家令、侍女頭、そして最後に男爵令嬢に視線を送る。


「旦那様、そしてご令嬢。下級の使用人とて同じ人。見下してはいけない。全く、同じ意見です」

私はピンと背筋を伸ばす。


「それならば旦那様は、屋敷の主としてしっかりと真実を見なければなりません。公平な目で。どうか、屋敷で働く皆のために。お願い致します。」


どうか曇りのない目で、真実を見て行動してくれますようにと祈る。


「この者たちが辞める必要がないように、屋敷のすべての者たちが快適に、働けるよう取り計らってください。」


振り返り後にいる使用人たちに、感謝の意味を込めて礼をする。私の巻き添えにして、彼らの職を奪ってはならない。


「離縁なさるのでしたら……奥様の非とならぬようにお手伝いさせて頂きますわ」


そう言って、一歩前に踏み出たのはマルタ謹慎の後に新しく侍女に着いたソーニャだった。


ソーニャは背筋をピンと伸ばし見事なカーテシーを披露した。


「……ソーニャ?」


その動作は、完璧で洗練された高位貴族のそれだった。いつもの自信のないオドオドした様子とは別人だった。


「皆様、ご挨拶が遅れました。私、王国不正検査局より参りましたソーニャ・アルハイトと申します。父は検査局長のアルハイト伯爵にございます。この度、密告による不正調査のため、侍女として潜入捜査をしておりました」

ソーニャは、ゆっくりと皆を見回した。


「……なっ!不正調査局!?」


家令が悲鳴のような声を上げる。ソーニャは、懐から手帳を取り出し開いた。


「家令殿、そして侍女頭。あなた方が奥様を不当に扱った証拠は揃っております。また長年に渡り、下級使用人の本来の手当てを中抜し、横領していた証拠も、裏帳簿から押さえさせていただきました。」


家令と侍女頭は、いつもの余裕を無くし顔を真っ青にしている。


「家令と侍女頭の不貞程度なら、ただの醜聞で済みましたものを……ですが、立場を利用し公爵家を私物化するなど論外です。学のない下級侍女と侮り、私に裏帳簿の整理をさせたのが運の尽きでしたね」


言葉を無くし立ち尽くす二人は、なんとか言い訳をしようとするが、「…いや」「…そんな、あれはっ」と力なく口籠るだけだ。


「……まさか、家令と侍女頭が」

信頼しきっていた二人の裏切りに、夫は茫然自失としていた。


「…どういうこと?奥様は、平民の敵じゃない?」

男爵令嬢クリスも、状況を理解できずにいた。


「クリス…あんた、よく知りもせず奥様を追い出せなんて言えたわよね。何様のつもりなの?自分が奥様に取って変わるとでも思ったの?まさか、本当に公爵様にその身を捧げてるとか?」


レダが呆れた声で挑発的なことを言うが、まさかもなにも、彼女は夫の愛人だろうに。


「な、な、な、なんてこというの!!!私が公爵様に身を捧げるだなんて!そんなっ穢らわしい!!」

クリスは、顔を真っ赤にして抗議している。


(……意外と純情?……え?でも?)


私は、あの夜の吐息交じりの二人の会話を思い出し、再び不愉快な気持ちになった。


「私は偏見から言ってるんじゃないの!でもね!奥様を踏みにじって自分だけ幸せになろうなんて!『聖女』だなんて呼ばれて調子に乗ってんじゃないわよ!!」


けど二人からすれば、私こそが割り込んできた『お邪魔虫』なのだ。

彼らが関係を育んでいたのは、私よりもずっと先。

書類の上で妻でしかない私の方が、二人の幸せを壊しているように見えてもおかしくはない。


「知られてないと思ってるの?あんた、公爵様だけじゃなくて、高位貴族の殿方と何人も関わってるでしょ!噂になってるんだから!あんたのやってることは男(・)娼(・)と同じなんだから!!!」


「――なっ?!」


夫とクリスさんが、レダの圧に押されて顔色を変える。


(なんですって!?ほかにも関係を持つ殿方がいらっしゃる…)


その事実に驚くが、興奮の余りなのかレダの言い間違いが引っ掛かる……。


(ここで、指摘するのは余りにも場違いか……。)


いや視線だけ動かし周りを見れば、怪訝な表情の使用人達が目に入った。

意を決して、口を開いた。


「ねぇ…レダ。男娼って、男の人なのよ…」

この緊迫した中言うのも何だが、指摘せずにはいられなかった。


「知っております!!!」

レダがクリスを睨みつけたまま叫ぶ。

「…うん?だからクリスさんには当てはまらないのでは?」

「いいえ、奥様合っております!」

私の言葉にレダは力強く返事をする。


「だって、こいつは!男(・)で(・)す(・)か(・)ら(・)!!」


そう叫ぶと、レダはクリスの首元のスカーフをむしり取った。スカーフで隠された、喉仏が露わになる。


「!!!!!?????」


そこにいる全員が息を呑み、誰もが目を見開いた。


カラン…ッ

どこかで、誰かが物を落としたような高い音が響く。

それを最後に、時が止まったかのような静寂が訪れる。


――次の瞬間、爆発的なざわめきと動揺が、一気に広間を飲み込んだ。


「クリスさんが…男性?」


驚きで頭の整理がつかない中私は、無意識に口に出していた。

「旦那様は、毎夜クリスさんを寝所に招いてた…」


二人を見る。


「……ということは男性同士で?」


そうか、合点がいった。

夫が婚約者を拒み続け、それでもクリスさんと結婚しなかった理由――


「……つまり、公爵様はそういう気がおありだということですか」


眉間に皺を寄せ放った言葉に、夫とクリスさんは顔面蒼白になり、大声で慌てて否定をした。


「ちっ…違うっっ!!」

「ちっ…違うからっっ!!!」


響き渡るその否定には、なんの説得力も無かった。


「本当に違うんだ!クリスは私の薬師だっ!!治療の為に毎夜呼んでいただけなんだっ!!」


夫の悲痛な叫びが木霊した。


◇


「奥様どうぞ、紅茶でございます」


穏やかな昼下がり、私は公爵邸のガゼボで使用人が淹れた紅茶を前にしている。


そう、私はあの騒動のあとも公爵邸に留まっている。


私の傍らで笑みを浮かべるのは、グレーのモーニングコートを纏った青年だった。少し華奢ではあるが、申し分のない整った顔立ちをしている。


「……別にあなたが紅茶を淹れる必要はないのよ?……クリス」


「――っ!そんなことを仰らないでください奥様!!

俺は!一生、奥様にお仕えするつもりなんですからっ!」


持っていた銀盆を、投げ捨てるように手放すとガシャンと金属音が響く。クリスはそのまま、私の足元に縋ってくる。


「ちょっと!あんた!奥様から離れなさいよ!!」

それを見た、レダやマルタが慌てて駆けつけクリスを引き離そうとする。


「あ。痛い痛いって!レダ!!だっ…大丈夫だよ、俺は、奥様を生涯お側でお守りすると心に決めたんだから!」


そう、このモーニングコートの美青年、あ(・)の(・)聖(・)女(・)様(・)である。


「公爵様と対峙したあの姿は、まさに俺の!平民の!慈愛に満ちた『聖母様』だった!」


ウットリとした目で、何百回とくり返すクリスのその言葉を、みんなゲンナリした目で見ていた。

勿論、私も……。


なんでも下級使用人の前に立ち、公爵と対峙した私の姿が虐げられた者を守る聖母に見えた…とかなんとか。


そして、すっかりお馴染みになってしまったこの光景をこっそりと覗く男がいる――公爵、またの名を私の暫定夫という。


私は、あの騒動の後に明かされた、公爵と『男(・)性(・)令嬢』の秘密に驚かされた。



◇


主の寵愛を受けた令嬢が、女(・)装(・)し(・)た(・)男(・)だった?という衝撃で、公爵邸は混乱を極めていた。


この後、場を改めて話をされた。


まず、クリスが令嬢の姿をしているのは彼女…いや彼の貧しい生い立ちによるものらしい。


なんでも、母一人子一人肩を寄せ合い生きていたが、その母が病に倒れた。母親が作っていた薬草茶を、見様見真似で売っていたらしい。それでも、見窄らしい姿の少年から茶を買うものはいなかった。


しかしある時、切ることが出来なかった長い髪を束ねていたら女の子と勘違いされ、同情心を誘って薬草茶が売れた。


クリスの女装は、生存戦略だった――


では、公爵――夫がクリスを寵愛していると言われる程に執着していた理由とは、一体何だったのか。


「…男性の機能不全に効くお薬ですか」

私の言葉に、夫は顔を真っ赤にしてうつむいた。


クリスが『聖女』と称されるきっかけとなったもの。

それこそが、男性の機能不全に一時的な効果をもたらす特効薬だったのだ。


男として、何としてでも隠したい悩みに効くとあれば、その噂は瞬く間に人づてに広がった。


クリスを養子に迎えた男爵も、元は客の一人に過ぎない。薬師としての才を囲い込む為の保護であり、当時既に『聖女』と持て囃された為、形ばかりの令(・)嬢(・)として引き取られた。 


夫も悩める客人の一人だった。

少し違ったのは、クリスの処方は夫にはあまり効果が無かったこと。色々と試すうちに関係が長くなり、ついには寵(・)愛(・)を囁かれることとなった。

周りからの圧力はあるが、病を克服するまで結婚するわけにはいかない。


焦る夫に、クリスは提案した

「では、私が隠れ蓑になりましょう!」

公爵の病を治したいという薬師としての意地と、上客を逃したくないという打算。


それが、数多の婚約を破談にした二人の関係の真相だった。


「そこに愛は無かったんですね」


何となく、そんな感想を持ってしまった私はぽつりと零した。


◇


あれから、離縁の話は進むことなく今日まで来ている。


公爵――夫は、今までのことを誠心誠意詫び、私の実家の伯爵家へ莫大な融資を取り付けてくれた。お陰で実家の立て直しも順調に進んでいる。


私自身も、何不自由ない好待遇な毎日を送っている。


「クリス、妻に触れるな!!だいたい、なんだその格好はっ!お前、いい加減女に戻れっ!!!」


木陰で見守っていた夫が、我慢の限界だと飛び出す。


「嫌です!令嬢はもう辞めたんです!これからは一人の男として、俺の聖母様をお守りするんですっ!!!」

クリスは、夫を威嚇する。


「お前のではない!俺の聖母だ!!妻だぁ!!!」


そうなのだ。

夫まで、彼の間違いを正し使用人を守った私を、無償の愛を捧げる、慈愛に満ちた『聖母』の如き姿だった、と言い出したのだ。


(……誰が母だ。まだ乙女だし。そもそもこんな愚かな子たちを持った覚えはないんだけど)


「はぁ…」

私は深いため息をついた。


「奥様、お茶を淹れなおしました」

そう言うと、マルタは笑顔でクリスの淹れた茶を捨てた。


私は、夫とクリスのくだらないじゃれ合いを、遠い目をして眺めた。


――まあ、あの二人を生かすも殺すも、全ては私の手の中だ。


秘密を握られ、一生私に頭の上がらない男たち。


ほんの少しだけ口角を上げると、私は極上のお茶を口に含み、ここちよい午後のひとときを堪能した。



最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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