第7話「満月の誓い」
夜の空気は、昼とは比べ物にならないほど澄んでいた。
ガルゼイン帝国大使館の中庭。
満月が、湖面みたいにまん丸で、やけに明るい。
私は毛布にくるまりながら、ぼんやり夜空を見上げていた。
(胸の痛み……少し落ち着いてる……)
ゼクスの魔力が、何度か押し返してくれたおかげだ。
でも“呪い”という不安は拭えない。
「リア。まだ起きていたのか」
静かな声とともに、ゼクスが歩いてきた。
いつもの黒い礼服姿……のはずなのに、どこか雰囲気が違う。
「寝れなくて……ごめんなさい」
「謝る必要はない。ここはお前の家だと思え」
さらっと言う。
本当に、この人は……こういうところがズルい。
ゼクスは私の隣に立ち、満月を見上げた。
「――今夜は満月だ」
「うん。すごく明るいね」
「……満月は、魔族にとって特別だ」
ゼクスが、ゆっくりと目を閉じた。
次の瞬間――。
黒い影がふっと揺れ、
ゼクスの身体が、音もなく形を変えた。
しなやかな四肢。
月光を吸い込むような艶のある黒毛。
鋭い金属みたいな爪。
灰色の瞳だけはそのままで――
漆黒の黒豹が、そこにいた。
「……ゼクス?」
黒豹は静かに私のほうへ歩み寄り、
その大きな頭を私の膝の上に、そっと乗せた。
あったかい。
それなのに、触れた瞬間、背中にぶわっと鳥肌が立つほど美しい。
(こ、怖い……けど……綺麗……)
黒豹が、灰色の瞳を細める。
そして――そのままゼクスの声が脳内に直接響いた。
『怖がらせてすまない。
……これが、俺の本来の姿だ』
「!!」
(心の声!?心話!?えっ、えっ!?)
わたわたしながら黒豹を見返すと、
ゼクス(黒豹)は、どこか申し訳なさそうに尻尾を揺らした。
『満月の夜だけ、本来の魔族の姿へ戻る。
普段は抑えているが……今夜だけは隠しようがない』
「……全然、怖くないよ」
本当はちょっと怖いけど、でもそれ以上に――。
「ゼクスはゼクスだもん」
黒豹の耳がぴくっと動き、
その瞳が一瞬だけ、まるで溶けるみたいに柔らかくなった。
その仕草が、人間の時よりずっと素直で、
胸がちょっときゅんとした。
黒豹の姿のまま、ゼクスは膝に顔を乗せてくる。
『リア……話しておきたいことがある』
「な、なに……?」
黒豹はゆっくりと頭を上げ、私の目を見つめて言った。
『――本当の俺の身分についてだ』
鼓動が跳ねる。
『俺は……ただの特使ではない』
「ゼクス……?」
『ガルゼイン帝国の……皇――』
「ちょ、ちょっと待って!!!」
思わず両手で黒豹の顔を掴んで止めた。
『……?』
「それ以上言わないで!
今そんな重大なこと聞いたら、私……気絶する!」
黒豹が目を瞬かせる。
『……そんなに驚くか?』
「驚くよ!?
だってゼクスだよ!?
ぜ、ゼクスがすんごい偉い人なんて、そんな……!」
『偉いかどうかではなく……』
黒豹は少し困ったように尻尾を揺らし、
『お前にだけは、隠したくなかった』
ふいに胸が熱くなる。
(そんな言い方……ずるいよ……)
黒豹が私の手に頭を擦りつけてくる。
『リア……お前を守るために、
俺はすべてを捨てても構わない』
「ゼクス……?」
『だが……それでもお前が死んでしまえば、
何も意味がない』
声が震えている。
『お前の呪いが進行している。
このままでは危険だ』
「……私、死んじゃうの……?」
『――死なせない』
黒豹の瞳が強く輝く。
そのまま前脚を一歩進め、私の前に深く頭を垂れた。
『リア。
魔族には、“命を共有する誓い”がある』
「命を……共有?」
『俺の生命力と魔力を、お前に分け与える儀式だ。
一時的にだが……呪いの進行を止められる』
「で、でも……それって……!」
『代償は俺が払う。
お前の負担はない』
「そんなのいいわけないよ!
ゼクスの魔力が減ったら――」
『構わない』
黒豹の瞳がまっすぐで、逃げ場がない。
『お前がいない世界など、俺には意味がない』
「……っ」
その言葉は、胸の奥をやさしく殴られたみたいに響いた。
怖いのに、嬉しくて。
不安なのに、心が温かい。
「……いいよ」
気づけば、私は頷いていた。
「ゼクスの命を……少しだけ、借りるね」
黒豹はそっと鼻先を私の手に触れさせ――
世界がふわっと白く光った。
儀式はほんの一瞬だった。
でも、私の胸の痛みは明らかに軽くなり、
呼吸が楽になっていた。
「……あ……さっきより楽になってる……」
黒豹が、安心したように私に頬を寄せる。
『これで少しは持つ。
だが油断はするな。
呪いを解く方法を必ず見つける』
「……うん」
私は黒豹の頭をそっと撫でた。
「ゼクス。ありがとう」
黒豹は目を細めて、喉をくぐもらせた。
甘えるような、低く柔らかな音。
『……リア。
お前の命は、もう俺の一部だ』
「……そんな大げさな……」
『大げさではない。
誓いは本物だ』
月の光が黒豹の姿を照らし、
その影は私に寄り添うように揺れていた。




