第2話「親友の頼み」
「リア……ちょっと、いいかしら」
昼下がりのラウンジの窓辺で薬草メモの整理をしていると、聞き慣れた柔らかな声がした。
カミーユだ。
「どうしたの? そんな顔して」
いつもの完璧な笑顔……ではない。
どこか、儚げで弱々しい。
あの“水の聖女”と名高い彼女らしからぬ表情だった。
「……実はね。最近、体調が優れなくて」
「えっ!? 大丈夫なの!?」
つい、大声が出た。
ラウンジにいた治癒師たちがこちらを振り返るほど。
カミーユは慌てて私の手を握り、小さく首を振った。
「しっ……声を落として。父に知られたくないの。治癒師としての立場もあるし、余計な心配をかけたくないわ」
「そ、そうなんだ……」
いつも完璧な彼女が“体調不良”だなんて。
胸がざわつく。
「リア、あなただけが頼りなの」
(あ……来た、この言葉に……弱いんだよね私)
「もちろん! なんでも言って!」
反射で即答していた。
カミーユがほっと笑う。
「ありがとう……リア。本当に……あなたしかいないわ」
翡翠の瞳がうるんで見える。
泣かれると私のHPはゼロになる。
「で、でも、本当にどうしたの? 痛いとか、熱とか……?」
「……症状は説明しづらいの。だから……診てほしいの。あなたの調合室で」
「うん! もちろん!」
(こんなときに頼ってくれるなんて……親友冥利に尽きるよね)
そんな浮かれ気分で調合室に向かった。
調合室に移動したカミーユは、さっきよりもさらに弱々しい声で言った。
「……お願い。血液サンプルを採ってほしいの」
「わ、分かった! ちょっと痛いけど我慢してね」
針を準備しながら指先が震える。
こんな大事な親友のサンプルを採るだなんて……なんか、緊張する。
ピッ。
「あっ……」
透明な血液瓶に、深紅が落ちていく。
その色が、妙に濃く見えた気がした。
「ありがとう、リア。あなたは本当にバ……」
カミーユはふっと息を吸った。
「――優しいわ」
「うん! 親友だからね!」
(今、なんか言いかけた? ば……ば…………?)
まぁ、気のせいだろう。
ただ、このとき気づかなかったけど――
針を抜いた瞬間、カミーユの血が私の手袋の上にぽたっと落ちていた。
その一滴が、じわりと手袋の隙間から染み込んでいた。
それが“すべての始まり”だったなんて、この時の私は知る由もなかった。
カミーユを帰した後、私はサンプルを分析したり、調合の準備をしたりしていた。
(……なんか、さっきから頭が重いような?)
すこしふらっとして机につかまる。
(寝不足かな。ただの疲れだよね……)
ドアがノックされた。
「リア、入るぞ」
「ひゃっ!? と、特使殿!? ノックしたなら待ってくださいよ!」
「待った。二秒」
「二秒!!?」
ゼクスは全く悪びれず、いつもの無表情で部屋に入ってきた。
「顔色が悪いな」
「えっ、そ、そんなことないですよ!?」
(ある。自分でも分かる)
「リア。何かあったのか?」
灰色の瞳でじっと見つめられる。
視線が痛いほどまっすぐで、嘘がつけない。
「そ、それは……ちょっと、親友の相談を……」
「……カミーユか?」
「あっ……えっと……」
言ったらまずい気がして口ごもる。
「その反応は図星だな」
「べ、別に悪いことじゃないんです! 秘密裏に、少し体調を診ただけで……」
「秘密裏?」
ゼクスの眉がぴくりと動く。
「なぜ父親に言わず、お前にだけ頼む?」
「そ、それは……親友だから……」
「……リア」
ゼクスの声が低くなった。
「お前は優しいが……無防備すぎる」
「む、無防備って……!?」
「何かあれば言え。お前は一人じゃない」
(……ずるいなぁ、特使殿。そんな真剣な顔で言われたら、信じちゃうじゃん)
でも私は――
カミーユとの約束を守るため、うつむいて言った。
「……大丈夫です。本当に。心配かけてごめんなさい」
ゼクスはしばらく黙り、ため息をついた。
「……分かった。だが、気をつけろ」
「はい……」
去っていく背中を見ながら、胸がずきんとした。
(嘘はつきたくないけど……カミーユが困ってるんだもん。親友なんだもん)
その思いが、私を深い闇へと転がしていく。
ーー
その頃。
カミーユは自室で“別の顔”になっていた。
机の上に広げているのは、黒く煤けた古い本。
禁断の呪術書。
ページの隅に書かれた呪文を指でなぞりながら、うっとりと笑う。
「計画通り……。リア、あなたは五年間、本当によく働いてくれたわ」
翡翠の瞳が暗く濁る。
「最後の仕事は、生贄になることよ」
そして彼女は、リアの調合道具にそっと触れた。
細工を施した爪先で、見えない“何か”を置いていく。
「ふふ……これで準備完了ね」
その笑みは、慈愛でも友情でもなかった。
狂気そのものだった。




