第12話「呪いの代償――壊れる心と、救う手はどこにある?」
大広間は、嵐のあとのような静けさに覆われていた。
数分前まで続いた怒号、悲鳴、断罪。
それらすべてが一瞬で消え失せ、
残されたのは、まるで世界が息を潜めているかのような沈黙だけ。
リアは床に膝をつき、息を荒げていた。
胸の奥をつねられるような痛みが走り、
黒い痣がじわじわと鎖骨へ向かって広がっている。
だが――
(まだ……意識はある……
倒れない……倒れたら……終わる……)
必死に呼吸を整えながら、
リアは震える指をぎゅっと握りしめた。
その視線の先には――
カミーユがいた。
かつて「親友」と呼んだ少女が。
床の上に崩れ落ち、
痣に覆われた腕を震わせながら、
泣き叫ぶように呼吸を乱している。
翡翠の瞳は涙で曇り、
美しかった顔は汗と涙でぐしゃぐしゃになっていた。
そして――
その目は、狂気と絶望に揺れていた。
カミーユはひきつるような笑みを浮かべた。
「ふ……ふふ……
なにを……驚いてるの……?」
頬を伝う涙が、床にぽたぽたと落ちていく。
「儀式が完成すれば……
アクアリアの薬師は……薬が作れなくなるのよ……!!」
会場中の空気が凍った。
「え……?」
「薬が……?」
ざわめきが波紋のように広がる。
カミーユは息を荒げながら、それでも笑った。
「調合も、治療薬も、解毒も……ぜんぶ!!
“魔法がない人間”なんて……
人を助ける資格なんてないのよ……!」
リアの心臓が強く跳ねた。
(薬が作れなくなる?……全部?
そんな……そんなことのために……
私を……)
カミーユは、涙をぽろぽろ流しながら叫び続けた。
「母が叶えられなかった“理想”……
魔法がすべてを支配する国……!!
薬師はいらない……
誰も……私たちを邪魔できない……
私は……それを完成させたかったの……!!」
リアは胸を押さえた。
痛みではなく――心が、痛んだ。
(こんな世界を……
作ろうとしていたの……?)
ゼクスは静かに一歩踏み出した。
「……あきれ果てたぞ、カミーユ・ブルースト」
灰色の瞳が、冷たい刃のように光る。
「薬師を排除し、国を支配し、自分の欲だけを満たす。
それを“正義”と呼ぶのか?」
「ちがっ……違う……!!
私は……正しい世界を……!」
「違わない。」
ゼクスの声は静かで、だからこそ重かった。
「お前は自分以外を踏みにじることでしか
自分の価値を見いだせない。
母親の狂気を“理想”だと誤魔化し、
その影に縋り、怯え、しがみついているだけだ。」
「やめて……やめてよ……!!」
カミーユが耳を塞いでも、ゼクスは容赦しなかった。
「――リアをこれ以上苦しめるな!」
突然、カミーユの身体から黒い霧が噴き上がり、
痣が胸元まで一気に広がった。
「ひっ……あっ……!!
痛い……苦しい……っ……!!」
床を爪で掻き、
のたうちまわり、
必死に空気を吸おうともがいている。
「いや……いやぁ……!
死にたくない……!!
助けて……誰か……助けてよぉ……!!」
その悲鳴は――
裏切りではなく、憎しみでもなく。
純粋な、子どもの恐怖のようだった。
リアは胸が引き裂かれるような衝動に襲われた。
(……怖いよね……
一人で……
こんな……真っ暗なところに……)
涙がまた零れた。
カミーユはぼろぼろと涙をこぼしながら、
リアに手を伸ばした。
「リア……っ……!
助けて……お願い……
私……死にたくない……!!」
痣だらけの手が震えながら近づいてくる。
「ねぇ……親友でしょ……!?
リア……リアぁ……!!」
リアは震えた。
裏切られた。
殺されかけた。
国から追放された。
それでも――
(……カミーユが……
こんなふうに……泣いてるのを見るのは……
初めて……)
涙がとまらない。
自分でも理由が分からないまま、
リアは――
走り出していた。
「リア!! 危険だ、戻れ!」
ゼクスの叫びを振り切り、
リアは黒い霧の中へ飛び込んだ。
カミーユの身体を力いっぱい抱きしめる。
「カミーユ!!」
「ッ……リア……!?
やめ……離れて……呪いが……!!」
「いいの!!」
リアは泣きながら叫んだ。
「私は……あなたを放っておけない!!
だって……あなたは……
私の親友だから……!!
ずっと……大切だったから……!!」
カミーユの身体が震えた。
翡翠の瞳が大きく揺れ、
唇が震え、
ぽろぽろと涙が溢れる。
「……なんで……
なんで……抱きしめるの……?
私……あなたを裏切ったのに……
殺そうとしたのに……!!」
リアはさらに強く抱きしめる。
「それでも……!
私は……あなたが苦しむのを見ていられない……!
憎めないよ……!
だって私は……あなたのことが……大好きだったから……!!」
その言葉に、
カミーユの心が崩れた。
カミーユは泣き叫ぶようにリアの肩を掴んだ。
「やめて……やめてよ……!
そんなこと言われたら……
私……どうしたらいいの……!」
カミーユの涙は、止まらない。
「本当は……っ……
本当は……あなたのこと……
大好きだった!!」
リアの呼吸が止まる。
「大嫌いになりたかったの……!!
裏切られたと思い込みたかったの……!
あなたを踏みにじれば……
嫌いになれると思ったのに……!!
なのに……っ……
どうしても……大好きだった……!!
大好きなままだったの……!!」
その瞬間だった。
黒い呪いが、ふっと薄れた。
リアが抱き寄せた腕の中で、
黒い煙がゆっくりと消えていく。
ゼクスが驚愕してつぶやく。
「……感情の変化で……呪いの核が壊れ始めている……!?
こんな例……古文書にもない……!」
ゼクスはすぐさま魔力を展開し、
薬師の作った解呪薬を魔力で包む。
「リア、そのまま……彼女を抱いていてくれ。
その心の揺れが――呪いを壊している!」
リアはカミーユの髪をそっと撫でながら、
優しく囁く。
「カミーユ……
あなたは、人を愛せる子だよ……
呪いなんて……あなたの優しさに勝てない……」
「……リアぁ……っ……!」
カミーユの泣き声が震える。
ゼクスが解呪魔法を重ねると、
黒い呪いは細かい霧となって消え、
二人の痣はゆっくりと消失していった。
やがて――
光だけが残った。
そして、その光が消えると同時に、
二人とも静かに呼吸を整えていた。
ゼクスは深く息を吐き、
静かに告げた。
「……成功だ。
呪いは完全に消えた。
二人とも、生きている。」
リアはカミーユの手を握った。
カミーユは嗚咽を漏らしながら、
震える声で呟いた。
「リア……
ありがとう……
ごめん……ごめんなさい……
それでも……ずっと……
あなたが……大好きだった……」
リアは優しく微笑み、首を振る。
「ううん……私のほうこそ……
気づいてあげられなくて……ごめん……」
二人は、ぽたぽたと涙をこぼしながら、
しっかりと抱き合った。
ゼクスは少し離れた場所で、
静かに目を伏せた。
そして――微笑む。
「……これで、やっと終わったな」
呪いの代償は大きかった。
でも、
憎しみも、狂気も、呪いも――
“誰かを想う気持ち”には勝てないと、
確かに証明された瞬間だった。




