第10話「カミーユの罠」
ブルースト家から回収した呪術書――
そして、カミーユ直筆の狂気のメモ。
それらすべてが本来は決定的なはずだった。
……はずだったのに。
翌日、
ガルゼイン大使館・応接室で、
私はソファに腰を下ろしていたが、体がどんどん冷えていくのを感じた。
呼吸は浅く、視界がぐらぐら揺れる。
(……こんなに……早く……)
机の前で、ゼクスが呪術書を何度も読み返している。
その手は冷静に見えるのに、指先が微かに震えているのが分かった。
(……ゼクス、焦ってる……?)
「……儀式が最終段階に入ったかもしれない。
カミーユは自分の症状をごまかし、裏で呪いを進めていたようだ」
低い声。
でも奥底は荒れていた。
「ゼクス……なんか、胸が、苦しい……」
私が言った瞬間、ゼクスの表情が一気に崩れた。
「リア!」
彼の声には“恐怖”があった。
冷静な外交官の顔が剥がれ落ち、必死な男の顔になる。
「横になれ。少しでも楽になる体勢を」
「でも……評議会に行かないと……」
「そんな必要はない。お前のほうが何倍も重要だ」
言葉に迷いがない。
だが――その手は私を支えながら、震えていた。
(……ゼクス……)
そのとき、ドアが激しく叩かれた。
「ゼクス皇太子殿下!! 緊急事態です!!」
大使館員が蒼白な顔で飛び込んでくる。
“皇太子殿下”。
その言葉が部屋に響いた瞬間、時間が止まった。
「……っ」
ゼクスの肩が、ほんの僅かに揺れた。
隠していた身分が暴かれたことを、痛いほど理解している表情。
大使館員は続ける。
「ブルースト家が評議会へ正式に告発しました。
“ゼクス皇太子がリア嬢と共に、アクアリアの混乱を狙っている”と!」
その場の空気が凍った。
私は苦しさの中で、ゼクスを見上げた。
「……皇太子……なんだね……?」
彼の目が大きく見開かれた。
「リア……すまない。本当は――」
「ううん。なんとなく、思ってた。
でも……今は……驚く余裕もないよ……」
呼吸が苦しい。
でも、少しだけ納得した気がした。
(……だから、あんなに立ち居振る舞いが綺麗で……どこか遠い人みたいで……)
ゼクスは唇を噛みしめた。
「……俺の身分を隠していたせいで、お前を巻き込んでしまった」
それは、“後悔”に近い声だった。
外交官の理性ではなく。
皇太子の冷静さでもなく。
一人の男として、私を守れなかったことを悔やんでいるように聞こえた。
「いや……そんなこと……」
声が震える。
(ゼクスが皇太子だからって……私には関係ないよ……
私にとっては……ゼクスはゼクス……)
でも言う前に、また胸が痛んだ。
「っ……ゼクス……息が……」
「リア!!」
ゼクスが私の手を掴む。
その手は温かいのに、握力が強すぎて震えている。
ゼクスの瞳の奥で、何かが壊れそうになっているのが分かった。
「……どうすれば……」
ゼクスが珍しく、言葉を詰まらせた。
(ゼクスが……“分からない”って言ってる……)
それは、初めて見るゼクスの姿だった。
ーー
一方、街では――
孤児院の子どもたちが、必死に叫び続けていた。
「お願い! リア姉ちゃんを信じて!!」
「リア姉ちゃんは良い人なんだよ!」
「署名して! お願い!!」
その姿に、街の噂は少しずつ揺らいでいっていた。
ーー
しかしその頃、私はもう限界だった。
「ゼ、ゼクス……なんか……眠い……」
「眠るな!!」
ゼクスの叫び。
その声は震え、破れそうで、今にも泣き出しそうだった。
そんなゼクスを見るのは、初めて。
「リア、頼む……お願いだ……俺を置いていくな……」
灰色の瞳が揺れている。
皇太子の威厳なんて跡形もない。
ただ必死に私を繋ぎ止めようとする“男”の目。
(……ゼクス……そんな顔、しないで……)
でも、もう意識が保てない。
「ぜ、ゼクス……ごめ……ん……ね……」
「リア!!!!!」
ゼクスの絶叫が遠ざかる。
――その時、頭の奥にカミーユの声が響いた。
『ゼクス。あなたが私を愛してくれないなら――』
『あなたを殺すわ』
『あはは……ははは……!』
(……カミーユ……)
その言葉を最後に、私は暗闇に沈んでいった。




