第9話「呪術書の発見」
アクアリアの夜は冷えていた。
通りの影を縫うようにして、ゼクスと私はブルースト家へ向かう。
「……本当に、カミーユの部屋に行っても大丈夫なの?」
私が不安をこぼすと、ゼクスは短く頷いた。
「昨日、“隔離病室への移送が完了した”という情報を得た。
魂喰い病と診断された者は、決められた期間、病室から出られない。
だから――今日は確実に部屋が空いている」
「昨日……隔離が終わったんだ……」
「ああ。評議会直属の治療師の監視がついている。
本人が勝手に部屋へ戻ることはできない。
だから、今夜忍び込もう」
(……昨日隔離された……。
だから今日、絶対に部屋にはいない……!)
喉が重く、胸がひゅう、と絞られるように痛む。
呪いの進行のせいだと分かっていても、体は正直だ。
「リア、息が浅い。無理はするな」
「うん……でも、大丈夫。
私もここで真実を見つけて向き合いたいから」
ゼクスは数秒こちらを見つめ――
そっと私の手を握った。
「分かった。行こう」
ーー
ブルースト家の裏口にたどり着くと、ゼクスがそっと手をかざした。
カチリ。
音もなく錠が外れた。
「……魔族式の技術?」
「帝国では初歩だ。うちでは子供でもやる」
「そんな……!」
「……まあ、子供はさすがに言いすぎだ」
ゼクスがかすかに笑った。
今の状況で笑えるゼクス、本当に強い。
私は自分を鼓舞するように息を吸って、ゼクスの背を追った。
カミーユの私室に入った瞬間、私はぞくりとした。
「……冷たい……」
空気が澱んでいる。
こんなに重く暗い空気の部屋に、彼女はいつもいるのだろうか。
ゼクスは慎重に棚を調べながら呟いた。
「強い魔力の痕跡……しかも医療系じゃないな。
これは――呪術の匂いがする」
(呪術……やっぱり)
私は喉がきゅっと縮むような感覚を覚えながら、棚のひとつにゆっくりと手を伸ばした。
その瞬間――
――コトリ。
小さな音がして、黒革の本が落ちてきた。
背表紙が擦れた、古い本。
見ただけで、嫌な気配が胸にまとわりつく。
「……ゼクス……これ……」
ゼクスが本を拾い、表紙を指でなぞった。
「……呪術書だ」
部屋の空気が、さらに冷たくなる気がした。
私は震える指でページをめくった。
紙はざらつき、黒い文字が爪のようにページに刻まれている。
そして、そこに書かれていたのは――
◆魂喰い病は呪術で再現できる
◆自分に呪いをかけ、治療者に移す術
◆儀式を完成させれば、対象を支配できる
◆最終儀式――信頼する者を生贄にする
心臓が、どくん、と大きく脈打つ。
「……これ……」
声が震える。
呼吸が浅くなっていく。
「リア。無理に読まなくていい」
「読む……!
だって……これが真実なんでしょう……?」
私は必死にページをめくった。
その余白に――見覚えのある筆跡。
『リア、あなたは5年間、本当に便利だったわ。
最後は生贄として使わせてもらうけど、感謝してるわ。
完璧な駒だったもの』
胸の奥で、何かが静かに崩れ落ちた。
(……5年間……まさか……最初から……)
涙は出なかった。
涙の前に、心の痛みが勝ってしまったから。
ゼクスが私をそっと抱き寄せる。
「リア。これはもう、呪術の“証拠”だ。
お前は病気を移したんじゃない。
呪いを押し付けられたんだ」
「……でも……」
「カミーユの症状は、病ではなく“呪術の副作用”。
お前のように急激な進行は本来起きない。
本命の宿主が――お前だからだ」
私は、唇を噛んだ。
(……院長先生……カミーユのお母さんに……)
「ゼクス……これ……“犠牲者リスト”……?」
震える指で、次のページを指し示す。
そこには、呪術で命を落とした者の名簿があった。
その中に――
「……院長先生……」
孤児院で私を育ててくれた人の名があった。
世界が一瞬、真っ白になった。
「っ……どうして……
どうしてこんな……!」
「リア、怒っていい。泣いてもいい。叫んでもいい。
お前は何も悪くない」
ゼクスの胸に顔を押し当てると、涙がようやく落ちてきた。
(……私の大切な院長先生まで……?どうして?)
怒りでも悔しさでもない――
ただ、胸が引き裂かれるような痛み。
「……ゼクス……私……許せない……!」
「それでいい」
ゼクスの声は低く、決意を帯びていた。
「これはもう、ただの陰謀じゃない。
連続した呪殺事件だ。
お前の人生を奪い、命まで奪おうとした――絶対に追い詰める」
私は、涙を拭いながら小さく頷いた。
「……私も……戦う。
もう逃げない」
ゼクスは優しく、でも強く私の肩に手を置いた。
「大丈夫だ。俺がいる」
その言葉に、胸が温かくなる。
呪いに蝕まれているのに――
今は、少しだけ息がしやすかった。
二人は静かに部屋を後にした。
証拠は手に入った。
真相は目の前まで来ている。
だが、まだ“最後の儀式”は止まっていない。
満月が近づく夜空を見上げながら、ゼクスが小さく呟いた。
「……リア。絶対に間に合わせる。
お前の命は、俺が守る」
私はふらつく体を支えられながら、ゼクスの隣を歩いた。
決意は、もう揺らがなかった。




