第1話「薬師の誇り」
アクアリア医療ギルドの一角。
陽の当たりにくい奥まった部屋に、私の調合室はある。
治癒師たちが使う広くてきらびやかな診察室とは違い、
ここは薬草の匂いがしみついた、ちょっと地味で、ちょっと狭くて、
でも私には落ち着く場所だった。
孤児院で育った私は、魔法の才能がなく、治癒師にはなれなかった。
でも――
「魔法がなくても救える命がある」
そう教えてくれた院長先生の言葉だけは、ずっと胸の中にある。
その言葉に背中を押され、薬師になったのだ。
……ただ、薬草の粉を挽くのが日常すぎて、
時々こんなことも起こる。
「……ん? なんか鼻がむずむずする」
「いや……なんか鼻が」
むずっ。ずびっ。
(あ、やば。薬師として鼻水はアウト……!)
袖であわてて押さえた瞬間、
孤児院の子どもたちが頭に浮かんだ。
(リア姉ちゃん鼻出てるー!)
(鼻水は突然来るものなのよ!)
……いや、今ここにいなくて本当に良かった。
気を取り直して、すり鉢をぐりぐり。粉にした薬草の香りがふわっと立つ。
髪の横で、白い一房がふわりと揺れた。
(今日も元気に白髪一本……うん、主張が強い)
一年前、特使殿を救ったときに削った生命力の証。痛いけど、大事な思い出でもある。
トントン、と扉をノックする音がした。
「リアさん! お薬……できました?」
「あ、はい! 今ちょうど完成です」
不安げな少年に咳止め薬を渡す。
「これは魔法じゃなくて薬だけど、ちゃんと効くよ」
「ほんとに? 治癒師さまは順番待ちで……」
「うん。魔法以外にも治療はあるからね」
少年が去っていく。私はそっと息をついた。
(……薬師でも救えるって、ちゃんと伝わるんだ)
医療ギルドのラウンジに入ると、いつもの眩しい世界が広がっていた。
白いクロスに高級そうなティーカップ。治癒師たちの笑い声。
私はいつも少し萎縮してしまう。
「リア、こっちよ〜」
青髪の美女、カミーユ。
医療ギルド長の娘で、光属性の治癒師。
誰からも慕われる“完璧美人”。
そんな彼女が、なぜか私なんかに声をかけてくれたのが、5年前。
まだ研修生だった頃、調合室で薬草を抱えて転びそうになった私に、
カミーユが手を差し伸べてくれた。
「大丈夫? 怪我してない?」
「だ、大丈夫です……!」
「治癒魔法かけようか?」
「い、いらないです! こ、こういうの慣れてるので!」
「ふふ、面白い子ね。私、カミーユ。あなたは?」
「り、リアです……!」
「リア。覚えたわ。これから仲良くしましょうね。あなた、すっごく可愛いから」
(……可愛いって言われたの、人生で初めてだったなぁ)
あの瞬間から、私は完全に心を掴まれたのだった。
それ以来、カミーユは毎日のように「リア、今日も一緒にお茶しましょう」と誘ってくれて。
“魔法も使えない孤児院出身の私”と仲良くしてくれることが、
どれほど心強かったか。
そんな思い出に浸っていたら、目の前でカミーユが笑っている。
「また粉まみれでお仕事してたのね?」
「えへへ……鼻が……」
「ほんとうだわ、鼻水出てるわよ」
「ひぃっ!?」
慌てて拭くと、カミーユはクスクス笑う。
「遅れてごめんね」
「気にしないで。あなたは忙しいんだもの」
カミーユの前に座ると、ハーブティーがふわっと香る。
「これ……私が好きだって言ってたやつ?」
「もちろん覚えていたわ。あなたのために用意したの」
(……カミーユは本当に優しい)
「でも無理は禁物よ? あなた、また夜遅くまで調合していたでしょう?」
「ちょっ……どうして分かるの」
「あなたがそういう子だからよ」
そう言って、カミーユは私の白髪に指先を添えた。
「この一房を見るたび思い出すの。あなたが特使殿を救ったときのことを」
「そ、それは……私が勝手に」
「普通は、勝手に命を削ったりしないわ」
優しい声が胸にしみる。
(やっぱりカミーユは、私の宝物だ)
ティーカップを置き、カミーユが少し真剣な表情になる。
「リア。お願いがあるの」
「お、お願い?」
私は反射的に背筋が伸びる。
「最近の患者さん、魔法だけじゃ抑えきれないの。だから薬の力も借りたい」
「そんな難しい症状なの?」
「ええ。でも信頼できる薬師がいなくて」
「ギルドには優秀な方が――」
「リア」
翡翠の瞳が真正面から射抜く。
「私が心から信頼できる薬師は、あなた一人よ」
(……この言葉に弱いんだよなぁ、私)
「もちろん作ります! 任せてください!」
「ふふ。ありがとう。やっぱりあなたは本当に――」
カミーユの瞳が、ほんの一瞬だけ冷たく光った。
その唇が「べん……」と言いかけたように見えた。
(べん……? 便利……? いやいやいや、気のせい!
……だと、信じたい!)
「――優しいわ」
「ありがとうっ!」
私は全力で笑顔を返した。
……うん、気のせい。きっと。
調合室に戻る途中、廊下の隅に立つ影に気づいた。
「リア」
低い声が響く。
「と、と、特使殿!? いつからそこに……!」
黒髪に灰色の瞳。外交官らしい礼服。
ガルゼイン帝国の特使、ゼクス・ヴォルフガルト様。
「お前に渡しておく」
差し出された紙袋には、高級薬草がぎっしり。
「こ、こんな高価なもの……どうして?」
「お前に救われた命だ。礼をするのは当然だ」
灰色の瞳がわずかに揺れる。
冷たく見えるはずなのに、私を見るときだけ少し柔らかい気がする。
「無理をするな。お前は……すぐに自分を削る」
「うっ……耳が痛いです……」
「痛いなら治せ。薬師だろう」
「はい……」
「……お前の薬は、魔法より優れている」
心臓が跳ねた。
「胸を張れ。お前の価値は魔法では決まらん」
(な……なんでそんな真っ直ぐ言えるんですか、特使殿……!)
と、そこへ。
コツン。
ヒールの音がした。
「特使殿、リアと何をしてらっしゃるの……?」
振り向けばカミーユ。微笑んでいるのに、どこか冷たい。
「仕事の一環だ」
「まぁ、そうですか」
ゼクスはカミーユと視線を合わせようともしない。
その横顔を見たカミーユの瞳が、ほんの少し揺れた。
(……あれ?)
胸がざわ、っとしたが、首を振る。
(考えすぎ。カミーユは私の唯一の親友なんだから)
このときの私は、あまりに鈍感で、
“5年前の優しい手”が
“計算された手”だったなんて、夢にも思っていなかった。




