第9話 魔王との遭遇その2(オルフィオ視点)
侯爵の怒鳴り声が響く。
「呪いを制御できんお前は、どうせあと数年で死ぬ! そんな奴との婚約を誰が許すか!」
「必ず制御して見せます」
「制御だけできたとして、何になる!? 私にすら勝てんようでは、エレナを隠し守ることなど到底不可能だろう!」
「では、あなたに勝てば、彼女と結婚しても良いということですね」
「辺境伯よ、ご子息は大変下手な冗談がお好きなようだなぁ!?」
まずい。
侯爵は完全に瞳孔が開いている。
このままでは魔力暴走を起こしかねない。
「アルフレード、やめろ! お前は父を処刑台に送りたいのか!」
侯爵や辺境伯、大臣達の怒号や懇願、追及は止まず、アルフレードは全てに平然と言葉を返す。
その小憎らしい様子に、また侯爵の怒りが膨れ上がる。
そんなことを繰り返し、丸2日続いた話し合いは混沌を極め、ついに父が言った。
「はあ……。エレナ嬢を婚約者とし、結婚することを認める」
「レオナード!!!! ふざけるな!!!」
怒りのあまり、侯爵がついに父を呼び捨てで呼び始めた。
「そうするしかないだろう。すでに譲渡契約書も提出されてしまっている。こちらではエレナ嬢の分の書類を、ただの遅延と誤魔化して提出するくらいしか手がない」
「ありがとうございます、陛下」
恭しく礼を述べるアルフレード。
父は彼をじっくりと見つめ、目をきつく瞑ると、深く息を吸い、私を見た。
唐突に、私の全身の肌がゾワっと泡立つ。
父上、それはだめだ。
本能的に思った時には、もう遅かった。
父は静かに言った。
「ただし。呪いを制御し命を延ばすこと。エレナ嬢を守れるように、侯爵より強くなること。それまで婚約の事実は隠し、エレナ嬢はオルフィオの婚約者候補として、王都で保護する」
その瞬間、巨大な壁に打ち付けられたかのような衝撃が全身を撃ち、私の意識は途切れた。
意識が戻ってから父に聞いたことには、アルフレードが放った殺気が、彼の特殊な魔力のせいで強力な威圧になり、私は気絶したらしい。
え。
単純に怖い。
第一王子に威圧って。
不敬じゃない?
怖すぎて指摘する気も起きないけれど。
というか、威圧ってもうそれ魔物じゃない?
「……呪いとは、何なのですか?」
父に尋ねたが、首を横に振るだけで、詳細を教えてもらうことはできなかった。
「魔力譲渡の件と、彼の呪いについては胸にしまいなさい」
そう言って父は、私の頭を優しく撫でた。
「あの場にいた全員が、他言できぬよう魔法契約も交わした。国際機関からわざわざ譲渡契約書を盗むような者がおらん限り、彼とエレナ嬢の婚約も、誰にも気づかれんだろう」
「エレナは……?」
「彼女は、記憶が混濁して、ここ1週間の出来事を何も覚えていないそうだ。まだ幼い。心への負荷が大きかったんだろう」
私は胸が締め付けられるようだった。
幼く、純粋で、妹のように可愛がっているエレナが、何故かあんな恐ろしい男に執着されている。
助ける方法はないのだろうか。
そしてそれから、アルフレードと侯爵の、エレナを巡る壮絶な攻防戦が始まった。
どうしてもエレナに近づきたいアルフレードと、彼を蛇蝎の如く嫌う侯爵。
10年間、それはもう壮絶な戦いだった。
知略。
謀略。
武力。
エレナが出席する式典や夜会は、アルフレードが入れないように、侯爵が騎士団を動員し、特殊な防護結界を何重にも張った。
私はその間に、エレナと他の令息達が仲良くなれるよう、必死に手を回そうとした。
アルフレードが会えない今のうちに、もしエレナと相思相愛になる者がいれば、王族の力で婚約期間を省き、早急に結婚させてしまおうと考えていた。
あんな悪魔のような男とでなく、エレナが幸せになれる道が、きっとあるはずだ。
だがそれらは全て上手くいかず、しかも侯爵とアルフレード、2人の手によって、延々と、完膚なきまでに叩き潰されていった。
侯爵にはむしろ協力してもらえると思っていたのに、彼のお眼鏡にかなう男はいなかったらしい。
解せぬ。
エレナ不在の城や夜会で会う度、アルフレードは満面の笑みで挨拶に来る。
「オルフィオ殿下にご挨拶申し上げます。近頃は、多くの御令息達にご親切になさっているようですね。どのような弱者にも手を差し伸べるそのお優しさに、日々感服致しております」
神々しい程に美しい笑みとは裏腹に、目が全く笑っていない。
親しげに話す言葉を正確に読み取ると、真実はこうだ。
「オルフィオ。懲りもせず、エレナに余計な虫を近づけようとしているな。ごみ屑供をいくら手助けしても、全て無駄な努力だ。殺されたいのか」
恐ろしすぎる。
というか不敬がすぎる。
殺気がビシビシ伝わってくる。
もうこれは悪魔というか魔王では?
私はそれでも、エレナのために努力を続け、時にはイザヴェラにも協力を頼んだが、彼の言った通り、全て無駄に終わった。
侯爵に懇願され、エレナをできるだけ長く保護するために、イザヴェラも納得の上で婚約の発表も延期してきたが、それももう限界だ。
小さかったエレナも、もう18歳。
大人になった。
そして彼は呪いを制御し、侯爵よりも強くなり、とうとう、エレナを迎えに来てしまった。
「オフィー」
エレナの後ろ姿を見送り続ける私の横で、イザヴェラが私の名を呟いた。
「……これでよかったのかしら」
ふと視線を向けると、隣では最愛の人が、遠ざかるエレナの後ろ姿一点を、じーっと心配そうに見つめている。
私と全く同じ表情で。
それが何だか可笑しくて、肩の力がふっと抜けた。
私は目を細め、彼女とそっと手を重ねる。
「……エレナなら、きっと大丈夫だよ」
ここまで来てしまっては、もう信じて祈るしかない。
それに実の所、アルフレードの壮絶な努力をずっと見てきたせいで、最近では彼に尊敬の念さえ芽生え始めていた。
自分がもしアルフレードと同じ境遇だったなら、イザヴェラに対し彼と同じことをしていたかもしれない。
「彼女がもし助けを求めてくることがあれば、その時は正々堂々と助けになろう。それに私は、アルフレードと約束をしているしね」
「約束?」
「そう。必ずエレナを幸せにする、と」
エレナの『婚約者候補』の肩書きをなくすことを決定した際、父である国王と侯爵、私、アルフレードの4人で改めて密約を交わした。
自身の呪いについて話し、エレナが納得した上で結婚すること。
エレナがアルフレードとの未来を望まない場合、アルフレードは即座に全ての契約と書類を破棄すること。
その期限は1年。
まあ、こんなのは単なる保険だ。
だってあの魔王がエレナを離す未来があるはずがない。
全力で何とかするだろう。
私は大きく息を吸い込み、立ち上がると、イザヴェラに手を差し出した。
「さあ、少し散歩でもしないか。君と私の、これからの話をしよう。最愛の人を、これ以上待たせる訳にはいかないからね」
イザヴェラは少し驚いた後、「そうね」と、眉を下げて微笑みをこぼした。
そしてそっと手を繋ぎ、暖かな庭で、10年待った私たちもようやく歩き出した。