最終話 巡り合った二人と金色
魔術塔の側にあるその庭園は、決して美しく整えられている庭ではない。
小さな庭は、周囲を人気のない城の回廊と、高い魔術塔の壁に囲まれ、良い景色などは何も見えない。
背の低い木が何本か植えられ、その形は剪定される事なく自然そのままに伸びている。
地面には気まぐれな魔術師達が知らぬ間に植えた薬草やハーブが茂り、季節によって違った色を見せた。
ただそれも花壇がある訳でもなく、草原や田舎の林のように、ぼうぼうと草は好きな方向へ伸び、たまに小さな花がその隙間に隠れるように咲いているだけ。
その庭を眺めながら、ルカが言った。
「……そろそろ終わる頃だな」
「うん……そうね」
エレナは返事をしながら、魔術塔を見上げた。
高い塔に小さく並ぶ窓、アルフレードの姿が見えるはずも無いのに、視線は彼を探してしまう。
アルフレードは今日、国王やヴェレニーチェ達と結んでいた契約魔術を解くため、城を訪れていた。
きっかけは、サヴィスの屋敷や領地の調査を終えたヴェレニーチェからの連絡だった。
「見つけるのに苦労したが、幻惑香の研究は全て、ソフィーネの名義で借りられた小さな店の地下で行われていた。証拠は全て消した。もう、あの研究が世に出ることは二度とないよ」
残されていた研究や計画の資料から、やはり十五年前にアルフレードを攫った犯人は、すでに処刑されたヘルヴァと、サヴィス、ナーディルの三人だった事が明らかになった。
ヘルヴァはもうこの世におらず、サヴィスとナーディル、ソフィーネは後遺症で何も話す事はない。
アラジニールからは、黒い魔石と純粋な龍神信仰の資料以外は何も出て来ず、触媒や幻惑香に繋がる物は見つからなかった。
「ヘルヴァが捕まった十五年前、奴らは失敗した事で計画が露見し、資料の殆どを失ってしまった。確実に幻惑香が完成するまでは、邪魔が入らないようにサヴィス一人で作る事にしたんだろうね。まあそのおかげで、証拠が散らばらずに済んだ」
ヴェレニーチェは言った。
「今度こそ、犯人は全員捕まった。十五年前の事件に関する証言も証拠もない。幻惑香も葬った。そしてアルフレード。お前の中の竜の魔力も、もうどこにもない。この意味がわかるか? 存在しない物の話をしたとして、それはただのお伽話だ。お前に掛けた、竜の呪いの一切を秘匿するという契約魔術は、もう必要ない。──解いてやるから、暇になったら城においで」
アルフレードとエレナは、それならばと頷いた。
契約を交わしている全員の都合をつける必要があったため、まず騎士団長である父にエレナが相談の手紙を出したが、驚く程すぐに返事が返ってきた。
《やっとか。契約魔術のせいで、エレナに何も話せず何年我慢していたと思っているんだ。陛下達も集めておいてやるから、さっさと来い。明日の昼だ》
その文面を見て、アルフレードとエレナは顔を見合わせて笑った。
ご丁寧に、ヴェレニーチェ特製の、あの大きな転移陣の紙も同封されていた。
兄と二人で庭を眺めて待っていると、魔術塔からアルフレードが出てきた。
「──エレナ」
甘やかな声で名を呼ばれ、エレナは思わず目を細める。
アルフレードの黒髪は木漏れ日に煌めき、何とも晴れやかな顔をしていた。
「じゃ、お兄ちゃんは先に帰ってるよ。最強の婚約者サマがいれば、もう護衛は必要ないだろ?」
ルカは笑って、ポンとエレナの背を押した。
エレナも笑みを返し頷くと、アルフレードに向かって駆け出した。
「アルフレード様」
低い木下、胸に飛び込んだエレナを、アルフレードは優しく抱きしめた。
「エレナ。様はいらないよ。もう一回呼んで?」
くすくすと笑う低い声が耳元で囁き、エレナは思わず顔を赤らめた。
「つ…つい癖で……。あの……ア……アルフレード」
「ん?」
耳まで赤くして名を呼ぶエレナを見て、アルフレードは満足気に目を細めると、優しく髪を撫で言葉の続きを促す。
柔らかなエレナの栗色の髪には、深い青と黒、そして金が絡み合う組み紐が結ばれていた。
神殿でソフィーネに奪われた組み紐はボロボロになっており、修復できない状態だった。
それでも宝物のようにそれを使おうとするエレナに、アルフレードは「これからは、こちらを使って」と新しい物を贈った。
渡した組み紐は、呪いがない状態の、本当のアルフレードの色だった。
抱きしめられた腕の中で、動揺を誤魔化すように、まだ顔を赤くしたままのエレナが言う。
「契約魔術の解除は、無事に終わったの?」
「ああ、終わったよ。凄く身軽になった気がする。一応、魔力もヴェレニーチェに調べて貰ったけど、特に問題はなかったよ」
そう言ってアルフレードは、サッと弧を描くように、片手を軽く振った。
二人の頭上に、キラキラと雪の結晶が舞う。
それは確かにアルフレードの魔力で作られた物だったが、その中には、微かにエレナの金色の光が混ざっていた。
「君と出会って……俺は二度、生まれ変わった」
アルフレードは僅かにエレナから体を離すと、深い海色の瞳で、じっとエレナを見つめた。
柔らかな風が吹き、耳から落ちた黒髪をさらりと揺らしていく。
「一度目は、ここで初めて出会った時。君がいてくれたから、俺は長い苦しみに耐えることができた」
甘い熱を持った瞳には、エレナが映っている。
木漏れ日が揺れ、その瞳は波が煌めくように輝いた。
「二度目は、君の温もりを分けてくれた時。君のおかげで……今もずっと、胸の中があたたかい」
嬉しそうに微笑むアルフレードに、エレナも笑みを返した。
それを見たアルフレードは、何故か短く息を吐き、その顔に緊張を滲ませた。
「もし……もし君が許してくれるのなら、やり直しをさせて欲しい」
「やり直し?」
何の事かと目を丸くしたエレナの前で、上着から小さな箱を取り出したアルフレードが、片膝をつき跪いた。
「エレナ──どうか俺と、アルジェントで生きて欲しい」
少し強張った表情で、アルフレードは真剣にエレナを見つめている。
その姿──そしてその言葉で、アルフレードが何をやり直そうとしているのか、エレナは理解した。
(これは……婚約を結んだ時の──)
エレナは胸がいっぱいになった。
アルフレードの全てを知った今、屋敷で同じ言葉を言った彼の心も、エレナはすでにわかっている。
だがアルフレードは、それでもやり直そうとしているのだ。
エレナに、はっきりと気持ちを伝えるために。
アルフレードは、熱の籠った声で言葉を重ねる。
「他の誰にも、君を渡すことはできない。君を一生守ると誓う。これは王命なんかじゃない。俺は君を、心の底から愛している」
跪いたまま、持っていた小さな箱をそっと開ける。
それを見て、エレナは思わず声を漏らした。
「──あ」
ぼろりと涙が溢れた。
箱の中には、エレナがアルフレードから貰ったあの指輪が光っていた。
指輪をアルフレードが拾ってくれていた事は知っていた。
だが何故か、彼は指輪をエレナに返してはくれなかったのだ。
その理由が今わかった。
金の輪はしっかりと磨き上げられ、その表面には、新しくラールの花と金の羽根模様が、寄り添うように美しく繊細に彫り込まれていた。
そして中央に輝く深い青色の石には、これでもかと言う程にアルフレードの魔力が注ぎ直され、彼の魔力に混ざったエレナの金色の光が、数多の星のようにその中に散り煌めいていた。
アルフレードはエレナの目をまっすぐに見つめ、言った。
「君を愛している。エレナ──どうか俺と、結婚して下さい」
指輪を差し出すその手に、手袋はもうない。
「はい……宜しくお願い致します!」
涙を流しながら、エレナは花が開くように笑うと、震える両手でしっかりとアルフレードの手を包み込んだ。
それから何度目の春を迎えただろうか。
柔らかな日差しが注ぐモンテヴェルディの屋敷の庭。
草の上に敷物を広げ、木陰の下で、エレナは咲き誇るラールの花畑を眺めていた。
すると突然、エレナの背中に、重みのある温もりがしがみついた。
「母様!」
高いその声にエレナは微笑み、顔を向ける。
エレナを母と呼び後ろから抱きついていたのは、さらりとした黒髪の、アルフレードにそっくりな幼い男の子。
だがその瞳は、エレナと同じ優しげな深緑色だった。
「まあ、シャルル。どうしたの?」
エレナに穏やかに尋ねられ、シャルルはエレナに抱きついたまま、大きな瞳をキラキラと輝かせて言った。
「ねえ、母様。父様は昔、竜だったの?」
その言葉に、エレナは目を丸くした。
「ねえ、本当なの? お祖父様もブルーノも言うんだ。父様は昔、とっても格好良い竜だったんだぞ! って」
エレナは興奮で赤くなったシャルルの丸い頬を撫でながら、遠い昔を懐かしむように目を細め、微笑んだ。
「そうね。とても格好良くて、強い竜だったわ」
「えー!! 本当!? この前の伝説の勇者のお話みたいに、作り物のお話じゃない?」
「ふふ……さあ、どうかしらね。ほら、父様がいらっしゃったわよ」
「え!? 本当だ!! 父様!!」
屋敷から出てきたアルフレードを見て、シャルルは駆け出した。
花畑の中、飛びついてきたシャルルを高く抱え上げ、アルフレードが笑っている。
シャルルはきゃっきゃと声を上げ、ゆっくりと降ろされた後、そのまま蝶を追いかけ庭を駆け回り始めた。
その様子を眺めながら、アルフレードはエレナの方へ歩いてくると、隣に腰を下ろした。
「何の話をしていたの?」
「竜に変身した、伝説の辺境伯サマのお話よ」
微笑んでそう答えるエレナに、アルフレードは一瞬目を丸くすると、大声で笑った。
「それはまた、壮大なお伽話だね」
アルフレードの瞳に、陰りはない。
海色に輝くその目を、エレナはじっと見つめた。
「あの子は……いつか本当の話だと気付くかしら」
「どうだろう。本当だとわかる証は、もうどこにも残っていないから」
並んで座る二人の頬を、柔らかな風が撫でる。
アルジェントの西の森に、怪物はもういない。
悲しいお伽話は終わりを迎え、金色の妖精は、あたたかな光を手に入れたのだから。
優しくエレナ肩を抱き寄せ、アルフレードが言った。
「エレナ──私の最愛。いつまでも君を愛している」
「私も、あなたを愛しているわ」
満開のラールが揺れる花畑。
笑顔で駆け回る幼いシャルルをその瞳に映しながら、二人は寄り添い、そして心から微笑んだ。
──完──
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございました。
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別ページに、完結後のエレナとアルフレードの様子を【番外編】として書いております。
不定期更新になりますが、こちらも更新していきますので、良ければお楽しみ下さい(^ ^)
https://ncode.syosetu.com/n1544li/
また、新作【リリアベルの薬草園〜悪役令嬢は婚約破棄して解毒薬作りに専念したいのに、愛が激重な腹黒王子が離してくれません!〜】の連載を始めました。
こちらもぜひお読み頂けると嬉しいです。
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ありがとうございました。




