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第62話 愛に包まれて

 幾重にも重なる炎の壁を通り抜け、エレナはアルフレードの元へ走った。

 炎は熱くない。

 だが、通り抜けるたびに、炎に染み込んだアルフレードの悲しみが深くエレナの心に刺さり、息が出来ない程に苦しかった。


 ようやく辿り着いた最後の炎を潜り抜け、エレナは叫んだ。


「アルフレード様!!」







 炎の壁の中は、不思議な程に静かだった。


 ぽっかりと円形に開けた空間は、降り注ぐ氷の結晶でぼんやりと白く光り、足元にはそれが雪のように積もっている。

 エレナの彼の名を呼ぶ声がわんと響くと、その空間の真ん中で立ち竦む()()の幼いアルフレードが、黒髪を揺らしエレナを見た。

 涙の溢れる青い目を見開き、驚きの表情を浮かべ、腕いっぱいに抱えた氷がその場に落ちる。


「君は……だれ? どうしてここに……?」


 怯えた瞳の彼に近付こうと、一歩踏み出す。


「助けに来たの。私は……()()()()


 そう言った瞬間、エレナは自分自身に驚き目を丸くした。

 声は少し高くなり、視界が低い。


 エレナは、アルフレードと出会った時と同じ、()()()姿()になっていた。


 その姿を見て、アルフレードの瞳に絶望が灯る。


「エレナ……? 本当に……君なの……?」


 恐怖に慄いて一歩後ずさるアルフレードの体が、突然ぶわりと炎に包まれた。

 それと同時にぐんと彼の背が伸び、髪は黒から青灰、そして金に変わると波打ちながら腰まで伸びていく。

 柔らかな肌は物凄い速さで金の羽に覆われ、手は鉤爪のように変形し瞳は銀に染まっていった。


 それは、エレナが初めて出会った、()()()()()()()()()()()姿()だった。


「アルフレード様!!」


 思わず駆け寄ろうとする幼いエレナに、アルフレードは叫んだ。


「来るな!!」


 その声に呼応するように、彼を包む炎はさらに大きく燃え上がり、彼の頬を、涙が伝う。


(──アルフレード様)


 エレナは彼の言葉を無視して、思わず走り出していた。


(アルフレード様……アルフレード様……どうか、どうかもう──)


 駆け寄るエレナを見て、アルフレードは一層炎を強くする。

 立ち竦んで逃げることが出来ず、金の羽を震わせ泣き喚いた。


「来るな、エレナ!! お願いだ……俺に近寄らないで。君を傷付けたくない……失いたくない。君を殺してしまう!! 母上のように、殺してしまう!! お願いだから、それ以上近付かないで!!」


 枯れる程に声を張り上げ、アルフレードの目からはボロボロと涙が溢れ落ちる。


「君を愛している!! 君を愛している!! 君を失いたくない!! 君を守りたい!! お願いだから……頼むから、近付かないで!! 君を……エレナを愛しているから!!」


 





 ──その瞬間、全ての音が消えた。







「……もう、一人で泣かないでって、言ったでしょ?」


 アルフレードの耳に、優しい声が響く。


 冷たい金の羽に覆われたアルフレードは、きつくきつく、初めて出会った日と同じ──幼い八歳のエレナに、その身を抱きしめられていた。


 春の日差しのような、あたたかな優しい熱が、アルフレードの体にじんわりと広がっていく。


 その身を焼いていた炎は消え、降り続けていた氷の結晶は、宙に浮かんだままぴたりと止まっている。

 呆然と見開かれた銀に揺らめく海色の瞳には、どっと涙が滲み、何も見えない。


 エレナが抱きしめたのは、アルフレードの心──奥底に残っていた、悲しみだった。


「う……うぁ……」


 一人きりで戦っていた彼に、エレナの体温が移っていく。

 それは、アルフレードがずっと求めて止まなかった、あたたかな、輝かしい温もりだった。


「あ……あああああああああああああ!!!!」


 アルフレードは美しい顔をグチャグチャにして泣きながら、縋るように、エレナを力一杯抱きしめた。


 アルフレードの体からバラバラと羽が落ち、抱き合う二人はそのまま姿を変えていく。

 ぐんと背は高くなり、手足はスラリと伸びていく。

 アルフレードの髪は金から青灰へ変わり、見上げたその顔、優しげな深い青色の瞳が、エレナを映していた。


 大人の姿に戻った二人は、強く抱き合ったまま、互いに額を寄せた。


「エレナ……」


 呟きを落としたアルフレードも、エレナも、泣いていた。

 エレナはアルフレードの頬に触れると、真っ直ぐに目を見て微笑んだ。


「私も──あなたを愛してる」


 グッと背伸びをして、引き寄せたアルフレードの額に、エレナはそっとキスをした。

 

 ──その瞬間。


 エレナの体からは金の光がぶわりと溢れ、それに呼応するようにアルフレードからも銀と赤の光が溢れだした。

 三色の光は二人を包み込み、まるで渦を描くように絡まり周囲に広がっていく。


(アルフレード様を、助けたい)


 願う程にエレナから溢れだす金の光の中に溶け込むように、赤色の光が消え、銀の光は輝きを放ちながら、ゆっくりゆっくり金の光と混ざり合っていく。


(あなたを助けたい。苦しみから……痛みから……全ての悲しみから)


 溢れ続ける黄金の光は勢いを増し続け、まるで水の中に沈んだように、空間全体がぬくもりに満たされ、広がった光はアルフレードにどんどんと集まり染み込んで行く。


「あなたを、私が助ける!!」


 全ての光がアルフレードの体に吸い込まれたその時、一瞬の暗闇の後、抱き合う二人は、お互いが見えなくなる程の眩しさにカッと包まれた。

 

 ──キー……ン。


 氷が割れるような澄んだ音が響き、同時に花火が散るように、天から金に輝く光の粉が、広く広く降り注いだ。


 それは、エレナがサーリャの産卵を助けるために魔力を注ぎ、もう充分だと跳ね返された魔力が起こしたあの光景と、同じだった。


 アルフレードに染み込んだ魔力は、性質変化の限界を超え、溢れだした魔力は彼の中に僅かに残る竜の魔力も消し去るように、二人を囲む炎に優しく降り注いだ。


 光の粉が触れた端から、炎は静かに消えて行く。

 キラキラと反射し合う光が舞い、もう暗闇はどこにもなかった。

 ただ柔らかな輝きが踊る、穏やかな光が、どこまでも続いている。


 ゆっくりと瞼を開けた二人は、静かに涙を流したまま、互いを見つめた。


「……あたたかい」


 きつく抱きしめていた力を緩め、両手を繋いで向かい合ったままそう言うと、アルフレードの目から、ボロりと大粒の涙が溢れた。

 喜びを噛み締めるように、へにゃりと美しい顔を歪ませ、アルフレードは笑った。


「君を感じる……心に、君の温もりを」


 その時、遠くから優しい声がした。


「──アルフレード」


 見れば、炎の道があった場所──今は光が満ち優しく照らされているその場所で、今にも崩れ落ち消えてしまいそうなシャーロットとヴィーノが、アルフレードを見つめていた。

 彼女達は氷で作られた彫像のように透き通り、その姿には、もう殆ど色がない。


「母上……ヴィーノ……!!」


 アルフレードは息を呑むと、エレナと手を繋いだまま、彼女達の方へ走った。

 

 シャーロットは、アルフレードに向かって、ボロボロに崩れてしまった両腕を広げた。

 彼女に辿り着く直前、エレナはそっと手を離す。

 アルフレードはそのまま、シャーロットの腕の中に飛び込んだ。


「母上……!!」


 力一杯抱きしめたシャーロットは、記憶の中の母よりも、随分と小さかった。


 シャーロットの頬を、涙が伝った。


「やっと……やっとあなたに触れられた……」


 シャーロットとアルフレードを同時に抱きしめるように、ヴィーノが体を寄せ長い尾を巻き付ける。

 そのまま優しく、アルフレードの頬に頭を擦り寄せた。

 アルフレードは、それを優しく撫でる。


「ヴィーノ……助けられなくてごめん。母上も……あの時、俺が……」


 謝罪を絞り出すアルフレードの言葉を遮るように、シャーロットが彼を見上げながら、その髪を梳くように触れ目を細めた。


「いいえ、アルフレード。私とヴィーノが、望んでやったの。あなたが気に病む事は何もないわ。生きていてくれて、ありがとう。──今まで……よく頑張ったわね」


 シャーロットの目から、ぼろと涙が溢れた。

 アルフレードを抱きしめたまま、肩越しにエレナに視線を向ける。


「エレナさん……本当にありがとう。あなたのおかげで、もう一度……この子を抱きしめられた」


 話しかけながらも、その体はサラサラと砂のように崩れていく。


 エレナは、返事をすることができなかった。

 溢れ出しそうな嗚咽を両手で抑えるのに精一杯で、ただ涙を流しながら、何度も何度も頷いた。


「アルフレード……私の可愛いフー」


 シャーロットは真っ直ぐにアルフレードを見つめ、囁くように声をかけると、美しく微笑んだ。

 そして言った。


「あなたを、心から愛しているわ」


「母上……俺もあなたを……あなたとヴィーノを……愛しています」


 涙でぐしゃりと顔を歪めたまま、その姿を焼き付けるように、アルフレードも深い海色の瞳で彼女達を見つめた。


「俺を生かしてくれて……ずっと側にいてくれて──ありがとう」


 アルフレードがそう口にした瞬間。

 限界を迎えたシャーロット達の体は、キラキラと輝く細かな氷の粉となって、光の中に溶けて消えてしまった。


 消える直前、最後にシャーロット達は、幸せそうに笑っていた。




 アルフレードは暫くの間、シャーロット達がいた筈の空間を見つめ、涙を拭くと振り返った。

 その瞳は、晴れ渡る空のように澄み、輝いていた。


「──ありがとう、エレナ」


 アルフレードはエレナに手を差し出した。


「帰ろう。……サーリャが待ってる」


 悲しみが消え、綺麗に笑ったアルフレードを見て、エレナは嬉しさに破顔した。


「ええ!」


 涙を拭き短く答えると、ぎゅっと彼の手を握る。

 手を取り合った二人は、そのままあたたかな金の光に包まれた。


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