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第61話 辿り着いた終着点

 炎の道が終わりに近付くにつれ、記憶の中のアルフレードはどんどんと成長していく。

 

 柔らかな秋雨が降る夜、十八歳になったアルフレードは、ブルーノに支えられながら屋敷の玄関扉をくぐると、二人でその場に崩れ落ちた。


 ぐっしょりと雨に濡れ、アルフレードの額からは血が流れている。

 服も所々が焼け焦げ、横腹の部分は鋭い刀で斬られたように裂けていた。


 ジョゼフが真っ青な顔で駆け寄った。


「アルフレード様! なんて事だ……ミア、アデット、すぐに治療と湯殿の準備を! ブルーノは着替えてすぐに報告に来なさい!」


 指示を受け、屋敷の者達が一斉に慌ただしく動き出す。

 ジョゼフとノックスの肩を借りながら、アルフレードは荒い息を漏らし、痛みと悔しさに呻いた。


「ぐ、う……はあ……また負けてしまった……侯爵閣下の壁は、高いな」


 憔悴している主人を見て、ジョゼフはギリと歯を噛み締める。


「閣下はやり過ぎです。これでは、いつかアルフレード様が死んでしまう」


 憤りを見せる彼に、アルフレードは無理矢理小さく笑って見せた。


「そう言うな……俺が弱いのがいけないんだ。エレナを守るためには……ぐ……閣下に勝てるくらいには、強くならないと」


 部屋へ入る直前、濡れた髪もそのままに、服だけ着替えたブルーノが走って来た。


「アルフレード様、治療が終わったらすぐに出発して、奇襲を掛けましょう! 今日は侯爵にも二度攻撃が当たっています。狙うなら今です!」


 真剣に無謀な事を言うブルーノに、ノックスが拳骨を落とす。


「お前、状況がわかっているのか!? 無茶言うな! 暫くは絶対安静だ!」


「いや……ブルーノの事だ。嫌な作戦を思いついたに違いない。はあ……治療が終わったらすぐに行く。ファルを庭に連れてきておいてくれ」


「はい!!」


 ブルーノは大きく返事をすると、階段を駆け降りた。

 ノックスが困ったような表情でアルフレードを見る。


「アルフレード様……」


 だが、心配をよそにアルフレードの瞳は輝いていた。

 闘志に燃えていた。


「もう少しなんだ。……もう少しで勝てる……侯爵にも認めてもらえる。そうすれば……エレナに会えるんだ」


 



 記憶が霧散し、アルフレードの執務室に変わった。





 しんと静まりかえる夜更け。

 暗い部屋に机を照らす蝋燭だけが揺らめき、二十一歳、爵位を譲り受けたアルフレードが、椅子に座り、黙々とペンを走らせていた。


 小さくノックの音が響き、アルフレードが返事をすると、静かにブルーノが入って来た。


「……灯りが見えたので来てみれば……まだ起きていらっしゃったのですか」


 アルフレードは視線を上げる事なく答えた。


「ああ。エレナが来る前に、できる事は全てやっておきたい。彼女が快適に過ごすためには、どれだけ働いても足りないからな」


 事も無げに言う主人の手元に視線をやり、ブルーノは躊躇いがちに尋ねた。


「……()()()()()()()()()()のですか?」


 その言葉に、ぴたとアルフレードの手が止まった。


「……ああ」


 悲しげに伏せられたアルフレードの視線の先。

 執務机の脇には、繊細な花の柄が箔押しされた、上品な白い封筒が置かれていた。

 その宛名部分には、美しい字で、丁寧にエレナの名が書かれていた。


「侯爵閣下に、あと一歩の所で転送の陣を崩された。……お手上げだ」


「前から申し上げていますが……ルカ様にお預けになってはいかがですか?」


「そんな事はできない。俺と繋がっている事が知れれば、ルカの立場が悪くなる。それに……これは俺と侯爵の真剣勝負だ。自力で彼女に辿り着けなければ、侯爵閣下は一生、俺にエレナを託す事はないだろう」


「……あまり根を詰めすぎないで下さいね。……次の新月も近いですから」


 頑なな主人の様子にそれ以上何も言う気になれず、ブルーノは体調を気遣う言葉だけを残し、部屋を後にした。


 扉が閉まるのを見届けると、アルフレードはペンを置き、静かな部屋の中で、届くことのなかった手紙をそっと手に取った。


 窓から差す月明かりで、封筒の金の花が優しく光る。


 その花を指先で撫で、グシャリと美しい顔を歪ませると、縋るように封筒に額を寄せ、ポツリと呟いた。


「……エレナ」


 絞り出された声は、彼の苦しみそのものだった。

 

「エレナ……君に会いたい」


 震える声に、嗚咽が混じる。


「君に会いたい……」


 誰もいない部屋で、硬い机にアルフレードの涙が落ちる音だけが、やたらに大きく響く。


「君に、会いたい……俺は……俺は一体、いつになれば──」


 続く言葉は、無理矢理ひり付く喉の奥に飲み込んだ。

 アルフレードは暫くそのまま動かなかったが、やがて大きく息を吐くと、ぐいと涙を拭いて疲れを滲ませる瞳で手紙をしまい、再び、ペンを走らせ始めた。


 エレナからちらと見えた引き出しの中には、何十通も手紙が入っていた。

 それらは全て、一度も届く事がなかった、エレナ宛の手紙だった。


 エレナの目からは、涙が溢れていた。


「私……何も知らなくて……本当に……ごめんなさい……本当にずっと、知らなくて」


 謝るエレナを遮るように、シャーロットはゆるゆると首を横に振った。

 

「アルフレードは、いつ死んでしまうかも、どうなってしまうかもわからない状態だった。そんなあの子からの手紙を、あなたに渡せるはずがないわ。エレナさんが十八歳の成人を迎えるまで、本当にあの子が呪いに耐え続けられるのか、お父様はずっと、見極めようとなさっていたの」


 エレナの背に、シャーロットの温かい手が優しく触れた。


「私、屋敷に戻ったら……絶対にあの手紙を受け取ります。全部……最初から全部読んで、全部にお返事を書きます。アルフレード様がいらないって仰っても……絶対に書きます」


「……ありがとう。あの子も、絶対に喜ぶわ」


 エレナの言葉に、シャーロットが涙を溢して微笑んだ。


 エレナは涙を拭くと、目の前に見える明るく光る場所──炎の道の終着に向かって、力強く足を踏み出した。









 どれだけの記憶の中を歩いてきたのだろう。

 エレナと出会ってからのアルフレードの記憶は、全てが彼女への愛で溢れていた。

 呪いへの弱音を吐くことなく、ただただ一途に、エレナに会いたいと、本当にそれだけを願い続けていた。


 (私も……私も早く、アルフレード様に会いたい)


 アルフレードの愛を感じる度に、エレナの心はひどく締め付けられた。

 過ぎ去ってしまったどの記憶の中にも、自分が存在していない事が本当に辛く、悔しかった。


 長い長い苦しい道を歩き、エレナ達はようやく、炎の道の終わりに辿り着いた。


 道の先には、何重にも地面に円を描くように、炎が壁となって渦巻いていた。

 明るく光って見えていたのは、どこからともなく振り続ける、氷の結晶が反射する光達のせいだった。

 しんしんと振り続ける氷の粒によって、何とか炎の勢いが抑えられているらしく、ゆらゆらと揺れる火は、天から降る氷を溶かそうと恨めしげに手を伸ばし踊っている。


「あの炎の中心を見て」


 シャーロットに促され、重なり合う炎の中に目を凝らす。


「──あ」


 エレナは思わず声を出していた。

 そこには、両手いっぱいに氷の結晶を抱え泣いている、八歳のアルフレードがいた。

 幼い彼は不安げに震えながら炎の真ん中で立ち尽くし、時折黒髪を揺らしながら辺りを見回し、泣いていた。

 

 エレナは急いで駆け出し、記憶の道から、氷の結晶が降る炎の壁へ向かって飛び出した。


 だが、数歩走った所で、ふと気付いた。

 手を繋ぎ、ずっと隣にいてくれたシャーロットとヴィーノがいない。


 驚いて後ろを振り返ると、炎の道の中に、シャーロットとヴィーノが立っていた。

 

「シャーロット様! ヴィーノ!」


 早く行こう、どうしたのかとエレナは声を掛けたが、彼女達は動こうとしない。

 シャーロットは揺らめく炎の中で、微笑んだ。


「私達は、そこには行けない。あなたをここに連れて来る為に、残っていた命の力を……全て使ってしまったから」

 

 見ると、それまで気付いていなかったが、シャーロットとヴィーノの手足は、炎に焼かれ、炭のように黒くなっていた。


「そんな……」


 話している間にも、彼女達の手足は、砂のようにぼろぼろと崩れ形を失っていく。

 戻って駆け寄ろうとするエレナに、シャーロットが叫んだ。


「来ないで!!」


 美しい顔に、まるでガラスが割れる前のように、ピシリと亀裂が走る。

 

「私達は、もう充分にあの子の側にいられたわ。だから……だから、もういいの。エレナさん、戻らないで。もう行って。お願いよ……少しでも早く、あの子を救いに行って」


 パラパラとその顔から破片が落ち始め、ゆっくり、だが確実にシャーロット達の命の終わりが近付いている。


「さあ、行って」


 エレナは瞳を揺らし、伸ばしかけた手を下ろして拳を握ると、漏れそうになる嗚咽を飲み込んだ。


「──待っていて下さい!」


 止めどなく溢れる涙を何度も何度も拭いながら、エレナは叫んだ。


「もう少しだけ、待っていて下さい! アルフレード様を、ここに連れてきます! だからまだ消えないで! 絶対に……絶対にアルフレード様を助けますから!!」


 エレナはシャーロット達の返事も聞かずにくるりと背を向けると、力の限り駆け出し、轟々と燃え盛りアルフレードを捕える炎の壁へと飛び込んだ。

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