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第6話 重ねた視線と白手袋

 どどど……どうしよう。


 前のめりに座り目を見開いている兄、両手で口を押さえている母、軽く身を引き息を呑むアルフレード。

 父に至っては立ち上がり、顔は完全に血の気を失っている。

 

「あの……?私、また失敗しましたか?」


 不安になり、沈黙に耐えられなかったエレナはおずおずと尋ねた。


「……は……ははは。こりゃすごい、まいったな」


 静まり返った部屋で力なく兄が笑う。

 父の視線はエレナ一点を見つめ、立ったまま静かに呟いた。

 その声は、どこか恐怖を孕んでいた。


「……笑い事ではない」


「……ああ……まさかこれ程とは……」


 眉間に深く皺を刻み、凝視してくるアルフレードに、エレナはこれは只事ではないな、と冷や汗がじわりと滲んだ。


「あの……これは良くない感じでしょうか?」


「ああ……()()()()()()()。まさか……8層展開だなんて」


 父は糸が切れたように椅子にドスンと沈み、片手で顔を覆い答えると、悪態を吐いた。


「クソッタレが……何てことだ」


 父の様子に思わず魔術を解除させ、エレナを包んでいた魔術が虹色の粒子になってふわりと霧散した。


「……申し訳ありません」


 弱々と謝罪したエレナに、アルフレードが向き直り目を細めた。

 その瞳にも、父と同じく怒りが滲んでいる。


「君が誤る必要はない。侯爵は魔術師長に怒りを抱いているんだ。重要な指導役だったにも関わらず、我々にいい加減な報告をしていたらしい」


「いい加減な報告……?」


「君の現在の魔力量では、6層程度の展開だと聞いていた」


「あ……それは本当です。確実に展開できるのは6層で、それ以上は失敗する時もあるんです」


「失敗とは、どれくらいの割合で?」


「10回中1回は失敗してしまいます」


「ぐふっ……」


 突然、話を聞きながら紅茶を飲んでいた兄がむせた。


「ぐ……エ、エレナ。それは失敗とは言わない」


「え……?でも、魔術師長はまだまだだと……」


 狼狽えるエレナに、父が唸るように言った。


「あの研究馬鹿女の言うことは今後信じるな。お前は守護防壁を8層展開できることがどういうことか、奴から説明されていないのか?」


 学園では、魔術に関する授業は城での内容と重複するという理由で免除だった。

 エレナは城での勉強を思い返す。

 授業はいつも1対1。

 歴史や政治、外国語の授業もあったが、魔術に関することは座学も実技も全て、師である魔術師長に教わった。


 師は言った。


「生活魔術や攻撃魔術が下手なのは問題ない。貴族令嬢が使うことなんかないからね。だが侯爵令嬢なんだ。自分の身くらい守れるように、守護魔術は必死で習得しな」


 こうも言っていた。


「最低でも8層くらいは瞬時展開できるようにならなきゃね。最終的には6層くらいは無詠唱で展開できなきゃ使い物にならないよ」


 エレナがそのことを説明すると、アルフレードは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「……どうやら、君はかなり偏った教育を受けていたようだ」


 精霊のように麗しく美しい顔のはずなのに、なぜか魔王のような圧を感じる。


「そもそも守護魔術は、攻撃魔術や生活魔術とは比較にならない程の魔力が必要だ」


「……はい、それは習いました」


 縮こまるエレナに、兄が優しく説明してくれた。


「普通は2層も展開できれば騎士団に入れる。私も3層まで。父上でも、守護防壁は5層が限界だよ」


「え?」


「守護魔術に属する魔術は、どれも段階が1つ上がる毎に魔力量が倍以上必要で、5層から6層にするなら、その量は途方もない。8層となると、もはや天文学的数値だろうね」


 確かに、守護魔術には特に魔力量が必要だなと感じてはいたが、それ程のこととは思っていなかった。


「……君は、自分の状況の危うさを正確に把握する必要がある」


 目を白黒させるエレナに、アルフレードがさらに追い打ちをかけた。


「もし、8層まで展開できると世に知れたら、本当に人柱にされかねない」


「え……」


 それを聞いてエレナはゾッとした。


 戦争が多かった時代、魔力量の特に多い人間の行方不明者が頻発した。

 国や城に守護結界を作るため、人柱として魔力を奪われ、犠牲になったからだ。


 あまりに残酷で凄惨な魔力搾取が行われ、終戦後、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ほどだ。


 エレナは震えた。

 歴史で習いはしたが、どこか空想上の物語のように感じていたことが、自分にも起きる可能性を示され、手足が急速に冷たくなっていく。


 項垂れる父は力なく言った。


「できる限り普通の令嬢として暮らしてほしいと、魔力のことを隠してきたが──まさかこんな状態になっていたとは」


 部屋に沈黙が広がる中、重い空気を払ったのは母だった。


「とにかく、話を戻すんだけれど」


 明るく、だが芯の通った張りのある声で、母がにっこりと微笑んだ。


「今まで、あなたの魔力量を隠したり、警護しやすいとか諸々の理由で、あなたを殿下の婚約者候補にしてもらっていたの」


「実は私も、時間がある時はこっそり護衛していた。気付かなかっただろ?」


 兄が穏やかな目でエレナにウィンクした。

 世の中、知らないことだらけのようだ。

 

「でも、殿下の婚約者候補として守ってきたことで、逆に目立ってしまって。最近では他国からも、結婚の申し出が来てしまっているの」


 娘が人気なのは嬉しいんだけど、と母が肩をすくめる。


「成人も迎えているし、殿下も婚約が決定した今、他国の打診を断るのが本当に難しいのよ」


「力を隠し、他国との衝突を避ける為にも、お前を守れる強さを持つ者と、一刻も早く婚約し結婚する必要があるんだ」


 兄と母が説明し終わると、沈黙の後、父が低く呟いた。


「──アルフレード」


 ただ名前を呼んだだけ。

 だが父の言わんとすることが、アルフレードには伝わったらしい。

 背筋を伸ばし、「ありがとうございます」と父に深く礼をしている。


「あの……?」


 アルフレードは立ち上がり、困惑するエレナに向き直ると、その場に跪いた。

 下から見上げてくる強い眼差しに、エレナはくらりと目眩がした。

 急激に顔が熱くなり、耳がジンジンと痛い。


「エレナ嬢、どうか私と結婚してほしい」


 美しい瞳に吸い込まれそうで、心臓が痛い。

 だが、次の言葉にエレナは冷水を浴びせられたような気持ちになった。


「あなたを一生守ると誓う。だからどうか頷いてほしい」


 ああ。


 エレナはこれまでの話を思い返した。


《あなたは、国家保護対象に指定されているのよ》


《エレナの魔力については、王族と話し合って秘匿することに決まったんだ》


《世に知れたら、本当に人柱にされかねない》


《お父様より強い人が、国内ではもう、辺境伯様お一人だけなのよ》


《エレナ嬢、あとは君の承諾だけなんだ》


 まさか本当に、辺境伯様は強さという条件だけで、自分を保護するために選ばれてしまったというのか。


 説明された限り、それが最善なのだろう。

 だがエレナは、申し訳なさに押しつぶされそうだった。

 

 悩むエレナは、ふと、アルフレードの手元を見た。

 両手にはめた上質そうな白手袋には、魔力操作や魔力制御などの魔法陣がびっしりと刺繍されている。


 刺繍での魔法陣は効果が非常に薄く、殆ど気休めのようなものだ。

 だがこの若さで父よりも強いと言うことは、願掛けでも何でも取り入れ、相当な訓練を積み努力してきたに違いない。

 きっと真面目な性格なのだろう。


 辺境伯領はほぼ独立領の状態で、爵位は侯爵家と同格。

 討伐や災害など状況次第では、公爵家にも並ぶ行使権を持っているほどだ。


《すでに国王陛下からお言葉を頂いております》

 

 そう父に言っていた。

 自分との婚約は、陛下に言われて仕方なく承諾したということか。


 自分の状況も、彼に保護される以外に選択肢がないことも理解した。

 だが、アルフレードはそれでいいのか。

 彼には、強さも美貌も爵位も揃っている。

 エレナの心は軋んだ。


 一体今、どんな気持ちで結婚を申し出てくれているのだろう。

 確認したいが、不安から声も掠れてしまう。


「辺境伯様……あの……」


 緊張で上手く言葉が出ない。

 すると、アルフレードの瞳が揺れ、静かに口を開いた。


「……君は不満かもしれない。不安もあるだろう」


 アルフレードは眉間に皺を刻み、拳を握る。

 微かに声が震えているように聞こえるのは、気のせいだろうか。


「だが、君をこの国から出すことも、他の者の所へ行かせることもできない」


 険しい表情で片膝をついたまま、その瞳は真っ直ぐにエレナを見つめている。

 精緻な刺繍が浮かぶ上質な手袋に包まれたアルフレードの手が、エレナの前に差し出された。


「何度でも言おう。あなたを一生守ると誓う。どうか私と、アルジェントで生きてほしい」

 

 願うような強い眼差しに、エレナは息を呑み悟った。

 この人はすでに、決めているんだ。

 国のために、自分を生涯保護する役目を負う覚悟を、すでにしているんだ、と。


 人間嫌いという噂もあるのに。

 きっと不満だってあるはずなのに。

 それを出すこともなく、突然国から押しつけられたエレナを、むしろ気遣ってくれてさえいる。

 

 じんと胸の辺りが熱い。

 大きく息を吸い、エレナは立ち上がった。

 

 他に選択肢はない。

 彼は誠実に向き合おうとしてくれている。

 私も覚悟を決めて、進むしかないんだ。

 政略結婚、望むところだ。


「宜しくお願い致します!」



 エレナは手を重ねると、同じく強い瞳でアルフレードを見返す。

 白手袋に包まれたままの彼の手は、雪の精霊のような外見とは裏腹に、燃えるように熱かった。

 

 どのみち、王都を出るにはこの手を取るしか方法はない。

 全ては夢のために。

 妖精を、フーを探しに行くために。


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