第58話 炎の道 1
炎は意外にも、熱くはなかった。
だが熱はない代わりに、エレナが進むのを拒むように、足を進める度に不思議な重さで押し返してくる。
まるで沼地の中を歩いているようで、思うように前に進めない。
そして問題は、歩いている間に、何度も何度も、シャーロット達が見ていたアルフレードの記憶が、幻惑のようにエレナの前に現れる事だった。
最初に見たのは、竜の魔力を得てすぐ、八歳のアルフレードだった。
「──え?」
暗闇の中、炎の道をひたすら歩いていたはずなのに、エレナは気付けば部屋の中にいた。
落ち着いたライムグリーンを基調とした部屋には、小さめのベッドや机がある。
恐らく子供部屋であろうそこは、カーテンは全て閉ざされ、何故か重々しい空気が漂っていた。
困惑するエレナを見ることもなく、シャーロットは表情を強張らせ正面をまっすぐに向いたまま、エレナの手を強く握った。
「惑わされないで。これはただの記憶よ。いい? もう変えられない、記憶なの。絶対に立ち止まっては駄目」
エレナ達はそのまま歩みを進めたが、どれだけ歩いても、部屋から出ることができない。
まるで距離と時間がチグハグになったような空間に戸惑っていると、突然叫び声がした。
「ああああああああああ!!」
驚いてベッドを見ると、叫び声を上げているのは、青灰色の髪に変わった幼いアルフレードだった。
泣き叫ぶ彼は、今より随分と若いノックスと、まだ少年のブルーノに押さえつけられながら、半狂乱でもがいている。
「熱い……熱い!! ……ブルーノ、お願いだ、俺を殺して……殺してくれ!!」
ボロボロと涙を流すアルフレードのその肌は、何度も金の羽が生まれては消え、瞳は青や銀、赤色に揺らぎ色が定まらない。
シャーロットは強張った声で言った。
「……ヴィーノから離れた魔力は、アルフレードの中で暴れ、あの子の魔力に絡まり増え続けてしまったの。私の魔力で何とかできたのはほんの僅かな時間だけ。あの子の苦痛は……日を追うごとに増していった」
苦しむアルフレードの横を歩き続けるシャーロットの顔は見えなかった。
「ああああ!! 熱い!! ……死にたい!! もう、死にたい!! 俺を殺して!!」
アルフレードの叫びは止まらず、ノックスは暴れる彼を押さえつけ、ブルーノは必死で声を掛け続けた。
「そんな事になれば、シャーロット様が悲しみます!」
「もう嫌だ!! 熱いよ、熱いいいい!! 死にたい! 母上、母上助けて!!」
アルフレードは誰もいない空へ助けを求め手を伸ばし、そこにはいない母を求めて、滂沱の涙を流しながらもがいた。
「耐えて下さい! お願いです、私達のために……シャーロット様のために、生きて下さい!」
「錯乱が酷くなっている……ブルーノ、セドリック様に緊急の伝令を送って来い!」
「母上!! 母上!! あああああああ!!」
死にたいと苦しむアルフレードの意識を繋ぎ止める方法は、残酷にも、命を賭けた母のために生きろと言うしかない。
よく知る彼らのその光景を見ていられず、エレナは思わず目を瞑った。
閉じた瞼から、涙が溢れ出た。
シャーロットは立ち止まろうとするエレナの手を、駄目だと言うように強く引く。
「私とヴィーノは、あの子を救いたかった。それがあの子にとって、呪いになってしまっても、それでも──生きていて欲しかったの」
シャーロットの頬に涙が伝うのが見えた。
やがて部屋は消え、アルフレードの姿も消えていた。
どこまでも続く炎の道、次に足を踏み入れた記憶の場所は、ヴェレニーチェの研究室だった。
そこにいたのは、焦りを滲ませたヴェレニーチェと、アルフレードの父セドリック、ジョゼフと騎士服を纏ったノックス、そしてアルフレードだった。
シャーロットが声を震わせながら、絞り出すように言った。
「これは……私が死んだ後の、初めての新月の夜よ」
アルフレードは、顔の辺りまで鱗が広がり、瞳は赤く、背には翼が生え始めていた。
正気を失ったように叫び暴れようとする彼を、ノックスとジョゼフが二人がかりで押さえている。
ヴェレニーチェは動揺しながらも素早く様々な魔道具を引っ張り出し、アルフレードの状態を調べていく。
「モンテヴェルディ、何故こんな事になっているんだ!」
焦りからヴェレニーチェが声を荒げるが、セドリックも大声で必死に訴えた。
「我々にもわかりません! 日が沈むにつれどんどん魔力が膨れ上がって、一気に姿が変わってしまったんです!」
「まずいね……竜化が一気に進んだせいで、翼の付け根のあたりで魔力が詰まり始めている。このままだと、結晶化して死んじまうよ」
その瞬間、アルフレードが大きく呻き、バキバキと音を立てながら、翼がぐんと広がり始めた。
ヴェレニーチェは顔を歪めて瞬時に魔力で剣のようなものを作り出すと、大声で言った。
「お前達、坊やをしっかり押さえてな!!」
「ま、待って下さい! 何をするおつもりですか!」
セドリックは間に入ると、息子を守るように両手を広げてヴェレニーチェを制止する。
「そこを退きな! 今すぐ翼を切り落とすしかない!」
「切り落とす!? 痛みは……息子は大丈夫なのですか!?」
「痛みはあるに決まってるだろう!! だがどの薬がどう竜化に影響するか、まだ何も調べられてないんだ! そのまま切るしかない!! モンテベルディ、お前は坊やの口に布を突っ込んで押さえろ!! 早くしろ!!」
セドリックはがくがくと泣き震えながら、暴れるアルフレードの口に布を詰め込み、舌を噛まないよう、その顔を強く抱きしめた。
「アルフレード、アルフレードお願いだ。耐えてくれ!! シャーロット、この子を助けてくれ!! まだ私の所から連れて行かないでくれ!!」
祈るような叫びを聞きながら、ヴェレニーチェは指示を続け手に持つ刃を構えた。
「まず右から切る。ノックス! 切った瞬間、お前が魔術で止血しろ! 私はそのまま左を切って魔力の流れを変える! 三つ数えたら切る、いくよ、一、二、三──!!」
その瞬間、霧散するようにその光景は消え、エレナ達はまた、暗闇に戻っていた。
泣きながら歩くエレナを、ヴィーノが優しく舐める。
エレナを引っ張るシャーロットの手は、氷のように冷たくなっていた。
「……急ぎましょう。記憶の中のあの子は、もう助けられないけれど……今、あなたを待っているあの子は、やっと、助けてあげられるから」
シャーロットの目からは、止めど無く涙がこぼれ落ちた。




