第56話 あなたを助ける方法
アルフレードに強く抱きしめられながら、エレナは彼の首筋にそっと触れた。
肌を覆う白い鱗からじんわりと熱が伝わって来る。
「十年前……私の中に染み込んだのは、この熱だったのね」
アルフレードが怒りで神殿全体に竜の魔力を溢れさせ威圧を放った時、氷のカーテンに守られていたエレナに届いたのは、威圧ではなく、純粋な魔力の熱だけだった。
その熱は、幼い頃、妖精だと思っていたアルフレードから金の羽を受け取った瞬間、手の平に感じたあの熱と全く同じだった。
サーリャが魔力を注ぐ間、氷のカーテンの外で交わされるアルフレード達の声は、全て聞こえていた。
エレナは気付いた。
全てが繋がっていたという事に。
城の庭で出会った金色の妖精。
羽根から伝わった熱。
最後まで婚約に反対していた父。
泣いていたジョゼフ達。
魔力を吸い取る、西の森の怪物。
魔力暴走で変わった髪色。
亡くなったシャーロット。
十五年前の誘拐事件。
争い続けているアルジェントとアラジニール。
神になるための触媒。
サーリャへの魔力譲渡に震える程恐怖していた海色の瞳。
エレナを呼んだ白い人影。
目の前の、竜の魔力を纏った、アルフレード。
バラバラだった全てが一つの線になり、エレナの目からは、涙が溢れた。
彼女を強く抱きしめながら、アルフレードも泣いていた。
エレナの髪に顔を埋め、震える声で言う。
「どうしても、君が欲しかった。何も知らない君に、勝手に魔力を渡した。他にどうしようもなくて……本当にごめん。何も言わなくて。君を好きになって。でも、君にどう思われたとしても……やっぱり俺は、君を諦められない。俺は……」
抱きしめる力が一層強くなる。
彼の気持ちそのもののように、アルフレードの体に魔力の熱が滲んだ。
「俺は君を──エレナを、愛しているんだ」
許しを乞うようなその声に、エレナはグシャリと顔を歪め、再び涙を溢れさせた。
アルフレードの苦しさが痛い程に伝わり、その痛みが、喜びと同時にエレナの全身を締め付けた。
「アルフレード様、私──」
エレナが口を開いた、その時だった。
「アルフレードーーーーーー!!!!」
憎悪の籠ったナーディルの凄まじい咆哮が、建物の中にこだました。
首飾りの魔石の力を使い、何とか竜の魔力を抑えているのか、体はバチバチと拮抗する魔力が生み出す火花に包まれ、肌は忙しなく鱗の出現と消失を繰り返していた。
ガクガクと震えながらも瞳をぎらつかせ、立ち上がったナーディルはその手に魔力を集め、禍々しい気を漂わせる魔術を構築していく。
「アルフレード……アルフレード、アルフレード、アルフレード!!」
正気を失ったようなナーディルのその叫びに、アルフレードは抱きしめたままの彼女を庇うように、僅かに体の向きをずらす。
息を乱し瞳孔の開いた獰猛な瞳で二人をじっと見つめながら、ナーディルは喚いた。
「アルフレード……!! これが……お前の言う地獄か……来てやったぞ。同じ地の底まで。だが足りない……渇いて渇いて仕方がない!! 寄越せ……お前の竜の魔力も……その女の魔力も……全てを私に寄越せーーーー!!」
ナーディルが渦のように旋回するドス黒い魔術をその手から放つ。
二人を飲み込むように広がり迫るその闇を前に、エレナはばっとアルフレードの腕から飛び出し、彼を背に守るように立つと、強い瞳でナーディルを見据え、宣言した。
「あなたには何も渡しません!!」
その身からぶわりと金の光が溢れ出し、光の粒は文字の形になり、徐々に速度を上げながらエレナとアルフレードの周りを囲むように旋回していく。
「私の魔力も、アルフレード様の魔力も、未来も、希望も!! あなたには何も……もう何も、奪わせません!!」
その瞬間、カッと建物全体が眩しい程に明るくなり、二人の周りに輝く光の波が何層も何層も重なり広がっていく。
波同士が光を反射し合い、虹色の煌めきが、黄金の波の間を何度も繰り返し通り抜けていく。
花びらのように重なり広がる光の膜が、エレナとアルフレードを包み込み、ナーディルが放った闇を、そのまま全て跳ね返した。
アルフレードのために戦うと決めたエレナが発動させたのは、彼を守るための魔術──十層展開の守護防壁だった。
跳ね返された魔術は、そのまま目の前の光景に呆然としていたナーディルに直撃した。
「ああああああああああ!!」
闇に飲み込まれたナーディルは叫び声をあげる。
全身を包んだ闇はそのままナーディルに染み込んでいき、その色が見えなくなった瞬間、ナーディルはどさりとその場に崩れ落ちた。
それと同時に、カーンと小さな音を響かせ、気絶したナーディルの横に小さな美しい赤色の魔石が落ちる。
「……竜の魔力だ」
光に包まれたまま、エレナのすぐ後ろ、アルフレードが呟いた。
ナーディルが放った魔術は、他人の魔力を奪い取り魔石にする魔術だった。
跳ね返った術はナーディルの体から竜の魔力を綺麗に奪い取り、ナーディルの竜化の症状は完全に消え失せていた。
アルフレードは己の周囲を包む美しい黄金の光に目を細めた。
「……俺を救ってくれるのは、いつも君だ」
輝く波の中で、アルフレードはエレナを再び抱きしめる。
エレナはアルフレードの頬に手を添え、白い鱗をそっと撫でた。
「まだです」
ふわりと微笑んでアルフレードの顔に両手を添え、エレナはぐいとその顔を引き寄せた。
困惑の表情を浮かべるアルフレードに、エレナも顔を近付け、優しくお互いの額を合わせる。
「言ったでしょう? 助けに来たよって」
その言葉で、アルフレードの瞳にサッと怯えが滲む。
「エレナ……まさか」
「怖がらないで。あなたを助けたいの。もう、一人で泣かなくていいように」
アルフレードと竜の魔力を巡る真相に気づいたエレナは、もう一つ、一番重要な事にも気付いていた。
それは、竜の呪いを解く方法。
なぜ、ヴェレニーチェがエレナにずっと薬草の性質変化の研究をさせていたのか。
ラールの腕輪を見つけた時、なぜヴェレニーチェは涙を滲ませ笑ったのか。
捻くれた優しい師は、アルフレードを助ける方法を探していたのだ。
そして見つけた。
ラールの花が証明してくれた。
魔力が不安定になっている時に、大量の魔力を注げばいいと。
それが、アルフレードから竜の苦痛を取り除く方法だと。
エレナは額を合わせたまま、子どもをあやすように、ゆっくり、優しく、アルフレードに囁いた。
「あなたを救えるのは、私だけ。私ならできるの。お願い……私を受け入れて」
それは甘い誘惑だった。
竜の魔力に身を委ね、姿を変えた今もその身の内を焼かれ続けているアルフレードは、葛藤で顔を歪める。
振り払うこともできず、熱い鱗に覆われた手を、エレナのそれに重ねることしかできない。
エレナは揺れるアルフレードの瞳を見つめて、はっきりと言った。
「私にあなたを助けさせて。あなたを──愛しているの」
アルフレードの赤い瞳が、大きく見開かれる。
エレナは言葉を彼の心に染み込ませるように、もう一度、囁くように言葉を重ねた。
「あなたを、愛しているの」
アルフレードは、強く輝く深緑の瞳を暫くじっと見つめていたが、震える息を小さく吐き、やがてゆっくりとその目を閉じた。
エレナはそれを見届け、大きく息を吸い込む。
アルフレードの熱を感じながら自身も目を閉じると、体の内を巡る魔力を、どっとアルフレードに注ぎ込んだ。




