第55話 そうして再び金色は出会う
「う……嘘だ!! そんな化け物が竜神な訳が無い! お前は……お前のその姿は、怪物そのものではないか!!」
震えながら吠えるナーディルに、アルフレードがゆっくりと距離を詰めていく。
ソフィーネは氷の牢の中、恐怖で涙を流し、アルフレードの注意を引かぬように息を殺して両手で口を押さえ、必死で叫び声を飲み込んだ。
「竜神という美しい幻想の姿を追うのは楽しかったか? ……俺はわかったよ。アルジェントの西の森に、なぜ何百年も昔から怪物が現れるのか」
爛々と光る赤い瞳は、獲物を狙う魔獣のような冷えた殺気を孕み、ナーディルを射抜いている。
アルフレードが一歩近寄る毎に、ナーディルを包む空気は重さを増した。
「お前達と同じ事をしようとした愚かな先人達のせいで、竜の魔力を与えられ、そして運悪く生き残ってしまった人間が、魔力に耐えられず竜化していたんだよ。俺と同じように。竜神などという妄想に取り憑かれたお前達のせいで、何度も何度も何度も何度も!! アルジェントで悲劇が繰り返されていた。それが──西の森の怪物と、竜神信仰の真実だ」
アルフレードはナーディルの目の前で立ち止まった。
恐怖を浮かべた男を包む、エレナの優しい魔力の光を見つめ、その眩しさに目を細めた。
「これは、お前が手にしていいものじゃない。……もちろん、怪物に成り果てたこの俺も」
鱗に覆われたアルフレードの頬に、つうと一筋涙が伝う。
魔力を込めた爪先でそっと触れると、光の膜はキラキラとした光の粉になって舞い散った。
「森の怪物は、触れた人間の魔力を吸い取る。吸収を自分で止められない程に、竜の渇望に苛まれるからだ。だが、喜べ。俺はお前の魔力など死んでも受け取らない。十五年間、特別な経験をさせてくれた礼に、お前に贈り物をやろう」
アルフレードは蹲るナーディルを乱暴に立ち上がらせると、鋭い鉤爪が光る手でその首を掴み、ナーディルを片手で高く持ち上げた。
「ぐ……かはっ! ……やめ……」
ナーディルは宙に浮いた足をばたつかせ、アルフレードの手の鱗に爪をたて何とか拘束を解こうともがく。
だがアルフレードは手を緩めるどころか、さらに力を強め、ナーディルの首に爪を食い込ませた。
「さあ、お待ちかねの竜の魔力だ」
渦巻く怒りをぶつけるように、アルフレードは竜の魔力を流し込んだ。
燃えるような魔力がどっと体を巡り、ナーディルは堪らず叫び声を上げる。
「あああああああああ!!」
苦痛で喚き散らすナーディルを見て、アルフレードは奥歯をぎりと鳴らし、眉間に深く皺を刻んだ。
「頼むから死なないでくれよ。お前も早く、俺と同じ地獄へ来い」
さらに魔力を流し込み、ナーディルの肌には金の羽と白い鱗が現れ始めた。
悲鳴を上げながらもがき続けるナーディルを、アルフレードは赤い瞳でじっと見つめた。
ただ叫ぶしかない無力なその姿に、幼い頃の自分が重なる。
怒り。苦しみ。憤り。絶望。乾き。恐れ。憎しみ。嘆き。
混ざり合う激情の波が、アルフレードの心を切り刻み、バラバラに引き裂いていく。
だが、それら全ての感情の底、アルフレードの根本に染み込んで消えない、最後に残ったその感情の名前は──。
「──やめて下さい!!」
竜の魔力に呑まれ暗く沈んでいたアルフレードの意識は、その声ではっきりと引き戻された。
声の主は、エレナだった。
魔力が全て戻ったのだろう、その悲痛な制止の声は、震えながらも大きく凛としていて、アルフレードの耳に真っ直ぐ届いた。
「もう、やめて下さい。お願いです……アルフレード様」
アルフレードは、心臓を刺されたかと錯覚する程の痛みに、胸を貫かれた。
一瞬で全身から血の気が引き、息が吸えない。
苦しむナーディルに視線を向けたまま、彼女の顔を見ることができない。
ヒリヒリと焼け付く喉から、それでも何とか言葉を絞り出した。
「……君にだけは、できれば一生……知られたくなかった」
アルフレードの中に、恐怖が広がっていく。
怪物になってしまった己を見て、エレナがどんな顔をしているのかと思うと、恐ろしさで動くことができなかった。
「君は……この男を助けるつもりなのか? 君を利用し、傷付け、殺す所だった……この男を」
動揺で、思わずナーディルを掴む手の力が緩まり、瞳が揺れる。
「アルフレード様──」
エレナの言葉の続きを聞くのが怖くて、アルフレードは彼女の言葉を遮り、視線を向ける事なく、早口で捲し立てる。
「苦しむこの男が、可哀想になった? それとも、俺が化け物だった事を知って、恐ろしくなった? 君から見れば、今の俺は、人間を襲う怪物そのものだろう」
自分の言葉が鋭い刃となり、アルフレードの心に次々と刺さっていく。
「君がこの男を救いたいと言っても、俺には受け入れられない。俺は──」
「アルフレード様!!」
エレナから叫ぶように名を呼ばれ、アルフレードは口を噤んだ。
声を聞いただけでわかる。
エレナは泣いている。
「お願いです。……その手を離して、それから──私の目を見て」
心からそう請われ、大きく息を吸うと、アルフレードは奥歯を噛み締めながら、ゆっくりとナーディルを掴む手を下ろし、そのままどさりと苦痛に呻く彼を床に放った。
床に倒れるナーディルを呆然と見下ろしたまま、どうしてもそこから動くことができない。
エレナは、もう一度アルフレードに言った。
「こっちを、向いて下さい」
声と共に、アルフレードの頬に温かな手がそっと触れた。
ビクリと肩を震わせ思わず目を向けると、その声音の通りに、エレナは泣いていた。
顔をぐしゃぐしゃにして涙を流し、アルフレードを見つめている。
その瞳には、恐怖も、嫌悪も浮かんではいない。
優しい深緑が、ただただアルフレードを映していた。
「アルフレード様……私が助けたいのは、救いたいのは──あなたです」
「──え?」
掛けられたのは、思わぬ言葉だった。
泣きながらも強い瞳で訴えられ、アルフレードは戸惑いを滲ませる。
エレナは、アルフレードの白い鱗に覆われた頬を、そっとなぞった。
「苦しんでいるのも、傷付いているのも……アルフレード様、あなたです。お願いですから、もう……一人で、泣かないで」
ボロボロと涙を流しながら、エレナはアルフレードの胸に顔を寄せた。
アルフレードは気付いていなかった。
自分が涙を流している事に。
怒りのままにナーディルに魔力を流し、闇に沈んでいる間、ずっと泣いていた事に。
「私、やっとわかりました」
エレナの嗚咽が混じった声が、アルフレードの胸に直接響いてくる。
「新月の夜……森で泣いていたのは、あなたなんでしょう?」
アルフレードの返事も待たずに、エレナは答え合わせをするように言葉を重ねる。
「怪物なんかじゃ……化け物なんかじゃない。自分の事を、そんなふうに言わないで。今まで気付かなくてごめんなさい。あなたはずっと、苦しんでいたのに……。さっき、あなたから溢れた熱い魔力に触れるまで、私……全然気付けなかった。……でも、やっとわかったの」
アルフレードの胸の中。
エレナは涙を流しながら、クシャリと無理やり笑顔を作ると彼を見上げ、そして言った。
「助けに来たよ。……あなたなんでしょう? 私のきれいな金色の妖精──フー」
懐かしいその名を呼ばれ、アルフレードを覆っていた重々しい空気が、一気に霧散する。
赤く染まる目を驚愕に見開き、怯えながらも、震える声で尋ねた。
「君は……俺を、覚えているの……?」
「ええ……もちろんよ。ずっとあなたに会いたかった。ずっとあなたを……探していたの!」
涙を堪えるようににっこりと笑うエレナの顔が、十年前に出会った、あの笑顔と重なった。
アルフレードは、エレナを──その優しい金色の光を、力一杯掻き抱いた。
「エレナ……エレナ、エレナ!!」
それは心からの叫びだった。
「俺も……俺もずっと……ずっと君に、会いたかった!!」
竜の魔力に苦しみ、母を失った事に絶望し、人を避け、こんな目に合わせた男達へ深い怒りを抱き続けてきた。
だがどんな激情がその心を蝕んでも、アルフレードの奥底に染み込んで消えない、最後に残ったその感情の名前は──悲しみだった。
十五年間、悲しみに泣き続けていたアルフレードの心には、今ようやく、あたたかな光が届いた。
読んで下さってありがとうございます。
この度、カクヨムにて、運営選出の作品紹介記事で本作をご紹介して頂く機会に恵まれました。
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完結も近づいて来ましたので、どうか最後まで見守って頂けると嬉しいです。
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