第47話 怒り、そして失踪
ヴェレニーチェの研究室に、アルフレードの怒号が響いた。
アルフレードの体内の魔力が性質を変えるまで、エレナに魔力を注がせる──呪いを解くためとは言え、その方法を、彼は到底受け入れる事はできなかった。
「お前達が言っているのは、俺にエレナを殺せと言っているのと同じだ。俺が母を……母を殺したのと同じように!」
オルフィオの胸ぐらを掴んだまま、アルフレードは怒りに震えた。
その脳裏には、自分の腕の中で冷たくなった母、シャーロットの顔が浮かんでいた。
ヴェレニーチェが間に入り、アルフレードをオルフィオから引き離す。
「やめな。結論を導き出したのは殿下じゃない。私だ。それに、お前がシャーロットを殺したなんて誰も思っていないよ。──彼女が自ら、決断したことだ」
その言い方に、アルフレードはぎりと奥歯を鳴らした。
「母が決断していたとしても、結果として命を奪ったのは俺だ。愛する人が、己のせいで腕の中で冷たくなっていく絶望を、お前達は知っているか? 竜の魔力が見せる渇望は凄まじい。エレナがサーリャに魔力を譲渡すると言った時、俺がどれほど恐怖したか、お前達にわかるか!? オルフィオ……十年も彼女の側にいたお前が! なぜ、俺にその選択を迫れるんだ!!」
アルフレードに糾弾されたオルフィオは、それでも彼を真っ直ぐに見据えた。
「エレナのことは、私の、そしてイザヴェラの友人として、大切に思っている。だが、私はこの国の第一王子であり、王太子だ。完全に制御しきれていないお前の呪いは、いずれ国にとっても脅威になる。解ける手段があるなら、私にはそれを選ぶ責任がある」
「坊や、エレナは途方もない量の魔力を持っている。実際にサーリャへの譲渡をしても無事だったし、私達だって、なにもエレナとお前の命を天秤に掛けようとしている訳じゃない。できると思ったから、こうしてお前に話しているんだ」
アルフレードも一領主として、オルフィオとヴェレニーチェが言っていることは理解できる。
だが、気持ちがどうしてもそれを拒否した。
「エレナは確かに、魔力が多い。だが、命は一つだ。子どもの頃の俺ならまだしも、大人になるにつれ俺自身の魔力量も、それに呼応するように、絡みついた竜の魔力も膨れ上がっている。俺の性質が完全に変化するまで魔力を込めるとして、それがどれ程の量が必要か……わかっていないんだろう?」
アルフレードの指摘に、ヴェレニーチェは気まずげに視線を逸らした。
「ヴィーノは、命懸けで俺と卵に魔力を注いだ。俺が受け取った量が半分だけだったとしても、新月が近付いたり、感情が荒ぶるだけで暴走し、竜化が進む程の量だ。それでも、俺の魔力を完全には変質させることができていないということは、エレナは、膨大な魔力量を誇る竜が命を賭けたよりも、さらに多くの魔力を俺に注がなければいけないということだ。なぜ、これを受け入れられる? なぜ、命を天秤に賭けていないと言い切れるんだ」
震える拳をきつく握り、アルフレードの真っ白な手袋に、じわりと血が滲んだ。
それを見て、ヴェレニーチェは短く息を吐く。
「……確かに、完全に安全だとは言い切れないよ。だけど、エレナの命が脅かされる可能性は、本当にほんの僅かだ。それこそ奇跡的な確率だろう。寧ろ、エレナを心配して呪いを解かない道を選ぶより、今のままでいる方が余程危険だ」
オルフィオも、硬い声で言葉を重ねた。
「お前もわかっているはずだ。サヴィス・ボルドーが、へルヴァと共に闇に葬った未完成だったはずの幻惑香を完成させているなら……奴が本当の共犯者だった可能性が高い」
幻惑香は、アルフレードを攫った主犯、ヘルヴァが秘密裏に研究していたもので、ヴィーノもその香りで従わせ攫われていた。
その危険性から、事件の真相も含め、ヘルヴァの処刑と共に全てが秘密裏に処理された。
ヘルヴァの屋敷からは、追い詰められ自爆した男二人と竜の骨も見つかっており、火消しはそれで終わったはずだった。
「遺体は偽装だったということだ。ヘルヴァの共犯者の男は二人いた。一人がサヴィスだったとして、もう一人は未だ不明だ。幻惑香が世に知られれば、我々もただでは済まないだろう。それに……香りに支配されれば、お前自身が無力になり、エレナを危険に晒す可能性が高い」
静かに話を聞いていたブルーノも、口を開いた。
「ボルドー伯爵令嬢を前にした時、アルフレード様は本当にお辛そうでした。最悪の事態を避けるためにも、解けるのなら、早急に呪いを解いて頂きたいです」
アルフレードの瞳は揺れた。
自身の竜の魔力が幻惑香に支配されたら、一体誰がエレナを守るのか。
だが脳裏には、エレナの笑顔と、冷たくなった母の顔が重なった。
アルフレードは、一度きつく目を閉じ、そして真っ直ぐにオルフィオを見つめて言った。
「……それでも、エレナの魔力を受け入れることはでいない。俺が、俺自身を信用できない。もし……もし俺が幻惑香に支配されることがあったら……そのせいで、エレナを危険に晒すことになったら、その時はオルフィオ、お前が俺を殺してくれ」
「何を言っているんだ!」
「お前の気持ちはわかる。だが、エレナの魔力で呪いを解きさえすれば──」
「──お前達はわかっていない!!」
アルフレードは力の限り叫んだ。
ぶわりと魔力が膨れ上がり、漏れ出した力のせいで、ヴェレニーチェが部屋にかけた防音魔術にビシと亀裂が入り、部屋が軋む。
「俺にとって、エレナがどれほど大事な存在か! 俺がどれほどエレナを愛しているのか!! エレナを受け入れるなんて……俺にはできない!! エレナを……愛しているんだ!!」
それは、狂おしい程の慟哭だった。
「アルフレード様!」
「やめろ、アルフレード! 魔力を抑えろ!」
ブルーノとヴェレニーチェが、崩れ落ちるアルフレードに駆け寄った。
その時、扉の外で微かな声がした。
「……あ……」
吐息に混ざったその小さな声は、部屋の中にいた者達の耳に届いてしまった。
「誰だ!?」
問う声と同時に、顔を強張らせたオルフィオが扉を開ける。
扉の前に立っていたのは、傷付いた顔をしたエレナだった。
アルフレードは、複雑に入り組んだ魔術塔の廊下を走りながら、エレナの魔力──正確には、指輪に込めた自身の氷の魔力を追った。
移動を続ける他人の魔力を追い続けるのは難しく、動いているものを転移先の座標にすることはできない。
すぐに追いつけると思っていたエレナは、魔術塔の作りを熟知しており、追いつかれそうになると抜け道を通り、徐々にアルフレードとの距離を開いていった。
(これでは埒が明かない。彼女がどの出口に出るかわからないが、魔術塔の外に転移して先回りするしか──)
そう考え、手の中に陣を描き始めた時、アルフレードは勢い良く後ろから肩を掴まれ、呼び止められた。
「アルフレード、探したぞ!」
それは息を切らし、髪をぐちゃぐちゃにして汗を滲ませたエレナの兄──ルカだった。
「離せ。急いでいるんだ」
振り払い先へ急ごうとしたが、ルカはそれを阻んだ。
「待て、こっちも緊急だ。お前はブルーノと一緒に、早急にアルジェントへ戻れ。エレナはうちで保護する」
「何? どういうことだ」
「飛竜達がなぜか一斉に暴れている。ファルもだ。さっき、白鷲で緊急の連絡が入った。サーリャと卵は何者かに奪われたそうだ。屋敷の者と騎士達でなんとか食い止めているが、戦力が足りない。お前は鎮圧のために転移で早く戻れ。──エレナはどこだ?」
ルカの話を聞いて、アルフレードとブルーノから、ざっと血の気が引いた。
「……幻惑香だ」
アルフレードは呟くと、転移魔術を発動させながらブルーノに叫んだ。
「ブルーノ! お前はヴェレニーチェと先にアルジェントへ行け! 俺はエレナの所へ行く!」
「承知しました」
ブルーノは困惑するルカの手を引き、元来た道へ走り出した。
アルフレードは焦った。
(庭へ転移して、急いで彼女を保護しなければ)
アルジェントから、主戦力であるアルフレードとブルーノがいない時を見計らい、サーリャと卵が盗まれた。
ファルはともかく、関係がないはずの竜まで、一斉に暴れている。
そして同時期に、サヴィス・ボルドーの娘が存在しないはずの幻惑香の匂いを纏っていた。
これを、ただの偶然と片付けることはできなかった。
謹慎中だったサヴィス・ボルドーが、何らかの方法で監視を掻い潜り、幻惑香を使って竜達を襲撃したと考えるのが自然だ。
指輪の気配が、ちょうど庭で動きを止めたのを感じ、アルフレードはそこへ向かって転移した。
(サヴィス・ボルドーは、エレナに異常な興味を示していた。嫌な予感がする。エレナ、どうか無事でいてくれ)
「エレナ!!」
転移の光が消え、アルフレードは、日が落ち始め物悲しさを漂わせた庭で、エレナの姿を求めて叫んだ。
だが、そこにエレナの姿はなく、夜の影を落とし始めた草の間に、アルフレードが贈った指輪が落ちているだけだった。
微かに甘い香りが漂い、エレナの魔力の気配は、その指輪の場所でぷつりと途絶えていた。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
辛い展開が続きますが、アルフレードの呪いがどうなるのか、エレナがどうなってしまったのか、二人の今後を見守ってくださると嬉しいです。
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