第45話 アルフレード・モンテヴェルディ 2
戦闘シーンに残酷な描写が含まれます。
ご注意下さい。
転移の光が消え、目を開けた時、アルフレードは森の中にいた。
「ああ──長かった」
アルフレードの口を押さえ羽交締めにしたまま、恍惚とした様子で男は呟いた。
ドクドクと心臓が脈打ち、異様な状況に恐怖しながら、アルフレードは自身が攫われたことを理解した。
彼を攫ったのは、アルフレードが生まれる前から辺境伯家に仕えていた騎士だった。
アルフレードを痛い程に強く抱える男の腕は、大きく震えている。
転移の魔術は膨大な魔力が必要なため、普通の人間には扱えない。
無理矢理に術を発動させたため、男は持っていた回復薬を飲んでも効果が殆どない程の、重篤な魔力枯渇に陥っていた。
(怖い……でも、もしかしたら、隙をついて逃げ出せるかもしれない)
男の様子を冷静に判断し、アルフレードは機会が訪れるまで大人しくしてしていようと決めた。
だが、状況はアルフレードが想像していたよりも、さらに悪かった。
「ご苦労だったね」
森の暗闇から、場違いな程ゆったりとした優しげな男の声が聞こえた。
その途端、アルフレードを捕まえていた男は、吸い寄せられるようにそちらに足を向ける。
「お待たせ致しました──兄上」
その言葉を聞いて、アルフレードは顔色を悪くした。
この男の兄とは、魔術師長ヴェレニーチェの部下で、水の魔術の使い手として有名な魔術師ヘルヴァのことだった。
魔力枯渇を起こしている男一人ならまだしも、ヘルヴァ相手に勝機は見えない。
アルフレードはされるがまま、森のさらに奥へ連れて行かれる。
そこには、黒色のローブに身を包み仮面を付けた男が三人と、見慣れない飛竜、そして──傷だらけのヴィーノがいた。
(どういうことだ? どうしてヴィーノが……それに何だか様子がおかしい)
二頭の飛竜の瞳は虚ろで、焦点が定まっていない。
ヴィーノは何ヶ所も鱗が剥ぎ取られ、血を流している。
風に乗った血の匂いと共に、微かに不思議な甘い香りがアルフレードの鼻を掠めた。
「さあ、アルフレードをこちらに」
飛竜の前に立つ男達の中から、先程聞こえたのと同じ声の主がアルフレードに手を伸ばした。
強く腕を掴まれ、そちらへ乱雑に引き寄せられる。
「いっ……!」
あまりの痛みに思わず声を漏らす。
顔を顰めた瞬間、アルフレードの後ろで、どさりと重い何かが崩れ落ちる音がした。
「──え」
ローブの男に腕を掴まれたまま思わず振り返れば、先程までアルフレードを捕え震えていた男が、口から泡を吹き、捨てられた古い人形のように、不自然な形で地面に倒れていた。
「ああ……驚かせてしまったね」
ローブの男が、アルフレードの腕を掴んだまま屈み、視線を合わせると、仮面を外し微笑んだ。
まるで庭でお茶でも飲んでいたような、場違いな程朗らかな、ゆったりとした声。
濃紺の髪がさらりと揺れ、黒に近い紫の瞳には、怯えた顔のアルフレードが映っている。
手に籠る力とは裏腹に、優しげに目を細めたその男こそが、水の魔術師ヘルヴァだった。
「ヘル……ヴァ……さま」
アルフレードは思わず名を呼んでいた。
ヘルヴァも、倒れた男と同様に古くから辺境伯家と関わりがあり、アルフレードは何度も会ったことがある。
家に訪れると、いつも美しい魔術を披露してくれる優しい男だったはずだ。
今後ろに倒れている男も、ヘルヴァのことを自慢の兄だといつも言っていた。
恐怖と同時に困惑が大きく滲んだアルフレードを見て、ヘルヴァは「ああ」と何かに気付いたように眉を上げた。
「弟は、役目が終わったから、ここに置いていくんだ」
「やく……め……?」
ヘルヴァは幼子をあやす様に、笑顔を深めて優しげな声で言った。
「そう。君を連れてくるっていう役目。僕がヴィーノを連れ出す事が出来たら、ここへ転移するって約束していたんだ」
太陽祭の会場で、アルフレードが夜空に見た二頭の竜。
それが、今目の前にいる見慣れぬ飛竜とヴィーノの姿で、アルフレードを攫う準備ができたという合図だった。
「役目が終わっていらなくなったから、ここに置いて行くんだよ。荷物は少ない方がいいからね」
ヘルヴァの口振りから、倒れている男がすでに死んでいる事を察し、アルフレードの中で一気に意識が切り替わった。
(大人しくしていても殺されるだけだ。連れて行かれれば状況はさらに悪くなる。今すぐ逃げないと……!)
救いだったのは、ヘルヴァがアルフレードと会話をする気があるという点だった。
逃げる機会を捻出するため、アルフレードは何とか時間を稼ごうと口を動かした。
「わ……私を……攫ってどうするおつもりですか?」
「君はね、触媒になるんだよ。竜と心を通わせられる人間は、とても貴重なんだ。協力してくれるなら、乱暴はしないと誓うよ」
ヘルヴァの言っている事は全く理解できなかったが、アルフレードは従うふりをする事にした。
「本当……ですか? まだ……死にたくありません」
「もちろんだよ」
「……わかりました。ヘルヴァ様の言う通りにします。だから殺さないで下さい」
アルフレードの態度を見て、ヘルヴァは機嫌良く頷くと、魔術で水の手錠を作り出し、アルフレードの手を後ろに組ませ拘束した。
「君が本当に利口な子で良かったよ。じゃあ、行こうか」
すでに見慣れぬ飛竜に跨る男二人に頷くと、ヘルヴァはアルフレードの腕を引きながらヴィーノに体を向けた。
ヘルヴァの視線がアルフレードから離れた、その瞬間──。
パキィィィィーーン。
アルフレードが一気に魔力を込め、水の手錠を凍らせた。
ヘルヴァの魔力以上の魔力を叩き込まれ、凍った手錠はそのまま粉々になって欠片が周囲に散らばった。
自由になった腕を天に突き上げ、夜空に連続で花火のように魔術を放った。
「貴様……!!」
振り返ったヘルヴァがすかさずアルフレードに水弾を飛ばしたが、アルフレードは瞬時に氷柱を出し辛うじてそれを跳ね返した。
「これは……驚いたね。いつの間に無詠唱魔術まで習得していたの?」
荒い息で肩を揺らしながらも、距離を取ったまま瞳をぎらつかせたアルフレードを見て、ヘルヴァは微笑みを浮かべながらも、嫌そうに顔を歪めた。
「おい、その猫を早くなんとかしろ。魔力痕が残っては困る。私は手助けせんぞ」
すでに飛竜に乗っていた仮面の男の一人が、苛立ちを見せ言った。
「問題ありません。少し油断しましたが……子猫であることに変わりありませんから」
そう言うと、へルヴァは表情を消し去り、何十発もの水弾をアルフレードに向け撃ち放った。
アルフレードは咄嗟に魔術防壁を展開し、氷柱で打ち返そうとしたが、流石に力量の違いが大きすぎた。
「ぐっ……ああ!!」
防ぎきれなかった水弾が、アルフレードの腹や脚、肩を貫き、強烈な痛みでその場に倒れ込んだ。
血溜まりの中、傷だらけのアルフレードはそれでも敵の動きを見ようと、痛みで途切れそうになる意識を堪え、なんとか顔を向ける。
本当はへルヴァを見ようとしていた。
だが、地にふしたアルフレードの視界は低く、傷を負ったアルフレードと目が合ったのは、項垂れ蹲っていたヴィーノだった。
虚だったヴィーノの美しい金の瞳に、血溜まりに倒れるボロボロのアルフレードが映る。
その瞬間、ヴィーノの瞳は怒りに染まり、大きく咆哮を上げ暴れ出した。
《グゥオオオオオーーーーン!!》
翼を大きく広げ、ヘルヴァに向かって牙を剥き噛みつこうとする。
空気がビリビリと震える程の怒りを発しているヴィーノに触発されたのか、もう一頭の飛竜も落ち着きをなくし始めていた。
「おい、どうなっている! 幻惑香の効き目はまだ充分な筈だろう!」
「わかりません。ですが完全に効き目が切れています。このままでは──」
「くそ! 今すぐその竜の腹を切れ! 卵だけでも持ち帰るぞ」
仮面の男に言われ、ヘルヴァは鋭い刃を持つ水の大鎌を作ると、ヴィーノに向け豪快に振るう。
暫しの間、緊迫した攻防が続いたが、ついにヴィーノもズシンと大きな音をたて、砂埃が舞う中倒れ込んだ。
すでに血の池を作り虫の息になっていたヴィーノに近づき、ヘルヴァが腹を裂いていく。
どぷりと血が溢れる肉の間に腕を突っ込むと、無理やり卵を取り出そうとした。
《グアアアアアアアーーン》
ヘルヴァが卵に触れようとした瞬間、ヴィーノは大きく声を上げた。
これが最後と言わんばかりに力強く地を蹴り、倒れているアルフレードの所まで滑り込むと、彼を守るように美しい鱗が光る尾を巻きつけた。
そしてぶわりと物凄い熱がアルフレードの身体を包んだかと思うと、全身を割くような痛みが彼を突き刺した。
「あああああああああ!!」
アルフレードが叫び声を上げる。
それと同時に、空から父の怒号が響いた。
「貴様ら!! 私の家族によくも!!」
飛竜に乗り、物凄い勢いで降下してくる辺境伯の怒声と共に、雷のような閃光が振り下ろされ、ヘルヴァを貫き一撃で地に縫い止める。
連続して降ってくる攻撃から残りの二人を守るように、倒れながらもヘルヴァが必死に攻撃を防ぐ。
その様子を見て、仮面の男二人は焦りを滲ませた。
「辺境伯め。もう来たか。おい、卵とガキを回収しろ。転移するしかない」
命令された男は飛竜から降りると、動かなくなったヴィーノの腹から卵を取り出す。
魔術で袋のような膜を作り出すと、飛竜に括り付けた。
「何をしている! 早くしろ!」
急かされながら、男はさらにアルフレードを連れて行こうとしたが、ヴィーノの尾が硬く巻き付いて離れない。
さらに、アルフレードは自身を襲う強烈な痛みから、叫び声をあげて悶え続けていた。
「あああああああ! 熱い! 熱いいいいいいい!! ああああああ!!」
飛竜に跨っていた男は上空から迫る辺境伯らと、血を流し苦しむアルフレードを何度か見比べると、吐き捨てるように言った。
「そいつは置いていく。致命傷を負ったんだろう。触媒にする前に死んでは意味がない。早く乗れ!」
アルフレードの回収を諦め、もう一人の男が飛竜に乗ると、男達は飛竜と共に転移陣の光に包まれ姿を消した。
「アルフレード!!」
「アルフレード様!!」
「若様!!」
飛竜に乗った辺境伯達はその場に降り立つと、アルフレードに駆け寄った。
ヴィーノの尾を解き、アルフレードの体を抱き寄せる。
苦しみに叫び続けるアルフレードを見て、辺境伯はギョッとした。
周囲の血の量とアルフレードの様子から、大きな傷を負ったのだろうと思った。
だが、確認のために急いで割いた服の下に傷はなく、代わりに金の羽と白色の鱗が、びっしりとその肌を覆っていた。
「ヴェレニーチェ様を呼んでくれ。急げ!」
辺境伯は上着を脱ぎ、アルフレードの身を包み抱き抱えると、飛竜に乗り、急いで屋敷へ向けて飛び立った。




