第43話 研究室での密談(アルフレード視点)
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「最悪だ……!」
エレナを追いかけながら、アルフレードは思わず悪態を吐き捨てた。
開かれた扉の向こう、顔色をなくし呆然と立ち尽くしていたエレナの顔が、瞼の裏にこびり付いて離れない。
エレナがどこから話を聞いていたのかはわからない。
だが、彼女を深く傷つけてしまったことだけは確かだった。
走るアルフレードのすぐ後ろで、共に急ぎながらブルーノが重々しく口を開いた。
「……アルフレード様」
「──わかっている!」
アルフレードはグシャリと髪をかき乱し、荒々しげにブルーノの言葉を遮った。
「俺だって、わかっている。彼女を傷つけた。何も話さなかった俺のせいだ。もう……隠してはいられない」
全てをエレナに打ち明ける。
アルフレードはそう決意したが、心は荒れ狂う海のように暗く、混沌としていた。
(こんなに早く、話さなければいけなくなるなんて……呪いのことだけじゃない。あの事を話せば……君は俺をどう思うだろう)
アルフレードはギリと奥歯を噛み締め、オルフィオと共に祝宴会場を抜け出してからの事を思い出していた。
エレナと別れ、ヴェレニーチェの待つ魔術塔へ向かうため会場から出てすぐ、アルフレードはオルフィオから問われた。
「アルフレード、さっきのあれは何だ?」
国内最強の辺境伯が一緒だからと、オルフィオの護衛は全員下がらせていた。
男三人、人気のない廊下を早足で歩きながら、柔和な笑顔を取り払ったオルフィオの声は冷たい。
アルフレードは片眉を上げ一瞥すると、臣下の仮面を外し、不遜な態度で返事をした。
「あれとは?」
「ボルドー伯爵令嬢のことだよ。お前と彼女が見つめ合っている所が偶然見えたが、どう見ても普通ではなかった。何を話していた?」
「……特別何かを話した訳ではない。なぜ婚約したのか、なぜ自分ではないのかと聞かれ、話す事はないと答えただけだ」
「彼女がお前に好意を寄せていたのは知っている。だが普段のお前は、いつも冷たくあしらっていただろう。さっきの彼女を見るお前の表情は、明らかにおかしかった」
オルフィオに追求され、アルフレードは瞳を曇らせ夋巡すると、声を低くした。
「ヴェレニーチェに伝えてからと思っていたんだが……ボルドー伯爵令嬢から、幻惑香の匂いがした」
「──何?」
険しい表情を浮かべ、オルフィオはぴたりと足を止めた。
──幻惑香。
それは、十五年前にある魔術師が研究していた、魔獣──その中でも特に、竜に幻覚を見せ従わせる薬だった。
だがその薬は、倫理的にも、世界の均衡の観点からも認められるものではなく、国際的にも違法な研究だった。
魔術師はさらにある罪を犯した事で秘密裏に処刑され、その研究は未完成の状態で闇に葬られていた。
「それは本当か?」
厳しい視線に動じることもなく、アルフレードとブルーノが頷いた。
「ああ、本当だ。しかも、もしかしたらすでに完成させているかもしれない。……非常に不愉快な事に、目の前に立っているだけで意識を奪われそうな程、私の中の竜の魔力が反応していた。サヴィス・ボルドーにつけている監視から、何か報告はないか?」
「今の所……大人しく謹慎を受け入れているとしか報告は来ていない」
「娘が香りを纏っていた以上、奴が無関係だとは考えにくい。サヴィス・ボルドーの竜に対する執着は異常だ。何の理由でも良いから、ボルドー伯爵と伯爵令嬢を拘束し、近いうちに尋問した方がいい」
オルフィオはアルフレードの言葉を受け、すぐに魔術を展開すると、騎士団司令室にいる侯爵と、研究室で待つヴェレニーチェへ伝言を送った。
「他国からも賓客を招いている以上、今騒ぎになるのはまずい。一先ず、ボルドー伯爵の監視から追加の報告が来るのを待とう。娘に関しては、城から出ないよう警備が止めてくれるはずだ」
研究室の扉を開けると、真剣な表情のヴェレニーチェが、真正面の大きな机の上にドカリと腰を下ろして待ち構えていた。
「早く入りな。時間が惜しい」
三人が部屋の中に入ると、ヴェレニーチェは素早く防音の魔術を部屋に施した。
「伝言を聞いたよ。幻惑香がもし本当に完成しているなら、かなり状況は悪い。話が終わり次第、私は直接サヴィス・ボルドーの所に向かうよ」
ヴェレニーチェが言うと、アルフレードは冷ややかな目で尋ねた。
「それで? こんな時に呼び出してまで何の話だ」
「呪いを解く方法がわかった」
「……何?」
「お前の呪いを解く方法がわかったんだよ」
ヴェレニーチェはそう言って、ポケットから何かを取り出すと、アルフレードに向かって投げて寄越した。
掴み取ったアルフレードは、手を開いて眉を顰めた。
「これが何だと言うんだ」
その手に掴まれたのは、何の変哲もない、アルジェントで見慣れたラールの花の腕輪だった。
「ブルーノ。この花の特徴を、坊やにもう一回説明してやりな」
促され、ブルーノが口を開く。
「……ラールの花は、新月の前後に摘んだものだけ、魔力を跳ね返さずに吸収します。魔力の吸収が進むと、花の性質が変化し、それ以降は他の魔力の干渉を受けません」
淡々と説明するブルーノに、アルフレードは僅かに怪訝な表情を見せた。
「それはエレナに聞いて私も知っている。それがどうしたと言うんだ」
ヴェレニーチェはその言葉を無視して続きを話す。
「調べてみて、わかったんだ。この花は、なぜか新月の前後だけ魔力が不安定になる。だからその時期だけは、空気中の雑多な魔力から身を守るために、安定を求めてより強い魔力を吸収しようとするのさ。まるで産卵期の竜の卵のように。孵化する時の飛竜の雛のように」
そこまで言うと、ヴェレニーチェは立ち上がり、真剣な眼差しでアルフレードを見つめた。
「大事なのはね、坊や。新月の前後に魔力が不安定になるって事なんだ。わかるか? お前と同じなんだよ、アルフレード」
その言葉で、アルフレードは理解した。
ヴェレニーチェが何を言わんとしているかを。
だが、その答えを、アルフレードは聞きたくなかった。
心臓が早鐘のように鳴り、指先から全身が冷えていくのを感じる。
「お前の中には、飛竜の魔力が混ざっている。私はずっとそれを取り除く方法を探していた。でも違った。竜の魔力が制御できないのは、多すぎるからじゃない。足りなかったんだ。お前は竜の魔力を、半分しか受け取らなかった。だからずっと不安定なんだ。だから──」
「やめろ!!」
アルフレードは叫んだ。
その瞳には、絶望が浮かんでいる。
「ブルーノ……オルフィオも……お前達、知っていたのか? 知っていて、私にそれをやらせようとしているのか……?」
「研究の報告書を読む限りでは、私もブルーノも、それが正解だと思っている」
オルフィオがはっきりとそう告げると、アルフレードは怒りを露わにした。
「ふざけるな!!」
アルフレードは勢いよくオルフィオの胸ぐらを掴み、詰め寄った。
「その理屈で行くなら、竜の魔力を安定させるため、俺に、より強力な魔力を吸収しろと言っているんだぞ。新月の夜に溢れ出る呪いよりも強い魔力なんて……世界中探しても、そんなものエレナの魔力だけだ」
「わかっている。だが──」
「いいや、わかっていない。お前達が言っているのは、俺にエレナを殺せと言っているのと同じだ。俺が母を……母を殺したのと同じように!」
アルフレードの視界が、怒りで赤く染まる。
その脳裏には、十五年前──アルフレードの運命が大きく変わった、太陽祭の光景がまざまざと蘇っていた。




