第42話 愛しているのは
「モンテヴェルディ様に恋人ですって?」
イザヴェラのために特別に用意されていた、華やかな内装の休憩室。
侍女や護衛も全員追い出し、二人きりになった部屋の中で、大きな長椅子に並んで座ると、イザヴェラは美しい眉を目一杯歪ませ声を低くした。
「そんな……一体どうしてそんな話になっているの?」
「それが……」
エレナは、困惑しているイザヴェラに、先程の光景と噂話をぽつりぽつりと打ち明けた。
話を聞き終わったイザヴェラは、困ったように頬に手を当て、ため息を吐く。
「ソフィーネ……ああ、ボルドー伯爵家のご令嬢のことね。納得したわ」
「お二人のご関係を……イザヴェラ様もご存じだったのですか?」
姉のように慕う彼女の思わぬ反応に、エレナの胸は軋んだ。
「エレナ、違うのよ。そんな顔しないで。お二人は決して、あなたの思うような間柄ではないわ」
あまりに酷い顔をしていたのだろう。
イザヴェラはそっとエレナの手を取り、瞳に焦りを滲ませた。
「モンテヴェルディ様は、人間嫌いで有名でしょう? 彼の地位や美貌に惹かれるご令嬢は多いけれど、誰も相手にはされていなかったの。挨拶も交わせないほど、それはもう冷たくて」
エレナはイザヴェラの説明に眉を顰める。
彼に出会う前ならば、その話をそのまま信じられた。
だが、今は違う。
共に過ごしてきたアルフレードは、常に優しく真面目で、穏やかな人だ。
イザヴェラが話すアルフレードの姿はまるで別人の話のようで、エレナには全く想像できなかった。
「皆が彼を遠巻きに見ている事しかできなかったのだけれど、その中である程度会話ができていたのが、ソフィーネ・ボルドーだったというだけなのよ」
ボルドー伯爵家は、古くから宗教国家である隣国より何度も妻を娶った事があり、王国内では隣国との交渉を担うことが多い家門らしい。
アルジェントは広大な西の森を挟んで隣国と接している。
ここ最近大きな戦には発展していないが、それでも毎日のように小競り合いや貿易問題は頻発している。
その都度、和解のため交渉が必要になり、両国の話し合いの場で緩衝材の役割として、ボルドー伯爵家に力を借りる場面も少なくはないとの事だった。
「サヴィス・ボルドー伯爵は、変わり者の監査官でしょう? そういった政治的な場は、早くから全て娘であるソフィーネ・ボルドーに任せていたようなの。それが理由で、他の令嬢よりもモンテヴェルディ様と会話する機会に恵まれていただけで、恋仲という訳では決してないわ」
イザヴェラの説明には、一応の筋は通っている。
彼女が言うように、本当にアルフレードが人を避け、政治的な繋がり故だとしても令嬢の中で会話するのがソフィーネだけだったとしたら、下世話な者達がいらぬ勘ぐりをし、二人が特別な関係なのではと噂されてしまったのも納得できる。
エレナだって、仮にもオルフィオの元婚約者候補だ。
貴族の腹芸には慣れているし、噂話なんて真偽含めて山程聞いてきた。
だが、いくら納得できる話だったとしても、今のエレナに、アルフレードとソフィーネのことを「ただの噂話ね」と笑って流せる余裕はなかった。
(だって……あのお二人のご様子は……)
ソフィーネを見つめるアルフレードの熱の籠った瞳が、瞼の裏に焼けついて消えない。
イザヴェラがどれだけ否定しても、二人の関係が唯ならぬものであることは、先程の光景が何よりの証拠ではないのか。
(アルフレード様の優しさを、私への好意だと……愛情だと勘違いして……恥ずかしくて消えてしまいたい。もし本当にお二人が恋人同士だったのだとしたら、アルフレード様は今までどんなお気持ちで……)
愛されているどころか、自分がアルフレードの恋路を邪魔していたかもしれない。
何度考えても、その恐ろしい可能性に行き着いてしまう。
「アルフレード様は……苦しげな表情で彼女を見つめていらっしゃいました」
「何かの勘違いよ。本当にそんな表情だったとして、何か理由があるはずよ。モンテヴェルディ様が、エレナを大切になさっているのは、私にもわかるもの」
「アルフレード様は、突然押しつけられた私が気に病まないよう、せめて普通の婚約者として接しようと気遣って下さっているだけです。本当に……お優しい方だから」
自分で放った言葉が、刃となってエレナの胸に突き刺さった。
「ソフィーネ伯爵令嬢は、目に涙を浮かべていらっしゃいました。もし……アルフレード様が彼女を想っていらっしゃるなら……陛下にお願いして、どうか……どうかこの婚約を」
──なかったことに。
その言葉は、ヒリヒリと焼け付くような喉に張り付き、出て来なかった。
息を吸うのも、吐くのも苦しい。
「私……アルフレード様と離れたくないです」
そう絞り出したエレナは、ぼろりと一粒、大粒の涙をこぼした。
自分の呟いた言葉で、気付かされる。
(どうして今になってわかるの。私、こんなにもアルフレード様のことを──)
「……エレナ」
イザヴェラは眉を下げ、エレナの頭をそっと撫でる。
エレナは涙を拭くと、気持ちを落ち着かせるために大きく息を吐いた。
「申し訳ございません。せっかくのイザヴェラ様の婚約披露の日だと言うのに、こんな……」
「何を言っているの? エレナはいつも、私が嬉しい時、心から一緒に喜んでくれて、私が悲しい時、一緒に悲しんでくれるわ。エレナが悲しいなら、私もあなたに寄り添いたい。私の婚約披露の日だと言うなら、あなたにとっても今日がそうでしょう? 何も問題ないわ」
優しく微笑んだイザヴェラは、ギュッと力強くエレナの手を握った。
「エレナ、モンテヴェルディ様の所へ行きましょう」
「……え?」
「だってまだ、彼の口からは何も聞いていないわ。悩むのは、話を聞いてからでもいいじゃない。ヴェレニーチェ様の研究室にいらっしゃる筈よ」
そう言って立ち上がり、エレナの手を引くイザヴェラは、知っていた。
アルフレードがどれだけエレナを愛しているかを。
どれだけ大切に想っているかを。
アルフレードの気持ちを知れば、エレナの悩みが一瞬で杞憂だったとわかるはずだと、確信していたからエレナを連れ出した。
だが同時に、イザヴェラは知らなかった。
アルフレードが抱えている凄まじい苦悩を。
そして、彼らが今、研究室で何の話をしているかを。
ヴェレニーチェの研究室の前、イザヴェラと並んで立つエレナは、扉を叩く勇気を持てずにいた。
(イザヴェラ様が仰るように、ただの勘違いであって欲しい。でも、もし本当に、アルフレード様にとって私が邪魔者だったら……)
動かないエレナの背に、イザヴェラがそっと手を添えた。
エレナが不安な表情で彼女を見ると、視線を合わせ、促すように頷かれる。
その眼差しに観念し、エレナは瞳を揺らしたまま浅く息を吐くと、扉を叩こうと手を伸ばした。
その時。
びし、と大きく建物が軋む音がしたと同時に、重く閉ざされた扉の向こうから、アルフレードの怒声が響いた。
「──お前達はわかっていない!」
初めて聞く彼の獰猛な声音に、エレナはびくりと肩を揺らし固まった。
聞いてはいけない。
そんな気がして逃げようとしたが、足が動かない。
ざわりと震えるエレナの胸を、扉越しにアルフレードの叫びが貫いた。
「俺にとって、彼女がどれほど大事な存在か! 俺がどれほど彼女を愛しているのか!! エレナを受け入れるなんて……俺にはできない!! 彼女を……愛しているんだ!!」
それは、狂おしい程の慟哭だった。
(やっぱり……アルフレード様は……)
上手く呼吸することができない。
その場でぐらりと崩れそうになり、一歩後ろに下がると同時に思わず声が漏れた。
「……あ……」
吐息に混ざったその小さな声は、部屋の中にいた者達の耳に届いてしまった。
「誰だ!?」
問う声と同時に、顔を強張らせたオルフィオが扉を開ける。
部屋の中、崩れおち蹲るアルフレードと、彼を心配するように囲むヴェレニーチェとブルーノが見えた。
焦燥を滲ませたアルフレードの瞳が、エレナを捉える。
その瞬間、急に時が動き始めたかのように、エレナは自分で思うよりも先に、駆け出していた。
「──エレナ!」
イザヴェラの制止も無視して、エレナは魔術塔の外へ逃げ出した。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
次回から、アルフレード達が何の話をしていたのか、アルフレードの過去と共に明らかになります。
続きも読んで頂けると嬉しいです。
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