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第41話 菫色の瞳と疑念

「エレナ! 会いたかったぞ!」


 父である侯爵の豪快な抱擁に、エレナは苦笑した。


「お父様、苦しいです」


 笑いながらトントンと背を叩くと、侯爵は慌ててエレナを解放する。


「ああ、すまん、つい」


「ふふ。この人ったら、エレナが家を出てから毎日のように『アルジェントに様子を見にいく』って言って、大変なのよ?」


 隣に並ぶ母も、笑いながら優しくエレナを抱きしめた。


「お止め下さって本当にありがとうございます」

「感謝の気持ちとして、改めて何かお贈りさせて頂きます」

「まあ。じゃあ先日見つかったという白狼石をお願いしちゃおうかしら。あれ、なかなか流通しないじゃない?」


 母と穏やかに話すアルフレードとブルーノに、侯爵が噛み付く。


「アルフレード。お前の頭には家族の時間くらいそっとしておこうという気遣いもないのか」


「結婚した暁には、晴れて私も家族の一員になりますので」


「黙れ! お前は一人でさっさと挨拶回りにでも行っていろ!」


 アルフレードは侯爵の厳しい声音にも眉一つ動かさず、エレナをサッと一度抱きしめると、優しく目を細めた。


「冗談はこれくらいにして、閣下の言う通り、私は少し会場をまわってくるよ。私が戻るまで、家族でゆっくり過ごしていて。では侯爵、エレナを宜しくお願いします」


「うるさい、さっさと行け」


 父にしっしと手を振られながら、アルフレードはブルーノと共に会場の人波の中へと消えていった。


 後ろ姿が見えなくなるまで視線を向けていたエレナに、母が尋ねる。


「元気そうで安心したわ。手紙でも聞いてはいるけど、アルジェントでの暮らしはどう?」


「とても楽しいです。ラールの研究がかなり進んで……雛もあと二、三週間くらいで生まれそうなんですよ」


「あらまあ、この子ったら。私が聞いているのは、アルフレード様とのことよ」


 優しく微笑まれ、エレナは一瞬言葉を詰まらせる。

 先程までアルフレードの隣で感じていた不安を見透かされたようで、咄嗟に笑顔を作り誤魔化した。


「とても大切にして下さっています。私には勿体無い程のお方で──」


「勿体無い訳があるか! 奴にこそエレナは勿体無いわ」


「もう、あなたったら、いい加減仲良くなさって。諦めが悪い男は格好悪いわよ?」


「ぐ……しかしだな……」


 可愛らしく父を嗜める母と、眉を下げ困っている父の姿を見て、エレナは苦笑しながらも羨ましく思った。


 父は母を心から愛している。

 それは母も同じであり、お互いに寄り添い、気持ちが通じ合っているのがわかる。

 目の前の両親も、オルフィオとイザヴェラの仲睦まじい姿も、それはエレナがアルフレードと自身の関係に求める、理想の姿だった。


(私も……いつか心から、アルフレード様と愛し合える日が来るのかしら。もし私から、そうなりたいと告げたら……アルフレード様は喜んで下さるのかしら)


 王命による政略結婚という事実が、気持ちを重くする。

 だが幸いなことに、暗く沈む心の内は上手く隠せたようで、話題は兄のことに移った。


「ルカもエレナに会いたがっていたわ。今夜は、侯爵家(うち)に帰るのよね?」


「はい。私もお兄様に会えるのが楽しみです。今は城の警備に?」


 式典と祝賀会に招待されているのは、爵位を持つ者とそのパートナーだけだ。

 爵位を持たない騎士や若い令息達は、多くが城や王都周辺の特別警備を任命されていた。


「ああ。ルカは情報の整理や兵の配置に長けているから、私の部下達と共に司令室を任せてある。もう少ししたら陛下もご退場なさるはずだから、それに合わせて私も警備に加わる予定だ」


「司令室ですか。お兄様は剣よりペンの方ですから、喜んでいそうですね」


「そう言えば、あなたがアルジェントに行った後に聞いたんだけど、ルカって、アルフレード様とお友達だったみたいなのよ」


「え? そうなんですか? 初めて知りました」


 兄とアルフレードの話に花を咲かせていると、国王が軽く手を挙げこちらを見た。

 侯爵はそれを見て頷くと、エレナに言った。


「陛下がご退場されるようだ。エレナ、私は陛下と共に退場し警護に向かう」


「私は先に家に戻って、あなた達が泊まる部屋の確認をしておくわ。遅くなりすぎないようにね」


「ちょうど奴も戻ってきた。それじゃあな、エレナ。また家で」


 父が視線で示した方を向くと、賑わう人波の間、遠くからアルフレードがこちらに歩いてくるのが見えた。






 

 両親に別れを告げ、エレナもアルフレードの方へ歩き始める。

 まだかなり距離があるため、エレナは軽く手を挙げ、名を呼ぼうとした。


 その瞬間──。


 エレナの目の前を、()()()()と共に蜂蜜色の髪がふわりと通り過ぎ、鈴の鳴るような可憐な声が耳に響いた。


「──アルフレード様!」


 自分よりも先にその名を呼ばれ、エレナは驚きに目を見開く。


 声の主は、エレナと同じくらいの年頃の、儚げな横顔の女性。

 蜂蜜色に輝く髪を靡かせ、エレナとの間に立ち塞がるように、彼女はアルフレードの前に駆け寄った。


「アルフレード様、お会いしたかったです。父からご婚約されたと聞いて、私──」


 縋るような女性の声は、僅かに震えている。

 

 エレナから女性の顔は見えないが、その向こうに見えた、正面から彼女を見つめているアルフレードの表情には、明らかに動揺が浮かんでいた。

 深く眉根を寄せ、その瞳は熱を孕みどこか苦しげに揺れている。


(どうされたのかしら。あの瞳は、まるで──)


 目の前の光景に固まっていると、周囲の令嬢のヒソヒソと囁き合う声が、はっきりとエレナの耳に飛び込んできた。


「ソフィーネ様だわ」

「お可哀想に。あのお二人がご婚約間近だったという話は、本当だったみたいね」

「恋人同士という噂でしたわよね」

「ご覧になって。あのアルフレード様の、切なげなお顔」


 その声に、エレナはざっと全身から血の気が引いた。


(どういうこと? 私がいなければ、あのお二人が……?)


 ぐらりと視界が歪み、目の前の光景が遥か遠い世界のことのように感じる。


(信じたくない……! でも、アルフレード様のあのお顔は……)


 これ以上見たくはないのに、その女性を苦しげな表情でじっと見つめ何やら話しているアルフレードから、目が離せない。


 話し込んで動こうとしない二人の間に、表情を固くしたブルーノが身を滑り込ませた。


「ボルドー伯爵令嬢、これ以上お話しすることはありません。そこをお退き下さい」


 女性は冷ややかなブルーノの声にビクリと肩を振るわせ、渋々と一歩横に身をよける。


 通り過ぎるアルフレードを尚も見つめるその女性は、お伽話のお姫様のように儚げな面差しで、どこか見覚えのある菫色の大きな瞳に、涙を浮かべていた。






「エレナ!」


 アルフレードはエレナをその瞳に映すと、先程までの表情を消し去り、優しい微笑みを浮かべ早足で駆け寄ってきた。


「アルフレード様……」


 エレナは咄嗟に笑顔を貼り付けたが、平静を保てず疑問が勝手に口から溢れ出てしまった。


「あの……先程の女性は……」


 その問いに、アルフレードの顔が一瞬だけ強張ったのをエレナは見逃さなかった。

 ざわりと胸が騒ぎ、逃げ出したくなるのを必死で堪える。


「彼女は……ソフィーネ・ボルドー伯爵令嬢で、サヴィス・ボルドー伯爵の娘なんだ」


 そう言われ、エレナの脳裏にサヴィスの菫色の瞳が過った。

 どこか見覚えがあると思ったソフィーネの瞳は、確かにサヴィスのそれと重なる。

 

「エレナより二歳年上で、魔獣管理局での仕事を優先しているあの男の代わりに、隣国との貿易交渉などを行なって、実質領地の運営を代行している。ボルドー伯爵は、うちで起こした騒ぎの処罰で謹慎中だから、彼女が名代として出席しているらしい」


「そう……ですか」


 淡々と説明するアルフレードの声には、普段の温もりを全く感じられない。

 それが逆に、これ以上二人の関係に踏み込ませないよう線を引かれたように感じ、エレナの心はざらついた。


 もうこの話は終わりにした方がいい。

 アルフレードが何も言わないのなら、気付かなかったことにすればいい。

 頭ではそうわかっていても、エレナの口は止まってくれなかった。


「親しそうに見えましたが、ご紹介頂ければ、ぜひご挨拶を──」


「いや、挨拶はしなくていい」


 固い声ではっきりと断られ、エレナは冷や水を浴びせられたような気がした。

 

 二人が何でもない関係ならば、アルフレードは彼女をエレナに紹介し、エレナのことも自分の婚約者として紹介してくれるはず。

 縋るような思いで口にした言葉だったが、アルフレードの答えは否だった。


「彼女のことは……気にしなくていい。アルジェントに戻れば、もう会うこともないはずだ」


 エレナは震えそうになる自身の手を隠すように、両手をギュッと握りしめた。


 お互いが同じ国に住む貴族である以上、もう会うことがないなんて、ある筈がない。

 それでもアルフレードが紹介を拒否するという事は、どうしてもエレナを彼女に会わせたくない理由があるという事になる。


(やっぱり、アルフレード様はあの方のことを……)


 エレナは目の前が真っ暗になった。

 

 呆然とし顔色の悪いエレナに、アルフレードが眉を顰め、心配げに尋ねてくる。


「エレナ……? 大丈夫? 顔色が悪いけれど──」


 そう言って愛しむように優しく頬に触れられ、エレナの胸は嵐の中に放り込まれたようにぐちゃぐちゃになった。


(この優しさが、全部私の勘違いだったというの?)


 平静を保てないエレナは、その場からどうしても逃げ出したくなり、視界の中にイザヴェラがいるのを捉えて、思わず叫ぶように名を呼んでいた。


「──イザヴェラ様!」


 名を呼ばれ、イザヴェラとオルフィオが和かに微笑んでエレナの方に近付いて来た。


「エレナ、丁度良かったわ。あなたを探していたの。……どうしたの? 何かあった?」


 エレナの異変に気付いたイザヴェラが、小声で尋ねてくる。


「いいえ、何でもありません。少しお話ししたいなと思いまして、思わずお呼び止めしてしまいました」


 エレナが笑顔で取り繕うと、オルフィオが言う。


「久しぶりに会えたんだ。積もる話もあるだろう。私もアルフレードに用があるんだ。少し彼を借りてもいいかい? その間、イザヴェラの話し相手になってくれると助かる」


「ええ、もちろんです」


 快諾するエレナに、アルフレードは困惑の表情を浮かべた。


「エレナ、急にどうし──」


「アルフレード、悪いが今しか時間が作れそうにない。魔術師長が待っているから、すぐに来てくれ」


 強い瞳でオルフィオに言われ、エレナの様子を気にしつつも、アルフレードは渋々頷いた。


「エレナ、すぐに戻ってくるから」


 そう言い残し、アルフレードとブルーノは、オルフィオについて会場を出て行った。


 三人の姿が見えなくなると、イザヴェラは美しい所作で扇を広げ口元を隠すと、エレナにだけ聞こえるように囁いた。


「私達も移動しましょう。何でもないなんて、嘘なのでしょう? 何があったか、話してくれるわよね?」


 有無を言わさぬ微笑みに見つめられ、エレナは小さく頷くしかなかった。


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