第4話 求婚に関する裏事情
訳がわからぬまま父と共に応接室に入ると、母と兄、それから見知らぬ男性が座っていた。
「初めまして。エレナ・スフォルツィアと申します。」
息を整え、その場ですぐにカーテシーをし視線を上げると、エレナはどきりとした。
父よりも背が高いだろう、その客人が音も立てず目の前に来ていて、自分を見下ろしていたのだ。
「え……」
金糸の緻密な刺繍で縁取られた、黒の礼服姿がよく似合う、すらりとした長身の男性。
よく磨かれた靴、襟元には装飾のエメラルドが品よく輝き、手には白手袋をはめている。
エレナは彼を間近で見て固まった。
あまりの美しさに、視線が吸い込まれ動かせない。
雪の精霊がもし実在するなら、こんな姿なのかもしれない──。
エレナはとても神聖なものと対峙したような、不思議な高揚感と感銘に打たれた。
冬の凍てつく湖のような青灰色の髪。
さらりと伸びた絹糸のようなそれを後ろに束ね、分けられた前髪は耳の少し下にかかるほどの長さ。
耳から掛け落ちた幾らかの髪が、長い睫毛と共に頬に影を落とし、妖艶さまで感じられる。
深海のように濃い青が美しい切れ長の瞳は、真っ直ぐにエレナをとらえ動かず、すっと通る鼻筋、きめ細やかな肌は、月光で輝いているようだった。
薄く形の良い唇はうっすらと開き、「はあ」と息を吐く音が小さく漏れるや、心地の良い落ち着いた低い声が、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……お会いできて光栄です、エレナ嬢。私はアルフレード・モンテヴェルディと申します」
にこりともせず、エレナを見つめるその瞳は射抜くように力強い。
もしや睨まれているのか、と思う程の眼差しだったが、不思議と恐ろしくは感じなかった。
それよりもエレナは、その名を聞いて混乱していた。
アルフレード・モンテヴェルディ。
それは西方辺境伯の名だ。
なぜ彼がここに?
見つめ合っていたのは長い時間か、それとも一瞬だったのか、固まったままのエレナにはわからない。
目の前のアルフレードは一度きつく目を閉じ大きく息を吸うと、しっかりとエレナを見据え再び口を開いた。
「……エレナ嬢、私はあなたを──」
「まずは座りなさい!」
アルフレードの言葉を遮るように、父侯爵の苛立つような声が響いた。
全員の視線が一気に父に集まる。
「お前に話さなければならんことがある」
そう放たれた言葉はエレナに対するものだったのに、父の視線は終始アルフレードに向けられていた。
その瞳は、なぜか怒りに燃えていた。
全員が席に着く。
父母がソファに並び、兄は脇の1人掛けの椅子に、そして何故かエレナは辺境伯の隣に、両親と向かい合う形になった。
なぜ、私が隣に?
そわそわして目が泳ぐエレナに、不機嫌そうな父が低い声で言う。
「辺境伯領へ行く話は、殿下から聞いたか」
「はい、先程。文官としてアルジェントへ向かうのですよね。もしかして、辺境伯様はその手続きか何かで……」
「違う!」
父は割れんばかりの勢いでテーブルに拳を振り下ろし、アルフレードを睨みつける。
エレナは身を強張らせた。
騎士団長を務める厳しく屈強な父だが、普段家で、こんなに声を荒げる様子を見たことはない。
母は頬に片手を当て、困ったわねと言わんばかりに、眉を下げ微笑んだ。
「文官としてじゃないの。辺境伯領へは、婚約者として行ってもらうのよ」
「婚約者?」
誰の、と言いかけたが、無意識に視線は隣に向かい、無表情のアルフレードと目が合った。
「……エレナ嬢、あとは君の承諾だけなんだ」
そう言ったアルフレードの青色の瞳が、一瞬銀色に揺らめいたように見え、息を呑む。
と同時に、父侯爵の怒りが爆発した。
「私は認めとらんぞ! この若造が!」
「父上、落ち着いて」
兄が慌てて止めに入るが、侯爵はアルフレードの胸ぐらを掴み、噛み付くように吠えた。
「やはり駄目だ! 認められん!」
「すでに国王陛下からお言葉を頂いております」
「うるさい! もう一度勝負だ!」
「構いませんが、また私が勝ちますよ」
父とアルフレードの止まない口論に、母がぴしゃりと音を経てて扇子を閉じる。
「あなた、ちょっと黙って下さい。まずはエレナに説明しなければ」
ふんっと鼻を鳴らし、父侯爵はアルフレードから手を離す。
母は背筋を伸ばすと、エレナに向き直った。
「エレナ、お父様が日頃言っている、あなたの結婚相手の条件を覚えていますか?」
「はい。結婚は、父より強い男しか認めない……と。え? これ、よくある冗談ですよね?」
「それが……冗談ではないの」
思わぬ話の流れに目を丸くするエレナに、母はやれやれと肩をすくめた。
「これまであなたに求婚しようとした方々は、全てお父様達が返り討ちにしているの」
「返り討ち」
エレナは目を白黒させ、オウムのように言葉を繰り返す。
「知略でも謀略でも武力でも、誰もお父様達に勝てなくて」
「誰も」
エレナは母の言葉を復唱すると、驚く表情そのままに自然と口を開いていた。
「ということは……私にも、婚約の打診はあったということですか?」
「そうね」
「しかも、その言いようではまるで複数あったような」
「そうなのよ」
母はあらあら困ったわねと朗らかに眉を下げ、首をこてんと傾げた。
「それで、返り討ちにしていった結果、あなたの伴侶として認められる程強い──つまりお父様より強い人が、国内ではもう、辺境伯様お一人だけなのよ」
エレナは驚愕した。
これまで誰からも求められない、好きになってもらえないと悩んでいたのは、父と兄のせいだったというのか。
さらに強さを基準に結婚相手を選び、会ったことすらない辺境伯様に「あなたしか残っていないから」とそれを打診したと?
しかも辺境伯様は国王陛下から直々にご命令されてここに?
呆然と父を見ると、顔を青ざめさせ冷や汗を流している。
「いや、違うんだエレナ。これは私の我儘とかではなくて……いや、そんな目をしないでくれ。そうするしかなかったんだ!」
「どういうことですか?」
娘から軽蔑の眼差しを向けられ、父侯爵は肩を落として言った。
「……全ては、エレナ。お前を守るためなんだ。今まで隠していたが、実は……」
渋々口を開く父を、エレナは固唾を飲んで見守る。
飛び出してきたのは、予想だにしなかった言葉だった。
「お前の魔力量は……その……国で1番多い」
「え?」
「父上、大陸で1番ですよ」
すかさず兄が口を挟み訂正する。
上方修正されたが、理解できないし、全く嬉しくない。
え?
結婚の話をしていたと思ったけれど……お父様は何と仰ったの? 魔力が一番?
「もし魔力を暴走させたら、恐らく騎士団長である私でも抑えるのはギリギリだろう」
父がしょんぼりと肩を落とす。
「エレナの魔力量を隠し守るために、殿下の婚約者候補にしていたんだ」
兄を見れば、困ったように眉を下げ、肩をすくめた。
「あなたは、国家保護対象に指定されているのよ」
母は優雅に扇子を広げにっこり微笑んだ。
「ちょ……ちょっと待って」
家族から告げられる内容に目を白黒させ、言われた言葉がぐるぐると脳内を駆け巡る。
1番の魔力?
保護対象?
本当は求婚もあって?
辺境伯様が婚約者で?
え、だめだ。
訳がわからない。
──平凡な令嬢ってなんだっけ。
情報を理解するのに精一杯なエレナは、この時まったく気付いていなかった。
終始彼女に向けられている、アルフレードの狂おしいほどの熱い眼差しに。