第36話 ラールの花と恋の御守り
「先生、まだ食べるんですか!?」
吸い込まれるように屋台に近付いて行くヴェレニーチェを追いかけ、エレナとクララは驚きの声を上げた。
町娘風の素朴なロングワンピースに、つばの広い帽子を被った三人は、昼前から街に出かけて散策を楽しんでいた。
ヴェレニーチェの支度を手伝っていたクララは、「久しぶりに師匠に付き合いな」と言われ着替えさせられたらしい。
「この時期のアルジェントに来るのは初めてだが、活気があっていいじゃないか!」
そう言って街に到着するなり、ヴェレニーチェは数え切れない程の店に入り、目に付く食べ物を買っては食べ、買っては食べを繰り返した。
「エレナ、クララ! 買ってやるから早く選びな!」
エレナとクララのお腹は、早々に限界を迎えている。
だが、子供のようにはしゃぐヴェレニーチェを見ていると、二人の弟子は断ることができず、ついつい笑いながら付き合ってしまうのだった。
「ミアとアデットも一緒に食べたかったわ」
動物の形を模した棒付きの可愛らしい飴を舐めながら、エレナが言った。
「しょうがないですよ。若い女性ばかりでこんな昼間に集まっていては、寧ろ目立ちますから」
「でも近くにはいるのよね?」
ミアとアデットは、一緒に散策はしないが護衛のため付いて来るとは言っていたのだ。
クララの代わりに、ウサギ型の飴をバリボリと音を立て豪快に齧りながら、ヴェレニーチェが答えた。
「ああ、ちゃんといるよ。あの奥に見える三階建ての赤い屋根の裏にミア。こっちの路地裏にアデットがいる」
ヴェレニーチェが指さす方を見ても、エレナには何も見えない。
「護衛って凄いんですね」
感心して目を丸くするエレナに、クララが半眼で答えた。
「エレナ様……居場所を把握できているヴェレニーチェ様の方が、よっぽど凄いですよ」
そのまま街歩きを続けていると、雑貨屋の前に立つ人が良さそうな若い男女に声を掛けられた。
「ちょっと、そこの綺麗なお姉さん方! 特にほら、真ん中のお嬢さん。うちのラールは質が良いよ。ちょっと寄っとくれよ」
「え、私……ですか?」
突然指名され、エレナは困惑気味に店の前で足を止める。
「そうそう。お姉さん今、恋してるでしょ? 顔見りゃわかるよ」
「うちのラールは摘みたて、混ぜ物なしだよ! きっとお姉さんの気持ちも実るはず。どう? 買って行かない?」
「恋!? あの……えっと?」
店員らしき二人の言っている内容が理解できず焦っていると、見かねたクララが助け舟を出してくれた。
「ねえ、さっきから何の話をしているの? ラールの花を売ってるってこと?」
クララがわざと南部の訛りで話すと、店員の二人は目を丸くした。
「ありゃ。お嬢さん達、アルジェントの人じゃないのか」
「そりゃあ、わからないわよね。ごめんなさいね」
二人は謝ると、軽く腕を上げて自身の手首を指差した。
その腕には、所々にビーズがあしらわれた、草を編んだような紐状の腕輪をしている。
「俺たちが売ってるのは、この腕輪さ。アルジェントでは、この時期によく作るんだ。ラールの花で作った、恋が叶う御守りだよ」
その言葉に興味を惹かれたのか、ヴェレニーチェがじっと腕輪を見つめた。
「へえ。御守りか。魔術の陣が描かれているようには見えないけど、どういう物なんだい?」
御守りと聞いて王国の人々が想像するのは、アルフレードの手袋のような、魔術の紋様が描かれた品物のことだ。
叶えたい願いに一番効果がありそうな魔術を選び、その陣が刺繍や絵で描かれた物を、肌身離さず持つ事に意味がある。
だが所詮ただの紋様。
魔力で描き出した陣ではないため、効果は殆どなく、気休めのような物だ。
だが、目の前の男女が示している腕輪は、そういったものとは違うようだった。
「ラールは、春先から初夏にかけてアルジェントにたくさん咲く花なの。昔から新月の前後に摘み取ったラールを、乾燥させてから編んで、好きな人に渡すと恋が叶うっていう言い伝えがあるのよ」
「新月の前後? 他の日では駄目なのかい?」
「駄目だよ。そこが大事なんだから。他の日に摘んだ花じゃ、効果がないんだよ」
「へえ? 違いを感じる程、実際に効果があるということかい」
ヴェレニーチェは怪しむように目を細め、顔を腕輪に近付けた。
初めて聞く話に、エレナも思わず尋ねてしまう。
「渡すだけでいいんですか?」
「そうだよ。元々は家族の健康とか無事を祈って渡すものだったんだけど、今は好きな相手に渡すってのが流行りだね」
エレナ達が興味津々で話を聞いているため、店員はさらに丁寧に説明を続けてくれた。
「あ、でも渡す前に一週間は必要なんだ。毎晩これを握って、好きな人と両思いになれるように祈りながら眠らなきゃいけない」
「真剣に祈らないと、効果が薄いって言われているわ」
ある程度話を聞くと、クララとヴェレニーチェが、エレナの後ろでボソボソと考察を始めていた。
「気持ちを込める……という事なんでしょうか。魔術陣を使わないというのは、聞いたことがありません。意味がなさそうに思えますけど」
「だが、伝承が残り、民に根付いているということは、本当に効果を感じる何かがあるということだよ」
「確かに……手順が多く、条件付けもあるのが気になりますね」
思考が観光から研究に切り替わってしまっている二人に、エレナは苦笑した。
店員が大きめの箱を取り出し、蓋を開ける。
中には、ビーズの配色が異なるたくさんの腕輪が入っていた。
「どうです? お一つ。アルジェントに来た記念にでも! お値段もおまけしちゃいますよ」
満面の笑みで、ずいと箱を差し出される。
話を聞かせて貰った礼として、エレナは一つ買うことにした。
「じゃあ、これをいただこうかしら」
エレナは箱から腕輪を選び、一つ取り出した。
濃い青色のビーズがラールの茎と共に編み込まれていて、アルフレードの優しい瞳の色に似ている。
腕輪を握って、アルフレードの笑顔を思い出すと、その瞬間、エレナは目を見開いた。
「──え?」
思わず振り返ってヴェレニーチェを見る。
驚いた表情を見せたエレナを不審に思い、ヴェレニーチェが近寄ってきた。
「先生、一つ手に取ってみて下さい」
エレナに言われ、ヴェレニーチェも箱から腕輪を選び取る。
「これは……」
手に取ってすぐ、ヴェレニーチェも目を丸くしてエレナを見た。
視線を交わしただけで、お互い何が言いたいか伝わったのだろう。
ヴェレニーチェが目を輝かせて店員に言った。
「すまない、私達にこの腕輪を売ってほしい。この箱ごと、全部」
「お二人とも、どうしたんですか、急に」
買い取った箱を抱えて、今にも飛び跳ねそうな様子の二人を見ながら、クララは不思議そうに尋ねた。
「──吸収したのよ」
通りを歩きながら、エレナは周囲の人に聞こえないよう、弾みそうになる声を無理やり抑えながら囁いた。
興奮のため、頬は薔薇色に上気している。
「腕輪が……持った瞬間、私の魔力をほんの少し吸い取ったの! 魔石以外に、魔力を直接移せるものがある事にも驚きだし、それに……実際に計測してみないと正確にはわからないけれど、多分、花の魔力が私の魔力に上書きされているはずよ!」
一般的に、魔獣は人間に魔力を与えることも、受け入れることもない。
それは植物も同じ。
魔術を使って加工したり、成長を促したりすることはできても、魔力を直接流し込むことはできない。
やろうとしても、植物に魔力を跳ね返されてしまうのだ。
エレナが行っていた、『薬草でない植物を薬草に変える』という研究が進まなかったのも、これが原因だった。
「え……凄いことじゃないですか! それが本当なら、ラールの魔力の性質そのものを変えたってことですよね?」
「そうなの! どうしてなのかはわからないけど、やっと希望が見えてきたわ!」
三人は思わぬ発見に興奮した。
さっそく実験に取り掛かるため、急いで馬車に乗り屋敷へ戻る。
長い間、進展がなかった研究に可能性が見えてきた。
そのことに三人は目を輝かせていた。
だが、ヴェレニーチェの瞳に映る希望は、エレナやクララが抱くそれとは、全く別のものだった。
「そうだね。これでやっと、先に進めるかもしれない」
箱に詰まったたくさんの腕輪を見ながら、ヴェレニーチェは涙を堪えるようにクシャリと笑った。
彼女には、アルフレードの呪いを解くための鍵が、ようやく見えた所だった。




