第35話 白色の鱗
「エレナ、妖精探しは進んでいるのかい?」
アルフレードが屋敷を出た次の日。
朝食前、身支度を整えたエレナが一人になった時、それを見計ったように部屋を訪ねてきたヴェレニーチェから、唐突にそう聞かれた。
「いえ、それが全く。アルジェントに来ればもしかしたら、と期待していたんですが、手掛かりらしい逸話なども見つからなくて」
そこまで話して、エレナはふと思い出し、引き出しにしまっていたペンダントを取り出した。
前回の新月の夜、森で拾った小さな白い鱗の事を思い出したのだ。
エレナはロケットにしまっていたそれを摘み、ヴェレニーチェに見せた。
「先生、これが何かご存知ないですか? 何かの鱗だとは思うんですけど」
エレナの手の上、差し出された小さな白い鱗を見て、ヴェレニーチェはぴたと動きを止め笑みを消した。
「エレナ、これをどこで?」
何かを見定めるようにじっと見つめられ、エレナは少し驚きつつも言葉を続けた。
「森に落ちていたんです。新月の夜……駄目だと言われていたのに森に入ってしまって、その時に」
「そうか……」
ヴェレニーチェは短く返事をすると、エレナの手から鱗を摘み上げた。
「これは──飛竜の鱗だね」
「飛竜の?」
想像していなかった答えに、エレナは思わずそのまま聞き返した。
飛竜は赤色の鱗を持つ竜だ。
白い鱗の飛龍がいるなど、エレナは聞いたことがなかった。
「ああ。飛竜は雛の間に体の内に魔力を貯め、それが体の表面に僅かに結晶化することで鱗になり、羽毛と入れ替わるんだ。その魔力は、火の属性に分類されている。飛竜が燃えるような赤色をしているのは、その魔力の表れなんだ」
ヴェレニーチェは光にかざすように鱗を眺めると、再びエレナの手にそれを返した。
「だから、魔力が少ないまま大人になった竜は鱗の色が薄い。サーリャがいい例だね」
「知りませんでした。でも、ここまで真っ白ということは、相当魔力が足りていないということですよね? そんな状態で生きていられるのですか?」
素直に疑問を口にするエレナを見て、ヴェレニーチェはその顔に微かな悲しみを滲ませた。
「普通は死ぬさ。だが、その鱗の持ち主には、どうしても死ねない理由があったんだろうね。必死にもがいて生き延びたんだろうさ。……もしその鱗の持ち主に会えたら、よく頑張ったと言って、頭でも撫でておやり」
珍しい師の様子に、それ以上何も聞いてはいけない気がして、エレナは頷くと、鱗をロケットの中にそっと仕舞った。
「──さあ!」
それまでの空気を打ち消すように、ヴェレニーチェが大きな声と共にパンッと両手を合わせた。
突然の事に、エレナは目を瞬かせる。
ヴェレニーチェはパッといつもの快活な笑みに表情を切り替えた。
「話はこれくらいで終わりにして。エレナ! 出かけよう!」
「え? 出かける?」
「そうだよ。魔術塔に篭りきりで辟易してたんだ。せっかく遠出したんだから、街へ行って観光したい」
「ブルーノの研究のお手伝いは──」
「ああ、それはもう日の出前に終わらせた」
「え!?」
エレナは驚愕に目を見開いた。
ヴェレニーチェは普段の不遜な態度や、ぐちゃぐちゃな研究室のせいで誤解されがちだが、恐ろしい程に仕事が早い。
その事をエレナは知っていたが、まさか自分が起きる前にはもう仕事が終わっているなど、さすがに思いもしていなかった。
「あとはブルーノが自分で何とかするはずさ。さあ、出かけよう。朝食は、街で流行りの物でも食べようじゃないか」
ヴェレニーチェの誘いに、エレナの心は浮き足だった。
アルフレードと一緒に行って以来、サーリャに付きっきりだった事もあり、思い返せば屋敷に篭りっぱなしだったのだ。
「……ですが、アルフレード様がご不在の間は、できるだけ屋敷にいて欲しいと言われています。私にもしもの事があった時に助けられないから、と」
エレナが王都や自領を出て自由に過ごせているのは、国内最強のアルフレードが側にいるからだ。
不在の間に街へ出てしまっては、警護が難しく前回の新月の夜のように、また迷惑をかけてしまうかもしれない。
エレナは残念に思いながらも、断る方向の言葉を口にする。
だがヴェレニーチェはそれを無視して、エレナを引っ張って部屋を出た。
「お前、私を誰だと思っているんだい?」
ニヤリと口端を上げると、自信たっぷりに言う。
「アルフレードが、近隣諸国からの男除けとしてエレナの婚約者になれたのは、王国内の男の中で一番強いからだよ。もしこの魔術師長様が男だったなら、お前の婚約者はアルフレードではなく私だったさ」
そのまま馬車に乗り込もうとしていたヴェレニーチェとエレナは、鬼のような形相のクララ、ミア、アデットの三人から全力で止められた。
「そんないかにも貴族とわかる服装で街へ行く人がありますか!」
「キラッキラの服着た美人二人が歩いてたら、とんでもない騒ぎになってしまいます!」
「一歩進むだけで不埒者がわんさか湧いちゃいますよ!」
「「「さ! 着替えましょう!」」」
三人の圧に負け、支度し直す事になったエレナとヴェレニーチェは、当初の予定通り、屋敷の食堂で朝食を摂ることとなった。




