第34話 隠されていた招待状
「なるほど。確かにエレナの魔力が混ざっているね」
サーリャの竜舎で、卵にあてた幾つもの魔力計測用の魔道具を見つめながら、ヴェレニーチェが言った。
腕組みをしたアルフレードも、ヴェレニーチェのすぐ後ろで魔道具を覗き込み、それぞれの目盛りや色の変化を見比べている。
「この数値だと……サーリャは、エレナの魔力を自身の回復用にはまわさず、全てそのまま卵に流したようですね。抵抗値がやや高いのはそのせいでしょうか?」
「ああ。温度が少しばかり高くなっている原因だね。魔力濃度自体は問題ないから、まあ、誤差の範囲だろう」
サーリャを撫でながら測定の様子を見ていたエレナは、目の前で専門的な話を進める二人に対し、感嘆の息を漏らす。
(……先生は本当に、竜にお詳しいのね。王宮書庫で魔獣についての本はたくさん読んだけれど、竜についての本は閲覧禁止ばかりで学ぶ機会がなかったから、話の内容がさっぱりわからないわ)
エレナはヴェレニーチェが持ち込んだ観測機器をまじまじと見つめながら、サーリャを再び撫でた。
サーリャは《クウゥー》と機嫌よく喉を鳴らす。
ヴェレニーチェが接近しても、卵に直接触れても、サーリャは終始落ち着いた様子を見せていた。
「──よし。さ、これで情報は充分だね」
持ち込んだ資料への書き込みが終わったらしい。
ヴェレニーチェが立ち上がり、大きく伸びをする。
「魔獣管理局の通常監査では、ここまで正確な数値は必要ないんだけどさ。今回はエレナが絡んでいるからね。念入りに調べておいて損はないだろう。さて──」
ヴェレニーチェは書類を片付けると、真っ直ぐにエレナの方を向き、子どもに言い含めるような真剣な眼差しで言った。
「エレナ。わかっていると思うが、お前の魔力量のことは国家機密だ。竜の産卵を手伝ったことは、屋敷の者以外に話すんじゃないよ。私も正式な報告書には書かないからね。オルフィオ殿下と陛下には口頭で伝えさせてはもらうが」
「はい。──ありがとうございます」
エレナが神妙な顔で返事をすると、ヴェレニーチェが眉を下げて笑った。
「そんな顔するんじゃないよ。秘匿にしているのは、お前を世から守るためとは言え、こちらの勝手な都合なんだ。迷惑かけてるなんて、間違っても考えるんじゃないよ。飛竜を助けた事だって凄い事なんだから、もっと胸を張ってりゃいいんだ」
「ヴェレニーチェ様は、普段堂々と悪い事してますもんね。魔力量の虚偽報告とか」
少し離れた所から様子を見守っていたブルーノが、にこやかな表情で口を挟んできた。
ヴェレニーチェがエレナの魔力量を、陛下や侯爵に過少報告していた事を言っているのだろう。
ブルーノの軽口を二人が咎めないことから、三人が旧知の仲ということがエレナにはわかった。
「仕方ないだろう。正確な数字を報告して、誰に得があったんだ。誰かに情報が漏れれば戦争の引き金になりかねんし、面倒だろう。アルフレードが迎えに来るより先に知っていれば、侯爵はエレナを一生屋敷から出さないと決めたはずだ。もしくは魔塔に幽閉か、無理矢理オルフィオ殿下と結婚させて、城の離宮にでも閉じ込められていた可能性だってあったさ」
エレナはそれを聞いて、ヒヤリと肝が冷えた。
(私が今まで、ある程度自由にできていたのは、ヴェレニーチェ先生が庇ってくれていたからなんだわ)
師の優しさに感動していたその時。
──バキィ!!
金属に亀裂が入ったような大きな音がしてそちらを見れば、アルフレードが仄暗い瞳で固まっていた。
手に持っていた小型の計測魔道具には、大きくヒビが入り、変形してしまっている。
「おい、壊すんじゃないよ! あーもう、割れちまってるじゃないか」
「……すみません」
呆然としているアルフレードの顔色が悪い。
「アルフレード様……大丈夫ですか? どうかされたんですか?」
心配そうにエレナが駆け寄ると、アルフレードは魔道具を持っていない方の手でエレナをぐいと引き寄せ抱きしめた。
「あああ、あの、アルフレード様!?」
赤面するエレナの髪に顔を寄せ、アルフレードが唸るように言う。
「魔術師長の言葉で……城に閉じ込められる君を想像してしまって……最悪の気分だ」
「そうだろう。いかに私が偉大な行いをしたかわかったかい? 皆のために嘘をついてやっていたんだから、もっと心から感謝してほしいね」
ヴェレニーチェは抱き合う二人を気にする様子もなく、アルフレードの手から魔道具を奪うと魔術を展開し修理を試みている。
「君をここに連れてくる事ができて……本当に良かった」
見上げると、アルフレードは泣きそうな瞳でエレナを見つめていた。
その表情で、彼が心の底からエレナの身を案じているのがわかり、あたたかいものが胸に広がっていく。
(もしかしたら、どこかに一生閉じ込められていたかもしれない。その事に、こんなにも心を痛めて下さっているんだわ)
エレナはにこりと微笑んだ。
「私も、ここへ来る事ができて、本当に良かったです」
その時、片付けを終えたヴェレニーチェが呟いた言葉は、エレナの耳に届いていなかった。
「幽閉くらいアルフレードには屁でもないさ。こいつが絶望してるのは、エレナがオルフィオ殿下と結婚する想像をしたせいなんだからさ」
サーリャと卵の観察も終え、ブルーノの研究の手伝いは明日から始まるということで、その後は久しぶりの師との時間を穏やかに過ごしていた。
爆弾が落とされたのは、その日の晩餐の時だった。
デザートを食べている時、思い出したようにヴェレニーチェが言った。
「ところで、来月の式典はどうやって来るつもりなんだい? 飛竜で来るなら、オルフィオに一言くらい伝えておきな。ファルに乗って突撃して婚約した日、申請も謁見もせず帰っただろう。無視された陛下がしょぼくれて、励ますのが大変だったんだからね」
そこまで言ってから、エレナとアルフレードの反応がおかしい事に気づき、ヴェレニーチェは片眉を上げた。
「あの、先生。来月の式典……とは?」
きょとんとしているエレナを見て、ヴェレニーチェはアルフレードをじとりと睨んだ。
アルフレードは苦虫を噛み潰したような表情で視線を逸らしている。
「はあ……オルフィオ殿下の王太子任命式典だよ。通達はすでにあったが、改めて婚約発表も合わせて行われる。アルフレードの婚約者として出席するよう、エレナにも招待状が届いているはずだよ」
「え!? そうなんですか?」
エレナが尋ねると、アルフレードは渋々頷いた。
「近隣諸国からも多くの来賓があるし、この前の監査官のこともあって、君を守るためにどうにか欠席できないか悩んでいたんだ。……伝えるのが遅くなってしまって、すまなかった」
「お前は、着飾ったエレナを他の男に見せたくないだけだろう。爵位を継いだ者なら、任命式の欠席は許されない。式典前後の警備体制の中で、エレナをどうこうしようなんて奴が現れたら、そいつはよっぽどの馬鹿だよ」
エレナは、アルフレードとヴェレニーチェの顔を見比べる。
保護対象であるエレナの身を心配し、大勢が集まる場所へ行くのを避けたいアルフレード。
貴族として、王族の式典には出席する義務があるというヴェレニーチェ。
どちらの言い分も理解できエレナは悩んだが、脳裏には、正式に婚約が決まり幸せそうに微笑み合っていたオルフィオとイザヴェラの姿が浮かんでいた。
「アルフレード様……私の事を心配してくださっている事も、ご迷惑をお掛けしている事もよくわかっています。ですが……式典には出席させて頂けないでしょうか。オルフィオ殿下とイザヴェラ様を、直接お祝いしたいのです」
エレナは祈るように訴えた。
それを見て、アルフレードは眉間の皺を一層深くし、一瞬の間を置いて深くため息を吐いた。
「エレナ……私に、君のお願いを断るなんて選択肢はないよ。迷惑だなんて思った事もない。──ジョゼフ」
アルフレードが名を呼ぶと、側に控えていたジョゼフが頷いて退室し、すぐに招待状を手に戻って来た。
アルフレードはそれを受け取ると、その場ですぐに出席のサインを書いて封をする。
そしてエレナに視線を向けると、優しく微笑んだ。
「この機会に、私も素晴らしい人と婚約したことを、皆に知らせるとしよう」
「アルフレード様……ありがとうございます」
喜ぶエレナを横目に、ヴェレニーチェはジョゼフに小声で尋ねた。
「式典用のドレスはあるのかい? 今からだと仕立てが間に合わないだろう」
「もちろん、すでにご用意済みですのでご安心を」
にこりと笑ったジョゼフが、ヴェレニーチェにだけ見えるように、低い位置に手で「7」と示す。
それを見て、ヴェレニーチェは笑いが吹き出しそうになるのを必死に抑えた。
「ぶふ……7着も……さすが坊やだね」
こうして式典への出席が決まった、新月が迫る夜。
エレナとヴェレニーチェに見送られ、アルフレードは屋敷を出て行った。




